第七十九話 マリアの献身 (2)
一方、その傍らで他の弟子達と共にくつろいだ様子を見せていたユダ・イスカリオテも、その女性信者達の香油の話に心中、穏やかではいられなかった。
ペトロと話をしたあの夜以来、ユダはずっとイエスの引渡しをためらっていた。
宗派を辞める決心はとっくについていたが、イエスをサンヘドリンに引き渡すことは最悪、死を意味するだけに、やはり自分の中での“迷い”は否定できなかった。
だが、たとえイエスが死なないとしてもユダはイエスの引き渡しをためらっていた。
なぜ、迷うのか?
それがユダにもよく分からなかった。
散々、奇跡で病気やケガを治してみせる、と自分や信者達を騙してきたイエスを詐欺師だと言ってサンヘドリンに引き渡すのは当然じゃないか、とユダは自分に言い聞かせてきた。
しかし、その一方で、イエスが本当に自分を騙していたのか?という疑問も少しは感じていた。
確かに、イエス自身がユダの娘であるエスターの病気を奇跡で治してあげる、とは一言も彼に言ったことはなかった。
だが、ユダは入信する際、イエスに自分の事情を全部、話していた。
それで何もかもイエスは“分かってくれているはず”だとユダはずっと思い込んでいた。
全部、打ち明けたんだ。
病気している娘がいるって。
神様の力で治してほしいとも言った。
だが、あの人は何も言わなかった。
ただ、静かに首を横に振ってため息をついただけだった。
それでも必死にすがりついて、何とか救ってもらいたいと言った。
エスターをどうにかして助けたいと。
そしたら、あの人はこう、言ったんだ。
「あなたが“本当に”娘さんを治したいと願っているのなら、“心の底からそれだけを望んで”神にすがるなら、あなたの行いやあなたの真心を見て、神はそれに報いてくれるでしょう。」と。
だから、わたしはあの人に入信して散々、尽くしてきたじゃないかっ!
なのに、あの人は何も言わずわたしを入信させただけでなく、盲人や病人を治すというあの奇跡が嘘っぱちだってこともずっと黙っていた。
それじゃあ、わたしを騙したのと同じじゃないか。
そんな悪党をサンヘドリン(警察)に突き出して何が悪いっ?
それに、あの人が逮捕されたらペトロさんや弟子仲間達、全員の命を助けることもできる。
今は皆、何も知らず「暖かくて気持ち良いから」と、あの人が燃やす活動への情熱の火に当たってなんとなく喜んでいるが、そのうち、それが火事にでもなったら、皆、焼け死んでしまうだけだ。
だったら、そうなる前に、くすぶっている火を消すことは何も悪いことじゃない。
そりゃあ、裏でこっそりサンヘドリンに引き渡すなんて最初はあまりいい手段には思われないだろうし、わたしがそれをすることで、せっかくこれまで温もっていた仲間同士の信じあう気持ちに水を注すことになるかもしれない。
でも、このままあの人の好き勝手を許しておけば、必ず周りが迷惑することになる。
迷惑どころか、皆の命に関わるんだ。
だったら、これは皆の為に良いことをしたってことなるんじゃないのか?
しかし、ユダは何度もそう考えては、それでも尚、どこか吹っ切れないでいた。
それがどうしてなのかユダには分からなかった。
それさえ分かればユダはすぐに吹っ切れて、ペトロに言われたことを即、実行できそうな気がした。
しかし、ユダがどれほど頭をひねって考えたとしても、自分が迷っている本当の理由など彼に分かるはずはなかった。
なぜなら、ユダは、自分で“自分”を見つめ直そうとは決してしなかったからだった。
人が道に迷う時というのは、何よりも自分が今、一体、どこにいるのかが分からないから迷うのである。
そして、さらに、自分の位置を知ろうと間違った情報を教える人にそれを聞き、その人から教えられた言葉をそのまま鵜呑みにしてしまうと、今度はもっと迷うことになる。
ユダは、この迷いの法則に見事にはまっていた。
そもそも、ユダ自身、何を目的にしてイエスに入信してきたのか本当のところ、自分でもよく分かっていなかった。
口先ではエスターの病気をイエスに治療して欲しいとは言っていたが、彼の実際の行動はそれとは逆行することばかりだった。
少しでも虚弱なエスターの傍にいてやりたいからと旅の多い商人の仕事を辞めたのなら、何もこれまた、旅の多いイエスの元へ入信しなければよかったし、また、薬代に金が必要ならそういう稼ぎのいい職業に就けばよかった。
むしろ、商人の仕事も辞めなければよかったかもしれない。
だが、彼自身、エスターを口実にして宗派の金庫から盗んだ金で薬を買ったとしても、それでエスターの病気がよくなったり、エスター自身が本当に喜んでくれるのかといったことも真剣には考えていなかった。
それほど、彼は自分自身について“自分の心(=神)”に問いかけようとはしてこなかった。
それでいて、誰かに自分の気持ちや状況を分かってほしいと言ったところで、一体、誰にそれが伝わるだろうか?
自分のいいところも、悪いところも含めて自分で見つめなおし、自分の立場や状況、何よりも一体、自分が何を望んでいるのかよくわかっていたら、それを何とか誰かに伝えることはできるが、それでも言ってることが目的や実際の行動と違っていたら、誰にも彼がどこへ行こうとしているかなんてわからない。
だから、ユダは、自分の心の扉を開いて自分自身を見つめ直すこともなく、自分でもはっきり自分が一体、何をしたいのかわからないままイエスに話していただけで、それでイエスは自分の事を“分かってくれているはず”だと勝手に思い込んでいた。
しかも、ユダはその後もイエス以外の誰かに話を聞いてもらったり、相談することもなく、一人で勝手に憶測や被害妄想を募らせていき、それが結果として、彼の中でのイエスに対する不満になってしまったのだった。
それでも、彼なりに勇気を振り絞ってついに自分の悩みや不満を打ち明けた相手が、あのペトロだったことも、ユダにとっては最悪の人選だった。
なにせ、ペトロは元々、ユダを迷わすことしか頭になかった。
ペトロは、ひたすら自分以外の誰かにイエスをサンヘドリンに引き渡してもらおうとユダをうまく誘導しようとしていただけであって、それ以外でユダの悩みや気持ちを親身になって聞いてやるつもりもなければ、むろん、イエスについて真実など語るはずもなかった。
だが、ユダにはペトロの本音や目的など到底、気づくはずもない。
そもそも、彼自身、自分自身を振り返って、“自分が何をやろうとしているのか?”、“自分が何をやりたいのか?”、つまり、“自分(の意見や考え、信念)を持つ”といったことを今まで一度たりともしたことがなく、いつも他人から自分の行くべき道についての指示を待つだけだった。
― 精神で鍛練を積む者は神からの“理解”をもらい、
愚痴や不満、悪口を口にする者は他人からの指示を黙って受け入れる
(イザヤ29章24節)
だから、ペトロの表の顔や上辺の言葉だけを信じ、“彼に言われた通り”に動くことが正しいと思い込んでしまったのである。
とは言え、やはりユダの本心が欲する事と、ペトロの欲するものとが符合するはずもなく、それがユダの心を何となく悩ましていたのである。
そして、そのもやもやとした気持ちが吹っ切れないままイエスがエプライムから戻ってくると、今度はそのイエスを引き渡すための期日が迫ってきたことにもユダはプレッシャーを感じ始めていた。
そんな中、マリアが取り出してきたナルドの香油を見て、女性達が他愛もなく「あれは年収分もの値段がするのよ」と話すのを聞いたユダは、内心、ますます訳の分からない苛立ちが募ってくるのを感じていた。
そんな様々な周囲の思惑など露知らず、マリアはずっと大切にしまっておいた父親の形見の品をイエスの元に持ってくると、彼が横たわるカウチの足元にひざまずいた。
そして、脆いアラバスタ(石花石膏)大理石でできた香油ビンの蓋をそっと自分の爪で引っかいて、その長く密閉されてきた芳しい香りをついに外へと解き放った。
それは得も言われぬ香りだった。
まるで奥深い森に迷い込み、うっそうとした木々の匂いに混じってどこからか漂ってくる強く甘い花の香りを一遍に吸い込んだような香りだった。
その底知れぬ刺激的な香りが部屋の中どころか、家の中にまで徐々に広がっていくようで、その場にいた誰もが一瞬、山の中にいるような錯覚を覚えたほどだった。
それほどまでに、それは“そそられる”香りでもあった。
その香りの源をゆっくりとした手つきでイエスの足の甲に注ぐと、マリアはふと、
懐かしい父の笑顔が思い出された。
実際、まだ小さかったマリアがシモンの顔をはっきりと覚えていた訳ではない。
ただ、目尻に皺を寄せて笑うその彼の笑顔と、優しく自分を抱き寄せるあの大きかった手が幼かったマリアの心の奥深くに刻まれていて、それが彼女にとってはかけがえのない父の思い出だった。
その思い出が今、この香りと共にマリアの心に蘇ってきた。
お父さんが今も生きていたら、こんな風にこの香油を足にかけてあげたでしょうに・・・。
いつも長旅で疲れているその足をさすってあげたりして。
そうしたら、きっとお父さんはまた、あの笑顔をわたしに見せてくれただろうな。
マリアはそう思うと、香油を注いだイエスの足が死んでしまったシモンの足のような気がしてきた。
すると、その足が余りにも愛おしくなって、マリアは思わず、垂らした香油を自分の髪で拭き取りながら優しくその足をさすっていた。
そうして、乱れた髪で自分の顔を隠し、マリアは人知れず涙を流していた。
誰もその時、イエスの足をさすっている彼女が泣いていることには気づいていなかった。
しかし、ただ一人、イエスだけは自分の足にそっと落ちたマリアの温かい涙を感じていた。
正直、イエスは男として、それまでラザルスの妹であるマリアに“女性”を意識したことはなかった。
だが、マリアの涙を自分の足に感じた時、イエスは初めて、マリアという一人の女性に気がついた。
いつもはのんびりとしたほがらかで明るい彼女の心にも、自分と似たような埋めようのない寂しさがあることを知った。
一方、マリアもまた、イエスが持つ計り知れない深い孤独を感じ取っていた。
その孤独を癒すために取り出した父の形見の香油で思いがけず二人は互いの共通点を知り、さらにその刺激的な香りで何となくお互いの性に気づかされたのだった。
こうして、二人それぞれが“温かくかけがえのないもの”を求め、これまでずっと自分の心の中で上げ続けてきた、その声にならない叫びをどちらともなく聞きつけ、それが二人の心に深い共鳴を呼んでいた。
そして、それが二人にとって互いを愛しく思い合うきっかけでもあった。
だが、その場にいた他の者達は彼ら二人の間に漂う“空気”を快く思って見ていた訳ではなかった。
特にペトロは、これまでマリアから何となく毛嫌いされていたこともあって、多少、男にありがちな、自分になびかない女への嫉妬心からイエスの足をさする彼女の姿を心の中で蔑んでいた。
ふん、まるで街の娼婦が客をもてなしているのと同じだな。
みっともない。
それはペトロだけでなく、他の弟子達もペトロと同じようにマリアのことを見ていた。
彼らの間ではさっきからずっとナルドの香油の値段についての憶測ばかりが飛び交っていただけに、彼らにしてみれば、まるでマリアがその財力を皆の前で見せびらかし、自慢しながらイエスに媚を売っているように見えたからである。
むろん、そういう女を見つけたら、同性である女性陣ほど容赦がない。
そして、彼ら弟子や女性信者達は、こそこそと隣同士でマリアについての陰口を叩き始めた。
すると、香油の値段を聞いて既に苛ついていたユダ・イスカリオテが、隣で他の弟子達のするマリアについての噂話に触発され、突然、席から立ち上がり、声を荒げてマリアに言った。
「あなたは貧しい人達への寄付を断ったそうだが、そんな高価な香油は買えるくせに、なぜ、貧しい人達には寄付しようとしないんだ?
一個200デナリも300デナリもするような高価で無駄なぜいたく品を身にまとい、その上、家族が病気だからと神の恩恵にすがり、イエス先生に死者復活まで願い出てそれが叶った今、それでも寄付を断るのか?
世の中には、一日、たった1デナリしか収入がなく、それどころか生活費を工面するために借金に借金を重ね、それでも病気や老いた家族を養っていかなければならない人達が大勢いる。
その人達が一年かかっても稼げない金額分もするような香油を持っているんだったら、さっさとそれを売って貧しい人達に寄付したらどうなんだっ?」
ユダはそう言って、他の弟子や女性信者達が陰でささやきあっていた本音を暴露した。
それはマリアが以前、自分達の宗派への寄付に難癖をつけたことをユダも聞いて知っていたからだった。
だが、そのユダの言葉を聞いて、イエスは即座にマリアをかばった。
「彼女が何を買おうと、何を断ろうと、それは彼女の自由だ。
寄付を強要される覚えはない。
それに彼女は疲れたわたしをねぎらう為に、イエスというこのわたしをもてなす為だけにそんな高価な品物を惜しみなく使ってくれたのだ。
本来なら、わたしの埋葬の日にでも取っておいてくれてもよさそうな代物だが、彼女は物でわたしを労わったわけじゃない。
“彼女の心で”イエスという一人の人間、このわたし自身を労わってくれたのだ。
あなた方はいつだって金や物を寄付してあげなければいけないと考える“貧しい人達”がいるんだろうが、わたしはあなた方とこれからもずっと一緒にいるわけじゃない。
そもそも、金や物で人が救われるんじゃない、労われるわけでもない。
それを捧げたからと言って神が喜ぶわけでもない。
どうしてあなた達にはそれがわからないんだ?」
イエスはそう言って、冷たくユダを突き放した。
誰も金や物がないから貧しいんじゃない。
誰も金や物がないから泣いているわけでもない。
生きる希望がないから泣いているんだ。
真実の愛や希望がもらえないから貧しいんだ。
顔の前で金貨をちらつかせたら人は誰でも喜び、それで救われるとでも本気で思っているのか?
寄付金?
そんなもので誰が救われるというのだ?
その金や物の為なら“いつだってわたしを世間や権力者達に売ろうとする人達”、“綺麗事を並べ立てながら実際にやってることは他人を傷つけ、陥れ、他人から何か大切なものを奪ったり、盗んだりする人達”、そんな“心無い人達”とこのわたしが同じ仲間とでも?
やめてくれ。
わたしはあなた達とは違う。
あなた達とは、もはや違う道を行く。
わたしはわたしの道を行くだけだ。
そうしてイエスはこの時、きっぱりとユダやペトロ、その配下の弟子達を見限った。
それまでずっと心の底でわだかまっていた、なんとか彼らと分かり合おうとしたり、妥協し合おうとするペトロ達との友愛への望みや、彼らと過ごし、慣れ親しんできた日々への愛着心をすべて断ち切ることにした。
イエス自身、これから何が起ころうとも、彼らが自分に何をしてこようとも、“自分を見失うことなく”、神から与えられた運命を受け入れようと決意した瞬間でもあった。
一方、イエスにそう突き放されたユダは、まさかそんな風に反論されるとは思っていなかっただけに一瞬、ひるんで、押し黙った。
他の弟子達も同様に、イエスのただならぬ強い口調に驚き、さっきまでマリアの悪口を言っていた口をすぐにつぐんだ。
だが、ユダはどうしてもイエスのこの言葉に納得ができず、自分を含めて貧しく、薬も満足に買えない苦しい人々が救われず、なぜ、ラザルスやマリア達のような好きなだけ薬も治療も買える裕福な人間だけが神から恩恵を受けるんだという嫉妬心が沸き上がり、悔しさにたまらなくなって、そのままぷいっと部屋を出て行ってしまった。
そうなると、さっきまで部屋に充満していたあの甘い安らかな香りとゆったりとした温かい空気などあっという間に掻き消え、辺りにはどうにも耐え難い険悪な雰囲気だけが漂っていた。
結局、これで座は白け切り、その夜の夕食会はその雰囲気のまま終わってしまった。
そして、ここで起こった出来事がきっかけで、ユダはもちろん、帰還してからのイエスの動向を伺っていた他の弟子達の心にもどうにも釈然としないしこりのようなものが残り、彼らもまた、そろそろ本気でイエスに愛想を尽かし始めたのだった。