01
「――ゃん」
まどろみの中に聞こえる幼い声。
覚えのない声だけど、ボクを起こそうとしている声だというのはなんとなくわかる。
重い瞼を頑張って開けてみれば……やっぱり知らない子がボクの顔を覗き込んでいた。
「あ、お姉ちゃん起きた。こんなところに寝てたら風邪引いちゃうよ?」
「……ん。そうだね、ありがとう」
にっこりと微笑み、その子を見れば少し汚れた衣服と汚れた顔だったけど、元気はよさそうだしにっこり笑っているのが可愛い。
遠くからその子の事だろう名前を呼ぶ男の子の声が聞こえて、彼女はそれに振り返り応えている。
「それじゃ、お姉ちゃん。あたしいくねーばいばーい」
「うん、ばいばい」
元気に男の子のところまで駆けていくその子を見送り、背伸びを1つする。
視界の端に映るショートカットアイコンから時計を引き出せば現在の時間がデジタル表示される。
まだ朝方だ。軽く寝落ちでもしてたのかな。
確かレム睡眠状態なら脳が活発に動いてるから接続が切れないはずだ。
フレンドリストを引き出せば全てオフライン表示。
朝方でも誰もいないなんてことはあまりなかったのに珍しい。
誰もいないんじゃ狩りにも誘えないし、野良PTを募るのも面倒だ。ソロ狩りをする気分でもないし、さてどうしようかな。
何の気なしにイベントリをショートカットアイコンから引き出して開いたところでボクは完全停止することになる。
なぜならイベントリには狩りに必要な必需品達がドロップアイテムのスペース分以外はぎっしり詰まっているはずなのに……何もなかったからだ。
目の前のイベントリの表示が信じられない。
イベントリには狩りの必需品のアイテムの他にも換装用戦闘装備品、アバター用のお洒落装備なんかも入っていた。
それらの装備品はたった1つでも100時間はプレイしても手に入らないようなレア装備ばかりだ。
ボクが一体どれだけ苦労してこれらの装備品を手に入れたと……。
アバター情報を引き出して装備欄を確認して見たけれどそこにあったのはたった1つ。戦闘用装備欄には1つも装備品がなく、アバター用装備に初期装備の防御力0の布のワンピースがあっただけ。
あぁ……これはきっと夢だ。
ボクはまだ夢を見ているんだ。
外に出るのが嫌でこのVRMMO――Heart & Heartsばっかりやっていたから、夢にまで出てきたんだ。
そうじゃなきゃ……そうじゃなきゃ……。
ボクの思考はそこで本当に完全に停止した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ハッ!?」
気づいたら空の太陽が中天よりも傾いていた。
ショートカットから時計を引き出してみたらすでにお昼を大きく過ぎている。
ボクは一体どれだけ寝ていたんだろうか。というかよく接続きれなかったな。
……などと現実逃避をしてみたが、開きっぱなしだったイベントリは相変わらず空のままだった。
Heart & Heartsの公式HPにプレイヤーの所持品入れ――インベントリーの事をイベントリと書いてあったのをなんとなく思い出したけど……どうでもいいことだった。Heart & Heartsでは皮肉ってみんなそう呼んでたし、運営もずっと直さないで開き直ってたし……。
うん……。どうでもいい。どうでもいいけどそろそろ……行動しようか、ボク。
思考が停止していた時間がそれなりに長かったからだろうか。どうでもいい事を思い出して気もまぎれたし、冷静さも戻ってきたと思う。
なので……ボクはマニュアルにのっとった行動を開始することにした。
こういったイベントリが突然消失していたりする事例の場合、まずは運営に報告する。
メールでも直接電話でも何でもいい。
ゲーム内でのGMコールは悪戯や苦情が相次いだためなくなってしまっているから、一先ずログアウトだ。
一応スクリーンショットも取っておこう。
視界の端に映るショートカット群から普段ほとんど使わないシステムを引き出す。
まずはスクリーンショットだ。
ボクはスクリーンショットをほとんど使わないからショートカット設定していない。
ショートカット設定していれば思考誘導のみで簡単に使えるんだけど、設定していなければいちいち本来のシステムから経由して選択しなきゃいけない。
システムから撮影を選択して慣れないながらもイベントリが空の状態になっているのを時計も重ねて撮影。
これで一応証拠としては十分かな?
次はログアウトして運営に報告だ。
同じくシステムから経由して接続を開く。
視界中央に表示される「ログアウトしますか?」の「YES」をいつも通りに思考誘導で選択しようとして……できなかった。
「ぇ……」
出来なかったのは「YES」がなくなっていたから。
「NO」しかない。
「YES」が表示されるはずの部分が消えていて……選択できないのだ。
何度も瞬きして目をごしごし擦って……でもやっぱり「YES」はなかった。
顔が引きつるのがわかる。
フレンドの1人であるTAKESHIがいつも起きているのに寝言をいうという器用な事をしてのたまっていた話が脳裏に浮上してくるのがわかる。
『デスゲーム』
『異世界トリップ』
どっち!?
TAKESHIのバカ野郎! おまえがろくでもない話ばっかりするから! あぁ……もう!
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
頭を抱えて一頻りTAKESHIを脳内で罵倒してから、乱れた髪は放って置いてまた空を仰ぐ。
ま、まだ決まったわけじゃない。
でもなんどログアウトしようとしても「YES」がない。
GMコールがゲーム内にないことがこんなに辛いとは思わなかったなぁ。
どうしたものかとTAKESHIを再度何度か脳内で罵倒してから、今自分がどこにいるのかを調べることにした。
ログアウトも運営にも連絡をつけられない状態だ。
何をするにもまず自分がどこにいるのかが問題だろう。
もしかしたら『デスゲーム』だったら、他の人もいるかもしれない。
そしたら助けてもらえる可能性が高い。ボクはトッププレイヤーではないけど、それなりにやりこんでいる方だしお互いに有益なはずだ。
ただ……『異世界トリップ』だと厳しい。
知り合いがまったく居ない状態から元の世界に戻る方法を探すというのは想像が付かない。
TAKESHIのバカの話も『異世界トリップ』の場合は大抵その世界に居付いてしまう場合がほとんどだったし。
視界の右上にあるミニマップの表示はよくわからない、どこかの街の路地裏だろうか。
さすがにHeart & Heartsをやりこんでいるボクでも全ての街の全ての路地裏を完全に知り尽くしているわけじゃない。せいぜいが主要施設程度だ。
普段行きなれている街なら詳しく知っているけど、それでも全部じゃない。
ミニマップからマップを引き出して、街の全体図を見てみる。
そこでやっぱり頭を抱えた。
座っている木のベンチに背を預け天を仰ぐ。
今日何回目だろうね。
ここはどこですかー。
まったく知らない街の路地裏でボクの心の中の呟きは誰にも聞かれることなく消えていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
現実逃避もこの辺にしてそろそろ本当に行動を開始しないとやばいことに気づいた。
何せボクは知らない街――全体図を見ても分からない街などHeart & Heartsにはなかった――にいて、イベントリにはアイテムが一切ない状態だ。
つまりは文無しであり、今着ているアバター装備――布のワンピースが全財産だ。
イベントリに何もないので当然お金もない。むしろ『異世界トリップ』だったとしたらお金が使えない可能性すらあったわけだけど……ないから気にしなくていい、チクショウ。
「うぅ~……」
どうしたらいいかと唸り声を上げながら乱れた髪の毛を手櫛で戻して心を少しでも落ち着けようと試みる。
ボクのアバターは性別詐称不可能とまで言われた、新型性別判定システムを組み込まれた新世代全感覚没入型VRギア――ヘリウスですら誤認させた性別だ。
つまり何が言いたいかというと、ボクは男だけどアバターは女性なのだ。
ネカマ乙とか言わないで欲しい。ボクだって最初は悩んだ。
ヘリウスが発売されて、搭載されている新型の性別判定システムには期待したんだ。
でもダメだった。
ボクは遺伝子学上は列記とした男なのに、VR内では女性と判定される特異体質なんだ。
……まぁリアルでも何度男と説明しても冗談だと思ってナンパしてくるロリコン野郎共に辟易とさせられたり、楽勝で子供料金で公共施設を利用できたり、声変わりは何時来るの? と神様に何度尋ねたかわからない。ちなみに返答はありませんでした。
男物の服を着てもボーイッシュな中にガーリーな雰囲気がぷんぷんしてしまう美少女なボクにがっかりだよ。
それでもVR内でくらいは男くさい男のアバターで男っぷりを男男してやろうと思っていたのにコレだ。
がっかりを通り越して達観してしまうくらいにはボクも成長したってものさ。
そんなわけでそんな歪な成長をしてしまい、今では女性体のアバターにも慣れてしまったボクだけど、アバターはそのままのようだ。
Heart & Heartsは所謂剣と魔法のファンタジー世界のゲームで、生産系にも力を入れているゲームだ。
戦うよりも物作りをしたいボクは当然生産職になった。そこ、男なら血沸き肉踊る戦闘だろうとか言うな。ボクは暴力は趣味じゃないんだ。
こういった諸々の事情で外にあまり出たくなかったボクはHeart & Heartsにどっぷりはまってしまって、気づいたらやりこみまくってトッププレイヤーとは言わないまでも、結構な廃人と呼ばれるくらいにはプレイしていたわけで。
ショートカットから引き出して確認したアバター情報にはボクの記憶と同じ状態のままのステータスが表示されている。
少し安心した。意識が飛ぶ前に見たときは装備欄しか見なかったから不安だったんだ。
まさか初期からやれとか、リアルの能力そのままだとかだったら死ねる。
まぁボクの場合はそれだけじゃなくても死ねるんだけど。
Heart & Heartsのステータスは変わっていて、数値として表示されるステータス部分が少ない。
他のVRゲームでは力とか素早さとか数値で表示されている場合が多いんだけど、Heart & Heartsにはそれがない。
職業を取得して、その職業で得られるスキルを取得していくことにより強くなったり、出来る事が増えたりするタイプだ。
つまりは『スキル型』と呼ばれる、スキルがものをいうゲームだ。
まぁ一応職業にもLvが数値であったりしてスキルが全てってわけではないんだけどね。
ボクの職業は錬金術師で、Lvは99だ。
まぁ所謂マックスです。カンストです。
とはいってもこのHeart & Heartsには転生システムというLv99になると別の職業に変更できるシステムがあるのでLv99だからちょー強いわけじゃない。
もちろん転生するメリットは多数存在する。
まず1番大きいのが別の職業に変更する際に元の職業から3つだけ固有スキル――その職業でしか扱えないスキル――を共有スキル――どの職業でも扱えるスキル――にして受け継げる点。
通称転生スキルと呼ばれるコレらは転生を繰り返す事によってどんどん増やせる。
固有スキルがたくさん存在するHeart & Heartsでは転生してスキルを受け継いで強くなるというのが当たり前だ。
まぁもちろんたくさんある固有スキルの中から3つしか受け継げないので、同じ職業で何度も転生したりして十全にスキルの効果を発揮できるようにしたりする人も多い。
ボクもその類。
伊達に廃人なんていわれてないからね。
さらに生産職系の職業にはLv99で『極み系スキル』と呼ばれるハイリスクハイリターンで転生では受け継げない特別なスキルがある。
ボクが転生しないでLv99で止めていた理由はこの『極み系スキル』のためだ。
錬金術師の『極み系スキル』は『錬金の極み』。名前はみんな大体こんな感じの安直型。
でもその効果は非常に大きい。
生産職は基本的に材料を消費して物を作る。
固有スキルを用いて工程の短縮化を図ったり、特別な能力を付与したり、品質を上昇させたりする。
固有スキルにはそれぞれ単体ごとのプラス効果のスキルがあるけれど、複数のプラス効果のスキルはない。
しかし『極み系スキル』は複数のプラス効果を持ったスキルなのだ。プラス効果は基本的に加算されて効果を発揮する。なので同じ系統のプラス効果があっても無駄にならないどころか得なのだ。
だからこそ転生で受け継げない上にLv99でしか手に入らない特別なスキルなのだ。
プラス効果が複数あるだけでも十分有用なスキルだけど、『極み系スキル』はハイリスクなのだ。
生産職の『極み系スキル』は生産に対してプラス効果が複数付くけど、その代わり戦闘面に対して大幅なマイナス修正がかかる。
それはもうびっくりなくらいかかる。だからよほど必要でなければとっとと転生してしまうんだけど、ボクはちょっと次の転生先の職業に悩んでいたのでたまたま取得していたのだ……。
『極み系スキル』――『錬金の極み』のせいでボクは戦闘がかなり厳しい。
でも数多くのレア装備で守りを固め、『錬金の極み』の対象外の消耗品による攻撃法で戦闘もある程度可能だったボクだけど……それら全てがない状態では戦うなんて到底できない。
戦えないので、TAKESHIのアホがのたまっていた冒険者というありがちな選択肢は取れないだろう。あるのかどうか知らないけど。
取るべき選択肢はやはり……生産だ。
なんたってボクは生産職。
しかも転生しまくって共有スキルを大量に持っているんだ。
『錬金の極み』だって生産する場合においては非常に心強い味方になってくれる。
まずはさっきから事あるたびに可愛らしい鳴き声をあげている空腹の虫を黙らせるために、食べ物を買うためのお金を得るための何かを生産しよう!
気に入っていただけたら評価をして頂けると嬉しいです。
ご意見ご感想お待ちしております。
5/4 イベントリの話を追加
5/6 誤字修正
5/12 イベントリにルビを追加
5/17 イベントリのルビを最初の一箇所だけに修正