12.人を斬るということ
「新選組、覚悟ーっ!」
そう叫びながら向かってきた不逞浪士。
琉菜は震える手で刀に手をかけた。
やだ、斬りたくない!
琉菜がためらっている間に、目の前の男は刀を振りかぶっていた。
やられる!
恐怖に目を閉じると、ドサッという音がして男は倒れた。
琉菜と男の間に沖田が割って入り、一太刀で相手を斬り倒していた。
「中富さん、何ぼさっとしてるんですか!」
「は、はい!すいません!」
そんなこと言われたって、斬れないよ。
だって、不逞浪士だって人間だもん…。
琉菜は周りに目をやった。木内も、他の隊士も、何のためらいもなく、向かってくる敵を斬っていた。
この日、三条付近の旅籠に潜伏していた長州派の浪士達は突然現れた新選組隊士の姿に驚き、鴨川べりに逃走した。しかし、あっという間に沖田隊、斉藤隊に挟み撃ちにされた。外に出たことで思い切り刀を振ることができると、彼らは抜き身を構えたが、新選組隊士らも状況は同じ。川辺は血で血を洗う斬り合いの様相を呈していた。
そんな中で、琉菜は対峙した浪士を前に刀を抜くことができず、沖田に助けられることで難を逃れたのだった。
ダメだなぁ、あたし。きれいごと並べてたら武士にはなれないってわかってるのに。
「お前、まだ人を斬るのが怖いのか?」
巡察の帰り道、木内に尋ねられ、琉菜は落ち込んで首を縦に振った。
年が明けてから、木内に連れられて結局琉菜は自分の刀を買う羽目になった。しばらくはお金がないとのらりくらりかわしていたが、新選組隊士がいつまでも自分の刀1つ買わないでいるのも段々と不自然になってきた。現代で言えば、周りが全員スマートフォンを持っているのに、自分だけ頑なにガラケーを使っているようなものだ。
「なんで、お前はあんなに簡単に斬れるんだ?」琉菜は言いにくそうに言った。人を斬るのが怖い。そんな思いを吐露できるのは木内だけだった。
「そりゃあ俺も初めて人を斬った時は怖かったぞ。でも、一人斬ったら二人でも三人でも同じかって思ってさ。慣れたっていったらちょっと残酷かもしれねえけど、俺たち鬼だろ?どっちにしたって、やらなきゃやられるんだ」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんだ。仕方ねえじゃん。俺たちは新選組なんだから」
新選組だから。
わかってるよ。
武士は人を斬っても罪にはならないし、むしろ沖田さんなんかはほめてくれるかもしれない。
それに、あたしは遅かれ早かれ人を斬ることになるんだ。だって、前に来た時に「兄上」がそう言ってたから。
もしかしたら、あの時あたしは、こういう時に覚悟を決められるように、背中を押す意味で、あたしに「自分は人を斬ったことがある」って言ったのかもしれない。
でも、やっぱりまだ覚悟なんてできないよ…
琉菜は先ほどの光景を思い出した。
確かに、あの時沖田さんが助けてくれなかったら、あたしは死んでた。
やらなきゃやられる。
沖田さんたちがいつも言ってること。
結局、そうなのかな?
数日後、非番の琉菜は1人で人通りの少ない道を歩いていた。中富屋でのんびりと羽を伸ばした後、知り合いに中富屋を出入りしているのを見られないように琉菜はいつもこの裏路地を通っていたのだ。すると、目の前に1人の男が立ちはだかった。
「見付けた。お前新選組のやつじゃろう?」
男の言葉から、琉菜は長州の者だと判断した。
「違うちゅうても無駄じゃ。お前の顔は忘れん」
「お前の方こそ何モンだ」琉菜は新選組隊士だと名乗らないで済むように質問で返した。
「お前の仲間におれの同志が殺されたんじゃ。始末する!」
男はいきなり抜刀し、襲いかかってきた。
琉菜はさっと後ろに避けると、背後を気にしながらも全速力で走って逃げた。
こんな狭いところで斬り合いになったら100%やばい!!
足の速さには自信があった。背中を斬られてしまえば一貫の終わりだ。非番の日でも緊急時に備え帯刀するようにと言われていたので、いざとなったら戦うこともできる。それでも琉菜は、逃げ切れる方に賭け、必死で走った。
あいつそもそも、あたしじゃなくて別の誰かに恨みがあるわけでしょう?だったら本人を直接始末すればいいじゃん!
たぶん、この前の捕り物であたしが人を斬れないことを知って、それで敵討ちしようとしてるんだ。卑怯なやつ!
やがて琉菜は、少し開けたところに出た。ほっとしたのも束の間、周りは行き止まりであることがわかった。
「ちょこまかと逃げおって…」
振り返ると、男が琉菜に追いついていた。
『やらなきゃやられるんだ』
木内の言葉が脳裏に浮かんだ。琉菜は右手を刀の柄にかけた。
そして、琉菜は、刀を抜いた。
数分たったのか、数十分たったのかわからない。
しかし、琉菜の目の前には血まみれの男が倒れていた。
やっ…ちゃった…
死んだんだよね?
だってこんなに赤いし、全然動かないもん。
それに、コレは木刀じゃない、真剣だ。
この刀は遊びで持ってたわけじゃない。
単なるあたしの腰の飾りじゃない。
本物の新次郎さんだって、武士として人を斬って、新選組のために働くことを望んだはずだ。
沖田さんも、きっと褒めてくれる。
なのに、なのに…
琉菜は取り返しのつかないことをした、という後悔や罪悪感に苛まれた。
自分の手や着物を見ると、赤い斑点ができていた。
これが、返り血…
やだ、やだ、やだ!
琉菜の目から出る透明な涙と、琉菜の手についた赤い血液が混じって、淡い色になった。
ここにあるのはあたしが、あたしの手で殺めた体―――
琉菜が屯所に帰ると、その姿を見た沖田隊の仲間が諸々の手配を引き受けてくれ、斬られた浪士の遺体は奉行所に引き取られることとなった。
その間に、琉菜は誰にも見られないように着替えて返り血を洗い流した。
それが終わると、中庭に面した縁側にどっかりと座り込んだ。何をするでもなくぽかぽかとした陽光を浴びながら、しかしその天気とは裏腹な気持ちで、琉菜は空を見つめていた。
いつも、赤い模様のある着物を洗うとき、他人事だと思ってた。
とうとう、あたしの着物にも、ついちゃったんだね。
どうして、男装して新選組に入ろうなんて思ったんだろう?
冷静に考えれば、他の方法もあったはずなのにね。
でも、こうなることは前回のタイムスリップの時から決まってたんだ。
誰が決めたの?あたしが中富新次郎になるって誰が決めたの?
琉菜は零れる涙を着物の袖で拭った。
結局、自分で決めたことなんだよね。沖田さんや新選組の皆に会いたいからって、偽物の武士にまでなって。
わかってたじゃん、いつかこの日がやってくるのは。
『生半可な気持ちじゃ、新選組隊士は務まらんよ』
この前、和助さんにそう言われて、あたしは「わかってます」って言った。
わかってない。
確かに生半可な気持ちだった。
あたしは、こんなにも臆病で、全然武士らしくなんかなくて。
武士として新選組にいることが、こんなにつらくて大変だなんて、思わなかった。
「中富さん?どうしたんですか?元気ないですけど」
琉菜が振り返った先に、沖田はいつもと同じ笑顔で立っていた。
「沖田先生…うっ…」
流れる涙をなんとか抑えようと、琉菜は着物で顔を抑えた。
武士がこんな簡単に泣いちゃダメだ。
沖田は琉菜の隣に腰を下ろし、「木内さん達から聞きましたよ。長州の浪士を斬ったそうじゃないですか」と言って微笑んだ。
「はい…」琉菜はそれだけ言って俯いた。
「お手柄じゃないですか。浮かない顔してどうしたんです」
琉菜は無邪気に言う沖田の顔を直視できず、自分のつま先を見ながら話し始めた。
「オレ、初めて人を斬ったんです。正直、怖くて、今も震えが止まらなくて…わかってたはずなのに、人を斬っちゃいけないなんてきれいごとだって。そんなきれいごと、武士の間では通用しないって…」
「確かに、あなたのきれいごとは通用しませんね。」沖田が静かに言った。
「中富さんが言っているのは人のきれいごと。でも、私たち武士 のきれいごとは違います。」
「武士?」
「ええ。主君や、大切な人…誠とか、己の正義とか目に見えないものでもいい。とにかくそういったものを守るためなら、私たち武士は同じ武士であれば斬っても構わない」
「武士なら斬ってもいいんですか」
「ええ。それが武士のきれいごとですから。だって、武士なら斬ったり斬られたりはお互い様でしょう?そんな中、日夜稽古に励んで、強くなった人が、斬られる側にならなくて済む。単純だと思いません?」
「沖田先生…」
「…って、私頭悪いから、なんて言ったらいいのかよくわかんないんですけどね」沖田の真剣な顔は、急ににぱっと笑顔に変わった。
「はあ…」
でもやっぱり、人殺しは人殺し。
あたしは、平和な未来でぬくぬく育ったから、この時代の価値観がやっぱり理解できないのかも。
"どんな理由があっても、人の命を奪ってはいけません"
そう、教えられてきたから…
琉菜が困惑したような顔をしていたからか、沖田は言葉を探すようにこう言った。
「たとえば、あなたの大切な人が斬られそうになったら、どうします?」
正当防衛ってやつか。
沖田さんがもし誰かに斬られそうになってたら、あたしは、そいつを斬るだろう。
1つだけ、はっきりしてること。
沖田さんの命の方が、そいつの命よりあたしにとって大事だってこと。
眉間にしわの寄った琉菜を見て、沖田はただ微笑んでいた。
少し沈黙が流れた。
その沈黙を破って琉菜がおもむろに言った。
「沖田先生の守りたいものはなんですか?」
「そうですね…近藤先生と、近藤先生が守ろうとしている公方様。それにこの新選組でしょうか。だから、私は近藤先生が生きてる限りは死ねません」
沖田さんらしいや。
「中富さんは?」
あたしは…あたしの守りたいものは…
そうだ。
「約束です。前にある人たちと交した大事な約束。オレも、その約束を果たすまでは死ねません」
そうだ、女の琉菜として沖田さんに再会できるまであたしは死ねない。
もう後には戻れない。
沖田さんたちとの約束を果たすまでは、何があってもあたしは死なない。
「決まりですね。中富さんも、今日から本当の意味で新選組の鬼になったわけです」
沖田がにっこりと笑みを浮かべ、琉菜の背中をバシンと叩いた。
琉菜は苦笑した。
あたしも、沖田さんと同じ鬼になる。
琉菜は何度も何度も呪文のように自分にそう言い聞かせた。唱えるうちに、それが真実になるような気がした。
あたしは、鬼になるんだ。




