第七話 師弟(1)
その頃、巷でもヨハネが投獄されたとの噂はすぐにユダヤ中を駆け巡り、ヨハネと同じようにヨルダン川で洗礼活動を行っていたイエスの耳にもその知らせは届いていた。
そこで、イエスはヨハネが逮捕されたことで、同じような洗礼活動を行っている者なら誰でも見せしめとして逮捕されるかもしれないと考え、とりあえず危険を避けようと、すぐにヨルダン川を出てエルサレムから遠く離れたガリレーに向かうことにした。
そして、そのまま故郷であるナザレを離れ、ヨハネを逮捕したヘロデ・アンティパスの司法権が及ばない“クファノウム”(注1)という、ガリレー海岸の傍にある居住地に移り住むことにした。
そこは、かつて預言者イザヤがいつか神の子が生まれるだろうと預言した土地だった。
― ゼブランとナフタリの土地、ヨルダン川に沿った海への道。
そこは、異邦人達が住むガリレー。
暗闇の中で住まう人々はかつて大いなる光を目にした、
死の影を落とした土地に住まう人々の上に目覚めの光が訪れたのだ。
神よ、あなたは国家を広げ、そこに住まう人々の歓びを大きくしてきた。
彼らはあなたの御前で喜びと嬉しさに沸き、
その喜びはまるで収穫を手にした時のようだ。
かつて悪意と堕落と血にまみれたメディアの人々が破れた時と同じように、
あなたは人々の肩の上に重くのしかかっていた悪習という名の枷を
取り除き、彼らを押さえつけてきた理不尽な権威という名の叩き棒を
ようやく叩き潰してくださった。
そして今、私達に一人の子供が生まれる。
私達に一人の息子が授かる。
そしてその子の肩には統治というものが置かれるだろう。
だから、その人は素晴らしき相談者、全能の神、永遠の父、平和の王子と
人々に呼ばれることだろう。
その人の支配と平和が増すことに終わりはない。
その人はダビデの王冠の上にその王国を支配する。
きっとその人は正義と平等でもってその王国を打ち立てる。
それはその時よりずっと永遠に。
全知全能の主の強い愛がこれを成し遂げる。(イザヤ9章1−7節)
そうして、イザヤが告げたこの預言を体現するかのようにイエスはクファノウムに移り住むと、洗礼者ヨハネの意思を継ぐべく、彼と同じように「己を省みよ、そうすれば天国は近い」と言って再び洗礼活動を始めたのだった。
しかも、そのイエスの傍らにはかつて彼を敵視してその活動に批判的だったヨハネの弟子達も寄り添っていた。
実は、ヨハネの弟子達の何人かがイエスに従うようになったのは、ヨハネが投獄される少し前のことだった。
その日もいつものように洗礼活動に向かっていたヨハネとその弟子達は、ヨルダン川の近くで偶然、イエスを見かけた。
ヨハネはイエスが傍を通り過ぎると、弟子達の方を振り向いてこうつぶやいた。
「ほら、神の子羊が歩いていく。
わたしはヨルダン川の水で洗礼を施すが、彼は聖なる神の精神でもって人々に洗礼を施すのだろう。
それほど彼の心というものは純粋で美しい。
わたしにはまるで真っ白い鳩が彼の肩の上に舞い降りたように、神の精神がその心に宿っているのがはっきりと見える。
彼こそまさしく、この世間が犯してきた罪というものを取り払ってくれる男だ」
ヨハネはそう言って一人、満足そうに微笑みを浮かべると、再び我に帰り、他の弟子達と共にヨルダン川のいつもの場所へと向かった。
だが、一方でそれを傍で聞いていた二人の弟子達は師であるヨハネがそうイエスを誉めそやすものだから、何だか気になって自分達と反対方向に去って行く男に少し興味を覚えた。
一体、あの男は何者なんだろう?
そこで、彼らは好奇心からヨルダン川へ行くヨハネ達の列から離れ、そのままそっとイエスの後をつけることにした。
ちょうど辺りは人で賑わい出した頃だった。
イエスの足は結構早くて、二人は小走りに人の間を掻き分けながら彼の後を追った。
そうして、彼らが男の背を追って街角を曲がると、そこには当のイエスが突然、彼らの目の前に立っていた。
「何かわたしに用か?」イエスは不審そうに彼らに尋ねた。
「あ、・・・・あのっ、ええっと、その、ラビ(先生)。
実は私達、そこで偶然、ラビをお見かけしまして・・・。
それで、ええっと、一度ラビ(先生)にお話をお伺いしようと・・・えっと、その、どちらにお住まいなんでしょう?」
そうイエスに何とか言いつくろった男は、アンデレと言った。
彼は後をつけていたイエスが思いがけず目の前に現れたことに驚き、しどろもどろになりながらようやくそれだけを言った。
イエスは自分をつけていた二人の男達をじっと見つめていたが、しばらくすると口の端を上げてそっと笑った。
「ついてくるといい」
そう言ってイエスは彼らを手招きすると、さっさと背を向けて歩き出した。
「えっ? でも・・・」
「来たら、どこに住んでいるのかが分かる」
イエスは背を向けたままそう言うとそれ以上、彼らに構うことなくすたすたと歩き去った。
素っ気無くそう言われたアンデレ達はお互い顔を見合わせ、このまま帰るのも何だか気が引けたので、とりあえずイエスに言われるがままその後をついて行くことにした。
それが、イエスとアンデレの出会いだった。
その日、イエスの家にまでついて行ったアンデレは、そこで半日もイエスと話し込んで帰ってきた。
その後、帰ってくるとまっすぐに弟のシモンのところへと出かけて行った。
「おーい、シモン!」
アンデレは遠くの方で家に向かって歩いてくるシモンを見つけた。
「ああ、兄さん。どうしたの? 今日、ヨルダン川で見かけなかったけど、どこ行ってたのさ?」
「おい、シモン。俺、見つけたぞっ!」
アンデレはそう叫ぶと、のんびりと歩いてやってくる弟の姿をもどかしく思ったのか、自分から弟の元へと走って行った。
「何を見つけたって?」
かなり興奮して走ってくる兄を見て、シモンは怪訝そうに兄に尋ねた。
「メシアだよ、メシア(救い主)っ!ようやく見つけたのさ」
息を切らせてアンデレは走ってくると、急いで弟にそう告げた。
「なーに、言ってんのさ、兄さん。
そんな馬鹿なこと、あるはずないじゃないか。おかしなこと言いださないでよ」
シモンはアンデレの真剣な目つきも気に留めず、自分の顔の前で手を振って兄の言葉を鼻から信じようとしなかった。
「ホントなんだって! ほら、ヨハネ先生が前に話してた男、覚えてるだろ?
俺、あの人に今日、偶然、会ってさ。それでさっきまでずっとその人の家にいたんだ。
確かにあの人はメシアだと思うよ。
とにかくお前も来て見ろよ。あの人に会わせてやるからさ」
そう言うと、アンデレは強引にシモンの腕を引っ張った。
シモンは突拍子もない事を突然、言い出した兄の言葉に半信半疑ながら少し興味を持ち、兄に引っ張られるまま黙ってついて行くことにした。
アンデレがシモンを引っ張って連れてくると、イエスと言う男はすぐに出てきた。
「あのっ、うちの弟なんです。
シモンって言います。
こいつもあなたの弟子にしてやってくれませんか?」
アンデレはどぎまぎしながらも、しっかりとした声でそうイエスに向かって頼んだ。
シモンはあまりに唐突な兄の言葉にびっくりしながら、ただアンデレに引っ張られるがままイエスの前に押し出されていた。
「いや、あのっ、そのっ・・・」
シモンはどもりながらアンデレに向かってしかめ面をして顔を小さく横に振ってみせたが、アンデレは嫌がっているシモンを睨みながら、さらに彼のわき腹をひじで突いてイエスの前に押し出した。
そんな二人の様子を涼しい顔で見ていたイエスは、唐突に口を開いた。
「あなたは、シモン(ヘブライ語で「神はお前の言葉を聞いた」の意)というのか?」
そう聞くと、イエスはじぃーっとシモンを見つめた。
そのイエスの何かも見通そうとするかのようなまっすぐな目に、シモンは少しおびえた。
「・・・あっ、はい」
それだけ答えると、シモンはイエスの目から逃れようとその目を伏せた。
「あなたも、確かヨハネと一緒にいた人だろう?」
「あ、はい。わたしも彼の弟子です。・・・いえ、弟子“ でした ”」
シモンは、正直なところ、別にイエスの弟子になどなる気はまるでなかったが、それでも兄にせがまれるとむげに断ったら兄の顔を潰すような気がして、仕方なくその場を穏便に済ますためにイエスに従う“ 振り ”をした。
それを聞いて、イエスはまたしばらくシモンを見つめると、おもむろにこう言った。
「シモン、あなたはペトロ(ギリシャ語で「石」あるいは「岩」の意)と呼ぶことにしましょう」
「えっ?ペトロ(石)?」
「イスラエルの民達には躓く石、崩し倒れさせる岩(イザヤ8章14-15節)・・・」
イエスはそこでようやくシモンから視線を外し、そっとつぶやいた。
だが、シモンにはイエスが今、何を言ったのかさっぱり分からなかった。
ただ、何となくイエスの世俗らしからぬ神秘的な雰囲気には何となく魅力を感じ、恐らく兄が言った通り、メシア(救世主)と呼ぶにはふさわしいな、とは思った。
こうして、アンデレとシモン(以後、ペトロ)はイエスの弟子となった。
(注1)
クファノウム(=Capernaum)は、ヘブライ語で「ナホム(Nahum)の村」という意味。ナホムとは旧約聖書の「ナホム書」に出てくる預言者の名前で、神の支配とアッシリア帝国(軍事帝国)の終焉を預言した人であり、別名「慰める者」とも呼ばれる。