行方しれず★
メアリと別れてからすぐに酒場の机で勉強を始めた。
今日は通りが見える窓の傍でノートを埋める。
そのまま仕事に入れるように、すでにウェイトレスの恰好に着替えている。
(来年から定員が半分……)
どうにも集中できない。不安で押しつぶされそうだ。
(合格なんて無理なんじゃないだろうか。もう村に帰りたい……)
ため息をついた。
(だめだ。元気出さなきゃ。もうすぐ仕事だし!)
エミリーは伸びをした。青い空が見える。
さらに背を伸ばすと椅子ごと後ろに倒れた。
間が悪く、そこに客が二人入ってきた。
「い、いらっしゃい!」
一人は中肉中背、魔術師が持つ杖を持っている。
もう一人は大柄な男だ。どこかで見た覚えがあるような気がする。
「まだ準備中かね」
「いえ。もうすぐ始まりマス。飲み物ならすぐに」
「エミリーさんはどちらに?」
明らかに初めての客に名前を呼ばれてエミリーは戸惑った。
とはいえ、刑場の騒動があってから彼女を見に来る客が一定数いるのも事実だ。
いわばローカルな有名人である。
「私デス」
「ギルドの張り紙を見てね」
「?」
「ほら、ヘビの杖の」
「ああ!」
ヘビの杖に心当たりがある者に報奨金を出すと書いたことをすっかり忘れていた。
(そういえばそんなもの出したなあ)
「あの杖について聞きたい」
「おじさん!何か知ってるの?」
男は咳払いをした。
「失礼。私は甲式魔術学校で指導をしているナウシズという者だ。こっちはギルダー」
「よろしく……。ん?嬢ちゃん、どっかで見たと思ったら試験の時の」
さっきから見た事があるような気がしていたが、エミリーもようやく思い出した。
門前払いを食らいそうになった時、助け船を出してくれた魔術学校の警備員だ。
「あっ。その節はどうもありがとうございマシタ」
この人のおかげで受験できたのだ。
結果として受験出来なかった方が良かったのかもしれないが……。
「ここで働いているってことはまだ受験生か」
「ハイ……。それより!ヘビの杖のこと知っているんデス?」
「ああ。あれは私が金貨60枚で買ったものだ。隣の質屋でな」
60枚!?
随分と値上げされたものだ。
「仕事柄、珍しい魔法具を見つけるとついつい買ってしまうのだ。あの杖を質に入れたのは君ということか?」
「ハイ!い、いまどこに?金貨60枚払うので返して下サイ!」
どう考えても有り金すべて払っても足りない。だが言わざるを得ない。
ナウシズは落ち着いた声で言った。
「返せない。というか私も取り上げられてしまった。あの杖がレガリアである事を君は知っていたか?」
「一応は」
そもそもレガリアと言う言葉を教えてくれたのはあの杖だ。
「あれがどれほどの力を持つものか知るべきだ。見たところ魔術師とはとうてい認められぬ魔力しか持たない君には扱えない代物だ」
「分かってマス、そんなこと。私は元の持ち主に返したいだけデス」
ナウシズの眉がぴくりと動いた。
「ほう。元の持ち主とは?」
「さっきの私の質問に答えてくだサイ。杖はどこに?」
「私の研究室にあったのだが、押しかけた騎士に召しあげられてしまってな。今はおそらくマインツ卿がお持ちだ」
マインツ。杖は手の届かない彼方へ流されてしまっていたようだ。エミリーは膝が震えた。
「そ、そんな……」
身分の違うマインツには、会うことすら困難である。想像に難くない。
そもそも彼は帝都から出て行ったばかりだ。エミリーは茫然自失でつぶいやいた。
「ああそうだ、情報提供者には銀貨10枚でしたっけ。教えてくれてありがとうございマス」
カウンターの奥からマスターが鋭い目つきでナウシズをにらんでいる。
二人は席を立った。
「銀貨は結構。出所が分かっただけでも収穫だ。後日改めてお話をお聞かせ願おう」
営業が始まった。
今日は珍しくウェルターが一人で来店してバーボンを呑んでいる。
客足は鈍い。出征後、酒の値段も暴騰している。
「今日はお一人さま?」
エミリーは声をかけた。
「ああ。おかわり良いかな?」
「ハイ。……あの、ジュリアさんと喧嘩?」
「いいや」
「こないだの話断ったから?」
「違うよ」
エミリーは少し罪悪感を抱いた。
(私のせいで喧嘩してそう)
お代わりを運ぶと思いきって聞いてみた。
「こないだの依頼って極秘なんだよね?でも話だけでも聞かせてもらえないかな」
「ん~。エミリーは口が堅い方だったかな?」
「それを本人を目の前にして聞くの?」
ウェルターは少し笑った。
「内緒だぞ?実はな、あの依頼はニコラ様がエミリーに依頼したようなものなんだ」
やっぱりそうか。
「私買いかぶられてるよね。なんの力も無いのに」
「さあ?でもまあ、適任ではある。エリザベート様はご存知かな」
「こないだの火事で亡くなった……」
マインツと反目していたという王妃である。皇子の後見人と母が争う事など珍しい事ではない。
「彼女は皇子を帝位に付けるまではと、摂政様が何をしても目を瞑ってこられた。だが限界だったようだ」
「よく分からないな。皇子はマインツに護られてたんでしょ?」
ウェルターは周りを見渡して声を顰めた。
「いつでも殺せる立場ではある」
「まさか」
権勢欲が強いとは言われているが、帝位を犯すほどの力はあるだろうか。
「まさかとは思うが。それで王妃は皇子を守るために別のプランを考えた」
「摂政の交代?それってニコラ様?」
ウェルターは少し驚いた。
「妙な事を思いつくなエミリーは。だが違う。皇子が大人になるまで別の皇帝を立てて、摂政の権限を弱める。それが狙いだ」
「皇位継承者って他に誰が居るの?」
「先帝の妹君、ユーリ様だ。彼女は帝都民に絶大な人気を誇っていたが行方不明ということになっている。実は亡命のような状態なのだが」
「ユーリ様?」
帝都民ではなかったエミリーには馴染みのない名だ。
エリザベートは女帝を擁立しようとしたということか。
「エリザベート様はユーリ様と仲が良かった。良かったからこそ摂政様はそれを阻止しようとして……」
「こないだの火事につながるわけね」
ウェルターは再び周囲に注意を払った。
「酒場では言いたくないのだが……。依頼と言うのは、皇女の出迎えだ」
「ええっ!帝都に帰って来るの?」
「しっ。声が大きい。摂政が居なくなってガラ空きの帝都に乗り込んでくる。そのまま議会で摂政を糾弾する。そのための委任状を各国で集められたという。とはいえこの情報を持つのはニコラ様だけだ。極めて安全な依頼と言えよう」
エミリーは苦笑いをした。今までも安全な依頼しか受けていないつもりであるが……。
「お姫様のお出迎えかあ……。でもなんで私が?」
「ニコラ様いわく、ユーリ様の元には正義感を持ち、高いモラル持った人々を集めておきたいらしい。人は染まるからとかおっしゃられていたが……」
「正義感?高いモラル?だからそれが買いかぶりなんだって……」
もう田舎に帰りたくてたまらないのに。
心が折れそうなエミリーはうつむいた。
(つづく)




