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青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第3章
71/101

16.仇討の連鎖

 新屯所に越してから約半月。

 ようやく荷物も大体整理が終わり、ここでの生活も板についてきたところだ。


 琉菜は引っ越しで出た不要品を大八車に乗せ、屯所を出発した。

 江戸時代は古着でも、肥溜めでも、なんでも売り物になるリサイクル時代だ。

 屯所が広くなっても、新選組が金持ちになっても、いや、だからこそ、いいものを着よう、古いものは処分しようという隊士も増えたのである。


 今日は、木内と新入り隊士の市村が古着屋へ向かうお供についてくれた。

 仲のよかった中富の妹だからと、木内は何かと琉菜の賄い仕事を手伝ってくれていた。それは嬉しいのだが、正体がバレるのではないかと、落ち着かなかい気持ちもまたあった。


 市村は、局長付き、という立ち位置におり、小姓のようなことをしながら見習い・修行をするといういわば仮配属の隊士だった。二十歳そこそこの若い隊士であったが、弟と一緒に入隊したせいか、他の同年齢の隊士らより貫禄があった。


「市村さんは、もう新選組には慣れましたか?」

「ええ。まさか入ってすぐ幕臣取り立てになるとは思っていませんでしたが。家禄を没収された父に顔向けができるので願ってもないことですけどね」


 爽やかに笑う市村に琉菜も笑みを返す。

 三人は、他愛もない話を続けながら往来を歩いた。



 しばらく歩くと、背後に殺気だった気配を感じた。


「木内さん、市村さん」琉菜は二人に声をかけた。二人とも同じく気配を感じたらしく、刀の鯉口を切っていた。


 三人が振り返ると、にたにたと笑ういかにも怪しい男がいた。相手も三人だ。


 なんで、こんなに怪しいやつ遭遇率が高いんだ……

 あれだな、行く先々で殺人事件に出くわしてしまう眼鏡の小学生探偵ってこんな気持ちなのかもしれないな……


 琉菜は肩に下げていた細長い巾着から、刃引き刀を取り出した。


「おんしが、琉菜とかいう女子じゃな」


 長州の訛りだ。相手は琉菜のことを知っているようであるが、琉菜はこの男たちを知らない。


「だから、何?」琉菜は強気で聞き返した。

「仇をうたせてもらう」

「なんですか。また兄の身代わりにあたしを斬ろうってんですか。今度は誰の仇ですか」

「与太郎さんのに決まっておろう」


 琉菜は以前死闘を繰り広げた与太郎のことを思い出した。


「何言ってるの。あの時は峰打ちで……」

「死んだんじゃ」


 琉菜は息をのんで、今の単語を頭の中で反芻した。


「女に負けた。峰打ちで情けをかけられた。これ以上生きちゅうても武士の恥じゃて、切腹しよった」


 琉菜は頭上から鉛を落とされたような気になった。

 わけがわからなかった。


 自分は、確かに殺さなかったはずだ。

 あの男を、生かして、逃がした。


 それが、そんなことにつながるなんて。

 琉菜は、間接的に人を殺した罪悪感で胸がいっぱいになり、知らず知らずのうちに涙がほろほろとあふれ出た。


 突然泣き出した女を前に、男たちは当然動揺する。


「な、泣いたって無駄じゃからな!」


 あたしは、殺してない。


 自分にそう言い聞かせた。


 大体、女に負けるあいつが悪い。

 女に負けたくらいでへこんで死ぬあいつが悪い。

 それに、あたしはまだ死にたくない。

 生きたいって思った。

 やらなきゃ、やられるって。


 なんで?なんでよ?


 あたしは、女のくせに、もう武士じゃないのに、前に、沖田さんが言ってた武士のきれいごとばっかり並べ立ててる。


 琉菜は目の前の男たちをじっと見つめた。

 精神的コンディションは最悪だ。


 しかし、今は考えている暇はない。


「すいません、木内さん、市村さん、巻き込んでしまって申し訳ないですけど、手を貸してください」

「もちろんですよ」木内は刀を抜いた。

「実戦は初めてですが、やりましょう」市村も抜いた。


「ふん、雑魚を従えても無駄じゃ」

「雑魚はどっちだか」


 琉菜は挑発した。

 斬れない刀だ。思い切り暴れても殺してしまうことはない。

 その思いは、琉菜のリミッターを外すのには十分だった。


 ちらりと隣を見やると、真剣な眼差しで敵を見つめる木内の姿があった。


 なんだか、懐かしい。

 いくぜ、木内!


 声に出さぬよう、一時だけ「中富新次郎」に琉菜は戻った。



 琉菜は真ん中に立っていたリーダー格と思しき男に向かっていった。


「ヤッ」


 キン、という音を立てて刀がぶつかり鍔迫り合いの恰好になった。


 やばい。力で押されたら……


 琉菜の背後では木内と市村がそれぞれ戦っているのが音でわかった。

「斬り合いや!役人呼んで来い!」という町人の声も聞こえる。


「へ、口ほどにもないのう。与太郎さんがおんしみたいなのに負けたとは本当か?」


 余裕の笑みを浮かべる男に、一瞬の隙ができた。


「なめないでくれる?」


 琉菜は男の脛を蹴り、間合いを開けた。


「くっそ、小癪な手を!」

「あたしの流派はね、沖田総司流、土方歳三流、山南敬助流、その他諸々混ざってんの。読まれてたまりますか」


 背後から「琉菜さん!加勢します!」と木内の声がした。


 木内と市村の戦いは終わっていた。

 三対一となり、形勢はこちらの有利になった。


 琉菜は助走をつけ、飛び上がった。上段に構えた刀を一気に振り下ろす。


「覚悟!」


 男はその場にドサっと倒れた。

 市村が、売るはずだった着物の帯を持ってきて男をさっさと縛り上げた。

 琉菜は男の胸倉をつかんだ。


「なんで!?なんでよ!?与太郎さん、死ぬことなんかなかったのに!いくらでも、あたしにリベンジしたらよかったんだ!なんで、あんたたち、止めなかったの?」


 琉菜の力が抜け、何がなんだかわからないような顔をした男は不敵な笑みを浮かべた。


「女に負けるくらいなら、死んだ方がましだ」

「死んだら、何もかも終わりなんだよ?生きてよ、生きてあたしに勝てるくらい、強くなればよかったんだ。斬り合いじゃなくて、正々堂々剣術の勝負で」

「生ぬるいことを言うな。武士とはそういうものだ。士道だ」


 琉菜は自分でもよくわからずに、男の横っ面を思いっきり張った。


「女にも勝てないような男が士道を語るな!いい?絶対に死んじゃダメだからね!せめてあんたたちだけでも生きて、いつかあたしにかかってこい!もし死んだら、墓から掘り起こしてでも戦ってやる!絶対に死なないでよ!」



 琉菜の様子に木内や市村も呆気に取られたような顔をしていた。

 やがて、応援に来た新選組隊士らによって、彼らは奉行所へと連れていかれた。


 琉菜、木内、市村は予定通りそのまま大八車を引っ張って古着屋に向かった。


「あの。琉菜さん、さっき言ってたリベ……なんとかってなんですか?」


 あ、やば。


「あはは、勢いで故郷(くに)の言葉が出ちゃいました。やられたらやり返せって話です。すみません、ちょっと、考え事したくて……」


 話しかけないでほしい、と暗に告げた。木内は訝し気な顔をしたが、黙って大八車を押した。




 ――女に負けるくらいなら、死ぬ。それが武士の生き様だ。士道だ。


 琉菜の頭の中では、その言葉が繰り返し流れていた。


 士道っていうのは、簡単に命を捨てることなの?

 生きてリベンジするのは、士道じゃないの?


 新選組だって、「士道不覚悟」の罪のもと、多くの隊士が命を落とした。けど。


 士道って、何?


 もう、わかんないよ……









 屯所に戻って部屋で一人になると、琉菜は先ほどの出来事を思い出して、塞ぎこんだ。


 夕飯の支度をはじめなければいけない時間まで少しある。


 結果として、与太郎を死なせてしまった罪悪感に押しつぶされた琉菜は、ただただ先ほどの出来事を頭の中で反芻し、何もすることができなかった。


「るーなさんっ」


 襖の向こうから声がした。沖田だ。


「沖田さん?ど、どうぞ」と琉菜が答えると、襖がからりと開き、にこやかな笑みを浮かべた沖田が入ってきた。


「また、斬り合いに巻き込まれたと聞いて。今回は木内さんたちもいたし無傷でよかった。あ、その刀役に立ちましたか」


 沖田は部屋の隅に置いてある刃引き刀に目をやった。


「お疲れさまでした」


 沖田はお茶と団子を用意してくれていた。

 一番隊の組長は忙しい。忙しいからこそ、今日の供は木内と市村であったのだ。

 そんな沖田が、自分の様子を気にかけてくれている。

 目の前に沖田がいるだけで、琉菜は安堵に泣きそうだった。


「沖田さん。士道って、なんですか」

 

 琉菜は茶をすすって息をつくと、おもむろに言った。


「難しい質問ですね」沖田が微笑んだ。「まあ、武士らしくあれ、ということです。」

「答えになってません」琉菜はむすっとした。

「女に負けるのは、確かに男として恥ずかしいこと。その罪をつぐなって死を選ぶのも、士道といえるでしょう」


 琉菜はやりきれない気持ちで沖田を見た。


「でも、死ねばいいってもんじゃないじゃないですか」

「まあ、そうですね。琉菜さんの言うとおり、生きて復讐っていうのもケジメのつけ方ではありますが……やっぱり、やるか、やられるかの中で生きている私たちに、二度目はないんです。一度負けること、それは死を意味しているんです」

「だったら――」


 あんな刀、渡さないで下さい。

 一度あたしが人を負かすってことは、あたしがその人を殺したことになるじゃないですか。

 沖田さんは、あたしに人殺しをさせたかったんですか。


 そんなこと、言えるはずもない。

 事実、あれがなかったら木内らが他の敵にかかりきりになっている間に殺されていたかもしれない。

 そもそも、発端は自分が「中富新次郎」として人を斬ったことにあるのだ。自業自得だ。


 それでも、でも。


「襲われたら、応戦するしかないのはわかってます。でも、これから先、あたしは刀を抜けるんだろうかって、すごく心配なんです……もう人殺しになるのは、嫌なんです。あたしは、武士じゃないから、人を殺したら、ただの人殺しでしかないんです」

「ふふ、不思議ですね。なんだか中富さんを思い出します。不思議ではないか。兄妹なんだし」

「えっ……と」

「大丈夫ですよ」


 沖田は琉菜を励ますように、優しく言った。


「琉菜さんは人殺しなんかじゃない。だって、死んだ男は自害したんですよ」

「でも、その原因を作ったのはあたしじゃないですか」

「違います。原因は、その男の弱さです」


 少しだけ、琉菜の胸につかえていたものが軽くなった気がした。

 しかし、次に沖田は厳しい真実を告げた。


「でもね、武士だって人殺しですよ」


 沖田の言葉に、琉菜は息をのんだ。


「人を殺したら、人殺しです。武士だなんて関係ない。ただ、公方様のため、という大義名分があるから、その罪が黙認されてるだけなんです」



 琉菜は何もいえなかった。


 沖田は話を続けた。



「私、昔中富さんに守りたいもののためには人を斬っていいなんて言ったんです。あの時は、人を斬ることに迷ってたみたいだったから、そう言った。毎日斬るか斬られるかの生活だったから、とにかく私は中富さんが一瞬の気の迷いのせいで命を落とさないようにと、そう思ってそう言ったんです。でもそれには続きがあって。私たち武士は、守るもののために自らを犠牲にして、自らを"人斬り"にしているんです。守りたいものっていうのは、それくらい大切なものなんです」


 琉菜はぐっと胸が締め付けられる思いに駆られた。


 自らを罪人にすること。

 斬られるのも嫌だけど、罪人になるのも嫌。

 それを、沖田さんたちは自らやってたんだ。

 だから人を斬っても、平静でいられる。


 自分は罪人なのだと、とっくに覚悟を決めているから。

 あたしは、そんな覚悟してた?


 あの時、あたしの守りたかったものは、確かに沖田さんのいう"それくらい大事なもの"だった。

 でも、守りたいもののためなんだからいいじゃんって、そんな気持ちで人を斬ってた。

 そんなの、偽武士の傲慢だ。


 やっぱりあたし、あの時武士じゃなかったんだ。

 沖田さんは武士だったって言ってくれたけど、それはあたしの覚悟のなさを知らないから。


 武士でもないのに、覚悟もないのに、あんなに人を斬った。


 あたしは、一番性質の悪い人殺しだ。


 

 涙が、溢れてきた。


「どうしてそれを、兄上に教えてあげなかったんですか?」


 教えてくれたら、違っていたかもしれない。

 教えてもらっても、同じだったかもしれない。


 八つ当たりなのはわかっていたが、琉菜はそう尋ねずにはいられなかった。


「……どうしてでしょうか。ただ、中富さんは守りたいものがあるって、すごく満足そうな顔してたから……それ以上はなんか言えなかったってところですかね」

「いいんですか?兄上は、覚悟してなかったかもしれないんですよ。守りたいもののためならいいじゃんって、自分を人斬りにする覚悟をせずに、人を斬ってたかもしれないんですよ」


 沖田はにっこりと微笑んだ。


「例え覚悟をしていなくても、中富さんの守りたいものは、命以上に大切だったと思いますよ。それに、結果的に中富さんは私を含めて、たくさんの仲間の命を守ってくれました。それでいいんじゃないでしょうか。私は、中富さんは武士(おに)だったと思ってますけどね」


 ふわりとしたその鬼の微笑みを見て、琉菜は背筋に何かが走るような感覚を覚えた。






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