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第八十二話 玉石混淆(ぎょくせきこんごう)

玉石混淆ぎょくせきこんごうとは、玉石混交ぎょくせきこんこうとも書き、

良いものと悪いもの、優れたものや価値あるものがある一方、

そうではないものも入り混じっているという意味。

ところで、この“人を火にくべて神に捧げ、国や民族の繁栄を祈る”という教えや慣習をユダヤ教にもたらしたバール信仰こそ、人類にとって初めて“人身御供”という儀式を生み出した宗教なのか?と言ったら、そうとも言えない。

と言うのも、これを信仰していたカナン人達の起源さえもはっきりしないからである。




エジプトとメソポタミア文明(現在のイラクを中心としたアジア南西部一帯に興った文明群)に残されている文献からすれば、カナン人と言うのは、BC(紀元前)3000年頃に現代のトルコ・シリア・パレスチナ辺りに住んでいた人々として記されている。




しかし、この年代よりも以前にカナンの名が歴史上にない訳ではない。


これよりも前とするならば、旧約聖書に出てくる大洪水と箱舟で有名な、あのノアの孫達の一人であったということを信用する他ない。



聖書においては洪水の後、ノアの息子であるハムの子の一人としてカナンが生まれたとされてその名が記されており(創世記10章参照)、そのカナンからさらに子孫が生まれて、それが部族や国家を形成していったことになっている。


ちなみに、ノアの3人の息子達セム、ハム、ヤペテはそれぞれ、セムがアジア人の先祖で、ハムはアフリカ人の先祖、ヤペテはインド・ヨーロッパ語族の先祖とされており、この3人の子孫が現代に至るまで人類として地球上に拡がっていったものと言われている。




つまり、このノアの洪水がいつ起こったのかがはっきりすれば、彼らカナン人達、そしてバール信仰の起源も分かるかもしれないが、この洪水の年代もまた、人類史上、最も論議を呼ぶ大きな謎なのである。


ある人は、地質学的観点から貝の腐敗などを測定してBC7000年頃と測定すれば、一方では、その測定方法自体、問題だとしてそれよりもさらに数万年前を想定する人もいる。

あるいは、ノアが箱舟を作ったのが600歳の時とされていることから、人間の寿命がそれほど長いとは思えず、聖書の記述そのものを疑う人もいる。



とにかく、このように起源がはっきりしない以上、彼らカナン人達も、彼らが崇めていたバール信仰もただ“古い”としか言いようがない。



しかも、カナン人の起源がはっきりしたところで、彼ら自身が本当にバール信仰そのものを生み出したとも断定できないのである。


“今のところ”発見されている骨や化石から調べる限り、人類が生まれて約450万年、そして、石器を持って狩猟を行い、呪術や葬式、壁画などに親しみ出してから約20万年と言われており(これらの年代についても様々な異論はあるだろうが)、この長い歴史から見て、カナン人達がバール信仰を“全く無から考え出した”と言うよりも、彼らもまた、モーゼ達と同じようにどこかの信仰を取り入れた可能性だってある。




そうと仮定して、さらに詳しく歴史をさかのぼるなら、メソポタミア(現在の中近東辺り)において発生したゾロアスター教(拝火教)と、中央アジア一帯で広く用いられていたシャーマニズム(精霊交信術)などもバール信仰に影響を及ぼしたと考えられるのである。




正確に言えば、ゾロアスター教は、BC550年頃のアケネメス朝ペルシャ(現在のイラン)の時代に成立した宗教なのだが、実は、このもととなるメソポタミア神話は既に約1万年前にあったとも、BC7000年頃に作られたとも言われている。

そして、このゾロアスター教を大まかに説明すると、世界は光明神アフラ・マズダーと暗黒神アンラ・マンユの二人の神によって成立しており、人間はこのどちらかの神に仕えるべきかを選択できるが、“最後の審判”において善である光明神が勝つので、人は光明神に仕えていれば誰でも天国に行けるという教えだった。


そのため、ペルシャ人達(古代イラン人)は、光明神の象徴となる“火”を最も神聖なものとして崇めていたので、別名、拝火教とも呼ばれ、バール信仰と同じく火の中に供物をくべる儀式が行われていたのである。


一方、シャーマニズムは、宗教というよりも約3万年前、人類がまだ石器を持って狩猟を行っていた頃、人々は自然物や天体、地上のあらゆるものにはそれぞれ“霊”が宿っており、これが死んでも復活したり、何度も生まれ変わるものと考え、シャーマンと呼ばれる“霊的な能力を持つとされた人”を頂点にして奇声を上げ、ドラムを叩いて踊ったり、トランス(気分が異常に高揚した)状態で降霊を行ったり、占いや呪術、医薬術、魔術といった儀式を派手に見せることで人々を慰める信仰だった。

この信仰では、病気や天災などを起こす先祖霊や死霊、悪霊などを鎮めるため、時には人や動物の骨、内臓などを切り裂いて供物として捧げたり、あるいはそれらを占いに使ったりするなど人身御供はもちろん、大量殺戮たいりょうさつりくと思われる行為であっても“シャーマンの言葉次第で”、信仰的なものとして美化されていた。




このように、これまでに年代が分かっているものの中でこの二つの信仰が歴史上、最も古いものとなっており、それゆえ、これらが持つ思想や慣習が世界中のあらゆる宗教に影響を及ぼしたと言っても過言ではない。


まず、シャーマニズムは、一応、中央アジアが発祥とされているため、インドはもちろん、中国の儒教や道教にも影響し、ロシアや朝鮮半島へと広がって、日本にも伝えられ、卑弥呼ひみこのような巫女が活躍したり、西方へは中央アジアからヨーロッパへと移住していったケルト民族がフランスのラスコーに壁画を残してその狩猟の豊穣を祈ると共に、樫の木や4つ葉のクローバーを崇めるドルイド信仰などを生み出した。

(さらに地球の全ての大陸が今のように分かれておらず、まだ地続きであったとするならば、南米大陸などにもこの思想が伝わって、アメリカン・インディアンやオーストラリアのアボリジニ族などにも影響を及ぼしたと言われている)



また、ゾロアスター教は、元々、その発祥の地であるメソポタミアというところが「文明の揺りかご」と呼ばれるほど歴史上、最も数多くの文明を生んだ場所であり、そこで起こった様々な思想や慣習を取り混ぜ、アケネメス朝ペルシャの時代になってから一つにまとめた宗教だった。

だから、約9000年前のシュメール人を始めとしてアッシリア、バビロニア、エジプト、ヒッタイト、アッカド、ペルシャなど中近東一帯で興った民族や王朝の全てがこのメソポタミアから派生しており、(はっきりゾロアスター教と掲げられていなくても)これらの民族や王朝が地球上で移住や領土拡大を繰り返す度に、侵略した領土民を牛耳るのに都合のいい“世界宗教”として、彼らの持つ思想や慣習が次第に人々に広められていったのである。

そのため、ゾロアスター教は東アジアへと伝わっていくと、インドでは仏教の素とも言えるバラモン教やヒンズー教、中国ではけん教、日本では護摩ごまを焚くことで知られる密教などに生まれ変わって行った。



その後、ギリシャのアレクサンダー大王がアケネメス朝ペルシャを滅ぼして世界帝国を築くと、今度はその思想や慣習がギリシャやヨーロッパにももたらされていった。




そこで、ゾロアスター教を知ったギリシャの人達は、その素となっているメソポタミア神話を自分達の言語に合わせて神の名前や場所などを書き換え、ギリシャ神話として他の人々にも伝承していった。そして、さらにギリシャからローマへと覇権が移動すると、次にこの神話はローマ神話となってしまうのである。

この間、ギリシャの哲学者プラトンは、ゾロアスター教の思想に基づいた「ティマイオス」(ギリシャ語で「名誉」という意味で、ここでは本に出てくる登場人物の名前。プラトンの哲学本は、大体、彼の師であるソクラテスとの対話形式になっていて、ソクラテスの思想にも強い影響を受けている)という本を書き、善・悪についての独自の哲学論を展開していった。



そして、これがさらにエジプトの大都市アレクサンドリアに住んでいたユダヤ人哲学者フィロンの目に止まり、プラトンの学説に心酔した彼は、今度はその学説を、既にゾロアスター教やシャーマニズム(精霊交信術)にも通じたバール信仰に影響を受けていた旧約聖書に取り込んでその時代のユダヤ人達に説いていったのである。


こうして、ナザレのイエスの時代からしばらくして、こうしたプラトンを始めとするギリシャ哲学を基にした宗教思想とこのフィロンの残した学説によるユダヤ人達の宗教思想が、旧約聖書と新約聖書を巡るキリスト教とユダヤ教の論争の種となっていき、さらにこれらの宗教の教理(教義や戒律)を踏まえて、逆に元のゾロアスター教へと立ち戻ろうとするイスラム教をも生み出していくのである。







こうなってくると、今更もう、誰にもユダヤ教が絶対、正しいとも、バール信仰が絶対、間違っていたとも言えなくなってくる。


それよりもさらに時代を経た現代では、一体、どの国の、どの時代の、どの民族の、どの宗教が一番、正しくて、どの国の、どの時代の、どの民族の、どの宗教が一番、間違っているかなんて、誰にも特定できないのである。





どれもこれも変わりはない。




ただ、こうした歴史の中で、唯一、事実として言えることは、これまで世界中のありとあらゆる宗教が、ありとあらゆる国々が、ありとあらゆる民族や人々が、“それぞれの文化や宗教思想において築いてきた神仏の名の下で”、たくさんの名もなき人々をいたぶり、傷つけ、理不尽な理由でもって人身御供や殺戮行為を何度も何度も行いながら、それでもなお、それらの行いは神が指示したことであり、神の為だと言って美化し続けてきたということだった。





だから、世界中のどの宗教も、どの国々も、どの民族も、どの人種も決して正しいとは言えないのである。






だが、その一方で、そんなありとあらゆる宗教や国家、民族、人種が、その教義や戒律において人身御供や殺戮行為を良しとしていても、それに反発し、逆にそうした“人を不当に傷つけたり、殺したり、その存在価値をおとしめる宗教や国家、民族、人種”を真っ向から否定していた人達も数多くいたのである。




それは、国や宗教、民族、人種、性別、そういったありとあらゆる基準や境界を超えて、この地球上にいるただ一人の人間として「神とは究極の善であり、神より人は良心を得た」と信じ、ただひたすらこれを仰ぎ、ただひたすらこれを心から愛して、何度も何度も無理解な世間と“それぞれの心と魂で闘ってきた人々”が、これまで世界中のありとあらゆる宗教に、ありとあらゆる国々に、ありとあらゆる民族に、ありとあらゆる人種に、ありとあらゆる時代に点在していたということだった。






そして、その中の一人が、確かにナザレのイエスと言う、2000年前の、ユーラシア大陸の中東地域にあるユダヤという小さな国で、ユダヤ教という宗教の中で育った、一介のユダヤ人の大工の息子だったのである。



― それゆえ、主である神はこうおっしゃった。

  『たとえ、わたしがお前達を様々な国々やいろいろな土地に追いやったとしても

   わたし自身が必ずやお前達のいるところにしばらくは聖域を作ってやろう。

   

   だが、いつの日かお前達を

   その追いやった様々な国々から、

   散らばらせたいろいろな土地から

   必ずやこの“心の故郷(=the Land of the heart、イスラエル)”に

   戻してやろう。


   彼らがそこへ戻る時、すべての俗悪な考えや想像も、

   忌むべきありとあらゆる偶像達も取り払われるだろう。



   わたしは彼らにもはや迷うことのない心を、

   変わらない神(良心)への忠誠心を新たに与えよう。



   そうして、彼らの心の中に巣食っていた

   石のように頑固で冷酷な心を取り払い、

   その代わり、人間らしい温かい心を与えよう。


   そうすれば、彼らはわたしとの約束を守り、

   心してわたし(良心)に従うだろう。



   だから、彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。


   だが、それでもなお、神(良心)に逆らい、

   俗悪非道な考えや妄想を行い、

   信じるべきではない人々や偶像を崇め奉り続ける人々は

   彼らがした行いの数々をそっくりそのまま彼らに返してやろう』


   その時、(未来へと走っていく)車輪の乗り物のそばには

   美しく無邪気な子供の天使達がいて、

   その(想像の)翼を広げ、彼らの頭上には神の栄光が輝いていた。



   主である神の栄光がその街の中から立ち昇り、そして

   山上の東側の真上に止まっていた。

                     (エゼキエル11章17−23節)  


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