第九十八話 不浄(2)
なお、ティムナ渓谷に見られる土柱は中東だけでなく、アメリカのユタ州にあるブライス・キャニオン国立公園(=Bryce Canyon National Park)にも“フードゥー(注1)(=Hoodoo、「精霊の石」の意)”と呼ばれる装飾された柱のような土柱が広大な断崖に数多く残されていて、そこから約200kmほど離れた所にも同じくフードゥー(土柱)と見られるゴブリン・ヴァレー州立公園(=Goblin Valley State Park)があり、さらにまた約200kmほど北上すると、現在、世界最大の露天掘り鉱山で知られるビンガム・キャニオン銅鉱山(=Bingham Canyon Copper mine、別名:ケネコット・コッパー・マイン(Kennecott Copper Mine))が稼働しており、古代の銅鉱山と現代の銅鉱山が数千年の時を経て今なお、並立していることがよく分かる。
その他、ヒッタイト帝国時代(青銅器時代後期、BC17~12世紀)に鉄器や青銅器が盛んに造られたトルコのカッパドキアにある“ギョレメ国立公園(=Göreme National park)”の土柱や、イタリアの南チロル鉱山博物館から約20km先にある“レノンの土柱(=Earth Pyramid of Ritten)”、東北アジア第一と称えられた台湾の金瓜石鉱山から約30km離れた所にある野柳風景特定区内の“女王頭”と呼ばれる土柱など、いずれも古代の鉱山採掘によって彫られた土柱である。
日本でも、青銅器時代の銅鐸が数多く出土し、明治から昭和にかけて徳島県内でも最大の銅鉱山だった高越鉱山から約10kmほど北上した所に“阿波の土柱”という有名な土柱が築かれている。
(ちなみに、銅鐸についても銅鏡のように長年、誤解されて祭事や呪術用の鐘、もしくは楽器と言われてきたが、銅鐸は最大で約135cm、重さ45kgほどもあり、必ず丘陵の麓、特に鉱山にほど近い場所で出土することが多く、裾の部分には土で変色した跡があり、さらに銅鐸の上部と胴体にはそれぞれ紐を通す穴があることから、これは現代の建築現場で仮杭を打つ時に使われる“ヤットコ”(矢蛸、雇い杭とも言う)のような建設機械(=Construction Machinery)だったと思われる。
使い方は、木の櫓に滑車をつけて紐を通し、その紐を銅鐸に結び付けて数人で引き揚げ、地面に勢いよく銅鐸を叩きつけて杭を打ちこむことで地滑りなどを防ぐことができる。
現代でも一人で使えるサイズのヤットコを小蛸、数人で力を合わせて作業する場合に使う大きなヤットコを大蛸と呼んで使い分けるので、出土した銅鐸のサイズがまちまちなのもそういった作業現場の状況や場面に応じて使い分けていたからだろう。)
また、公害についての記録は聖書の中にもいろいろと残されており、アブラハムは飢饉でエジプトへの移住を余儀なくされ(創世記12章10節参照)、彼の甥のロトとその家族は、アブラハム達が住むベェルシェバから東に約80km離れた死海(注2)周辺のソドムという街に住んでいたのだが、鉱山採掘によって築かれた“ボタ山”(=Slag heaps, Spoil tips、ズリ山とも呼ぶ。不要となったスラグ(不純物)が大量に捨てられて山になった所のこと)、現在のユダ砂漠自然保護区内にある“ソドム山”(ヘブライ語ではJebel Usdum、「ソドムのボタ山」の意味、(ゼパニア2章9節参照))が化学反応による爆発火災を起こした為、逃げ遅れたロトの妻がその火砕流に巻き込まれて死んでいる。(創世記19章参照)
後に、神に滅ぼされた都市として悪名高い“ソドムやゴモラ”(=Sodom and Gomorrah)を始めとした死海周辺にあった街々は、その当時、紅海からゴラン高原までの大地溝帯にできた鉱床地帯を目当てに鉱山採掘で栄えた街々であり、前述したティムナ渓谷では銅を鉱石から取り出すのにひたすら燃やし続ける“乾式製錬法”を採用していたが、ソドムやゴモラのある“シディム渓谷”(=the Valley of Siddim)では塩水を利用した“湿式製錬法”で銅などの金属を取り出していた。
というのも、この頃のシディム渓谷は死海の大きさからも分かるように、かなり広範囲に渡ってゴラン高原のヘルモン山(標高2,224m、第6話『母ヘロディアスと娘サロメ(2)』第19話『狂宴』参照))を水源とするヨルダン川の水が流れ込んできていて、雨期になるとさらに水は勢いを増し、周辺の街や田畑などを冠水(水びたし)させていたからである。
おかげで、耕し尽くして痩せてしまった田畑に肥沃な土壌が新たに流れ込んでくると共に、湿地帯になった所から葦が生えて淡水魚の卵や微生物などが育ち、それらを狙って水鳥達が飛び交い、美しい風景を醸し出しながら微生物が汚水を浄化し、葦や堆積した土砂などがダム機能(水量調節)を果たして、飛んでくる水鳥が田畑にとって大敵となる害虫などを駆除してくれる、まさしく農業を始めとして“人が食糧を得たり、暮らしていく”には自然のバランスが取れた最良の場所であり、聖書においても『神の庭』(創世記13章10節)と称えるほど美しい場所だったのだが、いかんせん、人はその美しく繁栄している神の庭の“価値が全く分からず”、わざわざ自分達、人間の生命を残酷に亡ぼす為の武器や兵器を製造する開発施設に変えてしまった。
その為、カルスト地形(水に溶解しやすい石灰岩でできた地形)であるシディム渓谷では至る所に洞穴(注3)を掘ってその穴に水が流れ込むよう灌漑(人工的に水を引き込むこと)し、水で石灰岩(主成分は炭酸カリウムまたはカリウムの炭酸塩)を溶かして塩水に変え、その塩水をさらに下流の蒸留湖(=Salt Evaporation pond、塩田とも言う)に流し集めてそこに黄銅鉱を沈め、塩水に漬けることで黄銅鉱をわざと錆びさせて(腐食)ボロボロにし、鉄と銅を分離させていたのである。(湿式製錬法もしくはリーチング法とも呼ぶ)
そして、この蒸留湖に亜鉛が主成分の閃亜鉛鉱(亜鉛と銅が塩水に浸かると電流が生じる)や瀝青油(アスファルトまたはコールタール)を加えておくと、電解された粗銅とスラグ(不純物)が自然と浮いてくるので、これらをすくって回収し、さらに精錬すると純度の高い銅や鉄を取り出すことができる。(多油浮遊選鉱)
この瀝青油(アスファルトまたはコールタール)の蒸留湖(創世記14章10節参照)こそ、
現在、私達が塩湖とも呼んでいる“死海”(=the Dead Sea)である。
こうして、回収された鉄や銅を用いてせっせと武器や兵器を開発する一方、不要となったスラグ(不純物)は近場に投棄され、ソドムのボタ山がどんどん築かれていったのだが、彼らがそうやって安易に捨ててしまったスラグ(不純物)は人体や生物に有害なだけではなく、実はとんでもなく危険なものだった。
というのも、この死海の塩水で電解されてできたスラグ(不純物)は、ほぼ塩化カリウム(=Potassium Chloride)が主成分で、塩化カリウムは通常、豆腐に入れる“にがり”や農業用の肥料でよく知られ、人体の血中にもある程度、含まれていて少量であれば有害ではないが、多量に摂取すれば高カリウム血症や心停止を引き起こし、動物や死刑囚の薬殺に使われることも多い。
さらに、この塩水に浸かったスラグ(塩化カリウム)は電解されると、水酸化カリウムや単体のカリウムにも変化し、単体のカリウムは普段、油などに漬けて保管しておかないと空気や水に触れただけで自然発火し、爆発する。
(一応、ソドムのスラグは瀝青油にも漬けられていたのでボタ山が積み上げられるまでは何事もなかったらしい・・・。)
しかも、水酸化カリウムは亜鉛などの金属と混ざれば可燃性の水素ガスを発生させる。
水素ガスはある一定の酸素と交わってそこに熱が加わると、1954年に米軍がビキニ環礁で行った水爆(水素爆弾)実験で太平洋の島々を軽く2~3個吹っ飛ばしたぐらいの恐るべき爆発を起こす。
つまり、死海の塩水と瀝青油、亜鉛に漬けられた塩化カリウムのスラグ(不純物)の山を長期に渡って築いていたソドムでは、運悪く(というか自業自得で)カリウムや水素ガスを発生させてしまい、さらにそこへ夏の気温が39℃、冬でも20℃を下らない砂漠気候特有の熱した太陽がじりじりと照りつけるのだから、次第にスラグを覆っていた瀝青油は揮発(蒸発して気体になること)してスラグ中のカリウムや水素ガスを空気に曝すことになり、あっという間にソドムのボタ山は爆発火災を起こしてしまったのである。
なお、彼ら青銅器時代の人々が行った軍備拡大の為の公害の後遺症は、私達、現代の世代になってもまだ、続いており、近年、“シンクホール”(=Sinkhole)と呼ばれる大きな穴が突然、街中や道路に現れ、人や建物が飲み込まれることがある。
これは実は青銅器時代の人々が石灰岩層に水を流し込むためにわざと掘って造ったもので、日本を含め、ほぼ世界中のカルスト地形でシンクホールが現れるのはそうした理由からである。
その為、彼ら青銅器時代の人々から教え伝えられ続けてきた“軍拡の為の湿式製錬法”は今も核兵器を製造する為の瀝青ウラン石の製錬に用いられ、ソドムのボタ山から約40km離れた所には、現在のイスラエル国の初代首相で第二次世界大戦中、イスラエル国を建国する為に英軍に協力してユダヤ人達に参戦するよう扇動したダビデ・ベン・グリオンと、彼の後にイスラエル国の首相となり、米軍の兵器であるホークミサイルを最初に購入するほど軍事好きだったにも関わらず、なぜかテレビの前で敵対するパレスチナのリーダー、ヤセル・アラファト議長と握手した途端、ノーベル平和賞が授与されたシモン・ペレス、そして、彼らと“セーブルの密約”を交わし、エジプトのスエズ運河を軍事力で奪おうとしていた英国とフランス、その他にもイスラエルの核兵器開発に賛同して当時で40億ドルもの建設資金を提供した世界中の戦争支持者達、そうしたそれぞれの思惑から建設された“シモン・ペレス・ネゲブ原子力研究センター”(=Shimon Peres Negev Nuclear Research Center)が青銅器時代から数千年の時を経た現代でも、製錬に使用する為の水を汲み上げすぎて地盤沈下を起こし、近隣の田畑や住宅への水不足を深刻化させ、スラグ(不純物)から排出される塩素や有毒な化学物質で死海周辺を汚染しながら、罪もない多くの人々の生命を残虐かつ大量に殺戮する為だけの研究に日々、励んでいる。
(ちなみに、日本でソドムと同じ銅の湿式製錬を行っていたと思われる遺跡で有名なのは、山口県の秋吉台(現、山口県美弥市)であり、国内最古の長登銅山で知られ、“奈良の大仏”もここから産出した銅を使って造られている。
“秋芳洞”(鍾乳洞)の近くには、日本最大の露天掘りの石灰石採掘場(伊佐鉱山)が今も稼働しており、同じ美弥市内の国秀遺跡からは銅鉱石やスラグなどが発掘され、そこから60kmほど西に下った下関市の綾羅木遺跡や梶栗浜遺跡からは銅剣などが出土している。)
(注1)
フードゥー(Hoodoo)は、アメリカでは土柱を意味するだけでなく、アフリカから奴隷として連れてこられた黒人達が信仰する宗教を指す場合もあり、その場合は現在のコンゴ、ナイジェリア、トーゴなどの西アフリカ地域で行われていた魔術や民間医療を中心とした“秘密儀式”のことである。
一方、よく似た言葉でヴードゥー(Voodoo)もあるが、こちらも西アフリカやカリブ海のハイチ、アメリカの南部の黒人達が信仰してきた宗教で、フードゥーと同じく祖先の霊を崇めて魔術や呪術、ハーブによる民間医療、お守りなどの物品を使うことで“その場での雰囲気を楽しんだり、お互いの気分を慰め合う信仰”である。
なお、アメリカには土柱とよく似たトーテムポール(=Totem pole)という木材を彫った柱があるが、こちらは北アメリカの太平洋沿岸部に住んでいた先住民達が作ったもので、トーテムとは「部族長、リーダー」を意味し、木材に自分達の名前や部族名などを彫って周辺の人々に示す一種の表札や記念碑のようなもので、宗教的な意味合いは全くない。
(注2)
死海は、面積約940㎢、平均水深145m、最大水深433m、塩分濃度が34.2%で海水より10倍以上塩分が濃い人工湖である。その為、生物はほぼ生息できないことから、文字通り、「死海」と呼ばれている。湖面も海抜マイナス430mと、世界で最も低い場所でもあるため、灌漑(人工的に水を引き込むこと)しやすくなっている。
また、古代では現在のような透き通った塩水が広がっておらず、ローマ人達が死海を別名「Lacus Asphaltitis(ラクス アスファルティティス)(ラテン語で「アスファルトの湖」)」と呼んでいたことからも分かるようにタール(瀝青)に覆われた真っ黒いドロドロの湖で、シディム渓谷で起きた戦争(Battle of Siddim)では死海に兵士達が落ちて死ぬ様子が旧約聖書には描かれている。(創世記14章10節参照)
(注3)
シディム渓谷の洞穴の中で有名なのは、死海西岸のオアシス都市エン・ゲディ(=Ein Gedi、ヘブライ語で「子供の泉、もしくは若いヤギの泉」の意味。)周辺にある“クムラン洞窟”(=Qumran Caves)と、“ナハール・ミシュマールの洞窟”(=Cave of Nahal Mishmar、またはCave of the Treasure、ヘブライ語で「守られている川にある洞窟」という意味で、英語は「宝物の洞窟」)である。
クムラン洞窟は1946~1956年において約900点に上る『死海文書』(=Dead Sea Scrolls)と呼ばれる古代の旧約聖書が発見されたことで一躍、その名が知れ渡るようになったが、一方、ナハール・ミシュマールの洞窟は、1961年に442点にも上る銅や青銅でできた宝物を発見したことで有名になった。発見された宝物は王冠の他に、貝でできたネックレス、象牙の置物、王の杖(元は羊を追ったりする時の杖だったが、人々を指導し、支配する者の杖を表すようになった。)、角笛、石斧、リネン生地やウールで縫った布などが葦の敷物で包まれていた。
特筆すべきは金属製品に含まれているヒ素の量であり、4~12%の高いヒ素が含まれていて、ヒ素を多く含ませると銅や青銅は硬度が高まり、錆びなどの腐食にも強くなると同時に、銀と変わらない美しい輝きを放つことから装飾の観点からしても高度な技術と言えるが、それ以上にヒ素が多ければ多いほど毒性が高まり、製造している最中に死んでしまうので、これらの製品がヒ素を解毒する方法を知った上で作られた物だとすれば、ヒ素を始め有害化学物質の処理方法に苦慮している現代を超える技術だと言える。