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第八話 師弟(2)

そして、彼らがイエスの弟子になってから程なくして洗礼者ヨハネが逮捕された。


残されたヨハネの弟子達は当然、自分達の師を失ったために途方にくれていた。

それは、ヨハネが逮捕されたことで表立った洗礼活動ができなくなるばかりか、彼らの身も危険になっていたからだった。


そのため、何人かの弟子達は既に洗礼活動から離れていった。

また、中には独立して自分達だけで洗礼活動を行なう者も出てきた。


しかし、それ以外で残った弟子達は、まだ先行きが分からず迷っていた。

誰もが道を失い、イライラしていた。

だから、ヨハネの元から去る決心がつかず残っていた弟子達が集まると、つい、そういった不安から議論がいつの間にかケンカへと発展していった。


「大体、どうしてヨハネ先生はあんな事をサドカイ派やファリサイ派におっしゃったんだろう?

少なくとも“ 吸血鬼共 ”なんて言い方はなさらない方がよかったんじゃないか?」

弟子の一人が不満気にそう言うと、何人かの弟子達がこれに同調した。

「いや、ヨハネ先生が捕まったのは何もサドカイ派やファリサイ派の連中が仕組んだとは限らない。

きっとヘロデ王とあのヘロディアスが仕組んだに違いないんだ。

おそらく、以前からあの二人はこの機会を狙ってたんだろう。何せ二人の結婚のことをヨハネ先生は散々、おっしゃっていたからなぁ」

また、別の一人がヨハネの逮捕の理由について違う意見を挟んだ。

すると、その話に応じて別の一人もそれに同調した。

「全く、なんであんなくだらない話題を先生は口になさったんだ?

ヘロデ王とヘロディアス姫が結婚したっていいじゃないか。

ユダヤの王家の純血を守り、これを存続させるにはアラブの姫よりもユダヤの姫と結婚した方がユダヤの為ってもんじゃないか」


だが、これに別の一人が立ち上がって強く反論した。

「何を言うんだっ! 姦淫かんいんの罪は律法でちゃんと禁じられている。

ヘロディアス姫の夫が死んでいるならまだしもまだピンピンしてるってのに、ヘロデ王は自分の弟の女をったんだぞ!

それが許されるとでもお前、思っているのか?!」

「別にそうは言ってないさ。

けど、ヨハネ先生がもう少し私達の事も考えてくれていたら、こんなことにはならなかったはずだ」

反論された弟子は、その勢いに少し押されたのかつぶやくような声でそう愚痴った。

それを聞いて、反論した弟子は余計、いきり立った。

「お前はさっきから聞いてりゃ、自分の事しか言わないじゃないか。少しはヨハネ先生の事も考えたらどうなんだ!」


こうして、弟子達はいつも取っ組み合いを始めるのである。

結局、議論はいつまでも平行線のままだった。



その日もそんな虚しい議論(というか喧嘩)を終え、ヨハネの弟子のフィリポとナサニエルはとぼとぼと家路に向かって二人で歩いていた。

「なぁ、ナサニエル。お前、どう思う?」

フィリポはうつむきながら一緒に並んで歩いているナサニエルに唐突に尋ねた。

「何が?」

「さっきの話さ。ヨハネ先生はヘロデ王の結婚について何でああまでも強くおっしゃったんだろう?」

フィリポは他の弟子達が愚痴っていたように、自分でもヨハネの考えがよく分からず悩んでいた。

だが、フィリポとは違って竹を割ったような性格のナサニエルは、さっきの議論(喧嘩)のことなど全く気にしていなかった。

彼はただ、弟子達の結束が崩れてお互い不毛な議論を続けていることに疲れていただけだった。

「お前、まだ、あいつらの言う事、気にしてるのか?」

「違うよ。ただ、ちょっと疑問に思っただけさ」

フィリポは、自分の師への疑問がナサニエルの機嫌を損ねたかと思い、そう言って急いで今の質問を引っ込めようとしたが、もじもじしながらもどこか思いつめたような表情を浮かべた。

そのフィリポの真剣な表情を見ると、ナサニエルはさっきまでの投げやりな表情を変え、突然、立ち止まってじっと考え込んだ。

「俺は・・・、俺はヨハネ先生は正しい事をおっしゃったと思うよ。

ヘロデの再婚で傷ついたのは何も戒律だけじゃない。

ヘロデの妻だったファセリス姫はもちろん、その後に控えているアラビア王の面目めんぼくさ。

これで戦争になることは間違いないだろう。

あれほどローマのアウグストゥスがお膳立てしてやっとまとまったアラブとユダヤの同盟も、これでおジャンになったことは間違いない。

このままあのアラビア王のアレタスが何も言わずに黙って放っておくとは俺は全然、思えないね」

ナサニエルはそうつぶやくと、ふっとため息をついた。



確かにヘロデ・アンティパスがやったことはあまりにも軽率だった。


ヘロディアスと再婚する為に、15年も連れ添ってきたアラブの姫ファセリスをただ、飽きたというだけで正当な理由もなしに追い払ったことは、人道的にも政治的にも言い訳のつかないことだった。


しかも元々、ファセリス姫との結婚には大きな“ 政治的意図 ”が含まれていた。



そのアラブの姫ファセリスは、ナバテア王朝の王であるアレタス4世の愛娘まなむすめだった。


ナバテア王朝は、イスラエルの東南、現代のヨルダンからシナイ半島にかけたアラビア半島地域におこった王朝で、オアシスを拠点にキャラバン(隊商)を組んで東の貴重品を西へと運ぶ砂漠交易で財をなし、その財力から領土を次第に拡げてきた貿易国家だった。

その地理からしておのずと知れたユダヤの隣国であり、かつてはヘロディアスの実家であるハスモン朝を常に脅かしてきた相手でもあったので、実のところ、ユダヤとアラブは長年、敵対する関係でもあった。

しかし、ローマ帝国の台頭により、アラブはシルクロード(絹の道)を通じた香料取引にて早くからローマと手を結んでおり、同じくローマを後ろ盾にしていたユダヤ(ヘロデ大王)にとっても段々、表立って事を構える相手ではなくなっていた。

それに、ユダヤとアラブがローマの属国になることで、アジア地域に大きく領土を広げていた帝国パルティアと、これと対峙しているローマ帝国の間にこの二つの小国が自然と緩衝かんしょう地帯を作ることになり、両帝国にはさまれることによって二国それぞれの所有する国土の安定をも保つことができていたのである。


もちろん、そうは言ってもイラン・イラクからインダス川に至るまでその領土を広げてシルクロードを一手に握っていた帝国パルティアをローマ帝国は常に警戒しており、機会があればいつでもこの二つの小国に触手しょくしゅを伸ばしてくる危険は十分にあったが、その当時、ローマ皇帝だったアウグストゥスが地中海やヨーロッパ方面での領土拡大にいそしんでいたことと、ローマ帝国体制そのものの基礎固めを慎重に進めていたので、それほど中近東に強い関心を抱いていたわけではなかった。

そのため、アウグストゥスは良き仲人なこうどとして政略結婚を勧めることで、ユダヤとアラブに友好関係を結ばせてそれぞれの国に恩を売り、その恩義の下で二国にローマへの忠誠を誓わせて、ライバルだったパルティア帝国を大いに牽制けんせいしたのだった。


こうして、中近東に乱立していたそれぞれの王朝は、ヘロデとファセリス姫の結婚同盟によって上手くその均衡きんこうを保っていたのだが、ヘロデの不倫によってここでユダヤとアラブが事を構えるようになってしまうと、軍事大国であるローマの関心をわざわざ中近東に向けさせることになり、国としてそれぞれの独立を大きくおびやかしかねなかった。


だが、ヘロディアスの美貌に骨抜きにされたヘロデはまだその事に気づいていなかったのである。



一方、ファセリス姫の父アレタス4世は、ナバテア史上、屈指くっしの王で知られ、政治・経済・文化においてかなりの辣腕らつわんを誇っていた。


首都ぺトラは当時、ローマ文化を中心とした外国文化に花開き、寺院や文化的な建造物はもちろんのこと、銀行や外貨交換取引所といった金融機関が立ち並ぶ一大貿易ネットワークシステムが築き上げられていた。

ちなみに主都ペトラの遺跡は、現代においてはユネスコの世界遺産に指定されており、残された建造物のうち“ エル・ハズネ(宝物伝) ”はアメリカ映画「インディー・ジョーンズ〜最後の聖戦〜」のロケ地として使われたことでも有名である。


そんな首都ペトラの豊かで自由な雰囲気に育ったファセリス姫は、その当時としてはかなり進歩的で行動派の女性でもあった。

ヘロデが自分を捨ててヘロディアスと本気で結婚するつもりだと知った彼女は、そんな非道にめげることなく何とかユダヤを脱出し、実家に戻るとすぐさま父にその事を告げたのである。


当然、愛娘まなむすめの苦境を知った父アレタス4世が怒ったのも無理はない。


こうして、ユダヤとアラブは再び大きな緊張状態に置かれることになったのだった。


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