第九十三話 水源(1)
今話のイメージソングとして以下のリンクの曲をお聴きいただいてから今話を読んでいただけると
さらに楽しんでいただけると思います。
http://youtu.be/zeB0xnlRxmI
Mr.ブルー ~私の地球~ / 八神純子 より
この男の存在こそ、ソフィズム(西洋哲学)という学問に大きな影響を残したというだけでなく、後世においてなぜかイエスの生涯をも大きく包み隠してしまう原因となるのだが、そうなったのは恐らく、この男の足跡がどことなく(かなり滅茶苦茶な解釈だとは思うが)イエスのそれと似てなくもなかったからなのかもしれない・・・。
そうは言っても、ソクラテスが生まれたのはイエスの頃より数えてもおよそ460年以上も前の古代ギリシャであって、もちろん二人には互いの面識すらない。
しかも、ギリシャ語は話せても外国であるギリシャの歴史など習うことを許されなかったイエスが、ソクラテスの名前など知るはずもなかっただろう。
それほど一見、全く繋がりのなさそうな二人ではあるのだが、彼らとは別の“第三者”の立場から時代と場所を除いて彼ら二人を見比べると、確かに彼らの置かれていた社会状況やその生涯には何となく共通した点がないわけではなかった。
(それでもやはり、かなり無理矢理、共通させたとしか思えないが・・・)
では、このソクラテスとは一体、どういう人物なのか?
と言うと、実はこれが一番、厄介な点で、イエスと同じくこの男も自分の手で書き残したものが(今のところ)何もない。
そのため、目下のところ、彼の弟子達やその他の人達の証言に頼るしかないのだが、それによると、ソクラテスはBC469年(?)、石工もしくは彫刻家の父と、産婆をしていた母との間に生まれ、アテネでもごく普通の一般家庭に育った男のようだった。
その後、何度か軍役に就いた以外、彼が一体、何をして暮らしていたのか定かではないが、一応、普通に結婚して3人の子供をもうけ、長い間、ソクラテスは何の変哲もない人生を送っていた。
ところが、中年を過ぎた辺りから彼は突然、何を思ったのかソフィスト(哲学者)に転向し、道端でアテネに住む若者達に声を掛けては“彼独自の道徳”についての問答を始めたのである。
その頃のアテネは、そろそろ没落の時期に差し掛かっていて、エセ預言者達がはびこったイエスの頃のユダヤと同じく、偽ソフィストやデマゴーグ(民衆扇動家)達が街を徘徊し、社会全体が荒み始めていた時だった。
それゆえ、倫理面におけるソクラテスの率直な物言いがアテネの人々、特に若者達の心を大きく捉えたようだった。
しかし、それまでのアテネはと言うと、「没落」(=Down-Fall)という2文字など誰の頭にも浮かびそうにないくらい、ギリシャにおいては1、2を争う華やかなポリス(都市国家)だった。
アテネは、トロイア戦争が起こる前から既に人は住んでいたのだが、ミケーネ王朝下ではあくまでそこは要塞もしくは海岸沿いを警備する駐屯地でしかなく、決して都市と呼べるものではなかった。
なぜなら、スパルタやその他の都市国家と違い、アテネには水が無かったからだった。
そして、この“水が無い”という難点が、なぜかアテネを古代ギリシャにおいて、そして歴史上においても最も華やかで豊かなポリス(都市国家)に押し上げたのである。
人類にとって“水”は食糧と同じくらいかけがえのない生命線(=Life line)である。
しかも、水は単に手に入ればそれでいい訳ではない。
“水”には、飲んだり、手や身体を洗ったり、尿や便、汚物を流したり、あるいは食糧となる作物を育てたりといった様々な“目的(用途)”もあれば、例えば「赤ん坊には人肌にあっためたミルク(水)を飲ませよう」とか「年寄りは体温調節が難しいから熱い風呂に長く入っているとのぼせて溺れやすい」とか「たくさん汗をかいたら塩水を飲む方がいい」といった水を使用する人それぞれの年齢や健康状態、活動量、環境によって水質や水量を変える“条件”もある。
だから、こうした様々な目的(用途)や条件に合う水を求め、人類は絶えずその汗と知恵を絞ってきた。
そこで、彼らが最初にした事はまず、地面を掘ることだった。
元々、氷床の上で住んでいた頃は周囲の地面を割って氷を溶かせばいくらでも真水(塩分を含まない水)が手に入ったことから、人類が水を得る手段として真っ先に発明したのが“井戸”(=well)を掘ることだった。
そして、その遺跡として今も残っているのがBC5000年~BC4000年頃に南レバント一帯(現在のヨルダン、イスラエル、パレスチナの中東地域)に築かれた、ガシュリアン文化(=Ghassulian culture)と呼ばれる集落群において掘られた一連の井戸である。
特に、イスラエル南部ネゲブ砂漠にある最大都市ベエルシェバ(Beersheba)で発掘された集落群は井戸だけでなく、集落そのものが元々は地下にあって、アリの巣のように岩盤や黄土層の中に卵型の居室がいくつも作られ、食糧の貯蔵庫なども備え付けられていた。
なお、中東以外でこうした地下に集落が造られた例として有名なのは、スコットランドにある“スカラ・ブラエ遺跡”で、こちらは石で造られたシェルター式の住居となっており、貝塚(第92話『ロゴス(言葉)(2)』参照)の下にトイレや排水設備、石造りの家具まで置かれた住居が地下に設えられていて、現在、ユネスコの世界遺産にも登録されている。
また、中国でも地下に造られた洞穴住居の遺跡が複数、見つかっているが、特筆すべきは黄河文明が花開いた黄土高原(黄河の上流から中流域の高原のこと)では、山や崖の側面、もしくは地下に穴を掘って家屋にする“ヤオトン(窯洞)”と呼ばれる住居が今も存在しており、中国北部では約4千万人がヤオトンで生活している。
つまり、これらの遺跡から推測するに、氷河期において人類は水と住まいを得る為、氷床を掘り下げた地下で一日のほとんどを生活していたことになる。
確かに今でも雪山などで雪洞(雪で作った洞穴の事。ビバークともいい、日本では“かまくら”とも呼ぶ)を作って夜を過ごすことがある。
気温が極端に低いと人間の体は低体温症(注1)にかかって死んでしまうが、ふわふわした雪や白い氷は空気をたくさん含んでいて熱が伝わりにくく、雪洞の中の温度を常時、0度のまま保ってくれる。(ただし、逆に通気性は悪くなるので空気穴は絶対に必要)
そのため、猛吹雪に襲われがちな外に家を建てるより地下の方が快適かつ安全に過ごせることから、人類は氷床の地面を掘ってそこに家を築き、食糧や水も地下に保存していた。
だが、この頃の地球の地表は今のように簡単に手で掘れる土壌ではなく、氷や岩といったかなり硬い層に覆われている。
そこで、彼らは石や鉱石などを使って氷や岩盤を少しずつ削って掘り進めて行ったため、石器のような道具もどんどん編み出すようになっていった。
何より、そうした道具の材料となる鉱石(=Ore)(注2)を掘り出すのに事欠かなかったからである。
だが、そうやって人類が少しずつ、少しずつ水や住まいを得る為に氷や岩を掘っていき、さらに気候も変化して温暖化してくると、地球を覆っていたはずの氷床は削り取られたり、溶けたりしてどんどんなくなっていった・・・。
そうして、人々が気づいた頃にはどこまでも無限に広がっていたはずの氷原が消えていて、今度は高い山々や丘に取り囲まれた土地に自分達は住まざるを得ないということだった。
それが後に氷河地形と呼ばれ、現代の地理学、地質学、地形学、氷河学においては“氷河”(流動しやすい大きい氷の塊)が溶けて流れていき、氷そのものの重さや溶けた水の勢いで岩盤が削り取られたり(氷食または浸食)、あるいは削られた岩盤の屑が風や水に流され、その砂屑や岩石、小石などが溜っていった堆積作用で造られた地形だと説明されているが、案外、人類もこの時から既に“自然破壊”を行っていて、彼らが日々、採掘し尽した結果、できたものが現在、ヨーロッパのアルプス山脈や北米大陸に連なるロッキー山脈、アジア大陸にあるヒマラヤ山脈で見られるような“U字谷”や“V字谷”(山がアルファベットのUやVの字に削り取られたように見える谷間のこと。トラフ(水桶)谷もしくは浸食谷ともいう)、山の斜面がえぐれたように窪地になっている“カール(圏谷)”、そこに水が溜ってできた“氷河湖”、その他、岩や土砂が異常に堆積して丘や土手などを作っている“モレーン”、スイスのマッターホルンのような山が鋭く尖ったような形になっている“峰”である。
しかも、彼らが行った自然破壊はそうした氷河地形を産んだだけでなく、かなりの量の氷や岩を毎日、削ってしまったせいか、その削り屑(=砂屑、土砂)が次に偏西風に乗ってまき散らされる黄砂になり、それが地表に溜っていくと今度は黄土にもなっていった。
だから、世界の四大文明と呼ばれるエジプト、メソポタミア、黄河、インダスはいずれの文明も必ず谷間で起きており、黄砂の砂漠が拡がっていて、さらにナイル川、チグリス・ユーフラテス川、黄河、インダス川と、どの文明においても必ず大きな川が流れている。
これも実は人類が行った自然破壊によってもたらされたもので、万年、雪や氷河だった所を削ってできた急峻な山から流れ下ってくる雪水や氷水、雨水などが土中の水脈となり、そして、土中に吸い込めなかった水が洪水となって大きな川となったのである。
そのため、古代からナイル川の水源とみなされてきたのが東アフリカにあるルウェンゾリ山脈やキリマンジャロ、チグリス川の水源はイラン高原にあるザクロス山脈、黄河の水源はバヤンカラ山脈、そしてインダス川の水源はヒマラヤ山脈やカラコルム山脈と、氷河期の頃と同じように万年、氷帽や雪をかぶった山々が連なっており、これらの山々が氷河期の頃から現代に至るまで空から降ってくる一粒一粒の雨水や雪を水桶のように受け止め、それを頂上から流し下し、私達、人類の生命を、暮らしを、日々、つつがなく支えてきてくれたのである。
(注1)
低体温症・・・身体の中心温度(深部体温)である35℃を下回った場合にかかる病気で、全身の震えや異常な眠気を生じ、呼吸が徐々にできなくなって不整脈を始め、生命維持に必要な臓器の不全に陥り、20℃で心停止して凍死に至る。
雪山だけでなく、泥酔状態で夜間、路上で寝ていたり、薬物中毒患者や痴ほう症の人などの夜間徘徊、ダイエットなどによる低血糖や低栄養素状態の人にも起きうる危険がある。
その他、乳幼児が池などに誤って落ちてしまった時や無責任な親に路上などに捨てられた場合にもかかりやすい。
かかった場合はまず、中程度の低体温症の場合は毛布などで全身を包くるんでからゆっくりと手足を温め、急激な体温上昇を防ぐようにする。
アルコールは一時的に体温を上げるだけなので避け、意識のはっきりしている人のみ温かい飲み物を飲ませて内臓機能を温めたり、40℃程度のお風呂に入るなどの治療ができる。
既に意識がなく、呼吸も困難な場合は病院での治療が必要なのはもちろんだが、その前にできることとしては人工呼吸と心臓マッサージなどの蘇生措置を行い、温かい毛布などで包むか、わきの下や足の付け根を温めて徐々に体温が上がる工夫をしておく。
(注2)
鉱石・・・金や鉄、銅など人間にとって利用価値のある金属の他、ダイヤモンドのような宝石などの“天然の結晶物質を含んだ岩石”のことを指す。
ちなみに、鉱石の中で人間にとって有用な金属や宝石といった“天然の結晶物質そのもの”を“鉱物”(=Mineral)と呼ぶ。
なお、“岩石”(=Rock)とは、人間にとって価値のある鉱物以外で動物の糞や死骸などが堆積してできる“化石”(=Fossil)も含めて“いろいろな物質が混じった状態の岩や石”のことを指す。