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青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第3章
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42.吹き抜けた青嵐




 沖田が、五月三十日を越えてなお生きながらえたのは、奇跡か、歴史の改変なのか。


 病気が完治して元気に回復!というわけにはいかなかったが、小康状態とも言うべきか、沖田は食欲をいくらか取り戻し、夜も眠れるようになっていた。


 しかし、沖田が「今日死ぬかもしれない」という懸念は変わらない。

 二人は、一日一日をそっと丁寧に積み上げるように過ごした。






 六月五日。近所の甘味屋で団子を買ってきた琉菜は、沖田と縁側で食していた。団子の一粒だけなら、沖田の胃袋も受け付けた。


「今日は六月五日、かあ。祇園祭りはやってるんですかねえ」沖田がポツリと言った。

「戦渦はもう京都にはないですから、やってるんじゃないですかねえ?」琉菜は軽い調子で答えた。

「六月五日と言ったら、池田屋の日でもありますね」


 沖田は、そうですね、と懐かしそうな顔をした。


「途中から、記憶がないんですけどね」

「そりゃそうですよ。総司さん、暑気あたりで倒れたんだから」

「ふふ、そこを中富さん……じゃなくて、琉菜が助けてくれたんですよね」


 沖田は可笑しそうに笑みを漏らした。こんな話ができる日が来ようとは、琉菜は想像すらしていなかった。なんだか不思議な気持ちになる。


「そうですよ。オレがいなかったら、沖田先生はあそこで首を落とされてたかもしれないんですからね」


 なんて、と琉菜ははにかんだ。沖田は笑顔のままだった。


「中富さんにも、また会えてよかった。あれで結構、あなたのこと、気にかけていたんですからね?」

「知ってます。そのことは本当に、嬉しいやら、申し訳ないやら」

「懐かしいなあ。あの頃が。あの時は、皆がいた」


 沖田は、ぼんやりと空を見上げた。琉菜も倣った。


 本当に、遠くまで来てしまった。たくさんの人を、見送った。



「近藤先生はどうされているんでしょう。そういうの、琉菜ったら全然教えてくれないから」



 琉菜は、ドキリとした。

 このまま、沖田の体調が持ち直すのかどうか、琉菜にはもはやわからない。

 だが、持ち直した体調が、凶報によって再び崩れてしまう可能性もある。


 もう、一世一代の大嘘をつこう。


 琉菜は、そう決意した。


「近藤局長も、土方さんも、会津に行っているはずですよ。新選組の主君は、慶喜公である前に、容保公でもあるでしょう。だから、会津で、立派に戦うんです」


 沖田はそうですか、と呟いた。


「案外、私とあの二人は同じ頃合いに地獄で再会するかもしれませんね」


 近藤と土方が、会津で死ぬとも、天寿を全うするとも、琉菜は言っていない。だが、沖田とて、情勢を知らないわけではない。どうあがいても、旧幕府軍こちらがわの敗色は、濃い。



「そうですよ。……三人とも、よぼよぼのおじいさんになって、天国で会うんです」

「天国?」

「えーっと、地獄の反対。極楽浄土ってやつです」

「あはは、私たちが極楽浄土に行けるはずないじゃないですか」


 そうだ、と琉菜は思った。自分とて、人を殺めてきた身だ。自分が死んだら、行先は地獄だろう。


「そうしたら、私もよぼよぼのおばあさんになって、地獄で総司おじいちゃんに会いにいきますよ」


 沖田は、ぽん、と琉菜の頭に手を乗せた。


「待ってますよ。あなたは、しっかりおばあさんになってから来てくださいね」


 ”あなたは”と強調するのに、琉菜はつっこもうか迷ったが、結局何も言えなかった。


 その時、みゃあ、と眠そうな鳴き声がした。近くの生け垣がガサガサと音を立てたかと思うと、あの黒猫が現れた。


 琉菜も沖田も、なぜだか身構えた。たかが猫。されど、二人にとって曰く付きの猫である。


 沖田は傍らに置いてあった刀に手をかけた。以前は、斬ろうとしたものの、斬れず、猫は眠そうに鳴いて去っていった。

 今度こそ、という気持ちもあるだろう。琉菜は止めるべきか否か迷い、ハラハラしながら沖田と猫を交互に見た。


 だが、猫が予想外の行動をとったので、二人ともうわっ、と声を上げた。

 猫はぴょん、と飛び上がったかと思うと、沖田の膝の上にちょこんと乗っかったのだ。気持ちよさそうに目を閉じると、沖田の膝の上で丸くなった。


「この子、もしかしたらずっと総司さんとこうやって遊びたかったんじゃないですか?」琉菜は安堵から笑みを見せ、猫の背中を一撫でした。


 病人の膝の上に野良猫、というのは衛生的にいかがなものかと琉菜は妙に現実的なことを思ったが、あまりにも気持ちよさそうにしている猫を見て、まあいいか、と小さく呟いた。


「結構、毛並みがいいですよ。野良猫じゃないのかも」

「えっ、じゃあどこかで飼われてたのが逃げ出してきたんですかね?」

「そうかもしれませんね」沖田は猫を撫でながら、「この間は、悪いことをしましたね」と刀で斬りつけようとしてことを猫に謝った。そして、「そうか」と呟いた。

「琉菜のいう平和な時代が、もう始まろうとしているのかもしれませんね。刀や鉄砲のいらない、殺し合いのない、そんな時代が。そりゃあ、侍なんて、お役御免ですよねえ」

「総司さん……」


 琉菜は、沖田の複雑な心境を思った。


 武器なんか、ない方がいい。戦争なんて、殺し合いなんて、ない方がいい。

 でも、それは、総司さんの生き方を全否定することになっちゃわないかな……?


 ああ、そう考えると、あたしが今までみんなに言ってきた「未来は戦のない平和な時代です」って、とんでもないことだったんじゃ……


「琉菜?」


 琉菜の体は、わなわなと震えていた。


「総司さん、あたし……どうしよう……みんなにひどいことを言ったかもしれません……」

「ひどいこと?」


 この時代で、それなりにやれてると思ってた。

 この時代の人たちと、一緒に生きてこれてると思ってた。


 でも、百五十年の価値観の壁は、こんなに……


 琉菜は、涙を流しながら、震える声で気持ちを吐露していった。



「……だから、未来は平和だって、そんなの、武士として生きてきた皆さんの生き方を否定してることになってるんじゃないかって」


 沖田は、優しく琉菜に笑いかけた。


「何言ってるんですか。いつの時代でも、平和がいいに越したことはありませんよ。私たちは、この動乱の時代を終わらせて、日本を守るために戦ってきたんです。だから、その通りの未来が来るんだって、琉菜が教えてくれたことは何も矛盾していないし、皆『自分たちのやってきたことは無駄じゃなかった』って思えたはずですよ。教えてくれたことに感謝こそすれ、気分を害することなんてなかったはずです」

「そう……ですか?」

「だからもともと、動乱が終われば新選組も必要じゃなくなるものなんです。新選組がいらない世の中の方が、いいに決まってるじゃないですか」


 正論だった。だが、それはあまりに悲しい正論だった。

 琉菜は、沖田にがばっと抱きついた。感情に任せて、語気を強める。


「総司さんがいる限り、まだ戦ってる近藤局長や土方さんがいる限り、新選組は終わりません。矛盾してると思うけど、新選組はまだまだ、まだまだ必要です。新選組が残してくれたものは、未来に残ってますから。ていうか、あたしが絶対に残しますから」


 何やってんだ、あたし。総司さんに心配かけて、慰めさせて。


「ありがとう」


 優しい声が、琉菜の耳に響いた。


 琉菜は、沖田の体に添えていた手に、ぎゅっと力を込めた。今、改めて、沖田を失うことへの恐怖が琉菜を襲った。


 その時だった。


 コフッと、沖田が小さな咳をした。沖田は、バッと琉菜の体を突き飛ばすと、激しくせき込んだ。口元を抑える手から、血がポタポタと垂れる。垂れた血は、膝の上の黒猫にも落ちた。だが、黒い毛に吸い込まれるようにして、その色は見えず、猫も気にしていないような眠そうな声で鳴いた。


「総司さんっ!」


 琉菜は、慌てて総司の背中をさすると、「立てますか?」と声をかけた。琉菜は猫を抱き下ろして、沖田が立ち上がるのを支えた。よろよろとした足取りで、沖田はたった数歩先に延べてある布団まで、ゆっくりと歩いた。




 沖田は、すべての力が抜けたように布団に寝転ぶと、虚ろな目で天井を見つめていた。


「琉菜」


 名を呼ばれ、琉菜は「はい」と返事をして沖田の手を握った。


「自分の体のことですから、わかります。もう私は、駄目だと思います」

「そんな……!」

「この数日間は、こんな私でも天からご褒美をもらったといったところでしょうか」


 そうかもしれないけど、そんなこと言わないでください。声が震えてしまって言えなかった。


 確かに、ここ数日の沖田は、死が遠のいたのではと思わせる程に、元気だった。

 奇跡は、長くは続かないのだろうか。


 沖田は琉菜の手をそっと握り返した。


「琉菜。あなたに会えてよかった」

「あたしもですよ」


 琉菜はもう片方の手も添え、両手で沖田の手を握った。


「琉菜。あなたは、これから幸せに生きてください。私がいなくなっても、あなたは精一杯生きてください」

「そんな……お別れみたいなこと言わないでください」

「地獄から、ずっと琉菜を見守ってますから。ずっとずっと、あなたを愛し続けますから」


 琉菜はただ頷いた。「はい」などと声を出せば、涙が溢れそうだった。


 泣いてる場合じゃない。

 総司さんに最後に見せる顔は、泣き顔じゃなくて笑顔がいい。

 あたしは、総司さんの奥さんなんだ。

 泣いてちゃ、ダメだ。


「あたしも、一生総司さんを愛します。離れても、ずっと」


 沖田はにこりと微笑み、琉菜の手を少しひっぱった。


 琉菜は吸い込まれるように身をかがめ、そっと沖田に口付けた。

 顔を離すと、沖田は虚ろな笑みを浮かべた。


「琉菜……」


 沖田はもう片方の手で、琉菜の手を握った。


「総司さん……?」


 沖田はもう一度ふわり、と微笑むと、ゆっくりと目を閉じた。

  

 琉菜が握っていた沖田の手も、琉菜の手を握っていた沖田の手も、突然重くなった。


「……総司さん、寝ちゃったんですか?まだ、昼間ですよ。ねえ、また明日、起きますよね?」


 琉菜は沖田の頬に手をやった。暖かい。

 もう一度沖田の唇に自分の唇を重ねた。

 さっきは優しく受け入れてくれたのに、もうぴくりとも動かなかった。耳を澄ましても、息遣いは聞こえてこない。


「だって、まだあったかいじゃないですか。ねえ?」


 琉菜は沖田に覆いかぶさった。


「起きてください、総司さん」


 反応は、ない。


 琉菜はまだ事実を信じられなかった。

 受け入れたくなかった。


 誰よりも大好きだった人が。

 今までの人生で、これからの人生で、最初で最後になるであろう、たった一人の愛する人が。


 なぜか涙は出なかった。

 さっきまであれほどこらえていた涙は、まるで出方を忘れたかのように出てこなかった。


「総司さん……ねえ、起きてよ、総司さん!」


 何度も何度も体をゆすって、何度も何度も呼びかけて。


 それでも反応がなく、琉菜はようやく思った。



 ああ、もう、総司さんは……


 二度とと笑わない。

 二度としゃべらない。

 二度と目を開けない。


「やだよ、あたしを置いていかないでよ、総司さん……っ」


 涙が目から出てくる方法を思い出したようだ。

 今までこらえていた分も、一気に琉菜の目から流れ出した。


「総司さん……総司さん、総司さん……」


 冷たくなっていく夫の体を、琉菜はぎゅっと抱きしめた。





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