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青嵐―誠の未来へ―  作者: 初音
第2章
42/101

16.池田屋出動

 出動隊士が全員祇園の会所に集合してから、ゆうに数時間が経過していた。


「なぜだ!」


 鉢金や鎖帷子をしっかりと身につけ、今すぐにでも出動できると立ち上がりそうになりながらも、近藤は自分の膝を叩いてそれを制した。


「なぜ会津の援軍はまだ来ない!」

「ああ、約束の時間はとっくに過ぎてる」土方もイライラとした様子で、手持ち無沙汰に刀の柄を弄っている。


「勝っちゃん、もう行こう」


 痺れを切らしたように、土方はそう言った。

近藤は一瞬驚いたような顔をしたが、やがて、


「そうだな、トシ」


と、力強く言った。その眼は、明かりが反射しているせいか、はたまたこれからのことへの期待か、キラキラと輝いていた。


 2人は目を合わせると、どちらともなくこくりとうなずいた。


 不謹慎にも、琉菜が「うわー!出たー!『勝っちゃん』と『トシ』だー!」と胸踊らせているなどとは誰も知るはずもなく。


「新選組、出動だ!」


 近藤の一声は、祇園会所の空気をピンと張りつめさせた。


「三条一帯の旅籠を虱潰しに探す!古高奪還の会合は、市中で開かれているはずだ!連中の計画を阻止する!」

「承知!」


 全員が声を揃えた。

 隊士全員が真剣な表情になり、あたりは緊張感に包まれた。


 琉菜は、刀の柄をぎゅっと握った。


 いよいよだ、いよいよ…!!


 緊張と、少しの不安と、少しの「楽しみ」という気持ちが入り混じり、結果として琉菜は少しだけ胃が痛むような気がしたが、ふっと息を吐いて土方の指示を待った。


「では、隊分けを言う!よく聞いてしっかりついてこい!」


 土方は手に持っている紙を大きな声で読み上げた。

 全員が聞き漏らすまいと耳を傾けた。


「近藤隊11名。沖田、永倉、藤堂、武田、谷、奥沢、中富…」


 マジで!?

 やっぱり…近藤隊?


 歴史は変わらない。山崎の言った通りであった。近藤隊といえば、この事件においてもっとも活躍する隊で、一線で戦える代わりに、危険度も大きい。


 琉菜は心臓が早鐘を打つのがわかった。人生で一番、緊張して、心臓の音が大きくなっている気がする。

 その心臓の高鳴りを抑えるように、琉菜は拳を左胸に当てた。サラシで膨らみを抑えつけている自分の胸が、はち切れるようだった。


「…というわけで、総勢35名!出動だ!」


 近藤の声が、あたりに響いた。琉菜を含む隊士らは、「おう!」と声を上げた。





 琉菜たちは真っ暗な闇の中を歩き回った。


 山崎さん、きっとちゃんとした場所わかってても、幕末人の視点だと証拠がなかったんだね。


 琉菜は本で読んだことを思い出した。

 山崎ら監察が予めつきとめていたとか、候補を探したとかいろいろな説があったが、実際は旅籠という旅籠を残らず探すということが真実であるらしかった。


 どのくらい歩き、何件の旅籠を探したかわからない。30分足らずのような気もしたし、何時間も歩いているような気がした。

 腕時計など持っていないわけで、正確に経過時間を測る術はなかったが、祇園祭りの宵山前日ということもあり遠くの方で人々の賑わう声が聞こえる。そこまで遅い時間ではないのであろう。


 ここまで訪ねた旅籠の店主たちは、新選組の面々がずかずか入ってくるのに顔をしかめはしたものの、ひとまずは受け入れ、何もないと認められるとほっとしたような顔をして、最後にはピシャリと戸を閉めたのだった。

 やましいことなどない普通の客しかいない旅籠であっても、こんな時間に武装した男たちが現れ、中を改めさせてくれ、と言われれば当然の反応であった。


 同じことの繰り返しに、近藤や沖田も段々辟易としてきているのが見てとれたが、琉菜はもちろん場所を知っているので、内心「違う違う、そっちじゃない!」ともどかしい思いで隊列の最後尾を歩いていた。


 そして、一行はようやく池田屋の前に辿りついた。


 いよいよ来たんだ、この時が。

 歴史に名を残す大事件。


 琉菜の体が震えた。


 生半可な気持ちや遊び半分では生きられない場所が今、琉菜の目の前にある。

 琉菜は気を引き締めて、刀をぎゅっと握った。


 あたしは、死なない。

 生きてみんなで屯所に帰る。


 近藤が、池田屋の戸を開けた。


「主人はいるか。御用改めである」

「へ、へぇ…」


 主人はおどおどと答えた。


「何だ?」


 上の階から1人の男が様子を見に降りて来た。

 主人は、反射的にその男に向かって叫んだ。


「北添様!お逃げください!新選組です!」


 疑惑は、確信に変わった。


「奥沢、安藤、新田は裏を守ってくれ!武田はこの表口、中富、浅野は庭だ。あとの者は中に入り、永倉、藤堂、谷は下、沖田と私は上だ!」


 近藤はてきぱきと指示を出すと、奥に見える階段を駆け上がった。

 北添と呼ばれた男は、逃げる背中を近藤によって切り伏せられた。


「承知!」と、一同は答え、持ち場に着いた。永倉と藤堂は池田屋の主人を手早く縄で縛った。


 元治元年 6月5日 夜四つ

 池田屋事件 発生




「来るぞ、中富!」

「はい!」


 琉菜と、一緒に庭を守るよう指示された先輩隊士・浅野が待ち構えていると、2階の窓から数人の男が飛び降りてきた。


 琉菜も浅野も、飛び降りてくる敵に刃を向けた。空中では攻撃を避けることはままならない。2人は、それぞれ1人ずつの脚や腹に太刀を浴びせた。


「ぐわあぁっ!!」


 呻き声を上げながら着地する男たちに、一瞬の隙も与えず琉菜たちは斬り掛かっていく。


 池田屋で死ぬ維新志士は7人――

 つまり、残りはみんな怪我して捕縛されたってことだから、本当に殺すのは局長とかに任せて、あたしは怪我だけさせればいい。

 8人目を殺したら、歴史が変わっちゃうから。

もっとも、あたしのやることなすことが"組み込まれてる"んなら、どんなに暴れても大丈夫ってことにはなるけど。


 そんなことを冷静に考えられる程に、琉菜はこの夜、「鬼」となっていた。


 浪士たちに続いて、近藤も後を追って窓から飛び降りてきた。


「局長!」

「思ったより、ここは激しくなりそうだ。お前たち二人で守るには荷が重いだろう」


 近藤は向かってきた男を、難無く斬り捨てながら、わずかに微笑んだ。


 待って、局長がこっちに来たってことは、沖田さんは今2階に1人…?


 沖田さんがここで死なないのはわかってる。

 沖田さんがめちゃくちゃ強いのも知ってる。でも、大丈夫なの?


 しかし、目の前には大勢の敵。持ち場を離れるわけにはいかなかった。


「死ね、壬生浪!」


 向かってきた男を前に、琉菜はさっと飛びのくと、少しずれた間合いを攻めて肩を斬った。


「う、わあああ!」 


 男はうめき声をあげて、肩を押さえながらさらに向かってきた。


 うたれ強いやつ…!


 琉菜は相手が右袈裟に斬りかかってくるのをさっとかわし、刀を横になぎ払った。今度は男の腹から血が噴き出した。

 琉菜は返り血を真正面に浴び、その臭いに顔をしかめたが、ばたりと倒れた男に近寄って首に手を当てた。


 とりあえず、生きてるみたい…。


 琉菜は男に素早く縄をかけ、彼の動きを封じた。


 次の敵も手強かった。

 長州の藩士とて、れっきとした武士として稽古を積んでいるだけあって、一筋縄ではいかない。


 琉菜は胴の位置を狙った。

 しかし、さっと避けられ背後に回られた。

 相手が完璧に背後に回る前に、素早く後ろを振り返る。

 琉菜の速さに相手は面くらい、わずかに隙ができた。

 その隙を逃さず、琉菜は足を斬った。


「うわあっ!」


 よし。

 足を封じれば、とりあえず動けないはず。


 しかし、琉菜の考えは甘かった。

 縄をかけようとして用意をしていると、男はふらりと立ち上がった。


 やばい!

 

 男は最後の力を振り絞るように、刀を振り下ろした。

 琉菜は身をかわし、下段から男の腹を斬り裂いた。


「うわあああ!」

ってええーー!!」


 あまりの痛みに、琉菜は声を上げた。


 琉菜は一瞬、何が起こったのかよくわからなかった。

 ただ、左腕に激痛が走り、血がどくどくと流れ出しているのは事実。


「中富!」近藤の叫びも琉菜の耳には入らなかった。


「へ、壬生浪め。ざまあみろ…」 


 相討ちとなっていた男はやはり力尽きたらしく、その場にどさっと崩れ落ちた。

 手の空いた浅野がすかさずやってきてその男に縄をかけた。


「大丈夫か?」

「はい…」


 琉菜はこくんとうなずいた。

 傷口を抑えていると、いくぶん痛みは和らぐようだった。戦う分には支障はなさそうだ。

 琉菜は懐から手ぬぐいを取り出すと、浅野に頼んで左腕に巻いてもらった。白い手ぬぐいが、みるみる赤く染まっていく。


 あたしは、鬼になったんだ。

 沖田さんたちとの約束を守るためなら、あたしは無理だってなんだってしてやる。

 こんなところで死ぬわけにはいかない。

 あたしは今、歴史的大事件に参加してる。せっかくなんだから、最後まで戦いぬくしかない。


 庭の敵は残り一人となった。


「ここは私に任せて、お前たちは中の加勢を!」


 近藤にそう言われ、琉菜たちは池田屋の中に入った。


「藤堂先生!」


 隅の方で、藤堂がぐったりと座り込んでいた。額を斬られ、血を流している。


「大丈夫ですか?」琉菜は走っていって声をかけた。

「うん…大丈夫…」

「浅野さん、オレは上を見てきます」

「ああ。気をつけろよ!」


 琉菜は階段へと走った。


 沖田さん、大丈夫かな。


 沖田総司がこの池田屋事件で倒れることは、未来でも有名だった。結核が発病して吐血、戦線を離脱するというのが定説だ。

 しかし、それだとその後数年も生きられるのはおかしい、単なる暑気あたりではないかという説もあった。

 琉菜は後者の方を信じたかった。


「沖田先せ…」


 琉菜が部屋に入って見たものは、血まみれで倒れる数人の男たちと、その傍らに立っている一人の男。


 暗くてよく見えなかったが、琉菜は当然、立っている男が沖田だと思い声をかけた。


「沖田先生、よかった。無事だったんですね!」


 だが、立っている男からは思いも寄らぬ言葉が返ってきた。


「ほう。こいつが沖田か」


 え…?

 違う、こいつ、沖田さんじゃない。

 ってことは、沖田さんは…?


 闇に少し慣れてきた目をこらし、窓からわずかに入ってくる月明かりを頼りに、琉菜は倒れている男たちの顔を順繰りに見た。


 立っている男の足元に倒れているのが沖田だった。


「噂には聞いている。新選組の沖田には、多くの同志がやられた」


 そう言った男自身も血まみれでフラフラしている。

 男は床に落としていた刀を拾い上げた。


 あいつ、まさか、沖田さんに止めをさそうとしてる…!?


「コノヤロ…ッ!」


 琉菜は我を忘れて男の元へ駆けた。

 走りざま、刀を抜く。

 そして、あっという間に男の前にたどり着き、男の腹に刀を突き刺した。


「はあ…はあ…」男は驚いたような目で琉菜を見た。

「沖田さんに手を出すやつは、あたしが許さない!!」

「お、女子…?」


 その男が次の言葉を発することはなかった。


 琉菜は刀を引き抜いた。返り血の生ぬるさを感じながら、ただ息を切らせていた。目の前では、力を失った男がドサッと倒れた。


 安堵か恐怖か、琉菜は涙を流してその場にへたり、と座り込んだ。


 やった…

 やってしまった…

 でも、沖田さんを助けられた…


 そうだ、沖田さんは…?


 琉菜は涙を着物の袖でぐいっと拭き取ると、足元に倒れる沖田を助け起こした。


「沖田先生、沖田先生!」


 目を閉じ、身動き1つしない沖田の名を、琉菜は呼び続けた。

 体はまだ暖かい。首に手を当てると、トク、トクと脈を打っているのがわかる。


 よかった…生きてる…


 血まみれではあったが、すべて返り血であるようだ。


「う…」


 わずかな声に目を見張ると、沖田が目を開けるのがわかった。


「沖田先生!」

「な…中富…さん?」一対のうつろな目が暗闇の中で光った。

「よかった。ここにはもう敵はいません。大丈夫ですか?」

「ええ…私は一体…」


 沖田は立ち上がろうとしたが、ふらりと足がもつれ、その場に転んでしまった。


「安静にしててください。オレは局長たちの様子を確かめてきますから」


 琉菜はそう言うと、部屋を出た。残された沖田はその後ろ姿をぼんやりと見つめ、仰向けにぱたりと倒れた。


「女子…?」


 階段を降り始めると、何やら下の方が騒がしい。1階に着くと、琉菜はそこにいた人物の名を大きな声で呼んだ。


「土方副長!」


 土方さんが来てくれた…!

 もう安心だ…!


琉菜は緊張の糸がほぐれたのか、ぱたりとその場に座り込んだ。


「中富、どうした!総司は!上はどうなってる!」土方は琉菜を見つけると、息せききって尋ねた。

「とりあえず、無事です…。上はもう、制圧されてます」

「とりあえずって、どういうことだ!」


 そう言うが早いか、土方は琉菜が答える前に自ら上に上がっていった。土方隊の隊士たちも、半分は階段を上がり、半分は琉菜や藤堂ら怪我人の看護にあたった。


 琉菜はほっと息をついた。


 終わったんだ…。

 みんな、生きてるよね…。


 あたしも、鬼になったもんだ…。



 その後、幕府や会津からの援軍が来たがそれはこの壮絶な事件が幕を閉じてしばらくしてからだった。


 新選組側の死者は3名。1人は即死、2人は重傷を負い、数日後に死亡する。志士側の死者は7名。そのうち1人は、わずか17歳の少女にとどめを刺されたのである。


 この事件で明治維新が1年遅れたといわれている。

 新選組の的確な行動は高く評価され、その勇名を全国に知らしめることになったのだった。


 こうして、長く暗い夜は終わった。


 京都の街が、再び明るい日の光に包まれた。




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