34.旅立つ背中
松本の診療所に戻ると、沖田は松本からこってり絞られた。
こんな体調で甲府まで行こうとするなんて言語道断。寿命を半分に縮める、と。
「あはは、琉菜さんにも同じように怒られました」
そんな風に茶化した沖田に松本はさらに説教を続けたが、収拾がつかなくなりそうだったので、琉菜が「と、とりあえず沖田さんを寝かせましょう」となだめて終わった。
この日から沖田は、再び徹底した療養生活を送ることになった。
それから約半月が経った頃。珍しい客がやってきた。
「よう総司、調子はどうだ?」庭先からひょっこり顔を出した原田は陽気にそう言った。
「原田さん、それに永倉さんも!」沖田は驚いてガバッと起き上がった。その拍子に咳き込む沖田の背中をさすりながら、琉菜は二人に挨拶した。
「今日は報告に来たんだ」
永倉が縁側にどかりと座った。原田もその横に座った。
「あの、あたしお茶用意しますね」琉菜が立ち上がると、「いや」と永倉が制した。
「琉菜さんにもぜひ聞いてほしいのです」
琉菜はその場に座り直し、永倉をじっと見つめた。
「甲陽鎮撫隊は、負けた」永倉は少し言いにくそうに、だがはっきりと言った。
一瞬の沈黙。
琉菜は鎮痛な面持ちの永倉と原田を交互に見た。
そして、沖田の表情を伺う。
大丈夫かな、沖田さん、ショックで倒れちゃうんじゃ……?
でも、永倉さんたちがわざわざこれを言いに来たのには、訳があるはず……。
「ありがとうございます」沖田がわずかに微笑んだ。
意外にも飛び出した礼の言葉に、琉菜は目を丸くして沖田を見た。
その視線に気づいた沖田が説明した。
「日野で約束したんです。私も遠くから応援してますから、必ず結果を教えてくださいって。それがどんな結果であっても」
ああ、そうか、と琉菜はストンと腑に落ちたような気持ちになった。
沖田さんも戦ってたんだよね。
体はここにあっても、心は一緒に、新選組のみんなと一緒に戦ってたんだ。
だったら、自分だけ結果を知らずにのうのうとしてることなんかできないよね。
負けてもその事実を受け止める。
沖田さんはそういう覚悟ができる人だ。
永倉さんも原田さんも沖田さんのそういう覚悟を踏みにじったりしない人だ。
みんな、本当に、強い武士なんだなぁ。
「でも、わざわざ来てくれるなんて思ってませんでした」沖田が二人を驚きの眼差しで見た。
「ちょっと所用で近くまで来たからな。この方が手紙より速いと思ったんだ」原田がにっこりと笑った。
「それで、詳細は?」沖田は「今日のおやつは何か」ということを尋ねるような調子で言った。
「幕府からの援軍を待っていた。だが、その間に西軍のやつらは甲府の近くまで攻め入っていた」永倉は歯がゆそうに言った。
沖田はそれで全てわかったようで、何も言わずに少し微笑んだだけだった。
「よし、それじゃ行くか」原田が立ち上がり、のびをした。
「え、もう行くんですか?」琉菜は驚きに声を上ずらせた。
「はい。まだやることがあるので」
「これからどうするんですか?」沖田はまた先ほどのように軽く尋ねた。
「とりあえず、江戸で作戦会議だ」永倉が微笑んだ。
「じゃ、どんな作戦か決まったらまた教えてくださいね」
「ああ、また来る」
「総司、元気でな!」
原田が元気よく手を振る横で、永倉は何か思いついたような顔をした。
「総司が世話になっているんだ。松本先生にも挨拶しておきたいな。琉菜さん、案内してもらえますか?」
「あ、はい、こっちです」
琉菜が立ち上がると、永倉と原田は縁側から部屋に入り、一緒に奥へと進んだ。
部屋を出て琉菜が松本の部屋に向かおうとすると、永倉と原田は全く別の方に歩いていった。
「琉菜さん、少しついてきてください」
真剣な顔でそう言われたら、黙ってついていくほかない。
廊下の隅まで歩き、周りに誰もいないことを確認すると、二人は琉菜の方に向き直った。
「これは、あなただけが知っていればいいことだ。もっとも、もう知っているとは思いますが」永倉が言った。
「俺たち、新選組を抜けたんだ」らしくもなく真面目な顔つきで原田が言った。
「はい、知ってます」
「総司には、このこと言わないでもらえますか。試衛館からの同志はもう局長の他には土方さんしかいない」
「そんなこと、総司が知ったら、心配して病気に障るかもしれないだろ?まあそうは言っても斎藤や島田もいるしまだまだ盤石だけどな」
琉菜は二人の顔をじっと見つめた。
山南、藤堂、井上に続き、とうとうこの二人まで新選組からいなくなってしまった。
死別ではないだけ幾分救われた気はしたが、それでも琉菜は胸が締め付けられる思いだった。
「どうして、離れてしまったんですか」
不躾な質問なのは琉菜にもわかっていた。
しかし、気になって仕方がなかった。
「江戸に戻ってきた時点で、新選組に明日はない、と思っていました。もちろん、西軍に一泡吹かせてやりたい気持ちはありましたが、今の新選組ではそれは叶わないのではないかと。抜けようか、と思っていました」永倉が言った。
「でもな、俺たち琉菜ちゃんの話聞いて考え直したんだ」原田が続いた。
「あたしの話……?」
「未来は平和だと、あなたは自信を持ってそう言いました。そして、先を知っているのに、それをあえて言わないでいてくれた」
「そりゃあ、新選組はおしまいだなんて琉菜ちゃんが言っちまったら、俺たち完璧に戦意喪失だもんな」
「そう。だから、あなたにそのつもりはなかったかもしれませんが、我々にはこう聞こえたんです。『もう一度、立ち上がって戦え』と」
あたしが、永倉さんと原田さんを引きとめた……?
そんな、あたしそんな大それたことしたつもりない。
あたしはただ、未来は平和だからって。
「だからな、俺たちはあとちょっとだけ、新選組でがんばってみようって思ったんだ」
「戦には負けましたが、おかげで西軍相手に大暴れできました」
この二人はもう少しだけ新選組で戦ってみようって思ってくれたんだ。
あたしでも、誰かの心を変えられるんだ。
「ありがとうございました」
「琉菜ちゃんには感謝してるぜ」
「いえ、あたしは何も……」
「しかし、戦に負けたのは事実です」永倉の表情が少し曇った。
「新選組にやはり明るい未来はない。そのことを、此度の戦でひしひしと感じました。局長も局長です。あそこでのんびり援軍なんか待っていたから、我々は負けたのです」
「それによ、腕が治って復帰したと思ったら調子に乗って俺たちを家来扱いだ」
「そもそも我々は同志。主従の関係などではなかったはずなのに」
琉菜は胸が痛んだ。
試衛館からずっと一緒にここまで戦ってきた永倉と原田が、近藤について不満をもらしている。
「近藤局長のことが、嫌いになったんですか?」琉菜はおそるおそる聞いた。
永倉と原田は少し顔を見合わせた。やがて永倉が話し出した。
「嫌い、とは違います。あの人は器の大きい人だ。尊敬する気持ちは今でも変わりません。この動乱が終われば、必ず昔のように戻ってくれるはずだ。ただ、今は違う。今の近藤先生は、幕臣という名に溺れ、変わってしまった。確かに、これ以上一緒にいたら『嫌い』になっていたかもしれませんね。だから、我々は我々で体制を建て直し、新たな形で西軍に一矢報いようと思ったのです」
琉菜は何と言ったらいいかわからなかった。
確かに、今の近藤は、田舎侍と蔑まれていた昔とは違うかもしれない。
それでも、新選組をここまで引っぱってきた局長・近藤勇を琉菜は信じたかった。
「琉菜さんは、これからどうしますか」
「あたしは……」
琉菜は二人の目を交互に見つめた。
「あたしは、このまま沖田さんの看病を続けます。それと、あたしはずっと沖田さんを、土方さんを、近藤局長を信じます」
「そうですか」永倉が微笑んだ。
「でも、永倉さんと原田さんのことはずっと大好きですし、同じように信じます。あたしは、新選組のすべての皆さんに、感謝しています」
永倉と原田はにこりと微笑んだ。
「それでは、戻るか」
「そうだな。もっかい総司の顔見てから帰ろう」
三人が元来た道を戻り沖田の部屋の襖をガラリと開けると、沖田はこちらに向き直り、ゆっくりと起き上がった。
「話は済みましたか?」
「ああ。松本先生は立派な御仁だ」
沖田は、永倉をじっと見つめた。
「それじゃ、そろそろ行かなければ。総司、琉菜さん、達者で」
「また今度来るからな!」
「ええ、さよなら」
琉菜はどうしようもなく悲しい気持ちでいっぱいになった。「さよなら」それは「また今度」のような台詞の前に言う「さよなら」ではない気がした。
「さよなら!」琉菜もそう言い、永倉と原田を見つめた。
永倉は微笑んだ。
原田はぶんぶんと手を振った。
そして、二人は踵を返して行ってしまった。
まだ、二人は確かにああして生きているのに、なんだろう、このもやもやした気持ち。
……そうか、たぶんもう、一生会えないんだろうな。
こんな時代だから。
いつ戦があるかわからない。
いくら新選組を抜けたからって、ひょいひょい来れるはずがない。
琉菜は、最後の二人の笑顔を思い出した。
永倉さん、原田さん、ありがとう。
あたしが新選組にいた間、本当にお世話になりました。
どうか、お元気で。
「琉菜さん」
沖田に呼ばれ、琉菜は我に返った。
「永倉さんたちと、何の話しました?」
永倉さんたち「と」
その言い方で、琉菜は気づいた。
沖田はわかっているのだ。二人が松本に挨拶などしてはいないのだと。
琉菜は気づかなかったふりをして答えた。
「普通に、沖田さんの病気の話とか、そんな感じです」
「そうですか」
沖田の顔に、一瞬影が浮かんだ気がした。
しかし、すぐにふわりと微笑むと、ゆっくりと立ち上がって縁側に向かった。
「沖田さん……」
琉菜は沖田が縁側に座るのを見て、自分もその隣に座った。
「今日は天気がいいなあ」
沖田は空を見上げた。琉菜も倣った。
どこからか、桜の花びらが風に乗ってひらひらと舞い降りてきた。




