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青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第3章
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2.三たび時の祠



 卒業式からさらに一年後。

 ついにその時がやってきた。


 アルバイトの給料で買い揃えた女物の着物に身を包み、琉菜は時の祠の前に立っていた。新選組を脱走した時、スマホ以外の荷物はすべて中富屋に置いてきてしまったので、こちらで新たに女物の着物を調達するしかなかったのだ。脱走時に着てきた新選組の羽織は身につけていない。自宅の箪笥の奥の方に、大事にしまってある。

 あの羽織に袖を通すことはもう二度とないだろう。



 父親も母親も娘を心配する親心から琉菜が三度タイムスリップすることを手放しで許したわけではなかったが、琉菜がさっさと着物や帯一式を買い揃えてきたのを見て、そんなに行きたいならと、「絶対に殺したり殺されたりしない」を条件に送り出してくれたのだった。



 久しぶりだな、ここに来るのも。


 琉菜は時の祠の鳥居を見上げた。相変わらずひっそりとそこにある鳥居。注意深くしないと普通の人はその存在に気付かないだろう。


 琉菜は石段を登り、鳥居をくぐった。

 もう何度か感じた、あの強い風が吹いた。


 琉菜は目を閉じた。


 お願いします。  

 今度こそ、"再会"させてください。


 目を閉じたまま、ゆっくりと方向を変える。

 おそるおそる目を開けると、見慣れた、そして待ち焦がれた光景が映った。


 木造の家、着物の人々。


 よかった。一応、タイムスリップ自体は成功みたいだね!



 琉菜は振り返り、祠の鳥居にそっと触れた。


 

 今度ここをくぐる時は、すべてを見届けた後。そうだといいな。



 琉菜はふと、新選組が辿った歴史の”後半部分”に思いを馳せた。

 それだけで涙が出そうになった。が、今はとにかく状況把握だ、と思い直して往来に出た。



 まず、いの一番に向かうは中富屋。


 万が一また前回のタイムスリップと被る時期であれば、屯所に行くのはリスクが高い。二回のタイムスリップの事情を知っている中富屋を頼るのが一番安心であった。


 だが、そもそももしかしたらまだ中富屋が創業していない時代かもしれない。

 それとも、もう孫か誰かが受け継いだあとかもしれない。


 それでも、多代と兵右衛門が笑顔で迎えてくれることを祈りながら、琉菜は歩を進めた。





「…あった」


 琉菜は変わらず存在するその旅籠を見て、心臓がドクドクと落ち着きのない動きを始めたのを感じた。

 中富屋は創業していたし、つぶれてもいなかった。が、まだ安心はできない。

 期待する気持ちと、期待しすぎるとぬか喜びに終わるかもしれないという気持ちをいったりきたりしながら、深呼吸をする。そして、恐々《こわごわ》と戸に手をかけた。


「ごめんくださー…い」

「へーい」


 奥から声がした。


 店は繁盛しているようだ。たくさんの客が、がやがやと食事をしている。

 そして、琉菜は今の声に少し望みを抱いた。


 声の主はバタバタと出てきて、あんぐりと口を開けた。


「琉菜ちゃん…?」

「お多代さん…ですか?」


 そしてほぼ同時に、二人は走り寄って互いにだきついた。


「お多代さん!お久しぶりです!よかった。ここはお多代さんの時代なんだ。あたしのこと知ってるお多代さんがいる時代なんだ!!」

「琉菜ちゃん!よう帰ってきた!ここはちゃんと、琉菜ちゃんの望んだ時代やで!」


 やった!

 ついにあたし、来たんだね!


 二人は体を離し、にっこりと笑った。


「ほんまによかったわぁ。ああもうどないしよ、何から言うたらええやろか。とりあえず、上がりぃや」

 

 嬉しそうに言う多代に、琉菜も笑顔で「ありがとうございます」と返し以前寝泊まりした二階の部屋に向かった。




「琉菜ちゃんが置いてった荷物な、そこの押し入れに入ってるさかい。今お茶入れるよって待っとってな」多代はバタバタと落ち着きのない様子で押し入れを指すと足早に階段を降りていった。


 琉菜が言われた通り押し入れを開けると、見覚えのある行李が出てきた。

 初めてタイムスリップした時に買った女物の着物、二度目のタイムスリップの時に現代から持ち込んだ便利グッズ――幕末でも使えそうな筆記用具に、マッチ、乾電池など――が入っている。そして、まとまった金子。”中富新次郎”が新選組で稼いだ金だ。


 本当に、帰ってきたんだ。

 この行李をここに置いてきた後の時代に、とうとう着地したんだ…!


 今はいつ頃なんだろう…屯所は西本願寺なのかな…?


 とにもかくにも、このわずかな時間でめまぐるしく動いた感情をなんとか落ち着かせようと琉菜は居住まいを正した。そこへ「琉菜ちゃん、帰ってきよったんかぁ」とこれまた懐かしい声がして襖が開いた。


「兵右衛門さん!お久しぶりです!」

「よかったなぁ。ちゃんと帰って来れたんやな」兵右衛門は満足そうに微笑んだ。

「あんさんが琉菜はんどすか」

 

 声をかけられ、琉菜は兵右衛門の横にいる男に気付いた。


「初めまして。紋太郎いいます。新次郎のことは、ほんまにありがとさんどした」紋太郎はぺこりとお辞儀をした。

「あ、初めまして、琉菜です」琉菜もお辞儀をした。


 この人が新次郎さんのお兄さんかぁ!

 新次郎さんも、こんな感じの人だったのかな。



「琉菜ちゃん、入ってええ?」再び多代が現れた。湯飲みを乗せたお盆を持っている。

「あんたらもう、そんなとこいたら邪魔やでぇ!」多代一喝されると男たちはすごすごと場所を開けた。琉菜はその様子を見てクスッと笑みをこぼす。多代は湯飲みをことん、と琉菜の前に置くと、紋太郎を指した。

「琉菜ちゃん、この子は長男の紋太郎。奉公から帰ってきててん」

「お母ちゃん、俺はもう自己紹介したわ」

「あら、そやったん」

「にしてもや、こんな女の子が新次郎の代わりに立派に新選組隊士やっとったなんてなぁ。信じられんわ。それになんや?未来?から来よったんやて?」


 紋太郎が若干眉間に皺を寄せながら言うので、琉菜は行李からボールペンとメモ帳を取り出した。


「これ、未来の紙と筆なんです」


 紋太郎はもちろん多代と兵右衛門も穴の開くほどペンを見つめた。


「それが筆やて?」

「ペンっていうんですけど、この細い管に墨が入っていて、ちょっとずつ出しながら使うんです」


 琉菜はペンをノックして芯を出すと、メモ帳と一緒に紋太郎に手渡した。


「うわぁ、書けた!なんやこれ!」


 紋太郎は驚きながらも興味深そうにボールペンをいじり始めた。


「あの、お多代さん。今って、何年何月ですか?」琉菜はそんな紋太郎を後目に一番聞きたかったことを尋ねた。

「せやった。何よりもまずそれが知りたいよなぁ。あんた、慶応に変わったんって去年やったっけ?」多代は兵右衛門に尋ねた。

「そうやったな」

「ほんなら琉菜ちゃん、今は慶応二年の十一月や」

「慶応二年、十一月…」琉菜はその言葉を反芻した。

「あはは、道理で寒かったわけですね」


 即ち、今は西暦1866年。明治元年まではあと二年。

 初めてタイムスリップした”賄い方の琉菜”が新選組を離れてから一年と少しになる。


 新選組の歴史に残されているのは、下り坂。


 琉菜はそのことは考えないようにして「教えてくれてありがとうございます」と多代に礼を言った。




 その日は、中富家の面々に混じって夕食を取った。


「皆さん、今日は本当にありがとうございました。髪型とか準備ができたらあたしは新選組の屯所に行きます。今度は、前ほど頻繁にはここには来られないと思います」


 多代は目を丸くした。しばらく黙りこんでから、ゆっくりと口を開いた。


「そんな…なんでまた…」

「あたしは、この時代では新選組しか頼るところがない、ということになってるんです。だからこそ賄いとして置いてもらえてた。もしここに出入りしているのが知れたら、こういう他の宛てがあるならそこにいろ、なんて言われるかもしれません。それに最悪、『脱走隊士《中富新次郎》』によく似た私が『中富屋』と繋がりがあると疑われた段階で皆さんにも迷惑がかかる可能性もあります」


 多代も兵右衛門も紋太郎も、黙り込んでしまった。最初に口を開いたのは多代だった。


「うちは、気にせんよ?琉菜ちゃんが来たいと思ったら来たらええ」

「ありがとうございます。でも、相手は新選組です。普段はいい人たちだけど、やっぱり疑い始められるとどうなるかわかりませんから」


 琉菜は頑とした目で言った。もしかしたら自分だけでなく多代たちの命にも関わるかもしれないのだ。


「そか。琉菜ちゃんがそう言うんならな。寂しなるけど」

「あ、でもあの…」


 新選組がいつかなくなったら、帰れるまでまたここにいさせてください。

 そう言おうとしてやめた。

 そんなこと、この時代の人間が知ってはいけない。例えそれが一町人だとしても。


「どないしたん?」多代が続きを聞きたそうに言った。

「いえ…」琉菜は口ごもった。多代はそれ以上追求しなかった。




 

 数日後。髪型もこの時代のそれに結い上げ、大きな荷物を背負った琉菜は中富屋の前に立った。


「皆さんっ、これ、撮りましょ」 


 琉菜はインスタントカメラを手にしていた。スマホでももちろん写真は撮れるが、紙にプリントできるこういったものの方が幕末では馴染むと思い、今回のタイムスリップで持ってきていた。


「なんやのそれ」多代が不思議そうにカメラを見た。

「写真、ポトガラヒーってやつです。ここの、目玉みたいなところを見てください」


 琉菜は腕を伸ばしてカメラを自分たちに向けると、カシャっとシャッターを押した。

 ジーっと音を立てて出てきた写真には、何が何やら、といった表情の多代たちと、琉菜が写っていた。


「こ、これがポトガラなんか」紋太郎はボールペンを見た時と同じ顔をして写真を見つめた。

「記念に、とっといてください」琉菜はにっこりと笑うと、カメラを風呂敷にしまった。


「達者でな」まだきょとんとした顔で写真を見ている多代と紋太郎を見やりつつ、兵右衛門が言った。

「忘れんといて。琉菜ちゃんの家はここにもある。新選組でなんかあったら、いつでも帰ってくるんやで」多代も写真から目を離し、琉菜の肩をがっしりと掴んだ。そして「ま、大丈夫やとは思うけど」とにやっと笑った。


 その笑顔に、琉菜も笑顔で返した。


「みなさん、本当にありがとうございました。いつか、また来ます」


 琉菜は兵右衛門、多代、紋太郎の顔を順番に見た。


 ありがとう。

 次に会えるのは、もっと先になるけど。

 新選組の行く末を見届けたら、ここに戻ってこられたらいいな。


「それじゃ、いってきます」


 琉菜は三人に背を向け、新選組の屯所・西本願寺に向かって歩き出した。





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