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青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第3章
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6.ワケありの新年会(前編)



 年が明け、慶応三年になった。  

 琉菜は数え年の風習に合わせ二十三歳となり、沖田は二十六歳と、みな一つ年を取った。


 元日に行われた新年会も無事終了した(琉菜は絶対に酒は飲まなかった)次の日、思わぬ誘いがあった。



「琉菜さん」


 声をかけてきたのは、加納鷲雄かのうわしお。伊東甲子太郎が上洛時に連れてきた仲間ろ者である。


「あ、加納さん……でしたよね」琉菜はほとんど会話など交したことのない男に声をかけられ、少し面食らった。

「昨日から、伊東先生が島原で新年の酒宴をやってるんです。それで、今日は琉菜さんにもぜひ参加して欲しいと、伊東先生がおっしゃっています」

「えーっと……」


 琉菜は返事に困った。

 未来で本を読んで、この宴の主旨を知っているだけに、素直に首を縦にふるわけにはいかない。


「まあ、今すぐ決めなくていいですよ。場所は養花楼ようかろう。ずっとやってるんで、気が向いたら来てください。あ、あと、副長には内密に」


 最後の一言は声を潜めて、それでいて琉菜の目をまっすぐに見て、加納は付け加えた。


 では、とお辞儀をし、そそくさと去っていく加納の背中を琉菜はぼんやりと見つめるしかなかった。


 どうしたらいいのかな……。行かないと怪しまれるのかな。伊東さんは、あたしが未来から来たって知らないはずだし……


 琉菜が悩んでいると、「おい」と背後から声をかけられた。

 振り返ってみると、土方が立っていた。いつもより一段と不機嫌そうな顔をしている。


「話は聞いた」


 あーあ、残念だったね加納さん。


「さすがですね」


 その地獄耳、と口に出かかったがすんでのところで飲み込んだ。


「永倉と斎藤と平助もその宴に参加している。お前、行って様子を見てこい」


 琉菜は耳を疑った。つまりは、スパイになれということだ。


「あたしにうまくできるかどうか……」

「そんなこと気にする必要はねぇ。ただ宴に参加して、伊東の言動やらを報告すればいい。山崎に行かせてもよかったんだが、せっかく今お前が誘われたから、お前が行くのがちょうどいい」

「わかりました」

「いいか。酒だけは飲むなよ」


 土方は先月の琉菜の歓迎会の話を知っている。あんなことになってはスパイどころではない。


「言われなくてもわかってますよー」琉菜は口を尖らせた。

「お前……」

「はい?」


 土方の真剣そうな顔がもっと真剣そうになったので、琉菜は不思議に思った。


「今回の伊東の目的、知ってるんじゃないか?」


 その通りだ。再び、さすがは土方さん、と言いそうになった。


「今日のことも含め、奴の動きが怪しい。何をしようとしてるのか、お前、わかるんだろ?」


 琉菜はどう答えたらいいかわからなかった。

 確かに知っている。

 教えてもよいのだろうか。

 以前琉菜と山崎が立てた「仮説」によれば、未来の人間がどう足掻こうが歴史は変わらないわけで。

 だが、仮説の検証として行ったのは中富新次郎といういち平隊士の身の回りが変わるかどうか試したまでのこと。


 新選組の動き全体を揺るがすようなことには、やはり首を突っ込まない方が良いのでは。

 琉菜は少し考えて、こう答えた。


「はい。知ってますよ。でも、絶対に教えません」

「ほう。言うじゃねえか」

「だって、例えばもし明日近藤局長が暗殺されるってあたしが言ったら土方さん阻止しに行くんでしょう?」

「当たり前だ。お前は近藤さんを見殺しにすんのか」

「そういうことじゃありませんよ。あたしだって助けたいけど、助けたら歴史が変わって、あたしが住んでる未来が大変なことになるかもしれないんです!」


 少し沈黙があった。

 琉菜は土方を見ながらつけ加えた。


「とりあえず、明日局長が死ぬなんてことはないですから安心してください」

「ああ。そうかい」土方が小さく言った。

「先のことなんか知ったら、人生面白くないですよ」

「生意気なやつだ」土方は面白くなさそうな顔をした。

「とにかく、しっかりやれよ」

「はあい」


 琉菜はスタスタと去っていく土方を見つめた。


 スパイなんてあたしにできんのかなぁ。

 まあいざとなったら前に本で読んだことを言えばいいか。


 琉菜は早速支度をして、養花楼――現在では角屋と呼ばれる揚屋――に向かった。






 ”中富新次郎”時代に何度か来たことがあったが、女の姿でここへ来るのはなんだかまた別の緊張感に包まれるようだった。


 島原=遊郭=キャバクラ=女には無縁の場所


 というイメージがやはり琉菜の中で抜け切れていない。

 江戸の吉原とは違い女性が出入りしてもなんらの問題はないわけだが、実際に女性客が利用しているのは見たことがなかったのも、緊張を増幅させる一因だった。


 店内に入ると女中がいそいそと出てきて琉菜を奥の部屋へと案内した。


「伊東せんせ、お連れの方来はりましたえ」女中が襖越しに声をかけると、「通してください」と中から返事が聞こえた。


「ああ、琉菜さん。来てくれたんですね。どうぞ。そちらへ座って下さい」


 琉菜は言われるがままに部屋の一番隅に座った。隣には永倉と斎藤がいたので、幾分緊張感は和らいだ。


「あなたも呼ばれたんですか」永倉が目を丸くした。

「はい。そうなんです……」


 琉菜は部屋の中をぐるりと見渡した。

 藤堂は上座に座る伊東の側に座し、この宴会を純粋に楽しんでいるような様子だった。

 一方で、琉菜と同じく下座に腰を下ろしている永倉と斉藤は全く酔ってはいないようだ。


 さすが初期メンバー。伊東さんが何か企んでる、くらいには察してるんだな。信用できないやつの前では飲まない。あたしも見習わなくちゃ。

でも、藤堂さんはちょっと顔赤いかも。

 やっぱ、同門だし。藤堂さんだけは伊東さんを信頼してるんだなぁ。



「琉菜さん、ようこそ、私の新年の宴へ」伊東はそう言ったが、琉菜は言葉を発せず、軽く会釈するにとどまった。

「まずは飲み、食べ、楽しんでください」


 その一言で、中断されていた宴会が再開した。


 琉菜はこんなにつまらない宴は初めてだと思った。

 酒を薦められても体よく断らなければいけないし、永倉や斎藤も警戒心むきだしでピリピリしていてリラックスできない。

 何より、琉菜はスパイだ。  

 土方に何か成果を伝えなければという緊張で、宴会を楽しんでいる場合ではなかった。





 時計がないので正確にはわからなかったが、少なくとも高かった日が沈むくらいには時間が立ち、琉菜はさすがに辟易としてきた。

 これをすでに昨日から続けているというのだから、永倉や斎藤の心中やいかばかりか。


 ついに、永倉がしびれを切らした。


「伊東さん、一体なんのつもりなんですか。この二日間のただのどんちゃん騒ぎに、隊務を休んでまで参加するだけの価値があるのですか」


 伊東は杯を置き、永倉の方を見た。


「まあ、そうおっしゃるのも無理はないですね。親睦を深めてから話そうと思っていましたが、逆効果だったようだ」


 永倉、斎藤、琉菜の三人は、注意して伊東を見た。

 藤堂だけは、本当に単なる宴会だと思っていたのか、驚いて目を丸くしていた。


「あなた方は、今の新選組をどう思いますか?」


 誰も何も答えず、ただ伊東を見ていた。


「私はね、新選組は変わらなくてはいけないと思うのです。時代は動いている。私は幕府にもはや力はないと見ている。にもかかわらず、」


 伊東は一息ついた。永倉、斎藤は化けの皮がはがれたかという目だ。


「我々のやっていることはなんですか。不逞の浪士をただ斬りまくり、仲間内での殺し合い……。こんな状況が続くようなら、新選組に明日はないでしょう」

「それで。俺たちにどうしろと」斎藤が鋭く言った。

「私は近藤局長と土方副長に、幕府の腐敗を説明し、新選組を尊皇攘夷の先駆けとするつもりです。もしそれが叶わぬなら、私は新選組から分離し、新しい組をつくるまで。そこで、あなた方には説得に協力していただきたい。そしてもし分離ということになった暁には、永倉さん斎藤さんのお二方には私ときてほしいのです。琉菜さん、あなたもです」


 そーゆーことか。

 もう伊東さんは、考えてるんだ。


 藤堂さんは問答無用、永倉さんは局長に少なからず不満を持ってるっていうのにつけ込んで。斎藤さんは……強いからかな。

 でも、なんであたしが……?


 琉菜の疑問をよそに、永倉が立ち上がっていた。


「私にだって尊皇攘夷の思想はある。だが、私は、上様をお守りするために、近藤さんについて京に上ってきた。そういうことなら、話に乗るつもりはない」

「俺もだ」斎藤が続いた。

「話は終わりだ。屯所に帰らせていただく」永倉は入り口に向かった。


 すると、加納と、これまた伊東の腹心である篠原がすっと前に立ちはだかり、刀に手をかけた。


「力づく、というわけか」永倉があきれたように言った。伊東は少し微笑んだ。

「人聞きが悪いですねえ。ただ、”局内での私闘は切腹”ですよ」


 

 つまり、加納らを斬り捨ててここを出るわけにもいかず、今は残って伊東の話を聞くしかないわけだ。

 永倉はキッと唇をかんだ。


 伊東さんも、汚い手使うなぁ。

 永倉さんや斎藤さんが伊東さんに屈するわけない。

 このムード、どうなるんだろ……。


 でもって、なんであたしは呼ばれたんだろう。


 怒り狂ってどかっと座り込んだ永倉を横目に、琉菜はそんなことを考えていた。


「あの、伊東さん」琉菜は尋ねてみることにした。

「どうしてあたしまで……?」


 伊東は朗らかに微笑んだ。


「私はあなたを、ただの賄い方で終わらせたくはないのです」

「え?」

  

 永倉も斎藤も藤堂も、固唾をのんで琉菜と伊東の会話を聞いていた。


「あなたは剣術に長けている。女子であなた程の使い手というのも珍しい。それに」


 伊東はにこりと笑った。が、目は笑っていない。


「あの土方くんが二度も引き入れた。あなたは重要な何かを握っているのではないかと思いましてね。興味があるのです」


 これには琉菜、永倉、斎藤、藤堂の顔に一瞬にして焦りの色が浮かんだ。

 まさか未来から来たというのがバレているわけではないだろうが、ただの女ではないとは思われているらしい。


「重要な何か、という程のものを抱えているつもりはありませんが、脱走した兄の分も新選組のためにお役に立ちたいと思い戻っただけのことです」

「一年以上も隊を離れていたというのに?」

「ええ。家の事情もありましたから」


 これ以上この話題を突っ込まれるとまずい、と思った琉菜は結論を述べた。


「申し訳ありませんが、あたしは伊東さんの側につくつもりはありません」

「なぜですか」

「脱走隊士の妹だというのに、近藤局長はあたし個人を見て、雇ってくださいました。あたしはその恩に報いるつもりです。それに、あたしは武士じゃない。剣術だってもともとは土方さんに試合で勝つために始めただけ。人を斬るのは嫌なんです。伊東さんのお役には立てないかと」


 少し沈黙があったが、伊藤がそれを破った。


「そうですか。わかりました」


 そうは言ったものの、目だけは「諦めていない」という感じだった。


 琉菜は、伊東甲子太郎という男の本性を見た気がした。




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