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青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第3章
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28.淀城下にて





 次の日。下手に移動するのは却って危ないからと、全員が琉菜の大坂帰還を止めた。

 そこで、砲弾の音を遠くに聞きながら、という異常な状況ではあったが、戦が落ち着くまで琉菜は伏見奉行所で賄いをすることになった。


 奉行所の中はほぼ怪我人しかいないので、気味が悪いくらい静かだった。琉菜は心ここにあらずといった様子で怪我人の世話をしたり掃除や洗濯に明け暮れた。内心、ヒヤヒヤとして落ち着かなかった。


 なぜなら、この伏見奉行所は今回の戦で焼け落ちる予定だ。

 琉菜は土方にそれとなく伝えたのだが、「今そんなことを予言すれば、他の幕軍連中に内通者の疑いをかけられるぞ」と至極もっともなことを言われ、聞き入れてもらえなかった。が、


「いざとなったら、間一髪で逃げろ」


 という無茶苦茶なミッションが課せられた。

 

 さすがの琉菜も、何時何分に奉行所が焼け落ちるのかまでは知らなかった。

 どうしたらミッションをクリアできるか考えあぐねたが、とりあえず砲弾の音に耳を済ませ、白兵戦になるはずもないのに刃引き刀をずっと腰に差していた。それしか思いつかなかった。


 正午を過ぎた。奉行所を取り巻く状況は、朝と変わらない。


 本当に、今日だっけ……?


 そんなことすら脳裏をよぎり始める。


 いや、でも、もう悠長なことは言ってられない。

 

 琉菜は、周辺の様子を見に行く、と奉行所の門番に告げ、二十分ばかし外出した。

 そして、さも見てきたかのように、


「大変です!大砲を持った敵が進軍してきます!」


 と叫んで回った。

 奉行所の中は騒然とした。

 看病役・守備役として残されていた健康な兵士たちは、大慌てで担架や駕籠、大八車を用意した。


「ここを出ます!急いで!」


 琉菜は奉行所中を駆け回った。

 外に出て行く兵士らを手伝っていた折、門番に「その者」と声をかけられた。


「大砲を持った敵軍などどこにいる。私とて外の様子に目は配っていたが、そのような気配は……」

「いいから!とにかく!ここを出るんです!悠長に確認なんかしてる場合じゃない!」


 門番の男は琉菜の剣幕にたじろぎ、反論してこなかった。


 その時、遠くに聞こえていた音より数段大きな砲撃音がした。


「ほら、音が大きくなってきてます!近づいてる!早く!」



 大八車に怪我人を座らせ、奉行所を出たまさにその時、一発の砲弾が屋根を直撃した。ついで二発目。屋根には、大きな穴が開いた。


「お主、なぜわかった……助かったから、よかったものの」


 先ほどの門番が驚きと、疑いの眼差しを琉菜に向けた。


「今はそんなことどうでもいいじゃないですか。それより、早くここを離れなきゃ!」


 有無を言わせず、琉菜と残りの者は外に飛び出した。

 背後では、ドーン、ドーン、と激しい音がしていた。



 伏見奉行所に詰めていた新選組隊士と負傷兵は大坂方面に二時間程歩いた末に、命からがら淀城の前にたどり着いた。伏見で戦火から逃れた幕府軍の別働隊も淀の方に撤退していた。

 淀城に入ればひとまず安全。体制を建て直し、逆転のチャンスを狙う。


 というつもりでいたのだが、ここで思わぬ事態――琉菜にとってはもちろん知っていたことだが――が起きた。 


 淀藩が、寝返ったのである。


 淀藩を、淀城を、頼って落ち延びてきた幕府の軍は、ある者は呆然とし、ある者は怒りに震えた。だが、いくら怒鳴ってもすがっても、淀城の門が開かれることはなかった。


 淀藩の人間にコネさえあれば、と琉菜は思ったが、無論そんなものはなく、琉菜はなすすべもなく怪我人たちを連れて城下に作られた野営に加わるしかなかった。



 夜まで待っていると、新選組の面々が戻ってきた。


「くそ、薩長のやつらめ」土方は苦々しく言うと、武器をそっちにしまえ、とか、怪我人を一カ所に集めろ、とか、乱暴に指示を飛ばしていた。


 淀藩の裏切りもショッキングな出来事だったが、何よりもこの日一番幕府軍の度肝を抜いたのは、他ならぬ「錦の御旗」であった。薩長を中心とする新政府軍は、この戦で朝廷からもらったこの錦の御旗を掲げた。これにより、彼らに反抗するものは賊軍扱いになってしまうというわけだ。旧幕府軍の戦意を喪失させるには十分だった。

土方は、そのことに対して、怒り狂っていたのである。 


「冗談じゃねえ。俺たちが賊軍だと?ふざけんな、今まで何のために働いてきたと思ってんだ」


 悪態をつく土方にかける言葉を、琉菜は見つけられなかった。



 琉菜は負傷隊士の手当てに精を出した。

 水を持ってこようと井戸まで行くと、先客がいた。


「源さん?」琉菜が話しかけると、井上はゆっくりと振り返って微笑んだ。

「琉菜さん。お疲れ様です。水なら今汲んでますから、持っていくといいでしょう」

「はい。ありがとうございます」

「……琉菜さんとこうしてゆっくり話すのも久しぶりですね」井上が懐かしそうに言った。

「そうですね。最後に会ったのは、不動堂村を出る日でしたから」


 井上はもの思いにふけったように黙りこんだ。

 琉菜はそんな井上に背を向け、涙をこらえながらじっと井戸を見つめた。


「この戦が終ったら、どうなるんですかね」井上がおもむろに言い出した。


 琉菜は井上に視線を戻した。

 またなのだろうか、と身構えると井上が話を続けた。


「他の隊士の前では言えませんが、私はこの戦、幕府側に勝ち目はないと思うんです。刀の時代は終わってしまったようで。刀で戦っている私たちに勝ち目は……」

「そんなことありません!!」


 琉菜は思わず遮った。

 嘘だ。だが、口をついて言葉が出てきた。


「刀で戦ってる方が負けるんじゃありません。諦めた方が負けるんです」 


 なんだかクサいことを言ってしまった、と琉菜はあたふたと視線を泳がせた。

 井上はそんな琉菜に優しく眼差しを向けていた。


「うまいことを言いますね。……明日も出陣することになるでしょうから、刀を使うものの根性を、薩長のやつらに見せ付けてやるとしますか」

「はいっ。そうして下さい!」琉菜はにっこりと笑った。


 井上は琉菜をじっと見てから、思い出したようにこう言った。


「琉菜さん、未来はどうなるのですか?」


 琉菜はやっぱりか、と表情を曇らせた。

 だが、やがて「しょうがないなぁ」と微笑んだ。

 井上は「何がしょうがないのか」と言わんばかりに不思議そうな顔をした。


「源さん。あたしは、未来で剣術を習っていました。道場だってある。刀が消滅するわけじゃないんです。あたしの時代でも、心と体を鍛えるために、剣術をやる人はいっぱいいます。でも、それだけ。刀も鉄砲も、戦いの道具じゃなくなります。百五十年後の日本には、戦がないんです。町中で斬り合いが始まることもない。まあ、殺人が全くないとはいいませんけど、それでも平和です」


 琉菜はふう、と息をついてから、こう締めくくった。


「皆さんが命がけで作った未来は、ちゃんと平和です。だから安心してください」


 にこりと微笑んで井上を見ると、井上も柔らかな笑みを浮かべていた。


「そうですか。よかった。……琉菜さんは、どちらの時代が好きですか?」


 初めて聞かれたその質問に、琉菜は少し考えてから答えた。


「どっちも大好きです。平和で便利な未来も大好きだし、この時代の人の暖かさも大好きです」


 井上は再び「そうですか」と、さっきよりも満足気に言った。


 そして水を汲み終わって、琉菜と井上の会話はそれきりとなった。




 慶応四年一月五日。


 この日も淀・千両松付近で新選組を含む幕軍は奮戦したが、結果は思わしくなく、淀城下に撤退してきた。この日起きることを思うと、琉菜は落ち着かなかった。ただ待つだけの身でいたから、時間の流れがひどく遅く感じた。


 ようやく夕方になって、琉菜は帰営した新選組を出迎えた。


 土方も他の隊士も昨日と同様血まみれ泥まみれだった。しかも昨日より明るい時間に戻ってきたため、その姿は余計に生々しく見えた。


「今日も怪我人が多いぞ。水と手拭いありったけ用意しろ!」


 強い口調で言う土方に琉菜はこくりと頷くと、急いで準備に取り掛かった。


 大部屋にはたくさんの怪我人が運び込まれた。

かすり傷だけのものが大半だったが、中には重症患者もいて、一応医者もいたが、大半は医学をかじったこともない人間ばかりで、琉菜も新選組の面々も困り果ててしまった。

 それでも、次から次へと軽傷者への応急手当を施していった。


「琉菜ちゃん、こっち頼む!」


 原田に言われ、駆け寄ると、そこには琉菜がその安否を最も心配していた男の姿があった。


「山崎さん!」


 琉菜は急いで止血を試みた。肩口に銃弾が当たったようで、痛みに顔をしかめている。


「琉菜……俺なら平気や……」

「しゃべらないでください!平気なわけないじゃないですか!」


 すると、山崎は大きく息を吐いて目を閉じた。

 琉菜は一瞬ひやりとしたが、息遣いが聞こえたのでひとまずは安心し、手当てを続けた。


 死なないで、山崎さん。

 肩に銃弾なんて、近藤局長と同じじゃない。

 近藤局長だって生きてるんだから、山崎さんだって、きっと大丈夫。


 琉菜は自分に言い聞かせながら、傷口に包帯を巻いていった。

 その時、再び原田の声が聞こえた。「泰助!」と原田が声をかけた方を見やると、井上の甥で、昨秋の江戸募集の際に入隊した井上泰助がいた。


「土方副長、申し訳ありません」泰助は土方の前に進み出た。

「叔父が、討たれました」


 その言葉で、慌ただしく動いていた全員がぴたりと手を止めた。


 源さん……


 琉菜は凍りついたように井上泰助を見つめた。よく見れば、目元のあたりが叔父にそっくりである。


 彼の話では、井上は千両松付近で薩長の軍に刀で向かっていったところ、鉄砲で撃たれ、その場で即死したという。

 そして、なんとか首と刀だけでも持ち帰ろうとしたのだが、あまりの重さに途中で自分の動きも鈍くなり、このままでは危険だと仲間に諭されて、近くの寺の前に首を埋めたという。


 全員が固唾をのんでその話を聞いていたが、やがて話終わると、土方が一言言った。


「よく報告してくれた」


 土方の目尻にきらりと光るものを見つけたのは、きっと琉菜だけではなかっただろう。



 源さんも……

 あたしの大好きな人たちが、どんどんいなくなっていく……


 これから、もっともっと、こんな思いをしなくちゃいけないんだよね。


 わかってる。

 わかってることだけど、でも……


 琉菜はひとまず山崎の手当てに集中して、他にはなにも考えないようにしようとした。

 しかし、そう思えば思うほど、涙が溢れて止まらなかった。


 琉菜の目からこぼれた涙が山崎の顔に当たると、山崎はぼんやりと目を開けた。

 そして、琉菜の手をぎゅっと握った。



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