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第七十五話 裁定

新しく感想を書いていただきまして、ありがとうございました。喜んでいただいて本当にうれしかったです。また、それまでにも意見や感想をいただいた方々にも改めてお礼申し上げます。

皆さんの励ましやご批評の言葉を受けて、これからも喜んでいただける作品にするよう、頑張りたいと思います

また、難ある部分を我慢しつつ、いつも暖かい目で読んでくださっている読者の皆さん。いつもありがとうございます。また、お暇がありましたら、率直なご意見、ご感想をお待ちしています。

だから、ユダヤ教の法がそうだったように、“今の”ローマ法がいかに最新で精巧な法制度を完璧に整えていたとしても、それを扱う人の心に“法の精神”(=神の心、神の精神)が宿らない限り、どんなに優れた法であっても、それは所詮、宝の持ち腐れだった。

そして、それをこの時、他の誰よりも先に気づいていたのは、多くの、しかも最先端の情報に取り囲まれ、高い学識を培い、豊かで自由な社会で育ったピラトよりも、学識がほとんどなく、時代遅れで、貧しく抑圧された社会で育ったイエスの方だった。



一つ付け加えておくなら、この時、ユダヤとローマにおける一般教育の普及率、もしくは文盲率に大した差はなかった。

もちろん、ローマの教育制度(特に現代で言う、いわゆる大学以上の高等教育)やその知識の幅広さについては目覚しいものだったし、多くの貴族やユダヤ富裕層はこぞってローマに留学し、その最先端の教育を受けたがったが、概して一般的な教養や基礎的な学力ぐらいなら、ユダヤ人達もローマ人達に負けないものを持っていた。

それは、かつてユダヤ人達がエジプトだけでなく、バビロニアに捕囚されたり、古代においてはアッシリア帝国、その後、アレクサンダー大王の頃からはギリシャやローマといった外国の支配下に度々置かれた歴史もあったため、民族としてのアイデンティティー(自覚)だけは失わせまいと、ユダヤ教の僧侶や教師達を中心にシナゴーグ(集会所)などでの愛国教育に力を入れてきたからだった。


もちろん、そこでは外国の学問は許されず、ユダヤ教のトーラ(モーゼ5書)が一番の教科書であり、タルムード(口頭による律法書解説。後にミシュナと呼ばれる文書化がなされる)が彼らの主要な講義だった。

しかし、海外との取引や商売において欠かせないことから、シナゴーグ以外の場所でも一般庶民は外国語や算数、一般常識といったものをそれなりに学んでいたし、イエスの頃になると、それまでの読み、書き、計算、歴史といった基礎学力に加え、ギリシャ語やラテン語などの外国語教育にも力を入れるようになっていた。


イエス自身も、母国語のアラム語(現代のシリア・パレスチナ・イラク辺りを領土としたアッシリア帝国で使われていたセム系言語。ヘブライ語はイエスの頃には古語に近く、アッシリアの支配以降、アラム語はギリシャに至るまで地中海沿岸地域に広く普及していた)の他に、ネイティブ(完璧)とは言えなくてもある程度ギリシャ語は話せたし、ラテン語も少しはかじっていた。


そうは言っても、やはり、ローマでギリシャ哲学から数学、科学、古典文学に修辞学(雄弁術、もしくは現代で言うコミュニケーション術)と高度な学問の数々を修めたピラトと比べれば、イエスの学識など物の数ではなかっただろう。



ただ、人として、イエスはピラトよりもはるかに物事に対する“理解”に長けていた。



これは、知識の量や学問の幅だけで培えるものではなく、また、人の力で操れるものでもない。

まさに神の力を必要とする、人の心と頭脳への未知なる贈り物、それが人の“理解”というものだった。



― わたしはかつて思っていました。

  『年月というものが言葉を話すんだろう。

  積み重ねられた経験というものが知恵を教えてくれるんだろう』と。

  しかし、それは人の中にある精神が、

  全知全能の神の息こそが、その人に理解というものを授けてくれるのです。

  だから、年を取ったからといって賢い訳ではなく、

  経験を積み重ねたからといって、何が正しいのか理解している訳ではありません。  

                         (ヨブ記32章7−9節)



だから、イエスは別にピラトやユダヤの律法学者達ほどの学識を備えていなくても、そうした“法の本質的なあり方”に気づいていただけでなく、ピラトがローマ法の形態ばかりに囚われ、「ローマ法のみが高度文明の賜物」と信じて疑わず、逆にユダヤ法の真の意味やユダヤ人達の知性そのものを疑うのは、単なる“大国のおごり”だと見抜いていた。



そうして、ピラトがユダヤの法をバルバロイ(野蛮人)法と呼んだ時、祖国を愛する一人のユダヤ人として、イエスはピラトに小さな怒りを覚え、彼をぐっとにらみつけたのだった。




だが、イエスはここでそのことについて何かを言うつもりはなかった。


大体、そんなことを一から説明できるような状況でもなかったし、どれほど高い教養を修めた人であっても、イエスの考えに賛同する人が少ないことは、これまでのユダヤの僧侶や教師達の姿を見ても明らかだった。





むしろ、知性があるとされた彼らの方が、イエス自身が気づいた“ユダヤ教の根底に流れる法の精神(神の精神)そのもの”の解釈を徹底的に否定したのである。




そして、その行き過ぎた憎悪と否定の結果、彼らが選択したのはイエスの存在そのものをこの世から抹殺してしまうことだった。




そういった複雑な事情に加え、どうにも理性だけでは推し量れない人の“嫉妬”や“憎悪”というものを、イエスという人物を知ってからこの短時間のうちに、(総督になってユダヤには10年間、いたとしても)部外者で、しかも外国人であるピラトが全てを正確に把握することなど到底、不可能だった。

だから、ピラトなりにいろいろと情報を合わせて真剣には考えていたようだが、この訴訟がそこまで人の心の闇を探るほど根深いものとは気づかず、結局、単なる口ゲンカと見るのは当然と言えば、当然だった。





「とっ、とにかく、このまま何でも連中の思い通りにさせる訳にはいかん。

ローマ法をこの国のいい加減な法と一緒のように考えて、何でも連中の好き勝手がまかり通ると思われても困る。

しかし、一体、どうすればいいのものか・・・」

わたしは、カシウスの後ろから突き刺すような鋭い視線を向けてくる男の雰囲気に気おされて、少し言葉を和らげてそう言った。

そうして、何かいい解決策はないものかとひじ掛けに寄りかかって、片手で頭を抱え込んだ。


すると、ふっといい考えが浮かんできた。


「おいっ、カシウス、いいことを思いついたぞ。

連中は法について、基本的なことが何も分かっちゃおらん。

だったら、そこから始めてやろうじゃないか。


刑の重さをどう公平に量るか?


まずは、その、法における“量刑”というものをきちんと教えてやる必要がある。

ちょうどいい具合にそこにいる男と同じインチキ説教屋が一人、牢にいるのだ。


名前は、えーっと、確か、バラ・・・バラバとか言ったかな。

ふざけた名前だ。

聞いたところによると、アラム語で“預言者の子”、何でも預言者モーゼの生まれ変わりか何かを意味する名前らしい。

まぁ、それがそいつの本名かどうか、あやしいもんだが。

そこにいる男がユダヤの王、神の子だと名乗るのと一緒で、そいつもそんな名前で説教屋を気取って歩いていたらしいが、これがまぁ、飛んでもない悪党でな。

女を陵辱するわ、強盗はもちろん、殺人まで犯すわで挙句の果てに暴動までけしかけやがった。

それで、ユダヤ人達でさえ困り果てて捕まえてくれと何人も言ってきた男をこの前、ようやく捕らえることが出来たのだ。


まぁ、そいつと比べりゃ、ここにいる男なんて可愛いもんだ。

その・・・、死者復活か何かは知らんが、そんなインチキデマを吹聴したからと言ってそれで誰に、何の害があるというのだ?

そんなことぐらいでいちいち、はりつけなどという極刑を言い渡すことなどできるわけがない。


多少、訴えてきた僧侶達の顔触れやヘロデの態度が過ぎるのも気になるが、まぁ、連中のこれまでの訴状を考えても、結局のところ、寺で男が偉く口答えしたとか何とかと言って怒っていたから、多分、こいつも随分と偉そうな口を僧侶達に利いたんだろう。


それで、連中も大人気なく引っ込みがつかなくなったのかもしれん。

だったら、僧侶達の頭を冷やして引っ込みがつくようにしてやればいいことだ。


悪党中の悪党のバラバとそいつとを並べて見せてやれば、どっちを処刑すべきかすぐにわかるだろうし、頭を冷やさせる機会を作って冷静に考えさせてやれば、まだ、そいつの方がよっぽどマシだと、あの偏屈僧侶共でもすぐに気がつくだろう。

そうなれば、訴状も下げるだろうしな」


わたしは自分の思いつきに満足してうんうんと一人でうなずいて見せた。

カシウスは無表情にわたしのその様子を見ていたが、男の方はそれを聞いて少しあきれたような表情を浮かべた。




「そう、簡単に行くものか」

男は目を伏せてぼそっとつぶやいた。


「えっ?」

と、わたしの耳はその小さなつぶやきをすぐに捕らえた。

「何か言ったか?」

わたしが怪訝そうに聞くと、男は慌てて唇を噛んだ。

そうして、少し悔やんだような表情を浮かべたが、それ以上、何も言わなくなった。



わたしはその男の様子が何となく引っかかったが、それでもこの面倒くさい審議からどうにかして早く解放されたい気持ちに駆られ、早速、カシウスにバラバを連れて来るよう命じた。




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