勇者の手向け★
土曜日。
初めての授業だ。
毎日図書館で勉強を重ねてきたが、常に不安だった。
自分がやっていることが合格につながるという確信を持てなかったからだ。
やはり、受験を突破した人に教わるのが一番近道だろう。
この授業料は自分が稼いだお金である。
無駄には出来ない。
仕事が始まるまで、職場の机と椅子を使うことをマスターに許可された。
昼過ぎに彼女は訪れた。
「あらためましてこんにちは。甲式魔術学校三回生、ブレンダです」
「お願いしマス。これ、宿題デス」
「おっ。ちゃんとやってありますね。どれどれ」
帝国の歴史が縦に書かれている。
赤ペンで線も引いてある。
「エミリーさんは帝国の歴史はどれくらい知っていましたか?」
「魔族と大きな戦いがあったくらいしか。60年前?」
「そうですね。最後の戦いが60年前です。レチタティーヴォの丘で勇者ラフラスと魔王が戦い、聖女が命を落としました」
「具体的には何があったんデスか?」
「えっと。ここでは丘の名前や年号を暗記してください。細かい戦闘の推移は理解が深まってからやったほうが覚えやすいですよ」
「ハイ」
今年のテストにも出たところなのは覚えている。
「ここに書いてある犠牲者の数って本当なんデス?」
「ええ。帝国が拠出した兵と各国、侯爵領が出した兵の合計も押さえておきましょう。そこの欄外に800万人って書いてください」
「本当に800万人居たんデス?盛ってるような気がするけど……」
「帝国の資料にはそうだと載ってるので、そう覚えましょう。テストにも出ますよ。……まあ、当時の大陸の人口は1億人。一般的に戦時には人口の3~5%前後動員できると言われていますけど、それを少し超えてますし異常事態ではあったようですね」
(人類存亡をかけた戦いって言われてるけどあながち誇張でもなかったんだなあ。でも引き分けの割にはどっちも存続してるよね)
次はルーン文字の勉強だ。
一つ一つにこめられた意味をノートにまとめていく。
(改めて書いてみると、全然覚えてなかったことが分かる)
あっという間に時間が過ぎて行った。
「先生、そろそろ仕事の時間なので」
「じゃあ宿題を出して終わりにします。最後に何か質問はありますか?」
「図書館で見つけた本に書いてあった旧人類についていいデス?」
「どうぞ」
「レガリアって旧人類の伝説の武器なんデスよね。これを使って戦争してたの?」
「使っていた時期もあるそうですが、主な武器は違ったそうです。そもそも旧人類は魔力を持たない人が大半だったらしいです。魔力が無くても数万人が死んでしまうような武器で戦っていたみたいです」
「へえ!」
「現生人類には使いこなせない技術らしいですね。『電子機器』などの遺物も発掘されてます」
「旧人類はどこかに住んでないのかな」
「世界が最後の氷期を迎えた頃に絶滅したらしいです。空に逃げたという伝承もあります。そもそも現生人類と旧人類は別の系統という説が有力ですね。身体能力はもちろん、知能の発達する時期も違うそうです。だいたい類人猿は様々な系統が絶滅してますから驚くほどの事ではないですが」
「結構明確に資料が残ってるんだなあ。意外と歴史って面白いデス」
「それは良かった。じゃあ宿題の説明に入りますね」
苦手な歴史に少し興味が湧いたエミリーは、お金を払って良かったと思った。
(優秀な人ならともかく、私は独学じゃ無理だ)
ホンウェル村では魔王が帰宅していた。
マミとエミリーの父は魔王から金貨を受け取った。
「そうか。エミリーは働いているんだな」
「子供の成長は早いネ」
「かなり優秀な働きであった……余の干し肉もエミリーのおかげで完売した……」
話を聞けば聞くほど父は首をかしげた。
「それ本当にエミリーかな。いや、想像つかないんだが……」
「じゃあ来年の受験まで居るってことなのかナ?」
「そこは聞きそびれた……」
勇者はやれやれと首を振った。
「はあ、そこが一番重要じゃろうて。ちゃんと聞いてこいよ。本当に使えぬ男」
「そもそも余は……使役されることには向いておらぬ……認めよう……」
だが美味い干し肉を作ることで村ではきっと認められる。魔王はひそかな自信を得ていた。
リュクロスとリュミシーは川で洗濯をしていた。
皆の衣服を洗う係だ。双子の彼女たちは武器を外すと見わけが付かない。
「ねえ、リュクロス。ユーリ様っていつまでここに居るのかな」
「さあ?」
「マミさんの事を先生って呼んでるけど」
「妙に親しげだよね。マミさんは魔術師って風体ではないけど相当詳しいよねえ」
「私も丙式魔術学校卒業したし多少は分かるんだけど、あのお二人の会話は何か次元が違いすぎてついていけない」
「まあねえ……」
「ラフラス様の特訓って厳しい?」
「厳しいなんてもんじゃないよ!何度死にかけた事か……」
リュミシーの手が止まった。
「なんかさ、ごめんね」
「なにが」
「私って役に立ってないよね」
「そんな事言わないでよ。私たちは一心同体。ユーリ様の為に命を捧げてるんだからさ。胸を張ろうよ。栄光の帝国騎士なんだよ?」
「うん……」
リュミシーは帝国騎士の質が低下してるのは自分たちのせいだと思っている。
リュクロスは騎士としてふさわしい力を持っている。
だが自分は違う。
おそらく稀有な才能を持ったリュクロスの双子の妹だったからこそ騎士になれたのだ。
忠誠心なら誰にも負けない。
だが忠誠心だけでは主君は救えない。
(魔法も半端。剣もダメ。……でも炊事と洗濯はリュクロスに負けてられない)
リュミシーは洗い物カゴから次の衣服を取り出した。
「リュクロス、リュミシー」
後ろから声をかけたのはユーリだった。
「ユーリ様!」
「そろそろこの村を出ましょう」
「ひょっとして私たちの会話、聞いてましたか?」
「いいえ」
(ぜったいうそだ……)
「ラフラス様には沢山の紹介状を書いて頂きました。これから侯爵領を周り、支持を集めます」
「いよいよですね!」
「恐らく命懸けの戦いになるでしょう。私の臣は今や貴方達ふたりだけ。でも私にとってはかけがえのないふたりです。今後も一緒に茨の道を歩んでくれますか」
「もちろんです!死するその時まで片時も離れません」
旅立ちの朝、三人は村人たちに見送られた。
「他所者の私たちをとても親切にしてくださった恩、一生忘れません」
「お嬢さんたちは帝都に帰るんだよね。また遊びに来てね」
ユーリの人柄はその地位を知らぬ人々にも受け入れられると知り、リュクロスは誇らしく感じた。
勇者ラフラスはなごり惜しそうにリュクロスに言った。
「久しぶりに鍛えがいのある騎士じゃったわい。まだまだ研鑽を積むんじゃよ。今度会った時に卒業試験をしてやろう」
「あ、ありがとうございました」
マミは三人を抱きしめて言った。
「元気でね」
「はい!マミさんもお元気で!」
村を出て五分ほど歩いたところでユーリは立ち止まった。
「案の定ですね」
「やっぱりですね。魔王の仕業……じゃないですよね」
「まさか。あの方はこういう小細工はされない方です」
「でしょうね」
サイクロプスが二体、大木の陰で待ち構えている。バレバレだが彼らは気付かれていないと思っているようで微動だにしない。
ユーリは杖を構えた。
「私がこの距離から先制魔法を撃ちましょう」
「お願いします」
その時、金切り声のような音を立てて一陣の風が背後から通り過ぎた。サイクロプスは大木と共に真っ二つになって倒れた。
(音速剣だ)
リュクロスは振り返って村に一礼をした。
今日の勇者ラフラスは屋根の上で修理を手伝っている。
エミリーの父は見上げた。
「気を付けてくださいよ。なんか今屋根が揺れましたよ」
「うむ。ちょっと力加減を間違ったわい。ちょこっと手助けするだけのつもりだったんじゃが……」
(つづく)




