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第八十三話 歴史の始まり

だが、今、目の前を通り過ぎていくイエスを見て、リュラブを大きく振って喜ぶユダヤの人々の中に、彼こそまさしく律法書(旧約聖書)に書かれた通り、この地球上のあらゆる国々を、あらゆる民族を、あらゆる人種を、あらゆる宗教をも、彼の死後、2000年間にも渡って21世紀の現代にいたるまで一変させてしまう人だということを、この時、気づいた人などどのくらいいたと言えるだろう?




彼らはただ、バール信仰に偏った律法書(旧約聖書)の解釈によって前世や生まれ変わり、輪廻転生りんねてんせい(注1)があるものと信じ、死者復活という奇跡を成し遂げたイエスという男と、一昔前に一介の羊飼いの息子からユダヤの王にまでのし上がったイエスとよく似た境遇を持つダビデという男とその人生を重ね合わせ、勝手にその男の生まれ変わりだと言って喜んでいただけだった。


あるいは、人によっては、彼が預言者モーゼの生まれ変わりでもよかったし、それ以外の律法書(旧約聖書)に出てくるアブラハムやエリヤ、ダニエルやイザヤといった、自分達、ユダヤの民族史において知っている偉人や有名人だったら誰でも良かった。





つまり、イエスという男がどこの誰だろうと彼らにはどうでもよかった。


ナザレのイエスという“この世(地球上)で今、生きているたった一人の人間”について深く知っていたわけでもなければ、それほど興味があるわけでもなかった。




ただ、彼らは自分達が今、置かれている不満だらけの境遇を、自分達が今、味わっている不幸だと思う人生を、イエスが起こすという奇跡によって一瞬にして自分達の思う通りに、楽に、満足のいくよう変えてくれさえすれば、それで良かった。






だから、この時、税金はもちろんのこと、その他の様々な圧政から逃れさせてくれるよう、イエスが本当にこの国のリーダーにでもなって、武力でもってローマ帝国を、自分達にとって敵対する各々の政治勢力を一掃してくれるのを心密かに期待していた人達も、中にはたくさんいたのだった。



そんな人々の様々な期待と興奮が渦巻く中、徒歩で歩くイエスとその一行は、次第に恐れを感じ始めていた。

このまま何の仕切りもなく歩いていたら、熱を帯びた群衆が常軌を逸して行列を揉みくちゃにするかもしれない。

そう考えたイエスは途中、山沿いにある(ずっと以前にイエスがエルサレム巡礼の際に泊まったことのある)ベスファージ村に立ち寄って、そこでペサハ(過ぎ越し祭)の巡礼に訪れる観光客用の乗り物として貸し出されていた一頭の若いロバを見つけ、無理なく群衆に道を開けてもらえるよう、イエスはこれにまたがって行列の先頭を行くことにした。



すると、たちまち群衆はイエスのロバを見て道を開けた。


このイエスの姿を見た人々はそれぞれの胸に、律法書の中の、ある預言を思い出していた。


この時、イエスと一緒に歩いていたナサニエルは、


― 大いに喜べ、おお、ジオンの娘よ!

  叫ぶがいい、エルサレムの娘よ!


  見よ、お前の王がお前のところにやって来る。

  心正しく、その心に救いをもって。

  優しく心穏やかなお方が一頭のロバに乗ってやってくる。

  ロバの中でもまだ若い、それも子供のロバに乗って


  わたしはエプライムからその戦車を取り除いてやろう。

  そして、エルサレムからその戦闘馬を、

  その闘いの矢を打ち折ってやろう。


  彼は国々に平和を広めるだろう。

  彼の支配は海から海へと拡がるだろう、

  ユーフラテス川の流れに乗って地球の果てに至るまで

  



  ジオンの娘よ、

  神であるこのわたしが約束した血統(生命)を持つお前のために、

  希望の水が見つからない暗闇の落とし穴から

  お前と同じ希望を求める囚われ人達を自由にしてやろう。


  希望を求めてあらゆるしがらみに囚われている者達よ、

  お前の砦、お前の原点に立ち戻るがいい


  今こそお前達にわたしは告げてやろう、

  これまでお前達が積み重ねてきた以上のものをお前達に戻してやる、と。

  わたしは、自分の弓矢を引くようにして

  ユダの人々に反して(この言葉の)矢を放ってやろう、

  ユーフラテス川の以西に住むエプライム(ヨーロッパ)の人々の間にも

  この言葉の矢を埋め尽くしてやろう。


  おお、ジオンの娘よ、

  わたしはお前(の言葉)を信じて慕う者達を立ち上がらせてやる、

  それはお前達が教えてきた者達に反するように、

  おお、ギリシャ(ヨーロッパ語族)の教えに従ってきた者達よ。

  そして、ジオンの娘(の言葉)を

  まるで勇者の剣のようにすべてを切り裂く鋭いものにしてやろう。

                          (ゼカリヤ9章9−13節)


という句を思い出して、それをマタイやその他の弟子達に小声で伝えた。


「なっ? 見ろよ、先生ラビの姿を!

まさしくあの、

― 見よ、お前の“王”がお前のところにやって来る。

  心正しく、その心に救いをもって。

  優しく心穏やかなお方が一頭のロバに乗ってやってくる。

  ロバの中でもまだ若い、それも子供のロバに乗って


と謡われた預言の言葉とそっくりじゃないかっ!」


それは、預言者ゼカリヤによって伝えられた“神からの啓示”だった。


偶然にも、この詩の文句がロバに乗ったイエスの姿と重なって、その場にいたナサニエルの心にすぐさま浮かんできたのだった。




だが、ナサニエル以外のほとんどのユダヤ人達はそうではなかった。

彼らが思い浮かべていた預言は、


― ロバの顎骨でもって

  彼らをロバのようにわたしの家畜(奴隷)にしてやろう。


  この硬いロバの顎骨でもって

  何千もの人々をわたしは殺してきたのだから

                  (士師記15章16節)


という律法書の中のサムソンの言葉だった。



サムソンとは、前述においてモーゼがエジプトから亡命して移り住んだ土地、カナンの地に登場したユダヤの英雄的な武者のことである。



実はこのサムソンも、イエスと同じナザレの出身者である。


サムソンの母は、ナザレの地に住むマノアという名の男の妻で、彼女は長い間、子供に恵まれなかった。

そんなある日、彼女の前に天使が現れてこう、お告げを伝えた。

『お前は長年、子供に恵まれなかったが、もうすぐしたら男の子が授かるでしょう。

 その子はフィリスタイン人の手からユダヤの人々を救う為に神から遣わされた子供です。


 だから、その子が生まれたら、決してその子の髪を切ってはいけません。

 ナザレの者はそのように神に定められているのです』


ここで言う、フィリスタイン人とは別名、海の民とも呼ばれ、この当時、エーゲ海沿岸を牛耳り、カナンの地に住むユダヤ人達を支配する異民族のことだった。

そして、このフィリスタイン人達に抵抗し、20年間、ユダヤの人々を率いて暴れまくった伝説的な英雄こそ、このお告げの後にナザレで生まれた、サムソンその人だった。


このサムソンという男は素手でライオンを殺せるぐらい腕っぷしはかなり強いが、なぜか女にはからきし弱い男で、そもそも彼が英雄として名が知れ渡るようになったのも実は女が原因だった。

最初の女はユダヤ人の敵であるフィリスタイン人の娘だった。


サムソンはこの娘と結婚しようと、両親が反対するのにも関わらず、フィリスタイン人達の慣習に従い、無理して結婚式をしようとするのだが、その結婚式に参列する者達への礼金に困り、サムソンは謎解きの賭けを持ち掛けてそれで礼金を支払うことにした。

だが、彼の婚約者であるはずの娘の裏切りによってサムソンは賭けに負けてしまい、結局、彼は娘とその家族に振られた恨みから強盗や放火、殺人といった悪事の数々を積み重ね、その後、20年にも渡ってユダヤ人達を率いてフィリスタイン人達の間で暴れまくることとなった。


だが、次に出会ったデリラという娼婦がサムソンの命取りとなった。


デリラはサムソンの弱みを握るようフィリスタイン人に雇われていた女スパイであり、彼の強さの秘密は髪の毛にあると本人から聞き出した彼女は早速、それを密告し、ついには彼の髪の毛を剃らせてサムソンを捕縛することに成功した。

そうして、フィリスタイン人達に拷問され、両目をくりぬかれたサムソンは神殿の生贄として刑場に連れ出されたのだが、ちょうど剃られた髪が元に戻っていたため、その腕力の強さがよみがえり、彼は最後の力を振り絞って多くの敵を倒しながら力尽きて壮絶な最期を遂げたのだった。




このサムソンの武勇伝からナザレ出身の男は他のユダヤ人達とは違い、幼い頃から衛生のために多少、髪の毛を切ることはあっても、基本、髪を短くしたり、剃ってはいけないしきたり(風習)になっていた。



だから、イエスの長髪を見れば、一目で彼がナザレの出身者であることはユダヤ人なら誰でもわかることだった。



ただし、時代と共にローマ文化が流入し、ファッションの流行が変化していくと、そんなしきたり(風習)なども次第に風化してきて、ナザレ出身の男であっても殊更、武者や預言者を目指す者でもない限り、長髪のままでいる者はかなり少なかったし、まして、イエス自身は、ユダヤ教の戒律すらまともに守ろうとは思っていなかったのだから、むろん、そういった地元の風習にこだわっていたわけでもなかったが、元々、身なりに気を遣う方でもなく(マタイ6章25-32節参照)、幼い頃からそういう格好で育てられ、慣れ親しんできた長髪を今更、流行に合わせて短く刈ろうとも思わず伸ばしていただけだった。



だが、その長髪こそユダヤ人にとっては英雄的武者だったサムソンの象徴シンボルであり、フィリスタイン人達(エーゲ海一帯を占める海の民)の末裔とも思えるローマ帝国にユダヤが支配されている今、ロバにまたがった長髪のイエスの姿はまさしくサムソンの生まれ変わりにもユダヤ人達には思えたのだった。





だから、ナサニエルが気づいた律法書の詩句よりも、ほとんどのユダヤ人達の心に真っ先に浮かんだのは、サムソンがフィリスタイン人への復讐と勝利を誓う詩句であり、それがユダヤ人達の愛国心や民族意識といったものをくすぐって、身も知らぬイエス一行を盛大に歓迎する雰囲気ムードへと一挙に押し上げたのだった。



とは言え、ナサニエルにそう言われてみて、何となく預言者ゼカリヤの詩句にもイエスの姿が当てはまるかもしれないと考える人もまったくいなかったわけでもない。





そもそも、“詩”というのは、表現において“物語”とはかなり違う。



詩は、一般的に見て、書き手が一定の制約の下、表現の工夫を凝らしてわざと簡潔に書き、読み手は暗号を解くようにして書き手の意図を推し量って楽しむものである。


例えば、ナサニエルの心に思い浮かんだ預言者ゼカリヤの詩においても、“弓矢を引く”という言葉が、実際は武器である弓矢を指すわけではなく、「鋭い批判や非難の矢」というような意味を含んでいたり、また“勇者の剣”と言うのが「心強き人が剣のごとく鋭く敵の非難をかわして反論できる」といったような解釈をすれば、この詩の内容は全く違ったものになる。

このように、言葉の裏に別の意味を忍ばせる、そんな“隠喩いんゆ的表現”が聖書には全く使われていないとすれば、読んで字のごとく、この詩は弓矢や剣といった武器をふんだんに使って、ユダやギリシャといった特定の地域に住む人々を打ち果たし、勝利することができるだろうと預言した、まさしく戦争を賛美する詩になるのだろう。




だが、人それぞれ、その心が違うように、詩の受け取り方もまた違う。


だからこそ、聖書における詩の解釈は千差万別で、それがこの後、さらなる大きな波紋と混乱を招くのである。





その一つの要因とも言えるものが、このゼカリヤの詩や旧約聖書において何度も出てくる、“ジオン”(ヨーロッパでは“シオン”)という言葉だった。


ユダヤ人にとって“ジオン”とは、ダビデ王の町、つまりエルサレムを意味している。

なぜなら、イエスの頃より約1000年も前に、エルサレムの丘の一角に城塞を築いて住んでいたカナン人系エブス民族をダビデ王が滅ぼし、そこを占領して新たな街を築いた。

それ以来、その城塞のある丘のことを“ジオンの山”と呼んだからだった。

そして、その後、ダビデ王の息子であるソロモン王がそこにエルサレム神殿を建てたことから、ジオンは“神が住まう山”、つまり“天国の山”という意味になった。



しかし、ダビデ王がそこを占領する前からどうも“ジオン”という言葉は既にあったようで、その出所はもちろん、元の意味が誰にも分からない。

しかも、旧約聖書には度々、「神はジオンを救う」といったような詩句がよく出てくる。



これが、イエスの時代を過ぎた後世においても、さらにいろんな憶測を呼ぶようになってしまった。


そのため、ジオンについて謡った詩はある人にとっては奴隷解放の詩となり、別の人にとっては敵からエルサレムを奪還する詩になるのである。

こうした聖書を巡るいろいろな解釈がその時代毎の政治的な思惑と相まって、“ジオン”という言葉も、中世になると、イスラム教勢力を制圧しようとするキリスト教国にとっては十字軍遠征のスローガン(掛け声)となり、19世紀においては、ヨーロッパの反ユダヤ主義に対抗して立ち上がったユダヤ人達が既にエルサレムに定住していたパレスチナ人達を追い出してこの地を奪還し、イスラエル国を再建しようとするシオニズム運動のモットー(合言葉)にもなった。

しかも、この頃、欧米各国で巻き起こった反ユダヤ主義思想を煽ったのも、皮肉なことに、シオニズム運動はユダヤ人の世界征服計画だとする内容が書かれた「シオン賢者の議定書」という“ジオン”の名がついた怪文書だった。


おかげで、この怪文書の“言葉”を信じた人々によって、ナチス・ドイツのホロコースト(ギリシャ語で「丸焼きの供物」の意。第二次世界大戦中、ユダヤ人を絶滅させる為に行った大量虐殺のこと)が正当化され、結局、この民族浄化政策に巻き込まれて虐殺された総犠牲者数はユダヤ人のみならず、民族、性別に関係なく1,100万人にも上り、そのうち、150万人はユダヤ人以外のドイツ人の障害児なども含んだ子供だった。



こうして、ジオンという言葉はもちろん、その多くが詩で構成されている聖書の“言葉”は、イエスが生まれる以前から人類史上において様々な人々の憶測と欲望の渦に巻き込まれ、既に多くの争いや犠牲を生み出してきていたが、イエスという名の男がこの時、新たに歴史上に登場したことで、この後、2000年間、この地球上に生まれては消えていく国家や国境、ありとあらゆる民族や人種、様々な宗教において、この聖書の言葉の解釈を巡る一連の争いがもっと複雑に拡大していき、さらに数え切れないほど膨大な数の犠牲者をも生んでいくことになるのである。






むろん、こうした2000年後の未来を含め、イエスのその後についてこの時、予測できた人など誰もいるはずはなかった。




だが、この凱旋パレードのようなイエス達一行を見てからほんの数週間後、彼らにとってはもっと信じ難い出来事が起こったせいで、たとえ律法書(聖書)の詩句や言葉の意味は分からなくても、それらに書かれた預言の数々にぴったり合ったイエスの姿を彼らは再び思い出すことになる。



(注1)輪廻転生りんねてんせい

・・・人や動物の肉体に宿った霊魂(精神)は、肉体が死んでも、

   死ぬ前の人生や考え方を背負ったまま何度でもよみがえることができ、

   この世を永遠に生き続けることができるという思想のこと

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