4.口上の攻防
射抜くような土方の視線に、琉菜はたじろいだ。
「この刀傷の跡は何だ」
琉菜はあっと息を飲んだ。
そうだ、池田屋の時の傷跡!
でも、なんで土方さんが知ってるの?
「どうしてこれが刀傷だって思うんですか?」墓穴を掘らぬように、時間を稼ぐ。
「総司がそんな話をしていた」
悪気がないであろうことは容易に想像がついたが、琉菜は少しだけ沖田を恨んだ。
「お前、琉菜になりすましてしゃあしゃあと戻ってきた。違うか?」
そう来たか!
「な、なんのためにですか!?」
琉菜は咄嗟に尋ねた。”中富新次郎”がわざわざ”女装”して新選組に戻る理由など客観的に見ても思い浮かばない。
「そんなの俺が聞きてえくれえだ。だが、その傷が動かぬ証拠」土方が即答した。
「間違いなくそれは中富が池田屋で負った傷」
「これはガラス…と、陶器の破片で切っちゃったんです。向こうにいる時についた傷です」琉菜は苦笑いした。
「ごまかしたって無駄だぜ。たかが陶器の傷でそんな跡がつくか」
琉菜はぎゅっと唇を結んだ。そして、そうだ、と心の中で手を打った。
「兄上…中富さんが脱走したのは、山南さんが切腹する前の年の暮れでしたよね」
「それがどうした」
「脱走して姿をくらました中富さんが、そういう脱走後の新選組の様子を知ってるはずないと思いません?」
形勢が逆転した、と琉菜は思った。土方の顔にわずかに悔しそうな色が浮かんだ。
「んなもんおめぇ、風の噂で聞いたんだろうよ。山南さんはあれで近所のヤツらにも好かれていたし」
「じゃあ、あたしがどうやって未来に帰ったか言いましょうか?満月の出ている時に神風が吹いたら、あの時の祠から過去と未来を行き来できる。どうですか?これは試衛館出身の皆さんしか知らないことでしょう?」
土方は、反論する言葉を探しているようだった。
琉菜はタカをくくっていた。「同じ時に同じ人間が二人いる」というSF的発想に土方がたどり着けるはずがないと。
平成の世に生きていれば、「タイムスリップ」というファンタジーな事象、それに伴って起きる数々の不思議な現象を映画や漫画を通じ、概念として誰もが知っている。実際にそれができないものかと本気でタイムマシンの研究をしている科学者もいる。
まして実際その身にこうした事柄が降りかかった琉菜にしてみれば、もう何が起きても受け入れられる。
引き替え、幕末を生きる土方は琉菜の件があったからかろうじて「タイムスリップ」を受け入れているに過ぎない。
だから、”中富新次郎”と”琉菜”が新選組に所属していたあの時期、まさかそれが二人とも同一人物であったといういわば「タイムスリップの応用的結論」を土方が出すはずがないのだ。
「こんな腕の傷跡くらいで、あたしと兄上が同一人物だって決めつけるのはどうなんですかね?」
未だ口を開かない土方に、だめ押しの一言を言う。
「そうだ、中富が脱走した夜は、満月だった」
あれ?
琉菜は嫌な予感がしつつも土方の言葉を待った。
「中富は、その過去と未来を行き来ってやつをしたんじゃないのか?それなら、あいつがついぞ見つからなかったのも頷ける」
あれ??
「そうだとしても、なんでわざわざ兄上が女装して戻ってくるんですか」同じ論点だったが、琉菜に残された武器はこの点しかない。
土方はまた、あっ!と閃いたような顔をした。
「中富が琉菜に女装したんじゃなく、琉菜が中富に男装……?だが、それだとどういうことだ……琉菜が二人……?いや、影武者……?」
90点だよ、土方さん……頭良すぎだってば……
琉菜はなんだかこれ以上はごまかせない、と白状しようかと思ったが、切腹の二文字が頭をよぎり黙りこくった。
その隙を土方が鋭い一言で突いてくる。
「お前は、何者だ」
ダメだ。土方さんがこのままあたしの嘘を信じてくれるとは思えない……!
土方の、何もかも見透かすような目を見て、琉菜は本当のことを言う覚悟を決めた。
再会という約束は果たしたのだし、脱走したのだから切腹を言い渡されても仕方がない。
未来の家族や友人が気掛かりだが、これも運命といえばそれまでだ。
「あたしは、琉菜です。そして、中富新次郎です」
一瞬沈黙が流れた。
流石の土方でも意味を理解できなかったらしい。
「…そりゃあ、どういうことなんだ?」
土方の口から出たのはそんな言葉だった。
琉菜は一部始終を話した。それでも、中富屋のことは言わなかった。文久三年の八月にタイムスリップしてしまい、中富新次郎は自分のことだったのだと気づいて、その運命に従ったのだと。そう説明した。
土方は目を丸くして、ただ黙って話を聞いていた。
「それならあの時、お前は二人いたってことか?」
「そういうことになります」
土方はしばらく考え込んだ。
そして、真剣な眼差しで琉菜を見た。
「中富新次郎、いや、宮野琉菜。身元詐称と脱走の罪で、切腹してもらう」
琉菜は何も言わずに頭を下げた。
思考が停止した。気づけば、涙がぽたりぽたりと畳に落ちていく。
死ぬ覚悟ならさっきしたじゃん。それでも新選組の一員なの?
どっちにしても、あたしは法度を破ったんだ。
そう自分に言い聞かせてみたものの、やはりこの世に未練はある。
切腹。
本当にそうしなければならないとわかると、途端に恐ろしくなってきた。
死んだら、お父さんやお母さんにも会えない。
鈴香にも、お多代さんも兵右衛門さんも……沖田さんも。
「おい泣くな。武士だろ」
土方がピシャリと言い放った。
「あたしは、女です」
「都合が悪くなれば女、か。便利なご身分だな」
土方の冷ややかな物言いに、琉菜は恐怖という言葉では表せないものに覆われたような心地がした。心臓がえぐられるよう、とはこのことか、と思った。
黙ったまま何も言わない琉菜を見て、土方ははあ、と溜め息をついた。
「お前の話は信じてやる。それなら辻褄が合うからな。だが……なぜわざわざ中富に扮して入隊した挙げ句に脱走した。最初から新選組に入らず、適当な奉公先でも探して待ってりゃあよかったものの」土方が真剣な面持ちで言った。
琉菜はぐいっと涙を袖で拭い土方を見た。
「あたしの居場所は、新選組しかないと思ったからです。少しずれたけど、せっかく皆さんのいる時代に戻ってきたのに、指を加えて新選組の外側で過ごすなんてできません。新選組が大好きなんです」
「じゃあ、なぜその大好きな新選組の法度を破って脱走した」
土方の追求に、琉菜は先ほどまで黙り込んでいたのが嘘のようにスラスラと答えた。
「賄い方の琉菜は、皆さんと約束しました。必ず戻ってくると。あたしがあたしとしてここに戻ってくるには、ああするしかありませんでした。それでも土方さんたちと違って、あたしは、中富新次郎はもはや武士ではありません。あたしの行動が士道に背いてるから、切腹、と言われてしまえば仕方ありませんが、死ぬ前にこれだけは言わせてください。あたしは、新選組が好きで、どんな形であれ皆さんと一緒に過ごしたくて、役に立ちたくて、あの時は隊士として入隊しました。ですが、それでは最初のタイムスリップの時に土方さんや沖田さんと約束した『必ず戻ってくる』というのが果たせないと気づきました。それが甘い、士道不覚悟だと言われればそうかもしれません。でも、どうしてももう一度、女のあたしとして、皆さんと再会したくて、脱走しました」
土方は何やら考え込む仕草をした。
琉菜はハラハラしながらその様子を見守る。
わかってる。
今まであんなに人を斬っといて、今更自分の命は惜しいなんて。
そんなのムシがよすぎるもんね。
土方さんに全部話したらすっきりした。
平成のみんなには、手紙を残そう。
あたしは、新選組の隊士として立派に死にました。って。
きっと、わかってくれるよね。
琉菜は覚悟を決めた。実際に今わの際を迎えれば怖気づく気もしたが、とにかく、今は。
土方をじっと見た。土方はまだ何か思案していたようだが、やがてポツリと言った。
「それがお前の士道だな」
士道とは。言葉の定義はともかく、新選組においてそれを決めるのは近藤・土方の主観によるところが大きい。農民出身の近藤・土方はとりわけこの「士道」を重んじた。
あまりに抽象的な「士道」という言葉の意味を追求し始めるとキリがない。
強いて言えば、「これと決めたものを曲げないこと」「忠義」と言い換えることができるだろう。
少なくとも、琉菜は局中法度第一条「士道に背きまじきこと」をそんな風に解釈していた。
「はい。新選組は抜けましたが、士道に背いたことはないと思っています」
土方はその言葉を聞き、ニヤリと不敵に、だが満足そうに笑みを浮かべた。
「わかった。この話は俺の胸三寸に留めておこう」
「は……?」
琉菜は耳を疑った。
本当に土方の気が変わったというのだろうか。
それとも、この世への未練が見せた幻なのだろうか。
「って、お咎めなしってことですか?ほ、本当ですか?」琉菜は恐る恐る尋ねた。
「そも、お前を中富として殺したら、他の連中が琉菜に会えなくなるだろ」
「え…」
「近藤さんも、総司も、左之助も、他のやつらも、お前の帰りを待ちわびてたんだ」
琉菜は全身の力が抜け、俯いた。
また、涙があふれてきた。
生きられる……!
これからも、ここにいられるんだ。まだ、沖田さんと一緒にいていいんだ。
「それにだ」
土方は琉菜から目をそらした。
「女に切腹させる趣味はねえ」
ごにょごにょとそう言った土方の顔が、見えなくても琉菜には想像ができた。
思えば、山南が脱走した時に沖田ひとりを追っ手によこしたのは、専ら山南を逃がすつもりだったから、と言われている。もちろん土方がはっきりそう言ったわけではないが、そういう意図があったのは誰の目にも明らかだった。
鬼副長、といっても誰彼構わず問答無用ってわけじゃないんだな。
でも、それならそれで今のこの時間返して……寿命が縮んだよ……
なにはともあれ、琉菜は土方に向かって深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。これからは一生懸命働いて新選組のみなさんのお役に立てるように致します」
「当たりめえだ。それと」土方は強い口調で言い、琉菜の方に向き直った。
「二度と人を斬るな。お前は武士ではない。刀を持つことは、法度に背くのと同じくらいの重罪だ」
「はい。重々承知しています」
大丈夫。
これからは賄い方の女としておとなしくしてますから。
「それと、お前が中富と同一人物だということ。絶対に気取られるな。近藤さんにも、総司にもだ」
「心配しなくても、土方さんみたいに自力でその結論にたどり着ける人はいませんよ」琉菜は苦笑いした。
「でも、近藤局長には言うんだと思ってました」
「馬鹿やろう。近藤さんに言おうもんなら、女に言いくるめられたと思われるだろうが」
琉菜は先ほどまで泣いていたことも忘れ、ぷっと笑った。
要は、プライドが許さないってこと?
「てめえ、何笑ってやがんだ」
「笑ってなんかないですよ」琉菜は顔に力を入れて、真顔で土方を見た。
「本当にありがとうございます。本当に、頑張って働きますから、これからまたよろしくお願いします」
琉菜は深く頭を下げた。
「当たりめえだ」
頭上から、土方の声が降ってきた。




