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第七十三話 法の行方 (1)

「いいえ、このラビ(先生)、いえ、この男は熱心党には所属しておりません。

大勢の仲間と一緒に活動することはなく、普段は一人で活動しているようです。

主に説法活動だけですが。

むろん、この男が熱心党のような過激な活動に関わっているのかについても、わたしなりにつぶさに調べましたが、そういった報告は一度たりとも聞いておりません。

ですが、どこにも所属せず一人で活動していると言いましても、弟子はいますし、信者もそれなりに多く、小さい宗派ながら世間の評判もそれほど悪くはないようですので、そこに目を付けたシモン・ガリレーが自分の身を隠すために紛れ込んだものとわたしは推測しております。」


カシウスの言葉に、わたしはちらっと紫のローブ姿の男を見た。


男は相変わらずうつむいたまま突っ立っていた。

まるで別世界を彷徨さまよっているかのように、男は自分の目の前で交わされている会話すら全然、聞こえていないようだった。



確かに、こんな存在感のない夢見る羊が荒くれた武装集団の指揮をしている姿なんて、ちょっと想像し辛いしな・・・。


かと言って、それほど気の小さい、ただの“間抜け”のようにも見えんし・・・。




「ふん、よく分からんな。おい、カシウス、もうちょっとこっちに来い」

わたしはそう言って、ぞんざいにカシウスを手招きした。

カシウスが機敏にわたしの前に進み出ると、わたしは裁判席の肘掛に寄りかかりながら少しくだけた調子で彼に話し掛けた。


「カシウス、お前の知恵を貸せ。

わたしには何がなんだかさっぱりだ。あいつは一体、何者なんだ?

お前の報告からして、ユダヤ人達はそのシモンという男を我が軍に引き渡すつもりはないんだろう?

だったら、何でわざわざあの男をわたしのところに連れて来る?

あの男が故意にせよ、偶然にせよ、シモンをかくまっているのなら、あの男が捕まったら元も子もないだろう?」


わたしは顎をしゃくって、カシウスの後ろに控えている男を指した。

「それはわたしにもよく分かりません。

ただ、わたしがこれまで調べた限りでは、あの男とシモン・ガリレーとの接点はあまりないように思えました。

それに、世間の評判とは裏腹に、別の宗派の者達からはやっかみか何か知りませんが、かなり攻撃されているという報告も聞いております。

なので、シモンの件とは別に、あの男とユダヤ人達との間に個人的な争いがあるのかもしれません。」

カシウスは、声を落としてわたしにそう言った。


「ふむ。お前の推測に異論はないが、気になるのは、なぜ、あれほどまでにユダヤ人達があの男を磔にしたがるかだ。

故意であろうとなかろうと、あの男がユダヤ人達にとって都合のいい過激派連中や政治犯をかくまってくれるのなら、ユダヤ人にとってあの男は好都合じゃないか?

それなのに、ヘロデにしろ、ユダヤの坊主共にしろ、何で奴らはあんなにあいつを殺したがるんだ?

しかも、わたしが親切にも突き返してやったものを、また戻してきやがった。


それに奴らがあいつを突き出して来た理由にしたってさほど珍しい話でもない。


これまでだって『ユダヤの王だ』とか、『神の使いだ』などと言って反ローマを掲げ、デモを扇動してきた嘘つき救世主や説教屋はこの国じゃあ、エルサレムはもとより、そこら中にわんさかいたじゃないか。


なのに、なぜ、あの男だけをあれほどまでに目の敵にするのか、それがさっぱりわからん。


あいつがユダヤ人同士で何か問題を起こしたのならまだしも、何かを訴えて叫んだぐらいでいちいち目くじら立てて殺す必要がどこにある?

それに、反ローマの過激活動にしたって、そもそもそうした反ローマの説教屋の巣窟があの神殿じゃないか!」

わたしがつい、これまでのユダヤ人達への鬱憤を晴らすように声を荒げて強く言うと、それまで黙って後ろでうつむいていた男の方からくすっという皮肉っぽい笑い声が聞こえてきた。


カシウスもその声を聞き逃さなかったらしく、わたしと同じように後ろの男を振り返った。

そうして一瞬、罵声を上げたことに気まずさを感じ、わたしは再び声を潜めてカシウスに言った。


「とにかく、ユダヤ人達の意図がどうもよく分からん。

つまらんインチキ説教屋と僧侶同士のケンカの仲裁をわたしにしろ、とでも言うのか?

それとも、武装勢力の仲間割れが原因なのか?

お前はどっちだ、と思う?」


カシウスは振り返った後ろの男から目を引き離すと再び、わたしの方に向き直った。

その目はまるで氷のように冷たく、何の感情も見出せなかった。


「正直申し上げて、わたしにも分かりません、閣下。

あの男とシモンとの活動は違うことは確かですが、一体、何を目的にしているのか、それはわたしにも分かりません。

反ローマ活動を扇動する為に説教をしているのか、それとも全く別の為なのか・・・」

「そう言えば、あの男はユダヤ人達にはよく知られているとお前は言ったな?

なぜ、それほど有名なのだ?」


わたしは思い出したように質問した。

すると、カシウスは困ったような顔をした。



「つい、最近ですが、妙な噂がユダヤ人達の間で立ちました。

それがペサハ(過ぎ越しの祭り)の時期も重なったためか、内外からやって来る巡礼客達の中で大きな話題となり、クファノウムのわたしの耳にまで聞こえてきました。

わたしの聞いた話では、ナザレのイエスという男は死者復活をして見せた、と・・・」

カシウスが困った顔をしたのは、恐らくわたしがそういう話を信じない方だということがよく分かっているようだった。



実際、わたしは宗教に入れ込んだことなどあまりなかった。

女房のプロキュラは夢占いだの、イシス神(エジプト神話における女神。大地と万物の女神としてローマ帝政時代に一大ブームを巻き起こしたカルト宗教)がどうのと、巷の女達が好みそうな異国の宗教をあっちこっちと仕入れてくるようだが、わたしはそもそも信心深くもないし、形ばかりは社交上の礼儀やつきあいとして先祖や神々をまつっても、宗教らしい思想や出来事にそれほど興味もなかった。


大体、今はもう宗教で戦争や国の将来を占うような、そんな古臭い時代じゃない。



ローマ帝国が既に“武力と経済”で世界を牛耳っている。



神よ、女神よ、と年がら年中、ほざいている連中をよく見るがいい。


この国がいい例だ。

仲間同士で血を流し合って、毎年のように死体が山積みになっている。

そこら中に血の匂いと腹をすかした連中がうろつき回り、生きるよりも死ぬことだけを求めているようなもんだ。


そうかと言えば、金勘定に忙しくて、そっちの方が神よりもよっぽど大事なんだろ、と皮肉を言いたくもなる。



そんな世の中のどこに神がいるって言うんだ?

この世は、金と、力と、コネ、そして知恵ある者によって征服される。



それはローマが証明してやったじゃないか。

だが、この国の連中はそんな現実など見向きもしない。


ひたすら、自分達の国を元に戻してくれるという“神”を求めて祈り続ける。

どう見たって勝ち目はないのにな。




「ふん、何が死者復活だ。

くだらん。

奴らは本気でそんなことを信じているのか、全く!

第一、ミイラが生き返るもんなら、我が軍がエジプトに行った時にピラミッドから出てきて戦いそうなもんだがな、ふんっ。

まぁ、とにかく、あの頭が固くて偏屈、高慢な僧侶共のことだ。

どうせそんなインチキ話に乗せられた民衆の騒ぎっぷりを見て驚き、信者を横取りされそうになったもんだから慌ててあの男をここに連れて来たんだろう。

全くもって馬鹿にしてやがる!


朝っぱらから人を叩き起こして、戦争がどうのと言いだすから大そうな話かと思ったら、結局、単なるインチキ説教屋と僧侶共のケンカかっ!

ヘロデの奴も、お前が提供した情報をさも自分が調べたかのように言い、わたしに恩を売ってきたが、結局のところ、自分がやりたくない仕事をわざわざわたしに押し付けたかっただけじゃないか。


どうせ、あいつは以前、何とかって説教屋を一人、自分で処刑してユダヤ人達に偉く嫌われたらしいから、もう説教屋の処刑は懲り懲りなんだろう。

それにしても、ユダヤ人ってのは一体、何を考えているんだ?


たかが宗派争いでユダヤの王を勝手に名乗ったからって何がはりつけにしろだっ!

そんなくだらない理由で人一人、簡単に処刑できるものかっ!


大体、まともな起訴理由もなしに誰かれとなく好き勝手に処刑できるなんて、そんな非文明なことがローマ法でまかり通るとでも思っているのか?


ローマ法を見くびるにもほどがある。


我が国の法を、そんな1000年か2000年前のオリエント(東洋)でできた、時代遅れのバルバロイ(ギリシャ語の「野蛮人」の意。元はギリシャ語を話さない民族を総称してそう呼んだ)法と一緒にするな。

いかにいろんな連中がケチをつけるにしろ、ローマ法は万民のために作られている公明正大な法律だ。


皇帝でさえも勝手気ままにこの法を曲げることなど許されない。

それはこのユダヤにおいても同じだっ!」

わたしが吐き捨てるようにそう言うと、それを聞きつけて、さっきまでうつむいていた男がさっと顔を上げ、わたしをにらみつけんばかりにまっすぐその目を向けてきた。




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