第六十八話 予感
そんな時、イエスは律法書(旧約聖書)の中の、ある句にどこかしら妙な胸騒ぎを覚えた。
― これは主である、私達の神様がおっしゃっている。
『屠殺されると決まった羊の群れ(民衆)に餌をやるがいい。
彼らの買い手は彼らを殺すだろう。
だが、その罪を咎められることはない。
それどころか、彼らを人でなし達に売る者ですら
“主よ、ありがとう、わたしは金持ちだ!”と喜び、
何の罪にも問われない。
羊達(民衆)が慕う羊飼い達(僧侶や慈善家達)も
彼らを助けたりなどしない。
だから、わたしはもはや、この地に住む人々に情けをかけたりしない
わたしは、人々の好きなように、彼らをその隣人や彼らを支配する者達に
手渡すだろう。
それがどんな者であろうと。
むろん、彼らの隣人や支配する者達はきっとこの土地を抑圧し、
大いに彼ら民衆を苦しめるだろう。
だが、彼ら羊達(民衆)が好んで慕い、
手渡された屠殺者達に騙されてその身が危なくなったとしても
わたしはもはや彼ら羊の群れ(民衆)を救ったりはしない。
わたしは、ずっと危ない生き方をしている羊の群れの
世話をしてやっていた。
中でも一番、世間の中で抑圧され、ひねくれていく羊ほど
目をかけて育てていた。
そして、わたしは2本の支え棒(人々から頼りにされる二人の人間)を
選んだ。
そのうちの一本(一人)を‘偏愛’と呼び、
もう一本(一人)を‘同盟’と呼んで、
わたしはそれまで通り、羊の群れ(民衆)を育てていた。
そして、ひと月ほど経つと、わたしは3人の羊飼いを選んだ。
羊達(民衆)はわたし(善なる神)を嫌い、
良心が廃れていくと、
わたしは彼らに飽き飽きしてこう言ってやった。
“もう、わたしはお前達の世話はしない。
死にたければ勝手に死ぬがいい。
消えたければそのまま消えるがいい。
それほどお互いを貪り合うのが好きなら、
好きなだけ互いの肉を食い漁るがいい”と。
だから、わたしは、わたしが選んだ支え棒の一本である‘偏愛’を取り上げ、
それを打ち折った。
そうして、わたしはこの地上のすべての国々と、
わたしがこれまで交わしてきた契約(約束)を破棄したのだ。
わたし(善なる神)を敬い、良心(神)に従い、善(神)に愛を注ぐなら、
お前達、人間を救ってやるという契約(約束)を。
そしてその日、それが破棄された。
だから、この羊(人)の群れの中で傷つき、苦しみ、
わたしをじっと見てきた者なら知っている、
これはまさしく主(神)が約束した言葉であることを。
わたし(良心)は、彼ら(人々)にこう告げた。
“そうすることが“最善”だと思うなら、
それなりの代償をお前達はわたしに払うべきだろう。
だが、そうでないと思うなら、その代償を払う必要はない”と。
だが、彼らはわたし(良心)に30枚の銀貨を支払ってきた。
まったくすばらしく高く買ってくれたものだ、
彼らが、神であるこのわたしに払った値段というのは!
この地上(地球)のすべてを支配し、
あらゆる金鉱石も銀鉱石もこの手で創り上げ、
人間達に与えてやったこのわたし(神)に、
たった30枚の銀貨を投げてよこすとは!
“その銀貨を、この地上のあらゆる“自然物”を創ってきた
このわたしに投げ返すがいい”
だから、そう主に告げられ、良心に苛まれた者は、
その30枚の銀貨を受け取って、
それをそのまま主に返すために主の家に投げ込んだ。
それから、わたしは選んでいた二番目(二人目)の支え棒となる、
‘同盟’を打ち折った。
そうして、ユダとイスラエルに住む人々の心にあった、
兄弟愛というものを打ち壊してやった。
ある愚かな羊飼い(偽善家)のために今一度、支度を整えてやろう。
わたしはこれからこの土地を渡り歩く一人の羊飼い(偽善家)を
育て上げよう。
そいつは迷い苦しむ羊(人)の世話をしなければ、
この世を良くするための革新も求めない、
心傷ついた羊達(民衆)を癒しもしなければ、
健全な心を持ち、一生懸命、働く羊達(人々)を育てる気もない。
その代わり、彼はその研ぎ澄まされた鋭く非情な言葉の蹄で
自分が選んできた哀れな羊(人)の肉を大いに屠ることだろう。
羊の群れ(人々)見捨てて、苦難の中に置き去りにする、
役に立たない羊飼いよ、呪われてあれ!
心の剣を持つ者がその腕とその右目を打ち据えてくれるだろう!
その羊飼い(偽善家)の腕をへし折り、
その右目をまったく見えなくすることだろう!』
(ゼカリヤ11章4−17節)
この句を目にした時、イエスは嫌な予感がした。
先のことは誰にもわからない、神以外は。
だが、確実にこの国は神が預言した通り、亡国の道をたどっている。
“もう、わたしはお前達の世話はしない。
死にたければ勝手に死ぬがいい。
消えたければそのまま消えるがいい。
それほど互いを貪り合うのが好きなら、
好きなだけ互いの肉を食い漁るがいい”
(ゼカリヤ11章9章)
なぜ、彼らはわからないんだろう?
自分達で互いの首を絞めあって、互いに地獄へと突き進んでいってることに。
それを止めたくて、どうにかしたくてこれまで頑張ってきたが、彼らはそれを理解してくれない。
愛や誠意をあざ笑い、互いを傷つけ、奪い合い、その屍を踏み越えて生き残ることこそ、この世の勝利だと信じて疑わない。
神は怒っている、この世の悪意に。
誰のせいでもない、私達、人間こそがこの世を暗くし、苦しめているに過ぎない。
私達、人間こそが同じ人間の血を引く兄弟達を殺していっている。
神がこの世を不平等にしたわけじゃない。
神自身が人々を困らせ、罪に追いやったわけでもない。
“私達、人間が悪意や不平等を愛したのだ。”
わが身の利益だけを考え、他者を蹴倒して生きることが正しいと“信じた”のだ。
私達、人間こそが己の欲望に負けて、神(良心)よりも、人間という名の悪魔の言葉に従ったのだ。
そう考えた時、イエスはふと、ペトロのような、言葉で人を誘惑するのに長けた男がこの国の人々にどういう影響(教育)を及ぼすのか、空恐ろしくなった。
そして、彼が神(良心)を捨て、自分をエルサレムの権力者達に売り渡した時、それがこの国の人々の運命を大きく変えるきっかけになりかねないとも考えていた・・・。
― これが全知全能の主がおっしゃること、
イスラエルの神はこう、おっしゃっている。
『聞け、人間達よ!
わたしはこの地に災いをもたらしてやろう。
あらゆる者達の耳に警告の鐘が鳴り響くことだろう。
お前達、人間はお前達を創ったこのわたしを見捨てたのだ!
この地上の万物を創り、それらをお前達に与えたこのわたしよりも、
欠点だらけの不完全な見知らぬ人間を神だとして祭り上げ、
しかも、このわたしが創った動物や植物を焼いて供物だとし、
その人間の神の像に捧げようとする。
そうして、この地上をあらゆる人間の神々の地にしてしまった。
神よりも人間様の方が偉いとして、自分達の祖先ですら知らないような、
歴史上のユダヤの著名人達よりその名を知られていない、
そんな訳のわからない人間達を神として崇め奉り、
その神の為にわざわざ罪もない人間達を犠牲にして
その血をこの地上(地球)一杯に満ち溢れさせた。
かつて、古代の人間達がバール信仰においてやっていた時と同じように
わざわざ高い所に祭壇を設け、
ご丁寧に意味も分からずわが子を火あぶりにして殺し、
人身御供として捧げた。
お前達はまったくわかっていない。
そんなことをわたしは一度だって指示したこともなければ、
口にした訳でもない、
まして、わたしは一度もそんなことを考えたことすらない。
だから、人間達よ、その耳をよくかっぽじって聞くがいい。
その日は、必ずやってくる。
お前達が神を見棄てた以上、
この後、この地を人々は二度と、
「トフェス(=祈りが響く)の谷」とも、
「ベン・ヒノム(未来の子孫繁栄のため)の谷」とも
呼ぶことはないだろう。
ここは今後、「人と人とが殺し合う地獄の谷」と呼ぶのだから。
この地より、わたしはユダとエルサレムの人々の陰謀をうち砕いてやろう。
敵の前で彼らが互いに剣でもって貫き合い、
彼らの命を求める敵の手にむざむざ渡してやろう。
空を舞いながらお前達の死を願うハゲタカや、
地上で虎視眈々とお前達の屍を屠ることを待ち構える獣達に
喜んでお前達を餌として差し出してやろう。
わたしはこの街を破壊し尽くし、
この地上のあざけりと侮蔑の的にしてやる。
お前達が犯した罪により与えられたその苦難と心の傷こそ、
今後、お前達のそばを通り過ぎる者達からすれば、
慰めるべきものではなく、忌み嫌って、嘲り
笑うべきものとなることだろう。
さらに、わが子の肉ですら
お前達は食べずにはいられないようにしてやろう。
また、子供達もその命を狙う敵により囲まれ、逃げ場を失い、
どうにも我慢できなくなって互いにその肉を貪り合うしかなくなるだろう。
そして、これまでお前達と共に歩み、
今の有様を見ている者達の目の前で壺を割って、
彼らにこう言ってやるのだ。
“これはわれらの主、全治全能の神がおしゃっていることだ。
神はこの国を、この都市を、叩き潰すだろう。
まさしくご自身の手で創り上げられた壺を壊すがごとく。
そして、それは二度と直せないぐらいにまでに
粉々に打ち砕かれることだろう。
人々はトフェス(祈りの響きの谷)にアリのはい出る隙間もないほど
死人を埋めることになるだろう。
これが、神がこれからこの都市にすることであり、
ここに住む人々にすることである。
主はそう、はっきりとお告げになられたのだ。
神は、かつて人々が子供を生贄にして
殺し尽くしたのと同じように、
この都市の人々が勝手に殺し合うことを
決して止めはしないだろう。
この地、トフェスで、
あらゆる家々が屋根の上で香を焚くなどの儀式までして
この世の支持を集めた者達を崇め奉り、
邪教にそそのかされて、
これまた人間の神像にお神酒まで捧げ、
天の“神”を大いに冒涜したように、
わたしはエルサレムに住む人々も、彼らを治めるユダヤの権力者達も、
その名を大いに穢してやろう。
そう神の言葉を聞いた預言者エレミアは、
トフェスの地から戻るやいなや、主の家に赴き、
境内に立って、人々にこう告げた。
“わが民衆よ。
我らイスラエルの神、全治全能なる主はこう、おっしゃった。
『聞けっ!
わたしはこの都市に災いをもたらすだろう。
この都市を取り巻くあらゆる村々も含め、
わたしはあらゆる災難をこれらの町々にもたらすことだろう。
なぜなら、ここに住む者達、皆が頑固でひねくれており、
ちっともわたし(良心)の言葉を聞かないからだ』と”
(エレミア19章1−15節)
そして、イエスがこの時、律法書(旧約聖書)に書かれたこれらの句に感じた悪い予感は、この後、見事に的中することになる。