26.伏見へ
試合が終わった後、琉菜は来たる引っ越しに向けての荷物の整理という仕事にかかりきりとなった。
せっかくわざわざ新選組のために建てた屯所なのに、半年でおしまいなんて、なんかもったいないなあ。
この屯所、ずーっとずーっと残しといてくれてたら、未来でいい観光スポットになったのに。
まあ、ホテルの方が儲かるか。
不動堂村の屯所がある位置には、ここから約百年後にはホテルが建つというのが歴史である。
琉菜は頭ではのんきに屯所の行く末を考えながら、体はてきぱきと動かし、必要なものをどんどん運び出していった。
次の日、新選組は荷物をまとめて不動堂村屯所の前に集まった。
隊士の人数は、この数日間でいささか減少していた。
この時代の侍ともあれば、大多数が「戦、バッチ来い!」という心境なのであるが、一部の人間は本格的な戦が始まりそうだという事実に恐れをなしたのか、少数ではあるものの脱走者が出ていた。
だが、今はもはや脱走者をいちいち追っている場合ではない。
かの「局中法度」も今となっては「士道に背くまじきこと」以外は形骸化していると言っても過言ではなかった。
そんな中、同じ脱退でも潔く正面突破を図った者がいた。「中富新次郎」の盟友、木内である。
彼は、四年間守り続けた京の町を見捨てて伏見での戦に参加するわけにはいかない、と主張した。
「だから、その京都市中まで戦を持ち込まねえために伏見で食い止めるんだろうが」と土方に説得されても、木内は聞かなかったという。
「戦で市中の警護が手薄になっている隙を狙った不逞の輩が出ないとも限りません」と言われれば、本業が「市中見廻り」であった新選組の副長としては止める理由もなく、土方は「わかった」と許可することにしたのである。
他、数名の隊士が木内に同調し、京の市中に残ることになった。事実上、平和的な新選組脱退である。
その木内たちが、伏見に向かう新選組を見送りに来ていた。
「木内さん、いろいろとありがとうございました」琉菜はお礼を述べた。あくまで、中富新次郎の妹として。
「琉菜さん」木内は、声を潜めて琉菜にしか聞こえないように言った。
「俺、中富のこと、本気で探してみようと思ってます。消息がわかったら、琉菜さんにもお知らせしますから」
琉菜は、嬉しいような、申し訳ないような、なんとも言えず、えっ、っと息を呑むことしかできなかった。
「あの、ありがとうございます」
罪悪感で胸が締め付けられたが、なんとかそれだけ言った。木内は満足そうに頷いた。
全部が落ち着いて、明治になったら、木内には本当のことを言ってもいいかな……
びっくりさせるかもしれないし、そもそも信じてもらえないかもしれない。怒るかもしれない。
考えあぐねていたが、ちょうど土方の声がかかり、琉菜はそちらに注意を向けた。
「全員揃ったな。それではこれより、伏見奉行所に向かう」
承知、と全員が返事をし、新選組の隊士らは不動堂村の屯所を後にした。
大きな大八車を、力自慢の隊士が押し、そのあとをぞろぞろとみんながついていく。
後追いで、あくまで新選組とはなんの関係もありませんという風情で駕籠に乗った沖田、その周囲を琉菜と町人に扮した市村、山崎が歩いた。
隊列の中に駕籠があれば、「病人または要人を運んでいます」と触れ回るも同然だ。そうとは思わせないための、策である。
道沿いには多くの町人が出てきて、おそるおそる新選組を見ていた。
「みぶろじゃみぶろじゃ」
「伏見に行かはるんやて。これでやっと平和になるなあ」
本人たちはこそこそ言ってるつもりのようだが、琉菜たちには丸聞こえだった。
失礼な、と思いながら、琉菜はそんな町人たちを無視して歩き続けた。
そんな中、大声で叫んだ一人の町人の声は、やけに響いた。
「新選組、お仕事がんばってなあー!!」
聞きなれた声に琉菜が振り返ると、中富屋の面々が立っていて、こちらに手をふっていた。
そういえば、と琉菜は思った。中富屋はこの道の一本裏にあるのだ。
しかし、もちろん琉菜は手をふりかえすことなどできず、ただ三人に笑いかけた。
多代や兵右衛門、紋太郎、それに小夏にロクな挨拶もできず京を離れてしまう罪悪感に駆られた。
京都の町とも、お別れか。
壬生の屯所、西本願寺、不動堂村に中富屋。
あたしの大好きな場所とも、お別れなんだね。
お多代さんたちにも落ち着いたらちゃんと挨拶に行こう。
これからの新選組は、伏見で、時代の波にもまれてく。しばらくは京の町中に戻ってくることはできないよね。
琉菜はふと、遠く前の方を歩く近藤と土方を見た。
幕臣になって半年。
あの二人は、今、どんな思いでいるんだろう。
伏見奉行所に着くと、休む間もなくそそくさと荷物を運び入れ、いつ薩長の軍が攻めてきてもいいように、全員が武装の用意をした。
沖田は、その一団からは離れ、奉行所の一番奥にある部屋で療養していた。
「伏見まで来て、私は何をしてるんでしょうかね」
「療養に決まってるじゃないですか」
琉菜は沖田の看病に専念しろと土方直々に言われていた。「ちゃんと面倒みるんだぞ」と、土方が少しにやりと含み笑いをしたのを、琉菜は思い出した。
「療養なんかしなくたって平気なのに」沖田はぶすっとした目で天井を見つめた。
「どこがです?」琉菜は、今しがたピピッと音と鳴らした体温計を見た。
「三十七度七分。熱あるじゃないですか。水と手ぬぐいもってきますね」
琉菜はすくっと立ち上がり、部屋を出た。
その姿を、沖田は布団の中から疲れたような顔で見上げた。
沖田さん、最近熱が下がりにくくなってきてる。
やっぱり、この前熱があるのに道場にいさせたのが悪かったのかな……
歴史通りの命日まで、もたなかったらどうしよう。
……ううん、持たせてみせる。
あたしが、がんばらなきゃ。
二日後。
琉菜が中庭で洗濯物を干していると、見覚えのある男が息を切らせてやってきた。
「琉菜さん!」
「尾形さん、どうかしたんですか?」
尾形というのは監察方の一人で、山崎と一緒にいつも仕事をしている隊士だった。
「近藤局長が撃たれました」
「局長が……!?」琉菜は蒼白な顔で言った。
近藤は、二条城での会議から伏見へ戻る途中、伊東一派の残党によって狙撃されたのだ。
わかっていたことだったが、いざその事実を突きつけられると、やはり頭は真っ白になるものだ。
琉菜はなんとか気持ちを落ち着かせて、尾形の次の言葉を聞いた。
「これからこちらに運ばれてくると思うので、手当ての用意をお願いします」
「はい」
尾形は「ありがとうございます」と一言だけ言い、踵を返して行ってしまった。
それから間もなく、門の方が騒がしくなってきた。
琉菜は包帯や手ぬぐい、かき集めた薬を用意し終え、門に向かった。
「近藤局長!大丈夫ですか!?」琉菜は血相を変えて、担架に横たわる近藤に駆け寄った。
「う、うう……大丈……」近藤は青白い顔で、はあはあと息を切らせた。肩を押さえてはいたが、その手の下からは血が流れ出している。
「局長、しゃべらないで下さい!」担架を運んでいた隊士が、慌てて遮った。
「とにかく、止血しなきゃ!中に布団は用意してありますから、奥の部屋に!」琉菜は急いでその隊士に言った。
ほどなくして、山崎がやってきた。
山崎は寝ている近藤の横に座ると、ピンセットのようなものを取り出して、傷口から弾を取り出した。
「痛いっ!!」近藤が大きくうめいた。
「我慢してください。血が止まるまでは、絶対に動かないように」
近藤は顔を思いっきりしかめて、なんとか頷いた。
その夜、琉菜が沖田の部屋でおかゆの用意をしていたところに、山崎が入ってきた。
「山崎さん、近藤先生はどうなんです?」沖田が急いで尋ねた。
「まだなんとも。とりあえず、血は止まりました。せやけど、安心はできしません。それで考えたんですけど、局長の了承も得ました。大坂に、松本先生がおります。近藤先生と沖田さんには大坂城に入ってもらって、療養生活をしてはどうかと」
一瞬の沈黙が流れた。
やがて沖田がそれを破った。
「伏見を離れるんですか。土方さんたちの力にはなれないんですか」
「はい。でも、近藤局長の護衛はできます」
山崎さんうまい、と琉菜は思った。
近藤の護衛。そうなれば、沖田は嫌とは言えないはずだ。
「それなら……いいですけど」沖田はしぶしぶ、というように言ったが、納得しているようだった。
「近藤先生をまだ動かせないので二、三日待ってください。……琉菜さん」
「はい」
山崎が突然話を琉菜にふってきたので、琉菜は少し驚きながらも返事をした。
「ちょっと話させてもろてもええやろか」
琉菜はこくりと頷き、部屋を出て行く山崎について行った。
山崎は誰にも声が聞こえないところまで行くと、ぴたりと止まって琉菜の方を向いた。
そして、突然山崎はくすくすと笑い出した。
「な、なんですか?」 琉菜は不思議に思って山崎をまじまじと見た。
「いやな、お前に敬語使うなんて変な感じやな思うて。何が『話させてもろてもええやろか』や」
琉菜はそんなふうに笑う山崎を、珍しい、と思った。
山崎にこれから待ち受けることを考えると、その笑顔がとても貴重なもののような気がして、琉菜の顔から思わず笑みがこぼれた。
「敬語使うの疲れるから、こんなとこまで連れ出したんですか」琉菜は少し呆れたように言った。
「まあそんなとこやな。元気なうちに会えるんはこれで最後かもしれへんし」
深刻な色一つ見せず、陽気に言う山崎を見て、琉菜はハッと息を飲んだ。笑い事では、ない。
「山崎さん……」
「知ってると思うが、近藤さんは大丈夫や。沖田さんは、お前ががんばって安静にさせとくんやで。ちゃんと、看病せなあかん」
そんなことは言われなくても十分にわかっているので、琉菜はずっと聞きたかったことを聞いてしまった。
「山崎さんは、伏見に残るんですか?」
山崎は突然話題が変わって少し面食らっていたが、やがて「ああ。それが運命やろ」と答えた。
琉菜にはそんな山崎を見て、どうしても悲しくなって、声を荒げた。
「運命なんて縛られるものじゃありません。自分で変えればいいじゃないですか!藤堂さんのことは、変えられなかったけど、山崎さんは自分でわかってるじゃないですか。歴史なんか、変えちゃえばいいんです」
「アホなこと言うもんやない」山崎が諭すように言った。
「運命いうんは、自分に都合がいいだけのものやない。俺ならちゃんと覚悟できてるから大丈夫や。だいたい、ここで逃げたら士道不覚悟。俺の今までの監察の仕事はなんやったんや」
「でも……」
もう、そんなことどうでもいい。
あたしは、もう大好きな人がいなくなるのが嫌なの。
士道よりも、命が大事。そういう未来の価値観、持ち込んだら駄目なの?
そう思っても、琉菜はそれを声にすることができなかった。
「俺はこの時代にこれた、山崎烝になれた、それで満足してるんや。お前は違うんか?」
琉菜は無意識に首を横に振った。
そうなんだ。
この時代に来れた。
本物の新選組に会えた。
それだけで、十分だ。わかってる。わかってるけど。
「そういうことや。俺は最後まで山崎烝として生きるさかい、そないな顔すんなや」
「……はい」
「ほな。俺はもう行かなあかん」
「はい。あの、気をつけてください!」
山崎はにっこりと微笑むと、踵を返して行ってしまった。
琉菜はその背中が見えなくなるまで、ずっとそこに立っていた。




