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第九十九話 人災

怒りの日(=Diesディエス・イラ iræ)

・・・13世紀頃のイタリアで発見された最後の審判を告げる詩の一遍。ローマ法王の甥やイタリアの修道僧が作詞してローマ法王に捧げたものとされていて、主にカソリック教会などで「死者の為のミサ曲(=レクイエム)」として謳われるが、実際の作詞家は分かっていない。

1791年にオーストリアの作曲家のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲し、次に1874年にイタリアの作曲家のジュゼッペ・ヴェルディが新たに作曲し直し、さらに1888年にもフランスの作曲家ガブリエル・フォーレも挑戦したことで世界3大レクイエムと言われている。


https://youtu.be/Opwq0C0hjOg

(URLを範囲指定して右クリックし、移動を選択するとすぐに聴けます。)

By Amadeus Mozart カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー交響楽団演奏


Dies iræ, dies illa             怒りの日、怒りの日、

Solvet sæclum in favilla,        その日は世界が灰塵に帰す日

Teste David cum Sibylla.        ダビデ王も巫女シビルと共に証言する


Quantus tremor est futurus,      人々はどれほど震えおののくことだろう

Quando Judex est venturus,      最後の審判がやって来る時は

Cuncta stricte discussurus!       全ての出来事が厳しく調べ上げられている


Tuba mirum spargens sonum,     トランペットの音が鳴り響き、

Per sepulchra regionum,        あらゆる場所の墓の中から

Coget omnes ante thronum.      神の御前に死者が集められる


Mors stupebit et natura,        死も自然も驚くだろう

Cum resurget creatura,        創られし者達が再び蘇る時を

Judicanti responsura.         最後の裁きに応える為に彼らは蘇ってくる


Liber scriptus proferetur,       そして書物が差し出される

In quo totum continetur,        全ての出来事が書き記された書物が

Unde mundus judicetur.        世界の全てを裁く書物が


Judex ergo cum sedebit,       そうして神の裁きが下される

Quidquid latet apparebit:      隠されていた事が明るみとなり、

Nil inultum remanebit.       何一つ、裁きが下らない事はない






このように、今でも深刻な影を落とす青銅器時代の軍備拡大による公害は、アブラハム達の世代から少し後になると再び氷河期と似たような地球規模の被害をもたらすようになり、異常なまでに木々を伐採し、土壌や水を汚染したことで自然の防御壁がなくなっていき、世界のあちこちで大雨や砂嵐(=Dust storm、中東地域では50℃以上の熱風が砂を竜巻のように高く舞い上げながら襲い掛かってくる為、窒息するか熱中症で死亡する人が多く、別名“毒の風(シムーン)”(=Simoom)とも呼んでいる。)、洪水や渇水が起こり、それらの異常気象によって不作や飢饉が長く続き、伝染病や皮膚病、結核や気管支炎などの患者が続出し、化学爆発による事故や鉱山崩落などの労働災害も増え、行き場を失くした労働者達が暴動を起こして戦争が起き、また、人が死ぬ。



これらの悲惨な状況を聖書の中で克明に綴っているのがヨブ記であり、それまで公害被害を“人災ではなく、天災だとして”深く追求せずうやむやにし、「天罰だ。」などと言って個人に病気や災害の責任を押し付け、被害者達を泣き寝入りさせてきたが、被害者の一人となったヨブが初めて声を上げたことで、ようやく公害被害が人類の前で明らかにされることになった。





この時、ヨブが患った公害病はおそらく“イタイイタイ病”と思われる。



“イタイイタイ病”は、水俣病みなまたびょう、新潟水俣病、四日市ぜんそくに並ぶ日本の4大公害病の一つでもある。(注1)



日本では1910年代から70年代にかけて富山県にある三井金属鉱業神岡鉱山から流れ出たカドミウムに汚染された水を飲んだり、その汚染水で育てられた米や野菜を摂取し続けたことで発症し、骨がもろくなって全身が骨折しやすくなり、くしゃみをしたり、ちょっと身体を動かしただけでも激痛が走って腎機能も低下し、歩行や食事、日常生活そのものが苦痛となって衰弱し、死に至る病である。

神岡鉱山は戦国時代から銀や銅、鉛などを採掘していて日露戦争から太平洋戦争、そして朝鮮戦争による金属需要の高まりから、その軍拡に伴って被害も増大した。

特にカルシウム形成機能が徐々に衰えていく年齢の老人や出産経験のある中高年の女性がかかりやすく、骨を作るのに必要なビタミンⅮ、カルシウム、リンを吸収したり、または生成することができなくなって骨が折れやすくなるとされている。



ヨブ記の中のヨブも、イタイイタイ病と似たような症状で、頭のてっぺんからつま先まで全身に痛みが走り(ヨブ記2章7節参照)、腎臓にも痛みがあって胆汁たんじゅうを吐き(ヨブ記16章13節参照)、食欲低下と口臭、歯茎の腫れも見られ(ヨブ記19章17-20節参照)、赤ら顔で目の下にクマができ(ヨブ記16章16節参照)、皮膚にかゆみがある(ヨブ記2章8節参照)ことまで事細かくその症状が描かれている。

実際、イタイイタイ病の患者の多くは腎臓障害にかかる為、食欲低下や口臭、皮膚のかゆみなどがあり、さらに皮膚が暗褐色(やや赤みがかった黒ずんだ色)にもなるそうで、しかも、ヨブが自身の治療の為に行っていたことは“灰の中に座ること”だった。(ヨブ記2章8節、42章6節参照)


というのも、植物を燃やした際にできる灰の成分はカルシウムやマグネシウム、カリウム、リンなどであり、灰は農業肥料としてよく田畑にも撒かれていて、イタイイタイ病で形成できなくなったカルシウムやリンなどを吸引して補っていたとすればかなり合理的な治療方法だったと思われる。

ただし、そのまま家の中に引きこもってしまうと紫外線に当たることができず、ビタミンDを形成できなくなる為、せっかくカルシウムやリンを補っても身体に吸収されなくなってしまう。(ビタミンDは小腸や肝臓でのカルシウムやリンの吸収を促進する働きがある。)

その為、人々から天罰を疑われ、忌み嫌われて誹謗中傷を恐れたヨブは家に引きこもり、当初、回復するようには見えなかったが、そんな世間の人々の悪意と理不尽さに耐え兼ね、ついに公害被害を訴えようとして表に出てきたことでその後、治療に成功したようだった。(ヨブ記42章16節参照)



しかし、残念ながら、日本のイタイイタイ病は富山の開業医である荻野昇はぎの のぼる医師やその研究に協力した岡山大学の小林純医師、農学者の吉岡金市よしおか きんいちらがせっかく病気の原因を突き止め、1968年に日本政府が初めて公害として認定したにも関わらず、その後も日本でも指折りの大財閥である三井財閥による経済的な圧力や、イタイイタイ病の賠償訴訟を巡って自身の地位や票田を稼ごうとする政治家達の党派閥争い、研究成果を挙げた一介の開業医である荻野医師らに対する医学界での高名な医学博士達の見栄や嫉妬、そして世間の人々の天罰やら前世からの業病だとする迷信じみた差別や偏見もからまり、賠償額や補償制度、病気になった訳でもない他の住民の為の汚染土壌対策ばかりが取り沙汰されるだけで、現在でもイタイイタイ病の治療研究は進まず、病で苦しむ患者の判定基準が曖昧にされ、ビタミンDの大量投与といった保険で高い薬を買わすばかりの対処療法を行う以外、イタイイタイ病そのものを完治させる治療法はまだ、見つかっていない・・・。


その上、カドミウム汚染は現在、中国やその他の国々でも見つかっており、その地に住む人々の健康を脅かすと共に、そこで作られた米や農作物を輸入する貿易関係にある国の人々の健康をも危険にさらしかねない。

その為、イタイイタイ病の治療法の確立や軍拡による公害の恐ろしさを伝えることは現代においても急務だと言えよう。





こうして、軍拡がもたらした公害被害を世間に訴えたヨブの勇気とその言葉の力によって、人々の間では水という資源の大切さ、水質が汚染された時の脅威、そして、怪我や病気をできるだけ防ぎ、人々の命と健康を守る方法、つまり、自身の身体を綺麗にしようとする“身だしなみ”(=Hygiene)や、周囲の環境を美しく清潔に保とうする“衛生”(=Sanitation)が生まれるようになった。

(ついでに、ヨブのおかげかどうかは不明だが、この頃からレバント地帯(中東)では灰に関連した健康商品として草木灰とオリーブ油、月桂樹の油、水を混ぜ合わせた“石鹸せっけん”(=Soap)が造られるようになり、エジプトの女王クレオパトラなども愛用するようになって、現在でも世界最古の製法で作られているのがシリアの“アレッポの石鹸せっけん”である。)


そこから、エジプトではそれまで公害病に侵されて死んでいった人々の遺体から伝染病が発生することを恐れ、遺体を忌み嫌って石膏などで固めたり、病の原因と思われる内臓を一つずつ取り出し、それを宗教的に清めようと神像をかたどったつぼなどに入れ、その後、遺体を石棺や墳墓などに収めて誰にもさわられないよう(感染しないよう)厳重に保管していたが、ヨブの公害病が明らかになると、一概に死んだ人だけに罪があってその天罰から異常気象による災害や病気、その他諸々(たもろもろ)の不幸が起きるのではないとようやく“理解”し、それまでのように遺体をそのまま保管するだけでなく、もっと死んだ人の身体を研究することで多くの人を苦しめている病気の原因が何であるかを探ろうとするようになった。


それがエジプトでのミイラ制作(=Mummification)の大衆化(一般化)であり、医学、または“解剖学”(=Anatomy)の一歩とも言えるものだった。



(なお、その頃の解剖学について詳しく記しているのが“エドウィン・スミス・パピルス”(=Edwin Smith Papyrus)(BC17世紀頃)と“エーベルス・パピルス”(=Ebers Papyrus)(BC16世紀頃)で、前者はそれまでに知られていた外科治療や臓器の位置といった知識を書き記すだけに終わっているが、後者になるとその知識量もさることながら、学究姿勢においても前者とは比べ物にならないぐらい進歩していて、特に前者では疫病を呪文で退治しようとするのに対し、後者では病原菌を運びやすいネズミや蚤などを家の中に入れないようにと衛生を呼びかけるという、より科学的な方法が書かれるようになっている。)




また、その他の地域でもエジプトのように公害病が人から人へと伝染するものと恐れられ、農作物を耕す土壌に遺体が与える悪影響も考えて、“土葬”(=Burial)から“火葬”(=Cremation)へと埋葬方法が変わっていき、加えて宗教的な清めをする儀式、つまり“葬儀”(=Funeral)も行うようになっていたが、ヨブの公害被害が世間に知られるようになってからは共同社会に住む人々の命や健康を守る“公衆衛生(=Public Hygiene)の考え”が生まれたことで、人々の住む場所から遠く離れた場所に遺体を埋める“墓地”(=Cemetery、もしくはギリシャ語でNecropolisネクロポリス、「死者の都」の意味。その土地一帯が墓石などで埋め尽くされていたり、あるいは誰も住まなくなった廃村などを指す。)なども作られるようになっていった。


ただし、ネクロポリス(巨大墓地)について言えば、エジプトのギザにある“ピラミッド”(=Pyramid)が現代では真っ先に例として挙げられるが、実を言うと、ピラミッドは元々、墓石ではない。


ピラミッドは、元は飢饉に備え、配給する食糧を保存しておく“食糧備蓄倉庫”だった。



(注1)

水俣病は、熊本県水俣市にあったチッソ水俣工場がメチル水銀を含んだ工場排水を水俣湾に排出していたことから湾内の魚介類が汚染され、その魚介類を食べていた周辺地域の人々を中心に1953年(昭和28年)から水銀中毒症に似た症状が起きるようになり、死亡する人も出たため、1968年に公害病として認定されることになった。

メチル水銀は水に溶けにくく油に溶けやすい有機物質のため、人やその他の生物の身体に蓄積されやすく、プランクトンから魚介類、人間へ食物連鎖する中で毒性が高まる作用もあり、体内にメチル水銀を蓄積した魚介類を“大量に摂取したか、あるいは常食したことによって中枢神経が傷つけられて”発症する。

症状としては、手足や口の辺りがしびれだし、ろれつが回らなくなる、歩きづらくなる、視野が狭くなるといった神経障害が起き、奇声を発するなどの狂乱状態に陥り、四肢硬直や手足の変形、屈曲、全身けいれんなどの運動障害も起こって食事が噛めなくなったり、飲み込めなくなったりして“呼吸不全や栄養失調”の為に死亡する。

ちなみに、水俣病の主原因とされているメチル水銀中毒は神経を傷つける“中枢神経疾患”と言われているのだが、1962年に熊本大学医学部は汚染された魚介類を食べた母親の胎盤を通じて生まれつき水俣病を患う“胎児性水俣病”患者の存在を発表した。

しかし、そもそも母体の“胎盤内に神経は存在しない”のが通説であり、伝染病でもない、中枢神経疾患であるはずの水俣病がどうやって胎児に“遺伝”できたのか甚だ不思議だが、この発表後、熊本大学医学部は中毒研究施設(1966年)や免疫医学研究施設(1973年)が設置され、政府の助成もあったのか順調に拡張していったようである。

さらに、熊本大学医学部は水俣病の原因物質をアセトアルデヒド生産に使ったメチル水銀であると断定しているが、当時、アセトアルデヒド生産にメチル水銀を使っていた工場は他にもあり、他の工場では被害は出ていなかった。

そして、チッソ水俣工場で最も生産に力を入れていたのはアセトアルデヒド生産ではなく、当時、アセトアルデヒドから誘導・合成に成功したオクタノール生産であり、国内市場の85%を独占して朝鮮戦争(1950年)や自衛隊(1954年発足)の戦闘機にも使われていたのだが、このオクタノールとアセトアルデヒドが化合すると、魚のような水生生物より土中にいるミミズの体内に蓄積され、田畑にいるミミズから米や小麦、果実などの農作物に食物連鎖して毒性を高め、中毒を起こすとろれつが回らなくなる、意識がなくなる、震えや痙攣が起きる、手足がしびれたり、変形するといった急性アルコール中毒症状に似た神経障害を起こして呼吸不全で死亡する。


それでも、日本の4大公害病の一つであり、第二水俣病とも呼ばれる新潟水俣病の存在を無視できないが、こちらはもっと不思議なことに新潟県阿賀野川の上流域で稼働していた昭和電工鹿瀬工場から流れ出たメチル水銀で、下流域で漁をする漁民が自分達で捕獲したニゴイ、ウグイ、ボラなどを食べたことからメチル水銀中毒を発症したと言われていて、1965年(昭和40年)の1月から東京大学の椿忠雄助教授が新潟大学医学部と共に診察し、4月から5月にかけてさらに同じ症状の患者が増え、ついに6月12日までに7人が発症し、うち2人が死亡したと公表されている。

しかも、被害は阿賀野川の下流から上流地域にも及んだようなのだが、そもそも水俣病は熊本県では水俣湾の“海水魚”を食べたことから始まっており、一方、阿賀野川で獲れる魚は川魚、つまり、“淡水魚”である。

海水魚は体内の塩分濃度を調節するのに大量の水やプランクトンを摂取しようとするため水銀を体内に蓄積しやすいが、逆に淡水魚は体内の塩分濃度を薄めない為になるべく水を飲まないで泳ぐ。だから、ニゴイやウグイなどの淡水魚からメチル水銀を摂取できたとは考えにくく、ボラだけが淡水と海水の両方で生息できる魚なので原因とも思えるだろうが、ボラは冬が漁の時期なので、4~5月になって患者がもっと増えた話とは矛盾する。

また、工場排水が原因とされているのに工場周辺よりも下流域に被害が集中しているのも辻褄が合わない。

いずれにしろ、この新潟水俣病が起きる前年の1964年の6月には新潟県粟島を震源とするマグニチュード7.5の大きな地震が起き、その上、新潟水俣病が河口地域を襲ったことで、『列島改造論』という持論を掲げて日本各地に高速道路や新幹線、空港などの公共施設の建設ラッシュを招いた自民党の田中角栄にとっては、下流域に住む住民達を立ち退かせる手間もかけずに新潟空港や航空自衛隊の基地まで拡張できたのだから、こんな都合のいい出来事はなかっただろう。


そして、四日市ぜんそくに至っては、石油化学工場ばかりが建てられている三重県四日市の四日市コンビナートで石油精製の為に燃やされた亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの硫黄酸化物が原因で、四日市コンビナートに隣接する塩浜地区や鈴鹿川沿いの漁村に住む人々が汚染された空気を吸ってぜんそくや気管支炎を患ったとされ、日本社会党(現、社民党)や共産党、市民団体、マスコミの後押しを受けた環境活動家や政治家、三重大学医学部や患者の治療に当たった医者達までも「四日市ぜんそくは大気汚染が原因の公害だ。」と断言しているが、1960年(昭和35年)に既に異臭を放つ魚や奇形の魚などが大量に見つかり、その損害が当時の金額で約8千万円(大卒の給料が約1万円)もの莫大な金額に上るのに、それでどうやって魚が亜硫酸ガスを吸ってぜんそくや気管支炎になったのか、「“大気汚染”が原因の公害だ。」とおっしゃる医者や学者の皆さんにぜひともお尋ねしたいものである。

明らかに1955年からベトナム戦争が始まり、公害訴訟の原告となった6企業の一つである石原産業の創業者の石原広一郎(どこかで聞いたような苗字だが)は、昭和のクーデター(政府転覆)として名高い2.26事件の反乱軍に資金を出していたり、日本軍が鉄道爆破を偽装した満州事変や陸軍の為の兵器開発を行っていた徳川生物学研究所に関与するなど、テロや軍事ばかりに関わっており、しかも、1969年には四日市港に強酸性溶液を排出して有罪となった石原産業事件を起こし、極めつけは2008年に化学兵器として指定されている“ホスゲン”を四日市の工場で大量製造した疑いで警察に刑事告発されている。

このホスゲンは第一次世界大戦中、毒ガスとして使用され、吸入すると、目や鼻、気道に炎症を起こして呼吸困難や肺水腫、心不全などを起こして死亡する。

このことからも分かるように、四日市ぜんそくは石原産業がベトナム戦争への武器輸出を目論んで四日市市の一般市民を狙い、無差別にテロを起こして人体実験をした為に起きたことであって、政府も、警察も、その他の政治家も、民間企業も、マスコミも、医者も、市民団体も皆、この真相を知っていて隠してきただけで、だからこそ、当時、四日市市の市長だった九鬼喜久男が「少々の公害被害が発生して四日市市民が病気になり、健康被害で死亡するのも、広島市への原子爆弾投下、長崎市への原子爆弾投下や四日市空襲や戦死の損害と比べたら四日市市が経済発展するための代償だからやむを得ない」と発言したり、三重県の知事だった田中覚が「罰が当たる」とこぼすのも、周囲で政治家の交通事故死や急死が相次いだことから自分や家族が謀殺されるのを恐れたからだろう。

それでも、彼らの生命と財産を守る為だけに戦争や軍需産業を奨励し、何一つ彼らに危害を加えた訳でもない罪もない一般市民やいたいけな子供達を無差別に殺したり、後遺症で苦しむ目に遭わせたことは本当に許し難いとしか言いようがない。


なお、治療法の見つかっていない公害病や伝染病、難病や障害で苦しむ人達をできるだけ早く治してあげるにはその症例を正確に知る必要があるので、本作品でも書いた(第36話『襲来(1)』、第46話『盲人(1)』参照)病気や障害を装う人達が症状を偽ってしまうと、原因や治療法を探すのに時間がかかるばかりか、本当に早く治りたい、元気になりたいと願っている人達を余計に苦しめることになり、さらに何の罪もない子供達が大人達の争いに巻き込まれて新たな犠牲者になりかねないのでもう、そんな悪事は止めていただきたいと心から願うばかりである。


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