第七十一話 偽善
「だって、そうじゃないですか。
ペトロさんにだって守るべきご家族もいるし、何も悪い事だってしてないのに、どうしてそうまでして先生と一緒に命を張る必要があるんです?
こう言っては何ですけど、イエス先生に従ったために、どうして私達、弟子達まで逮捕されないといけないんですか?
だって、元を正せば、先生が始めたケンカでしょう?
先生があんな風にファリサイ派の人達を始めとする他宗派の人達と言い争ったり、国の法を担っているエルサレム神殿やサンヘドリンの人達に対してあそこまで抗わなければ、何もこんなことにはならなかったんじゃないんですか?
だったら、イエス先生がその責任を取るべきであって、私達、弟子達には何の罪もないじゃないですか。
まして、ペトロさんなんか、他の弟子達よりもずっと先生のお世話をしてきて、しかも、私達や宗派を守るのにこんなに一生懸命、頑張ってらっしゃるのに、先生はどうしてそんなペトロさんまで道連れにしようとするんです?
一番、上にいるイエス先生が、私達、下の弟子達を守ってくれなかったら、一体、誰が守ってくれるって言うんですか?
私達は皆、イエス先生が守ってくれるだろうって信じてきたからこそ、従ってきたんじゃなかったんですか?
それなのに、イエス先生が始めた騒動に巻き込まれてペトロさんまで死ななきゃならないなんて、その上、ペトロさんのご家族だけが悲しむことになるなんて、こんなの、絶対、おかしいですよ!」
と、まるで人が変ったように、普段は無口な男が一挙にそうまくし立てた。
ユダはその時、涙ながらに『イエスと一緒に心中する覚悟だ』とまで話すペトロの言葉を真に受けて、ペトロへの一方的な情に流され、彼の肩を持とうと自分の中で溜まっていたイエスへの不満をぶちまけたのだった。
ペトロとしては、ユダがここまで激昂するとは思っていなかったが、思惑通り、ユダが本音を漏らしてくれたことで内心はしてやったり、という思いで一杯だった。
ペトロの予測では、ユダが宗派を離脱しようとまで思いつめているのなら、少なからずイエスへの不満があるものと見ていた。
そして、その不満が強ければ強いほど、それを“炊きつければ”もっと不満が募るだろう、とも踏んでいた。
そこで、いかにもイエスの妥協のない理不尽な行動のせいで、自分達、弟子がこれほどまでに哀れで困った状況に追いやられているのだ、とそれとなく匂わし、それによって同じ弟子仲間であるユダとの間に、ある種の“共感”を呼んだのだった。
“悪意の共感”。
悪口や愚痴、不満の“同調”。
これこそ、自分達のそれまでの行いや言動、“怠慢”についてはまったく省みることなく、それらを無責任に放り投げる、もしくはうやむやにしてなかったことにし、愚痴や悪口を言い合って仲間意識を高めながら自分達に共通した敵にそのすべての罪と責任をなすりつけようとする、典型的な“つるし上げ”もしくは“欠席裁判”、ひいては何らかの理不尽な制裁をも加えようとする“私刑”(注1)である。
人たらしのペトロはそこをうまく突こうと考えていた。
それにまんまと引っかかったユダは、散々、仲間を裏切って組織の金を使い込んだ挙句、その仲間を見捨てて自分だけが宗派を辞めようとしていることにやましさを感じ、その良心の痛みを振り払って“自分を弁護すること”に必死で、ペトロが仕掛けたそんな悪どい罠に気づくはずもなかった。
しかも、ユダはペトロ達にはやましさを感じても、イエスに対してはもはや何の罪の意識も感じていなかった。
それは、あの時、盲人の振りをした少年に行なったイエスの奇跡の真実を知っているだけに、ユダからすれば、イエスは『わたしはメシアだ』と言って(実際には、それを吹聴したのはペトロの方なのだが)自分達を騙した大ペテン師であり、そのイエスと比べたら、自分が犯した罪など大した罪ではないような気がしていたからだった。
あんな嘘つきの為にペトロさんが身を捨てて、一緒に死ぬことなんてないんだ。
ユダは、そんな風に考えていたので、偽メシアであるイエスに忠義を尽くそうと理不尽にも身を投じようとしているペトロのことを思うと、それがますます歯がゆくて仕方なかった。
「・・・すまない、ユダ」と、その時、ペトロがぼそっとつぶやいた。
「あなたがそんな風にわたしの事を思ってくれるなんて・・・。
“ここだけの話”、わたしはあなたのその気持ちがとても嬉しいよ。
正直なところ、そんな風にわたしの事を気に懸けてくれた人なんて、今まで誰もいなかったからね。
リーダーであるこのわたしは、“自分の家族ばかりを気にするなんてそんな女々しいこと”、口が裂けたって言えるもんじゃない。
たとえ、どんなに辛くてもね・・・。
だから、わたしの気持ちを汲んで言ってくれた人は、“あなただけ”だ。
あなた以外でこれまで誰もこの宗派の事やわたしの事をそんな風に言ってくれた人はいなかった。
リーダーなんて本当にさみしいもんだよ。
毎日、どんな危険が襲ってくるか、先生や皆の身が心配で夜、眠れなくてね。
そんなわたしの危機感を誰よりもわかってくれ、さらにわたしの辛く孤独な立場を推し量り、“宗派の将来まで一緒に考えてくれている。”
いやぁ、わたしはここであなたに出会えて一緒に活動できたことだけでも本当に嬉しいよ。」
ペトロはそうユダをおだててから、自分の目頭をわざとらしく押さえた。
ユダはその姿を見て、ますますペトロに同情した。
「何をおっしゃるんです、ペトロさん。
私達は、これまでずっと力を合わせてここまで頑張ってきた同じ“仲間”じゃありませんか。
わたしには良く分かってましたよ、ペトロさんが随分と先生に我慢していらっしゃったことも。
それに、『自分だけが何でも正しいんだ』みたいな、先生のそんな独りよがりの間違ったやり方だって、それとなくペトロさんが何度か“優しく忠告なさっていた”ことだって、わたしは傍でちゃんと聞いていましたよ。
なのに、先生は一度だってペトロさんの言うことに耳を貸そうともしませんでした。
もちろん、“みんなの意見”にだって従うことはなかった。
それどころか、先生一人がこれまで推し進めてきた無茶な活動のせいで、今では宗派そのものの存続が危うくなっているのに、それでもなお、先生はお構いなしに今までと変わらない危険な活動を続けようとする。
わたしはもう、そんなイエス先生にはついていけそうになかったので、ここを辞める決心がついたんです。
でも、今日、ペトロさんのお話を伺っていて、自分は間違っていた、と思い直しました。
わたしだけが家族を理由に私情を優先し、何もせずこのまま皆を置いていくなんて、ましてや、ペトロさんがご自分を犠牲にしてまで私達、皆の事やこの宗派を守ろうとしてくださっているのに、“自分だけ逃げる”なんてそんな恩知らずで卑怯な真似、とても出来そうにありません。
だから、さっき言ったことはなかったことにしてください。
そして、どうか、わたしをこのままここに残してください!」
ペトロの口車にまんまと乗せられたユダは、そう言って彼を慰め、何とか秘かに自分が犯した罪を軽くする方法はないものかと模索し始めた。
だが、その自分の後めたさを隠そうとして仲間への“奉仕”などという心にもない“偽善”をすることが却って、悪意を持つ相手からすれば格好の餌食になりやすい。
そのため、さっきからユダ一人がイエスの批判や不満を展開していて、同調するはずのペトロがなぜかそれについては一言も口にしていないことにユダはこの時、全く気付いていなかった。
だが、ペトロの方は虎視眈々とこのユダのイエスに対する不満をずっと待っていたのだった。
「何を言ってるんだ、ユダ。
わたしはそんなつもりはないよ。
わたしはあなたを道連れにしようなんて全然、思っちゃいない。
とにかく、わたしの事はもう気にしないでくれ。
それよりも、早くあなたがここを去ってくれた方がわたしはうれしいんだ。
あなたには娘さんがいるんだろ?
その娘さんの為にもあなたは生き残らないといけない。
それに、危機はすぐそこに迫っている。
イエス先生はそのことを予期していらっしゃったからこそ、“皆があれほど止めても”わざわざこのべサニーに出て来られたんだろう。
だったら、これはもう、決まったも同然なんだ。
そして、イエス先生が帰ってきて、“誰かが”ほんのちょっとでも通報してしまったら、すぐにサンヘドリンの連中は押しかけてくるだろう。
あなたも知っての通り、こんなご時世だし、サンヘドリンも本気でイエス先生を検挙したがっている。
今回、先生ではなく、直接、私達、弟子達を訪問してきたのは、サンヘドリンにしてみれば、最後の機会を与えてやったというわけだ。
たとえ“私達が無実であろうと”、向こうはもう、そんなことはどうだっていい。
“私達、弟子が態度を変えなければ”、きっと容赦なく私達を殺そうとするだろう。
それに、ペサハ(過ぎ越しの祭り)までにはサンヘドリンの連中は決着をつけたがっている。
だから、それまでにはサンヘドリンは何としてでもイエス先生を捕まえようとするだろう。
本当に、“誰かが”ほんの一言、通報してしまえば、それはすぐに起きるだろうよ」
ペトロは、さり気なくユダの気持ちを揺さぶるように“その言葉”を繰り返し、顔を手で覆って泣く振りをしながらユダの目から自分の表情を隠した。
その効果は抜群だった。
“その言葉”が、さっきからユダが心の中で模索し続けていた、自分の罪をなかったことにし、皆を救える唯一の方法だとしか思えなくなっていた。
「分かりました。
“誰かが”通報すれば、それで皆が助かるんですね?
だったら、わたしにそれをさせてください。
この宗派を離れるにしても、せめてわたしにできることがあるのなら、少なからずこの宗派の為、そして、あなたの為にお役に立ちたいと思います。
それぐらいしかあなたや他の皆にこれまでの恩を返す方法が思いつきませんが、どうかわたしにそれをさせてください。
お願いします」
「いや、それは駄目だ。
そんなことをしたら、あなたは“裏切り者”になってしまう!
弟子達の中であなただけが態度を変えたからって、あなただけがサンヘドリンに従ったからと言って何が変わるというのだ?
私達は先生と運命を共にしなければならないんだ。
たとえ、それがどんなに過酷であっても。
だから、あなただけが裏切り者の汚名を着せるなんてわたしにはできないよ!」
ペトロはそう言って、ユダを止める振りをした。
いかにもペトロはイエスを裏切ることに反対である振りをし続けた。
あくまでも自分達、弟子には“何の罪もない無実の被害者”であることを強調しながら。
しかし、ユダの勘違いは留まるところを知らなかった。
彼は、人には言えない、後ろ暗いことを自分がしているだけに、それを覆い隠すことに懸命で、自分からその事をペトロに打ち明ける勇気もなければ、自分で過ちを認めて正していこうとする強さもなかった。
どうにかしてそこから自分の目をそらし、多少なりともペトロ達への罪滅ぼしのつもりで自分から汚れ役を引き受けたのだった。
そして、そのユダの言葉を受けて、ペトロは自分の目論見が上手く成功したことに内心、ほくそ笑んでいた。
だが、彼らは気づいていなかった。
誰にも聞かれていなくても、神の御耳だけはしっかりとそれを聞いていることを。
だが、彼らは知らなかった。
誰にも見られていなくても、神の御目だけはしっかりとそれを見ていることを・・・。
他の誰にも知られていなくても、その人が毎分、毎秒、何をし、何を言い、何を考えているのか、“神”だけはその行いの全てを、その思想の全てを、その心の全てを、その魂の全てをちゃんと記録しているのだと、ユダもペトロも分かってはいなかった。
だから、彼らは知るはずもなかった。
いつの日か、その全てが“神の裁き”において明らかになることを・・・。
― 彼らはその舌をまるで矢のごとく鍛える、ひたすら嘘を言い放つためだけに
真実の力によって彼らはこの土地で勝利や成功を勝ち得たわけではなく、
一つの罪から別の罪へと移ろいながら、悪事でもってそれを得ようとする。
そして、彼らは神であるこのわたしというものがどんな存在かを知らない。
と主はおっしゃっている。
自分達の“仲間”に気を付けるんだな
自分の兄弟達をも信用するな。
どの兄弟姉妹だろうとも友人、知人だろうとも、
誰もがだましあい、裏切り、誰かを悪く言う。
それもこれも嘘をつくために、仲間をだますために
誰も真実を口にしない。
彼らはその舌をひたすら嘘をつくように鍛え上げる。
そして、自分で自分の身をその数々の罪でもって滅ぼしていくのだ。
お前達が住むこの世とはそういう騙し合いの世界である。
その騙し合いの世界で生きていきたいがために、
彼らは神であるこのわたしを拒んだのだ。
(エレミア9章3-6節)
『主であるこのわたしこそ、お前達、人間の脳と心を探り、試し、
そして、それぞれのこれまでの行いに従って、
その報いを授ける存在である。
ただ、お前達、一人一人が行ったこと、言ったこと、
その人格そのものにふさわしいものを与える存在である。』
(エレミア17章10節)
― 呪われてあれ、
主から自分達のはかりごとを隠そうと更なる深みへと下る者達よ。
暗闇においてそれを行い、そして、こう思う者達よ。
『誰がこれを見ているって、
一体、誰にこれが知られるって言うのさ?』
お前達は物事を逆さまに考えているだけだ。
まるで、陶芸師が粘土と同じように考えていると思っている!
創られた物が、創った者に向かって、
『ねぇ、本当にわたしを創ったの?』と聞く奴がどこにいる?
創られた壺が、創った陶芸師に向かって、
『ねぇ、何も知らないんでしょ?』と言う奴が一体、どこにいるのだ!
その日、聞えなかった者達はこの書の言葉を聞くだろう。
目の見えなかった者達は、暗黒と暗闇から抜け出てこれを見るだろう。
もう一度、謙虚な者達は主に喜びを覚えるだろう。
愛を求める者達もイスラエルの聖なる、ただ一人のお方に喜ぶだろう。
残忍で非情な、人を傷つけても自分の欲するものを得んとする、
そんな者達は、消えていく。
義ある人を嘲り、笑う者達はいなくなる。
そして、悪を見たがる目を持つ者達は、切り捨てられる。
たった一言で人をまるで罪人にしてしまう者達、
裁きの場で被告人を陥れようとする者達、
偽りの証言で持って無罪を奪ってしまう者達、
彼らは皆、切り捨てられる。
精神で鍛錬を積む者は理解を得、
愚痴を言う者は人の指示をそのまま受け入れる。
(イザヤ29章15−24節)