27.焼き芋
琉菜が未来に帰る予定となっている日が刻一刻と迫っていた。
その日、一番隊は午前の巡察を担当していたので、午後の空き時間で島原にでも行こうと琉菜は考えていた。おそらく、小夏に別れを告げるなら今しかない。
そんな時、ある意味渡りに船、ともいえる誘いがあった。
昼食を食べ終えた一番隊の面々は、各々膳を下げに台所に向かっていったが、最後尾を歩く琉菜と沖田の襟首を背後からぐいっと掴んだ人物がいた。
「捕まえたぞ!総司、中富!午後暇だよな?」
振り返れば、ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる原田と永倉が立っていた。
「原田先生、膳が落ちます…!」琉菜は冷静に突っ込みを入れた。
「暇といえば暇ですけど、葛きりでも食べに行こうかと思ってたんですよね。中富さんも一緒に行きません?」
えっ!どうしよう!そっち行きたい!
琉菜の脳内で小夏と沖田が天秤にかけられた。琉菜は心内で小夏に謝罪しながらも、沖田に軍配を上げた。
「い、行きます…!」
「おい、勝手に決めてんじゃねえよ!葛きりなんかいつでも行けるだろ!お前らは俺たちと島原に繰り出すって決まってんだ!」原田が至極真面目な調子で言った。
「原田さんこそ、勝手に決めないでくださいよ。島原こそいつでも行けるでしょう?」沖田がため息まじりに言った。
「それがそうでもねえんだよ。俺の馴染みの女が身請けが決まって店をやめるってんだ。だから、会えるのはこれで最後かもしれねえんだよ~。花乃の門出をみんなで祝ってやりたいじゃねえかー」
やっぱり、原田さんの都合じゃんそれ……
でも、確かに花乃さんは何回か会ったことあるしなぁ…
琉菜は沖田の出方をうかがった。沖田はふう、とため息を付くと、「しょうがないですねぇ」と答えた。
琉菜は沖田と葛きりを食べに行けなくなったことにがっかりしつつも、自然な流れで小夏に会いに行けることには安堵した。
結局、優しいんだ、沖田さんは。
でも、やっぱりデートしたかったなぁ。
琉菜は力なく笑みをこぼした。
「ほんっと、原田先生はしょうがないですね!一緒に行きますよ!」
「おっ、中富、話のわかるやつだなぁ!そうそう、こういうのは皆で行った方がいいんだ」
かくして、4人は島原に向けて屯所を出た。
しばらく歩いていると、例の頭痛が琉菜を襲った。そして案の定、鈴と、賄いの琉菜に出くわした。
「偶然どすなぁ」鈴は何かを察したように皮肉っぽく言った。
「2人は買い物ですか、お疲れさまです」永倉が真面目な顔つきで言った。
「もう、組長はんたちが揃いもそろって…こっち方面いうことは、おおかた予想はつきますけどな」
「どこ行くんですか?」何も知らない方の琉菜は興味津々という顔をして聞いた。
「知らないなら知らんままがええ」
「島原だよ島原」原田が嬉しそうに言った。
「原田はん!」
意味がわからない、という顔で鈴を見つめる少女に、原田はニッと笑いかけた。
「ま、用は女と酒を飲むってことだ」
賄いの琉菜は口をあんぐり開けると、「キャ、キャバクラ…!」と大声で言った。そして、しまった、とでも言いたげな顔で自らの口を塞いだ。
「バカ、お前また未来の言葉を…」琉菜はたしなめたが、1人だけキャバクラの意味がわかっていることがバレやしないかと、そちらの意味でヒヤヒヤした。
「すいません、兄上。みなさん、そんなところ…あの、沖田さんも…そういう、行くんですか?キャバ…じゃなくて、遊里ってやつ…?」
だよねえ、気になるよねぇ、2年前のあたしよ。
この頃はまだ沖田さんのことが好きってわかってなかったけど、今思えば普通にやきもちだよね、こりゃ。
「え、ええ、まあ…」沖田が気まずそうに答えるので、その場にはなんとも居心地の悪い空気が漂ってしまった。
「とにかくそういうわけだ。じゃあなー」原田はそんな雰囲気を打破するように半ば強引に琉菜たちを押し、島原方面へと歩き出した。
賄い方の2人と別れてしばらくすると、沖田が立ち止まった。
「原田さん、ごめんなさい。やっぱり私戻ります」
「なんだよ総司!つれねぇなぁ!」
「ほら、お鈴さんと琉菜さんだけで買い物に行くの、荷物も多くて大変そうですから……」
そう言われてしまうと、誰も反論できない。
「中富さんはそのまま行ってください。それじゃ」
沖田は踵を返して行ってしまった。
残された3人はその後ろ姿をぽかんと見つめ、黙りこくった。
「まあ、行くか……」永倉が発した言葉に琉菜も原田も我に帰り、島原へと向けて歩き出した。
くそー、羨ましい、あっちのあたし!っていうかお鈴さん…!
沖田さん、優しすぎだよ…
琉菜、もとい中富新次郎がこんな理由でがっかりした態度を見せるのは不自然極まりないため、琉菜は気丈にしながら歩を進めた。
島原に着くと、花乃のお別れ飲み会もそこそこに、3人はそれぞれ馴染みの遊女と別室へと別れていった。
「琉菜ちゃん!」
小夏は琉菜を見て飛び付いてきた。
「よかったわあ。まだこっちにいたんやね」小夏は琉菜から少し離れ、にっこりと笑った。
「うん。でも、あたし、ここに来るの、たぶん今日が最後になると思う」
「そう…なんか」小夏は少し寂しそうに言った。
「ごめん、いきなりで」琉菜は小さく言った。
「全然そないなことあらへんよ!会わずに別れる方が嫌やし。琉菜ちゃんが来はってくれて、うちはうれしいで。それにほら、またこの時代に戻ってくるんやろ?」
「……そのことだけど、次来る時、あたしはたぶん女として来る。だから、ここには来れないと思うんだ。来るとしても、また一から知り合った体でみんなの前で振る舞うしかないけど……」
江戸の吉原と違い、島原には女性客も出入りし、居酒屋感覚で利用することはできた。しかし、やはりそうした女性は少数派であったろうと琉菜は容易に推測できたし、何より「女の琉菜」は「島原なんて」というネガティブなイメージを口にしていたわけで、次回無事にタイムスリップできたとしても、どうして自然な流れで小夏と再会できるのか、皆目見当がつかなかった。
小夏の顔から一瞬笑顔が消えたが、すぐにパッと笑った。明らかに作り笑いだった。
「そういうたらそうやな!うち何アホなこと言うてんのやろ。もう、前から覚悟してたことやんか。なあ?…琉菜ちゃん、せやけどうち、やっぱり寂しいわ…!」
小夏は涙を見せ、琉菜にバッと抱きついた。
「小夏ちゃん…!」
琉菜も小夏を抱き締めた。
「あたしも…あたしも寂しいよ。でも、絶対小夏ちゃんのこと忘れないから。」
「絶対やで?うちも琉菜ちゃんのことは一生忘れへん!」
2人は体を離すと、どちらともなくにこっと笑顔を見せた。
「今日はいっぱいいっぱい話そうな」
「うん!」
そうして、ひとしきりガールズトークを楽しんだ琉菜は、小夏に別れを告げ屯所に帰っていった。
きっとまた、会えるよね……
屯所に戻ると、琉菜は夕食までの間、とある「実験」のために屯所の裏庭で焚き火をしていた。なぜ焚き火をしているのかと誰かに聞かれたら、焼き芋が食べたくなってと言い訳できるように、そこそこの量のサツマイモも用意してある。幸いこの季節、数日に1回は小腹を空かせた誰かしらが焼き芋を作ったり、庭に七輪を出してきて餅を焼いたりしていた。
だが、琉菜が焚き火をしていた理由は焼き芋ではない。
これ、燃やしちゃったらどうなるんだろう…
歴史を変えられるか試すための実験の一環として、琉菜は例の手紙を焚き火に放り込んだ。その様子を見られないよう、火がくすぶり始めてすぐに、だ。
黄ばんだ紙がぷすぷすと音を立てて黒い炭に変わっていく。
その瞬間、琉菜はまた激しい頭痛に襲われた。
そして例の、映像が脳内で再生される。
『あの、沖田さん』
琉菜は壬生寺の石段に座っていた。下を向いている視線の先には、今し方燃やしてしまった手紙が握られている。
『何ですか?』映像の中で、沖田はいつものように琉菜へ笑いかけた。
『もともと武士じゃなかった、って、どういうことなんですかね。なんか、単に商人の出身だからって意味じゃない気がするんです。勘、ですけど』
『そうですね。商人出身の隊士で結構自分の出自を気にしてる人はいますけど、中富さんは全然そんなそぶりを見せてなかったですし…でも』
そうだ、これは兄上…あたしが脱走した直後の記憶だ…
琉菜は沖田の顔をじっと見つめ、彼の言葉を待った。
『少なくともあの人は新選組にいる間、確かに武士でしたよ』
記憶の映像はそこで途切れた。
我に返った琉菜は、ぼろぼろと、大粒の涙を流していたことに気づいた。
そうだ、沖田さんは認めてくれたんだ。
あたしのことを、武士だって言ってくれた。
それだけで、琉菜は心のつかえがほぐれていくような心地になった。
ってことは、やっぱり、あの手紙は必要なんだ。
めぐりめぐって、あの言葉をかけてもらえなかったら、あたしはきっと押し潰される…!
ああもう、歴史はやっぱり変えられない。そういうことですよね山崎さん!
書きゃいーんでしょ、部屋に残しときゃいーんでしょ!
そんでもって、周り回ってこうやって燃えて、書き直して。その無限ループってわけだ。
やはり中富屋に行って兵右衛門に手紙を代筆してもらおう、と思った矢先、ガサガサと音がして琉菜の前に人影が表れた。
「おおお沖田先生…っ!」
すっかり油断していた琉菜は沖田の登場に驚き、しゃがんでいた両足のバランスを崩し小さく尻餅をついた。
「なんでここに」
「それはこちらの台詞ですよ。なんでこんなところに焚き火なんて」
「いや、ほら焼き芋ですよ。いつも他のヤツらが作ってたから、たまにはオレもって」
「そうですか。それじゃ私がいただいちゃいましょうかね」
沖田は琉菜の近くにあった岩に腰を下ろした。琉菜は慌てて用意していたサツマイモを焚き火に投入した。
「そういえば中富さん、腕の傷はどうしました?」
「え?って、池田屋のですか?どしたんですか急に」
沖田が突然そんなことを言ったので、琉菜は質問に答えず聞き返してしまった。
「さっき姉から文が来たんですけどね、『池田屋事件のことを聞いたけど大丈夫?』って書いてあったんで。中富さんはどうしたかなって」
池田屋事件からはすでに半年が経っていたが、禁門の変や伊東の入隊で隊内がバタついていたこともあり、このくらいのタイムラグがあるのも琉菜には頷けた。
琉菜は着物の袖をまくった。痛みはすっかりなくなっていたが、傷跡は消えず生々しく皮膚に跡を残していた。
「あー、残っちゃいましたね…」沖田が残念そうに言った。
「いいんです別に。痛くないし、もはやいい思い出です。それに見てくださいよ。ここにホクロがあるから、もう一つ点を足したら笑った顔みたいになります」
要するに、琉菜は絵文字のスマイルマークのことを言ったのだが、沖田はキョトンとした顔で何も言わない。
ヤバ…!そういう概念はないよね…!
この時代、絵といえば浮世絵だもんな…
琉菜は慌てて話題を変えた。
「沖田先生こそ、体はもう大丈夫なんですか?」
「ええ。すっかり治りましたよ」沖田は琉菜の頓珍漢発言のことには触れず、笑顔で答えた。
「そうですか。ならよかった」
「中富さんも、あんまり無茶しないでくださいよ?」
「組長がそんなこと言っていいんですか?」琉菜はからかうように言った。日々命のやり取りを行い、さらには鉄の隊規を破って切腹する者が続出している新選組の幹部が言う台詞としては、滑稽ともいえる。
「そりゃあ、隊士のみなさんが元気に働いてくれるのが一番ですからね。特に中富さんは古株でがんばってくれているし、私のおやつにもよく付き合ってくれるし」
そう言って笑いかける沖田に、琉菜は心臓がどくんと跳ねるのを感じた。
それって、あたしのこと、ちょっとは特別に思ってくれてるってこと……?
もちろん、中富新次郎を、なんだけどさ…
嬉しさと、残念な気持ちが複雑に交差する。
そんな一喜一憂を悟られぬよう、琉菜は焚き火の中からサツマイモを取り出した。
「じゃあ、今日は沖田先生がオレのおやつに付き合ってください」
「ええ。ありがとうございます」
琉菜が手渡した焼き芋を沖田は嬉しそうに受け取った。
ごめんなさい、沖田さん。
こんなにあたしのこと気にかけてくれるのに、優しくしてくれてるのに。
もうすぐあたしは、いなくなります。




