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青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第3章
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7.ワケありの新年会(後編)




 夕方になると、この重苦しい空気を打破しようとしたのか、伊東の提案で芸妓を呼ぼうということになった。


「それならば、馴染みの女を呼びたい。女将に話をつけてきます」永倉はそう言って立ち上がった。

「おや、そんなこと言って、屯所に戻ろうとしているのではないですか?」伊東が言った。

「ここまで来れば一蓮托生いちれんたくしょう。どの道我々は職務怠慢で切腹です。最後に馴染みの女の酒を飲んでも構わないでしょう」


 永倉は部屋を出ていった。伊東は今度は止めなかった。


「あたし、女中さんの手伝いしてきます」琉菜は立ち上がった。

「琉菜さんがそんなことをする必要はありませんよ」伊東が言った。

「どうせあたしはお酒が飲めませんから。お手伝いの方が性に合ってるんです」


 問答無用とばかりに伊東の言葉を待たずして琉菜は部屋を出た。もちろん永倉を追いかけるためだ。


「永倉さん!」


 永倉は驚いたように琉菜を見た。


「いいんですか?」琉菜は小声で訊いた。

「伊東さんに声をかけられ、近藤さんや土方さんに黙ってついてきたのは本当だ。職務怠慢もしくは脱走で処断される覚悟はできていますよ」

「どうして……」

「伊東さんは大事な話がある、と言った。あの人がそう言うからにはただならぬ事情があるのかと思ったんですよ。薩摩が討幕派に寝返ったと言われている今、新選組は今のままではいけない。だから、伊東さんの展望を聞いてみたかった。それで昨日は一日いつも通り飲みの席に付き合いました。だが、いつまでたっても腹を割らないからああして聞いてみたわけです。蓋を開けてみればこの顛末でしたが。馴染みの女でも呼ばなきゃやってられませんよ」


 口実ではなく、本当に芸妓を呼ぶために永倉は席を立ったのだと、琉菜はなんだか肩透かしを食らった気分だった。だが、永倉の気持ちもわからないではない。この段階で永倉や斎藤が切腹になるわけではない、と琉菜は知っていたが、それだけに切腹を覚悟している永倉に本当のことは言い出せなかった。


「そうだ」と永倉はいいことを思いついた、とばかりに言った。

「菊松屋の小夏という女をご存知ですか。中富と懇意だったんです」


 この状況で小夏の名前が出てきたことに琉菜は面食らって、一瞬何の話かわからなかった。


「知ってます!……お名前だけは!」

「せっかくだから呼びましょう。向こうも中富に瓜二つの琉菜さんを見たら喜びますよ」




 思いがけず小夏と再会できることになり、琉菜は驚きと嬉しさで自分が今密偵として角屋にいることを失念しそうになった。

 程なくして、小夏をはじめ島原各所から派遣されてきた遊女たちが角屋にやってきた。


「まあ中富はんの妹はんに会えるなんて!嬉しおすわあ。お兄さん、未だ行方知れずどすの?」


 もちろん演技だが、琉菜はそれに合わせるように「はい。あたしも、兄がどこに行ったのかはわからなくて……お世話になったみたいで、ありがとうございました」と挨拶した。


 内心では


 もう絶対会えないと思ってたのに、まさか小夏ちゃんに会えるなんて……!永倉さんナイス!


 と、永倉に拍手を送っていた。


「うち、中富はんの妹はんともっとゆっくりお話ししとおす」


 小夏は甘ったるい茶屋言葉でそう言うと、見事琉菜と同室で一晩過ごす流れを作り上げた。遊女が一般の女性と夜を過ごすなどと異例中の異例だが、「中富のことで積もる話もあるだろう」と、まるで故人を偲ぶ葬式の席のような調子で皆同意してくれた。



「琉菜ちゃあーん!よかったわあ、まさかこないな形で会えるなんてなあ」

「小夏ちゃん、元気そうでよかった!あたしね、戻ってこれたんだよー!」


 部屋に二人きりになった瞬間、琉菜と小夏は抱き合って再会を喜んだ。


 自然、ガールズトークに花が咲き、近況話から仕事のちょっとした愚痴まで、夜更けまで二人は話し込んだ。気が付けばなんとなくがやがやしていた周囲の部屋が静かになっていた。どうやら、琉菜と小夏が一番の夜更かしになってしまったようだ。


「琉菜ちゃん、これからは女同士意気投合したからいうて、ちょくちょく会おうな」

 

 島原の遊女というのは許可があれば多少の外出は許されたらしい。琉菜の方も、この世界に今までいなかった女友だちという存在ができたと言えば、外出を止められはしないだろう。


 仕事の気分転換に、女子会ができる。

 思いがけず降って湧いた明るい展望に琉菜は満足して眠りについた。




 翌朝目を覚ました琉菜は、何か大事なことを忘れているような、と寝起きの頭でぼんやり考えた。


 そうだ、今日はもう屯所から帰ってこいって言われるんだよな……


 小夏はもういなかった。遊女とは、そういうものらしい。時間になれば、自分の店へと帰っていく。

 琉菜は階下に降りた。賄い方の朝は早いが、今日は久々に惰眠を貪ったから気分がいい。


 昨日の大部屋に入ると、すでに宴会が始まっていた。朝っぱらだというのにまだまだ飲むらしい。

 今日はもう、開き直ったと言わんばかりに永倉も酒を飲んでいた。斎藤もちびちびと黙って飲んでいる。昨日に比べてピリピリとした気を放ってはいなかった。


  

 そして昼頃になると、宴会していた部屋の襖がパンッと開いた。


 沖田が、冷たい表情を浮かべ立っていた。

 座って見上げていたせいか、いつもより一段と背が高く見える。


 一日ぶりの沖田さん、しかも真剣な顔バージョン、かっこいい……なんてね…。


「伊東参謀。土方副長がお呼びです。屯所までご同行願います。この宴会はここまで。みなさん屯所に帰ってください」

「いいでしょう」


 伊東は挑戦的な目をして立ち上がると、沖田のあとについて部屋を出ていった。

 琉菜は助かったという表情を浮かべながら、それに続いた。

 藤堂や伊東一派の隊士らは、脅えたような焦ったような様子でついてきた。




 屯所に帰ると、宴会に参加した隊士が一室に集められた。


「隊務を無断で休んだ咎で、全員を、七日間の謹慎とする」

 

 近藤は怒りに満ちた表情で言い渡した。

全員「承知」以外何も言わず、各々が自室に向かった。


 琉菜も例外ではなく、他の隊士と共に部屋を出、自室に向かい、障子に手をかけた。

 部屋に入ったその瞬間から、謹慎のスタートだ。


 謹慎ったって、部屋にこもってりゃいいんでしょ。

 たまの休日だと思えばラッキーラッキー。


 琉菜は軽く考えていたが、たちまちこの状況のつらさがわかった。


 トイレ以外部屋から出られないって、なんて退屈なんだー!!


 現代人が暇をつぶすツールといえばもちろんスマホが筆頭だが、ここで電池を消費するわけにはいかない。何より、ネットに繋がらないスマホなど、暇つぶしの用途としては三割もその力を発揮しない。


 こういう時の時間の流れはひどく遅い。寝てしまおうかとも思ったが、今日は十分に朝寝坊してしまったから眠れない。


 こんなのが一週間も続くのか……。剣道の稽古もできないし、外の空気は吸えないし、何より沖田さんに会えないし……。

 沖田さんは、あたしが密偵で行ってたこと知ってるのかな。


 そんなことを考えていると、「入るぞ」と声がし、返事する間もなく襖がガラリと開いた。


「土方さん……」


 土方はいつもより少しだけ穏やかな目で琉菜を見下ろした。


 そう!ってか!なんで!


「あたし土方さんに言われて宴会行ったのに謹慎処分になっちゃうの!?」


 思わず声に出して言ってしまい、琉菜は慌てて口を手で覆った。

 が、時すでに遅し。土方の眉間にしわがよった。


「その理由を伝えに来たんだが、やっぱやめるか」

「あーっ!違うんです、すいません待ってください」


 琉菜は慌てて去ろうとする土方を引き留めた。

土方は大きく溜め息をつくと、部屋に入り、琉菜の前に座った。


「簡単なことだ。あそこでお前だけ謹慎なしにしてたら密偵だってバレるだろうが」

「まあそうですけど」琉菜はしぶしぶ認めた。

「それにだ」土方はニヤリと笑った。

「お前も謹慎させることで、伊東に見せつけたんだ。女でも容赦しない。もちろん、伊東もな、と」


 琉菜はごくりと息を呑んだ。

 目の前にいる男は、正真正銘、新選組の鬼副長・土方歳三なのだ。


 あたしは一度、この鬼副長に目をつぶってもらって生き延びた。

 二度目は、ない。  

 新選組の一員として、一生懸命真っ直ぐに働かないといけないんだ。


「で、どうだった」


 土方の質問に、琉菜は簡潔に答えた。

 土方が琉菜から宴会の様子を聞いている時点で、歴史とは違うことが起こっているはずだ。

 だが実際琉菜がいなければ、斎藤あたりに聞いたのかもしれない。斎藤ならばどんな風に答えるだろうか、と考えながら琉菜は慎重に質問に答えた。


「よし、わかった」


 大体の質問を終え、土方は納得したようだった。


「お前を密偵として行かせたのは俺の独断だ。近藤さんも総司もお前は単に呼ばれたから行ったと思ってる。くれぐれも気取られねぇように」

「……わかりました」


 土方はさて、と立ち上がった。

 部屋を出る時、何か思い出したようにふと琉菜の方へ振り返った。


「平助は……どっちにつきそうだ?」


 琉菜はドキリとした。

 最終的に、藤堂が近藤派になるか伊東派になるかは知っていた。

 しかし、現段階ではそんなことは言う気にはとてもなれなかった。


「さ……わかりません」琉菜は曖昧に答えを濁した。

「へっ、そうかい」土方は不敵な笑みを浮かべると、部屋を出ていった。


「わかりやすい奴」


 土方があとでぽつりとそう言ったのを、聞いた者はない。






 琉菜の謹慎生活は四日目を迎えた。


 ダメだ……暇すぎる……。


 土方の訪問以来、この部屋にやってきたのは食事運びの賄い方の当番隊士のみだった。

 それでも、食事を取る、ということは唯一といっていい程の気分転換になったので、琉菜の楽しみはもはやそれだけになっていた。

今日は誰が当番なのかな、と考えていたちょうどその時、障子の向こうから声がした。


「琉菜さん、食事です」


 聞き覚えのある声だった。ガラリと障子が開いて現れた人物に、琉菜はぱっと顔を綻ばせた。


「木内!……さん」


 木内は驚いたような顔で、膳を差し出す手を止めた。無理もない。「中富新次郎」とは仲がよかったが、「琉菜」はただの友人の妹だ。そこまで親しかったわけではない。


「お久しぶりです」木内は儀礼的に挨拶した。

「お久しぶりです。お元気そうでよかった」琉菜は取り繕うように膳を受け取った。


 木内は、そんな琉菜をじっと見つめた。


「あの……?」一瞬呼び捨てにしたことがバレただろうか、と琉菜は内心焦ったが、そうではなかったようだ。

「本当に、中富にそっくりですね、琉菜さんは」

「ええ、まあ……」

「消息は、聞いていませんか」


 これが知りたかったのだ、と琉菜は悟った。

 この場で名乗ってしまいたい衝動に駆られる。”中富新次郎”が、屯所で一番心を開いて接することのできた友人なのだから。だが、もちろんそういうわけにはいかない。


「あたしも、兄の情報はまったく入ってこないんです。本当、どこ行っちゃったんだか……」

「そう、ですよね。ありがとうございます」


 木内は静かにそう言うと、ぺこりとお辞儀をして去っていった。


 琉菜は二度目のタイムスリップの後、木内について調べた。が、本当に末端の平隊士として記録されていたのみで、年齢不詳、その生涯も詳らかでない。池田屋以前から新選組に所属していたこと以外、なんの情報もなかった。唯一、「明治になってから警察官になったと言われている」という情報を得ていたので、これから待ち受ける動乱の中でも命を落とさないのだと思うと少しは安心できた。


 明治になったら、木内に事情を話して、謝れるかな……


 琉菜はぼんやりとそんなことを考えていた。





 その後しばらくすると、明らかに食事の時間ではないのに誰かがやってきた。


「琉菜さん。入ってもいいですか」


 声で、沖田だとわかった。琉菜はがばっと姿勢を正し、簡単に身なりを整えて「どうぞ」と答えた。


「退屈でしょう」沖田はにやりと笑った。

「はい!そりゃあもう!」

「そう思って、いいものを持ってきました。土方さんには内緒ですよ」


 沖田はそういうと、琉菜の前に竹刀を差し出した。

 琉菜の驚く顔を見ながら、沖田は得意気に話を続けた。


「七日七晩も稽古しなかったら腕がにぶると思って。せめて素振りだけでもできたら、退屈しのぎにも稽古にもなりますよ。あ、壁とか天井とか気をつけてくださいね」

「はい、もちろんです!ありがとうございます!」


 琉菜は竹刀を受け取った。沖田はうれしそうに笑い、琉菜の前に座った。


「まったく、伊東さんの宴会なんか行かなきゃよかったんですよ。あなたお酒は弱いんだから」

「はい……すいません」

「で?どうして行ったんです?」

「へ?」


 いたずらを企む子供のような顔をしている沖田を見て、琉菜は面食らった。

 沖田の口ぶりは、まるで琉菜が密偵だったことを知っているようだった。


「だって、琉菜さんは未来から来たんですよ。行けばこうなることは、わかってたんじゃないんですか?」


 あ、なんだ。別にスパイだったってバレてるわけじゃないんだ。


「あたしだって、新選組で何が起こったか隅から隅まで知ってるわけじゃありません。頭悪いから歴史を覚えるとかダメなんです」琉菜はそう言ってごまかした。

「あはは、それも一理ありますね」


 それから二人は時が経つのも忘れ、いろいろなことをとりとめもなく話した。

 謹慎中の琉菜にとって、それが最高の時間であったことは、言うまでもない。


 

 いつの間にか、日が落ちていた。


「そろそろ行かなくちゃ。今日は巡察夜当番なんです」

「お忙しいのに、わざわざ、ありがとうございました」琉菜はぺこりと頭を下げた。

「いいんですよ。琉菜さんといるの楽しいし」


 それが、文字通りの意味で、それ以上の深い意味がないことなどわかってはいたが、琉菜の心をきゅっと締め付けるには十分だった。

 顔を赤らめどぎまぎしている琉菜に気づく様子もなく、沖田はすっと立ち上がると、琉菜を見て微笑んだ。


「また遊びに来ますね」

「はい。待ってます」


 沖田さんが、あたしのこと好きになってくれたらいいのに―――


 心の奥底に押し込んでいた望みが、首をもたげた。





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