表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第3章
82/101

27.開戦

 


 二日後、琉菜は近藤や沖田と共に大坂城に入った。


 沖田を寝かせ身の回りの準備をしている間、近藤は別室で松本良順の診察を受けていた。

 やがて診察が終わったのか、松本が琉菜たちのもとに現れた。


「お久しぶりですね」

「はい。こちらこそ、ご無沙汰しております」


 時勢が時勢だから、幕府御典医の松本も苦労しているのだろう。以前会った時よりも、やつれて見えた。


「それで、近藤局長の方は……?」琉菜は単刀直入に尋ねた。

「ひとまず、命に別状はありません。ただ、無理をすると刀を持てない腕になるかもしれないので、もう少し安静に」

「そうですか……」

「食欲もあるみたいでしたから、夕食をお願いします」

「はい」琉菜は頷いた。


 琉菜と松本の様子を青白い顔で見ていた沖田がほっと息をついた。

 それに気づいた松本は話の矛先を沖田に向けた。


「調子はどうですか?」

「別に変わったことは……」

「それならよかった。悪くならないのに越したことはありませんから」


 それは、もう治りません、と暗に宣告しているようなものだった。

 沖田は「そうですか」と力なく微笑んだ。琉菜はそんな沖田を直視できなかった。


 あと百年もすれば、結核なんて治っちゃうのに……。


 琉菜はやり切れない気持ちで二人の会話を聞いていた。そのうちに、夕食の支度をするから、と二人を残して部屋を出た。

 バタン、と後ろ手にふすまを閉め、琉菜はふう、と息をついた。


「結核の馬鹿やろう。幕末医学の馬鹿やろう」


 誰にも聞こえない小さな声で、琉菜はそうつぶやいた。






 日もすっかり暮れ、琉菜が近藤の部屋に夕食の食器を取りに行くと、近藤は


「ああ、琉菜さん。いつものことながらおいしかったです。ありがとう」


 と、琉菜に笑いかけた。笑顔を見せる余裕はあるようだ。

 食欲も申し分なく、食器は空になっていた。


「腕の方はどうですか」

「まだ少し痛みはあるが、それでも最初の時よりはマシです」

「よかった。早く元気になってくださいね」


 琉菜は膳を持って立ち上がった。

 すると、近藤は「琉菜さん」と呼び止めた。


 振り返った琉菜に、近藤は真剣な顔でこう言った。


「戦は、始まりますか」


 一瞬迷ったが、これくらいのことは遅かれ早かれわかることであるし、それを聞いた近藤が何かしたところで歴史は変わらないだろうと思い、琉菜は正直に答えることにした。


「はい」


 はっきりと肯定する琉菜を見て、近藤は少し疲れたような顔で「そうか」と呟いた。


「すみません。変なことを聞いてしまいました」

「いえ。それじゃ、あの、おやすみなさい」


 琉菜は部屋を出て、カタンと襖を閉めた。

 そして、小さく溜め息をついた。



 歴史に残る戦が始まるまで、あと半月。



 ***



 琉菜は幕末に来て初めて、宴のない大晦日を過ごした。

 もちろん、状況が状況だけに当然それどころではないのだが。

 しかし、もうあんなふうにみんなでバカ騒ぎをすることは二度とできないのだと思うと、琉菜は寂しくて仕方がなかった。


 そして、年が明けた一月二日。

 琉菜は近藤の部屋に呼ばれていた。


「琉菜さん、使いを頼まれてくれませんか」

「はい?」


 琉菜が不思議に思い近藤を見ていると、近藤は懐から何やら紙を取り出した。


「これは土方くんへの手紙です。私と沖田の近況報告、それと、『武運を祈る』と。これを、一番近くの飛脚問屋に持っていってくれますか」


 琉菜は「はい」と返事をして手紙を受け取った。


「ところで、戦はいつ始まるのですか」近藤が、本当はそれを聞きたかったのだと、琉菜にはすぐにわかった。

「明日の午後には……」琉菜は少し渋りながら答えた。


 さすがにそこまで急な話だとは思っていなかったのか、近藤は驚きの表情を浮かべた。


 琉菜は受け取った手紙をじっと見つめていたが、やがてハッとあることに思い至った。


 それは、飛脚に届けたところで、戦場という特殊な場所に無事手紙はつくのだろうか、ということ。

 飛脚を信用しないわけではないが、手紙一通のためにわざわざ戦地に赴くものだろうか。


 琉菜はその懸念を、近藤に話した。


「……それもそうですね。もしかしたら、最悪の場合、届く前に敵方に飛脚が斬られてしまうということも……」


 確かに、その可能性もないとは言えない。

 琉菜はしばらく考えた。そして、あることを思い付いた。


「あたしが……行きましょうか?」

「琉菜さんが……?」近藤は信じられない、といったように言った。

「伏見奉行所ですよね?」

「しかし、琉菜さんを戦場に送りこむわけには……それだったら、最初からこの文は送るのをやめます。大した内容ではありませんから」

「何言ってるんですか。近藤局長の手紙ですよ?あるとないとじゃ土方さん達の士気が全然違います」


 士気が上がれば、もしかしたら……

 何かが、変わるかもしれない。


 琉菜の脳裏には、そんな考えがよぎっていた。


「しかし……」近藤はやはり心配そうである。

「あたしの心配なら要りません。足の速さとちょっとした賊を倒す自信はあります」


 琉菜は自分でもどこから沸いて出るのかわからない自信に満ちあふれていた。

 無事に手紙を届け、無事に帰ってこられると。


 でも、運命は自分の都合のいいようにはいかない。

 だから、もし途中で斬られたり危ない目に合って、沖田さんたちに会えなくなっても、受け入れなきゃいけないんだ。

 自分の運命を。


「本当に、大丈夫なんですか」近藤が確認した。

「はい」琉菜ははっきりと言った。


 近藤はまだしばらく心配そうな表情を浮かべ、うーんと唸っていたが、ややあってから、頭を下げた。


「わかりました。それでは……よろしくお願いします」

「承知」琉菜は手紙を大事そうに抱え、近藤の部屋を出た。


 沖田さんには、何も言わないで行こう。心配かけたくないし。

 看病は、ここの奉公人の人たちがなんとかしてくれる。松本先生もいる。沖田さんはあたしがいなくても大丈夫だ。



 翌朝、琉菜は、大坂城を飛び出した。


 服装は、袴と胴着。髪は、結ってあった島田髷を解き、ポニーテールに結び直した。刃引き刀を腰に差し、手紙は懐に入れてある。


 大丈夫。この格好なら走れるし戦える。

 それに、沖田さんがくれたこの刀がある。

 沖田さんが、一緒だから。

 あたしは、死なない。



 伏見~大坂間は、三十石舟と呼ばれる淀川を使った船便が市民の足代わりであった。が、伏見から大坂は川を下るため速く着くものの、大坂から伏見に関しては、歩く速度とほぼ変わらなかったという。

 さらに、有事が迫っていることは一般市民も察しており、船便はいわば「ダイヤ乱れ」が発生。朝一の便は二時間以上出発が遅れると言われたので、琉菜は徒歩を選んだ。

 徒歩所要時間は、未来の地図アプリによれば八時間。

 体力のない現代人なら、八時間も歩き続けるなど想像を絶するだろう。

 だが、琉菜がこの時代で過ごした時間もなんだかんだで通算すれば約三年。

 江戸~京都間を歩いてしまうような幕末人に匹敵するわけではなかったが、琉菜の脚力はすでに現代人よりは数段高いレベルにあった。

 早朝に出発しているから、急げば夕方には着くはずだ。


 琉菜はただただ、歩いた。

 疲れたら少し休んで、茶店で水分や糖分を補給する。

 そしてまた歩く。やっぱり船にしとけばよかったな、と三十分に一回は思ったが、それでもひたすら歩いた。


 幸い、トラブルには見舞われなかった。だんだん辺りが暗くなってきて、日が沈む頃には見覚えのある町並みが見えてきた。

 奉行所まであと少し。そう思うと、琉菜は最後の力を振り絞ることができた。自然と、駆け足になる。


 その時、かすかに砲弾の音が聞こえた。


 もう、始まってるんだ。


 琉菜は、左胸をぐっと抑えた。心臓の鼓動が速い。

 走ったせいだ、と結論づけたが、心の奥底で別の理由が首をもたげる。


 あたしは今、歴史の転換点に立っている。


 否が応でも実感せざるを得なかった。




 ようやく奉行所に着くと、ちょうど山崎が建物から出てきた。


「琉菜か?何しとるんや!命捨てに来たんか?」

「違います。命をかけて近藤勇のメッセージを土方歳三に届けに来ました」


 琉菜がにっと笑うと、山崎は呆れたような溜息をついた。


「あのな。お前『歴史の現場を見たい』って顔に書いてあんねんで。前にそれで腹切らされそうになったん覚えてないんか。今度こそ誰も守ってやれへんで。ここは戦場。その覚悟はあんねんな」

「もちろんです」


 即答した琉菜に、山崎はわずかに笑みを漏らした。


「お前もアホやな。俺は偵察に行ってくるで。中に留守番隊士がおるからそいつらに言って待たしてもらったらええ」


 琉菜がこくりと頷くと、山崎は踵を返して行ってしまった。

 琉菜はそのまま奉行所の建物内に入った。


 山崎に言われた通り、しばらく待たせてもらった。小一時間が経った頃、外が騒がしくなった。新選組の主要な面々が帰営したのだ。


 琉菜は急いで外に出た。

 夜の暗闇でわかりづらいが、隊士たちは泥だらけ返り血だらけである。

 それが、今日の激戦を物語っていた。


「琉菜……?」


 集団の最前にいた土方が、あんぐりと口を開けて琉菜を見た。


「土方さん、お久しぶりです。みなさんも元気ですか?」


 隊士たちがどよめいた。

 その中から原田が飛び出してきた。


「琉菜ちゃんじゃねえかっ!なんでここに?」

「土方さんに、どうしても渡したいものがあって来たんです」

「なんなんだ、一体」土方は面倒くさそうにそう言った。

「これを、近藤局長から預かりました。飛脚に任せるのが心配だったので」琉菜は懐から手紙を取り出した。


 隊士らがどよめいた。近藤の安否は皆が気になっていたところだから、当然の反応である。


「近藤さんは大丈夫か?」土方が、全員の気持ちを代弁するように言った。

「はい。まだ剣を握ることはできませんが、食欲もあって、元気です。沖田さんも、今は少し調子がいいみたいです。あとは、近藤局長の言葉が全部そこに書いてありますから」


 土方は手紙をまじまじと見た。


「礼を言う」土方は手紙を懐にしまった。

「ええっ、今ここで読み上げてくれねえのかよ!」原田が拍子抜けしたように言った。

「馬鹿野郎。そういうのは一応内容を検めてからだ。だが」


 土方は、コホンと咳払いした。


「皆、聞いてくれ。今日はよく戦ってくれた。明日からも、連中の攻撃は待ったなしだ。今日以上の激戦になる可能性もある。だが、忘れるな。近藤局長は、必ずや全快して戦線に復帰する!それまで、誰一人無駄死にしないよう!今日のところは、よく休め」


 土方の言葉に、全員が一瞬戸惑うような様子を見せた。

 無理もない。「無駄死にするな」という言い回しではあるものの、今まで散々「鬼副長」として「局中法度」のもとに仲間を葬ってきた土方が、「死ぬな」と言ったのである。


 それが、ある意味では今までとの違いを象徴しているようで、琉菜はなんともいえない焦燥感に駆られたが、隊士らの士気は上がったようである。


「おうっ!!」


 全員が、威勢のいい声を上げた。


 慶応四年一月三日。

 一年半に渡って日本中を巻き込むことになる戊辰戦争の始まり「鳥羽・伏見の戦い」の一日目であった。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ