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第八十九話 分かれ道(1)

そんなお茶の時間の些細なやり取りでますます座が白けると、他の弟子達もいっそうその表情を曇らせ、ペサハ(過ぎ越し祭り)の準備やその他の用事をさっさと済ませると、部屋に引きこもって自分達の将来についていろいろと思い悩んでいるようだった。


その暗い雰囲気は古参の12弟子の一人であるナサニエルやフィリポ、トマスの心にも陰鬱いんうつな影を落としていた。

彼ら3人は、イエスと共にエプライムに行っていたので、自分達がいない間にペトロや他の弟子達がどんな話し合いをしていたのか全く知らなかった。

しかし、トマスは、普段は人となじもうとせず、何かとくだらないケチをつけては古参の弟子達からは煙たがられていたが、その一方で、敵でも味方でもそれとなく相手に調子を合わせ、その懐にもぐりこんでは自分の欲しい情報を上手くつかんでくる男だった。


だから、べサニーに帰って来てから他の弟子達がどこか陰気なのに気づき、トマスは早速、後輩の弟子達からペトロが開いたあの会合の内容を聞き出していた。



「それで?ペトロは一体、何て言ったんだ?」

トマスと同室になったナサニエルは、彼がつかんできた内容をもっと聞こうとせっついた。


「ここを辞めたかったら、辞めればいいと言ったんだそうだ。

で、自分はイエス先生と殉教する覚悟だとも言ったらしいよ。

まぁ、あいつなら、そんなこと言いそうだろうけど」

トマスは、ふふんと鼻を鳴らして、相変わらず皮肉っぽくそう言った。



トマスというのは、目に付いたものなら何でも片っ端から批判せずにはいられないようで、知り合って間もない頃は、イエス以上に何を考えているのか(何を言い出すのか)分からない変な男のようにも思えた。

だが、ナサニエルが知る限り、トマスは人前では憎まれ口を叩いては皮肉屋を装っているのだが、本当はかなりの恥かしがり屋で、どうやらそうやっていつも自分の本心をはぐらかそうとしているらしく、深くつき合ってみると、これまた意外にも情にもろかった。

そんな彼の二面性を知ってか知らずか、イエスはトマスをディディマス(アラム語で「双子」の意)と呼んで、彼とはいつも冗談を飛ばし合っていた。


トマスの方も、イエスとは何かと気が合うらしく、表向きには露骨に示さなくても、裏では結構、イエスを慕っていた。

だから、今回、イエスがエプライムで身を潜めることになった際も、トマスは自分からイエスについて行ったのだった。



そのトマスからすれば、今の状況もさることながら、ペトロや他の弟子達の言うことにも納得の行かないことばかりだった。

しかし、これと言って具体的にサンヘドリンの脅威を打破する策が自分でも思い当たらないばかりか、トマスとしても何を、どう批判すべきか分からず、他の弟子達と同じように事の成り行きを見ているしかなかった。



「それって、この宗派を勝手に解散するってことか?

イエス先生は一度もそんな話はしてなかったぞ」

一緒に話を聞いていたフィリポが思わず、声を上げて言った。


「でも、それらしいことはずっと前にも言ってたじゃないか。

自分はサンヘドリンに捕まって、殺されるかも知れないって。

だったら、それなりの覚悟をしておけ、ってことだろ?

だから、ペトロもイエス先生の話をそう受け止めて、殉教したい奴はすればいいし、したくなかったら今のうちにここを辞めろってはっきり言ったようだぜ」

トマスの話を聞いて、ナサニエルはエプライムでイエスが自分に言ったことを思い出していた。



― そうして、彼らが人の心を捨て去り、

  自分達の罪を逃れようとわたしの血を

  エルサレムの人々に捧げようとするのなら、

  わたしは、ヨハネがそうだったように、

  これ以上、罪のない人や立場の弱い人が不当にも犠牲となって

  その血を流すことのないよう、

  わたしの心の剣で持ってこれを食い止めねばなりません。

  彼らが今、やっている事、言っている事の方こそ間違っているのだ、と

  この身で持ってそれを証明せねばなりません。



「トマス、お前、うちの宗派が慈善事業をしていることは前から知ってたのか?」

不意にナサニエルは、エプライムでラザルスから聞いた疑惑をトマスにぶつけてみた。


「ああ。それが何?」

トマスは不思議そうな顔をした。


「俺は知らなかった。フィリポ、お前も知らなかっただろ?」

ナサニエルはフィリポを振り返って尋ねると、フィリポはナサニエルの勢いに押されたように慌てて頷いた。


「へぇ。お前ら、一体、いつからこの宗派にいるんだ?

そんなの、ずっと前から皆、知ってるし、俺だって今じゃ、せっせとそのために働いているんだぜ。

お前らには全然、その仕事、廻ってこなかったのか?」

トマスが得意気にそう言うと、ナサニエルは口を少し歪めて言い返した。


「お前こそ、珍しいな。いつもは“皆がやりそうなこと”には、絶対、手を出さない主義じゃなかったのか?」


そのナサニエルの皮肉に、トマスはにやっとした。

「そりゃあね。だけど、別に悪いことしている訳でもないし、金や物に困っている人達がどこでもわんさかいるのは事実なんだから、別に構わないんじゃないかと思ってさ。

最初は、俺も何となく胡散臭そうに思えたんでアンデレにもちょっと愚痴ったけどさ。

まぁ、説法だけじゃなく少しは施しもしたら、うちの宗派のいい宣伝にもなるっていうし、どの宗派もやってるのに、うちだけは全くしないってのも何だかおかしいしな」




確かにトマスの言う通り、相手が困っているのを知って、人として「助けになりたい、協力したい」という“優しい気持ち”(善意)から、自分の持つ知恵や力、物などを相手に与えようとする行為そのものに問題がある訳ではない。

だが、その優しい気持ち(善意)につけ入るようにして、全く別の意図(悪意)をその行為にこっそり滑り込ませることが何よりも問題だった。


それがいつしか、ペトロ達のように影で横領するようになったり、ゆすり、たかりといった恐喝まがいの寄付金集めなどを行うようになったりする。

また、寄付する方も、熱心党のように略奪してきた金品や違法な商売で得たお金を寄付し、綺麗なお金として横流しするマネーローンダリング(資金洗浄)に寄付を利用するようになったり、さらに、寄付される方も、次第に自活するよりも寄付金そのものに甘え、困ってもいないのにその振りをして金品を騙し取るような詐取行為に陥ってしまうのである。



そうして、まさに“神(善)”を侮り、人の心を踏みにじりながら、それでも尚、「“恵まれない”人達の為に」という、(暗に自分達は神に恵まれているとでも言いたいのだろうが)優しげで美しそうな表看板を掲げ、その看板に引き寄せられた人々からさらに美味しい蜜を集めては飽くことなくその蜜を吸い取ろうとする。



そうなると、そこはもう人助けどころか、単なる“堕落を誘うだけの巣”でしかなかった。



「それで、お前はその・・・、困っている人達にちゃんと慈善金とやらを渡しているのか?」ナサニエルは、つい責めるような口調でトマスに尋ねた。


「おい、おい!俺を疑っているのか?

そんなの当然だろ、俺は何も悪いことなんてしてないぜ。

何だよ?それじゃあ、イエス先生が昨日、ユダにつっかかったのも、俺達を疑ってあんなことを言ったのか?」

察し良くトマスは逆にナサニエルに聞いてきた。


「・・・いや、イエス先生は何もおっしゃってないよ。

昨日のことだって、マリアさんは、マリアさんなりに先生をもてなそうとしてあの香油を使ってくれただけで、それをユダがあんな風にマリアさんを怒鳴るなんてとても失礼じゃないか。

だから、先生はユダのそういう態度を叱っただけだろ。

だけど、昨日のお前達の態度はどう見たって『寄付するのは当然だ。しない方がおかしい』と言わんばかりだった。

ユダだけでなく、俺の隣にいた若い連中だって、マリアさんのことをとやかく言っていたのは俺の耳にも聞こえてきたさ。

だけど、そんなの、お前達が勝手に決めたことであって、皆が皆、金や物でしか人を助けられないわけじゃないだろう?

それに以前、イエス先生も言ってただろう?

『わざわざ言いふらして善行を施すのは、

 寺や通りなどで偽善者達がよくしていることです。

 善行を施して人にそれを知られれば、確かに人からはたくさん褒められるし、

 名誉ももらえるかもしれません。

 でも、人ではなくて、天におられる神に褒めてもらいたければ、

 右手で善行を施しながら自分の左手がそうとは気づかないくらい、

 そっとおやりなさい』って。

だったら、いくら良い事でも、宗派の宣伝になるよう大っぴらにすること自体、先生が言ってたことと逆の事をしているんじゃないのか?」

ナサニエルは、理路整然とトマスに言った。


トマスはそう言われて少しシュンとなったようだが、それでも相変わらず皮肉っぽく口の端をきゅっと上げて言い返してきた。

「お前も、ほんと生真面目な奴だよな。

まぁ、そこがお前のいいところだろうけど。

だから、ペトロもアンデレもお前達には慈善事業の話をしなかったんだろうよ。

俺は、正直言って、ペトロのやり方にも一理あると思ったから俺なりに考えて賛同したんだ。

世の中、そうそう奇麗事ばっかりじゃないからな。

最近じゃあ、税金、払えなくて借金した挙句、その借金のかたに田畑や娘達まで取り上げられてとうとう生活できなくなった人達まで出てきている始末さ。

だったら、俺達で金を集められるようなら、集めてやって少しでもそういう人達に工面してやりたいって思っただけさ。

それに、少しはうちの宣伝もしておかないと、どこの誰とも分からない奴に寄付しようって人もいないだろ?

ちゃんとした宗派だって認めてもらえたら、大勢の人達が寄付してくれるようにもなるし、寄付金が増えれば、当然、もっとたくさんの困った人達が助かるんじゃないのか?」


「お前の言いたいことも分かるし、困っている人達を助けたいという気持ちもよく分かる。

だが、イエス先生はそんなことをする為にこの宗派を立ち上げたんじゃない。

むしろ、先生はそれよりももっと大事なことをしようとしているんだ。

俺は今回、エプライムに行ってようやく先生の気持ちが分かった。


トマス、お前、さっき言ったよな?

他の宗派も慈善事業やってるって。

そうさ、どこでもせっせと寄付金や供物を集めてはいろんなところに配ってるよ。


でも、それで世の中、良くなったか?


皆、本当にそれで救われたのか?


あのファリサイ派の教師達やサドカイ派の貴族様に僧侶達、果ては暴動や強盗をするような熱心党の連中でさえ皆、慈善活動をやっているが、それで困っている人達は減ったか?

皆、安穏に暮らせるようになったのか?



いや、周りをもっとよく見てみろよ。

減るどころか、逆に増えていってるんだ。



だったら、他の連中と同じことをお前達がしたところで、一体、何がどう良くなるんだ?

何も変わらないってことじゃないのか?


そのことをイエス先生はずっと皆に訴えてらっしゃるんだ。


お前達が皆の為にとせっせと水を汲んできたとしても、穴の開いたかめに水を入れていたら、たくさん汲んできてもすぐに無くなるし、汲んでも汲んでもキリがない。

それと同じように、いくら寄付金をたくさん集めてきたって、それを扱う俺達、一人一人の心が腐ってたら、全く役には立たないんだ。


寄付を集める者、寄付をする者、寄付をされる者、それぞれお互いの信頼が成り立っているから寄付金が上手く廻って、無駄なく使われるんじゃないのか?

だが、その中の誰かがその信頼を裏切ったり、絆を断ち切ったら、寄付金はどこかで滞ってしまう。

だから、どんな活動だろうと、組織だろうと、お互いが信頼し、信頼されるよう努力してないと、必ず腐敗して崩壊する。



それほど信頼というもの、人の心っていうのは何よりも大事なんだ。



それがなければ、何も成り立たないし、どんな仕事だって上手く行くはずもない。

だが、今日、イエス先生が神殿でその話をして一体、どのくらいの人達が真剣に受け止めたって言うんだ?

先生が『主を心から愛せ』っていう話をして、それを素直に聞いて信じた人はいたか?

俺が見たところ、誰もいやしなかった。


それがどういうことか、お前達、分かるか?


あの神殿で供物を捧げて一生懸命、祈っている人達も、せっせと寄付をしている僧侶や教師達も、本当は誰も主を信じちゃいないってことだ。

自分達の手で作った神殿や寄付金の方がよっぽど役に立つって信じていて、主が授けてくださった愛や信頼、人の心というものを侮っているから、先生の話が馬鹿馬鹿しく聞こえるんだ。

自分の心の中で思っていること、影でしていることなんか『どうせ誰にも知られてない、見られていないだろう』って思っているから、誰かの愛や信頼を平気で裏切れるようになるんだ。


つまり、心の底では本当は主(善)を侮っているのさ。


『俺だけがちょっと悪いことしたって、どうせバレやしない。主は何もしないだろう』ってね。

だから、トマス、お前がいくら善行を積んだとしても、お前の仲間が横からそれを潰して行ったら何にもならないだろう?

そうならないようにと、イエス先生は皆の心を何とか立て直そうとしていらっしゃるんだ。


主の御言葉を伝えるってのは、そういう仕事だ。

俺達は、世間の人達のように、金や物といった人の手で作れるものを与える仕事をしているんじゃない。

人の手では絶対に作れない、主が授けてくださった人の心の中にある、愛と勇気と希望に灯をともそうとする仕事なんだ。


そこに灯がともるから、人は幸せにもなれるし、働く力や元気も出る。


主(善)を信じ、主(善)をおそれるからこそ、主(善)の愛や信頼を裏切らないようお互い努力もするんだ。


だから、イエス先生は今、他の宗派がやっているような、そんな“その場しのぎの救い”を求めていらっしゃるんじゃない。

本当に誰もが救われるような“真の救い”を主に求めて、ご自分の命を賭けて働いていらっしゃるんだ。

俺はそれがようやく分かった」


ナサニエルが一気にそう話すと、トマスだけでなく、フィリポも目を丸くして黙り込んだ。しばらくして、トマスはごほっと咳払いすると、再びナサニエルに言った。


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