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第六十五話 背任

実は、マリアから伝えられた話の中には、まだ、イエスに話していないことがあった。



そして、それこそマリアがペトロを毛嫌いする最大の理由だった。



ラザルス一家がイエスの弟子達と知りあったのは、イエスが何人かの弟子達を連れてエルサレムやベサニー村のラザルスの家に立ち寄った時ぐらいで、今回の死者復活事件でイエスが弟子達全員を連れてくるまでは、マーサもマリア姉妹も彼らを深く知ることはなかった。

ところが、イエスがラザルスと共にエプライム村に雲隠れすることとなり、ラザルスの屋敷で弟子達が滞在するようになると、マーサとマリア姉妹は弟子達同士で妙な金銭のやり取りが行われていることに気がついた。



きっかけは、些細なことだった。

若い弟子の一人が、さも、当り前のように高額な寄付金をマーサとマリア姉妹に求めてきたからだった。


生まれてこの方、ユダヤでも指折りの大商人の子として育ち、普段から兄ラザルスを助けて様々な仕事をこなしてきた彼女達は、そんじょそこらの商人達より商売や金銭感覚に優れており、世間の事情にもかなり明るかった。

そんな彼女達だからこそ、弱小宗派の年若い弟子がその身なりや生活ぶりにそぐわない高額の寄付金をこともなげに口にしたことから、普段からそういう指示を受けて動いていると彼女達はすぐに察した。


そこで、疑惑を抱いた彼女達は、それとなくイエスの宗派について巷の評判を探ったところ、どうやらペトロとその配下の弟子達を中心にかなりの金額の寄付金や謝礼金が集められているらしく、さらに、彼らの様子を注意して伺っていると、弟子達同士で信者や寄付金についてのノルマ(獲得数及び獲得金額)が課せられているようで、イエスが不在となった今、それについての冗談や愚痴も半ば公然と交わされていた。

また、集められた寄付金や謝礼金を元に信者や弟子達への利息目当ての貸し付けも行っているらしく、その取り立てについての評判もそれほどかんばしいものではなかった。


こういった事情から、マーサとマリア姉妹はペトロ達にかなり不信感を抱くようになり、サンヘドリンから客が来て急に弟子達が集会を開いた時も胸騒ぎを覚え、ラザルスにその話を伝えてきたのだった。

そして、妹達からそんな報告を受けたラザルスの方も、実は前々からそうしたイエスの宗派の噂は度々、耳にしていた。

商売上はもちろん、自分の身辺警護のためにも、エルサレム周辺で起きる裏事情をラザルスはよく知っており、以前からイエスの噂についても気にはなっていたからだった。

だが、イエスの人柄からして、そうした黒い噂にイエス自身が関わっているとはどうしても思えなかったし、それでなくても敵の多いイエスのことだからどこからでもそんな悪い噂は流れるんだろうと、これまでは軽く考えていた。


しかし、妹達の報告が本当だとすれば、このままイエスがサンヘドリンに捕まれば、その寄付金や貸し付け事業の件もきっと糾弾されるだろう。

だとすると、何も知らない無実のイエスが濡れ衣を着せられ、不当に断罪されてもおかしくはない。

だから、ラザルスはためらいがちにこの話をイエスに切り出したのだが、イエスも噂を知っているというので、それを逆に意外に思いながら話を続けた。


「では、率直に申し上げます。

先生、わたしが聞いたところでは、ペトロさんと若いお弟子さん達が中心となって高額な寄付金や謝礼金を集められておられるとのことでした。

そして、それを信者さんやお弟子さん達に貸しているようでして・・・。

確かに、貧しい人達にほどこしをしたり、無償で金銭を貸し付けたりといった慈善事業はどこの宗派でもやっております。

ですが、わたしが知る限りでは、ペトロさん達の貸し付けはたいてい有償のものらしく、その取り立てもそれほど穏やかではないようなのです。」

「えっ?!」

と、ラザルスの話にイエスは一瞬、息を飲んだようだった。


しまった、とラザルスは少し後悔したが、話し始めたからにはもはや、ここで止めるわけにはいかなかった。

「実は、お弟子さんのお一人が寄付してほしいとこの前、うちの妹達に依頼してきたそうなんです。

ですが、その額が少々、常識では考えられないような高額だったものですから・・・。

妹達は一見、気弱そうな女に見えても生粋きっすいの商人の子ですから、たとえ破産するほどの大金だったとしてもいざとなれば一切、出し惜しみは致しませんが、亡き父から受け継いできた家訓として、普段からわたしが厳しく、

『お金やこの世の財は無駄なく、賢く、上手に使え』と言い聞かせているものですから、少しでも納得のいかないお金となると、1アス(ローマ帝国時代の最小貨幣単位)たりとも決して出そうと致しません。

そんな気の強い妹達ですから、そのお弟子さんとも少々、口論になったようでして・・・。

妹達が、『なぜ、そんな大金を寄付しなければいけないんですか?』と詰め寄ったら、お弟子さんはいきなり怒り出したらしく、

『あなた方は、病人や貧しい人達に分け与えるお金を出し惜しみするのか?

神の思し召しで施しをすることを嫌がるなんて、とんでもない不敬な人達だっ!

そんなことをしていたら、あなた方は地獄に落ちますよっ!』と、妹達を怒鳴りつけてきたそうなんです。

それで、驚いた妹達がそうした寄付金の流れについて街の噂を調べたところ、どうやら一部は慈善事業に使われているようなんですが、残りの大半はそれを元手に貸し付け事業を行っているらしく、それもずいぶんと手広くやっているようなんです。

そうすると、街中でもいろいろと荒くれ者などのよからぬ連中とも関わることが多くなりますし、取り立てもきれいごとでは済まされません。

決していい商売とは言えませんし、そういう事業をしていたらそれこそ先生に厄介な嫌疑をかけられかねません。

ですから、サンヘドリンから客が来て、その後、ペトロさん達の様子がおかしかったと、マリアは先生を心配してこの事をわたしに知らせてきました。

恐らく、先生はこの事をご存知ないでしょうし、そのままこちらに戻ってきたら危険だろうから、先生だけはこのままベサニーに戻らず、クファノウムにお戻りになった方がいいのではないかと言ってきております。」


ラザルスはそう言って、思わず目を伏せた。

この話を始めた時からイエスに嘘をつくつもりはなかったが、それでもペトロや弟子達に裏切られて傷ついているイエスを見るのは、辛かった。


そして、しばらく気まずい沈黙が流れた後、ようやくイエスはさっきと変わらず静かにその沈黙を破った。


「・・・そうですか。

何となく、彼らがわたしに隠れて何かしているなとは前々から思っていましたが、わたしがペトロの事で聞いたのは、わたしの説法を広めて無理やり信者を増やそうと、わたしの名前を使って『未来を預言して見せます』だの、『デーモン(悪魔)を追い払って見せます』などと、虚偽の触れ込みをえらく大げさに吹聴して回っているとのことでした。

ですが、まさか、そんなとんでもない商売までやっているとはまったく知りませんでした。


確かに、奇跡の話は人を集める目的でわたしが始めたものです。

少しでも説法を聞いてもらうには、そう言った方が人の関心を惹きやすかったからですが、いったん、わたしの話を聞けば、わたしの言う奇跡とは、ペトロ達が触れ回っているような“邪法”(注1)とは全く違うということがすぐにわかるはずです。


そのため、そういう邪法を期待していた聴衆からは石を投げられることもしょっちゅうでしたが、逆に人が集まってくれたおかげであなたのような神の子にもたくさん出会えました。

ですから、そういう呼び込みを使って人を集めたとしても、それで人にお金をせびったり、人の心を不当に惑わせたりするな、と常々、弟子達には教えてきました。


ですが、・・・そうですか。やはり彼らはわたしの言いつけが守れませんでしたか・・・。

仕方ありませんね。

それが彼らの選んだ“道”ですから。

ナサニエル、あなたはペトロの商売について、何か気づいていましたか?」


イエスは淡々とした表情でナサニエルにそっと尋ねた。

もとより、ナサニエルを疑っていたわけではない。


ただ、ナサニエルに何か心当たりがあるなら、まだ、救いようがあった。

ペトロが宗派活動を盛り上げようと、熱心さのあまりつい、出来心から他宗派の動きを真似てそうした事業に手を出してしまい、本人がその事業への認識の甘さがあるのなら、その行動はナサニエルのようなペトロとはあまり親しくない弟子達にも自ずと漏れることになる。


だが、あの用意周到のペトロが確信的にそういう事業に手を染めていたとすれば、彼のことだから徹底的にその行動には気を配るはずだ。

そう考えたイエスは、傍らに座ってラザルスの話を聞いていたナサニエルに尋ねたのだが、やはりナサニエルもイエスと同様、相当、動揺しているようでじっと固まったままだった。



実際、説法活動というのは割と一人で行動することが多く、気ままとは言え、孤独な仕事だった。


だから、仲間内であっても誰が、どのくらいの謝礼金をもらっているかなど、ナサニエルには全く預かり知らぬことだった。

普段、信者達から寄付金や謝礼金をもらっても、それはすぐ金庫係のユダに預け、それらを管理しているユダが必要な経費を差し引いて清算し、給金として自分の取り分をもらうようになっていた。

だから、ナサニエルとしては、自分が行なった説法の代償として給金をもらっていただけで、慈善事業や貸し付け事業といった説法活動以外の事業が宗派内で行われていることすら知らなかったのである。


そんなナサニエルだったので、ラザルスの話はまさに寝耳に水だったらしく、唖然とするばかりで、イエスに何かを問われても何も言えず首を強く横に振るしかなかった。


イエスもまた、彼のその態度に納得して頷いただけだった。


やはりな、とイエスは今更ながらペトロに深く失望した。

わかってはいたけれど、それでもなお、長年、一緒にいただけに裏切られることはあまりにも悲しかった。

そして、イエスはペトロがその貸し付け事業への後ろめたさもあって世間サンヘドリンの追及を恐れ、自分を切り捨てようとするなら、おそらくその内実を最もよく知る人物も同じように切り捨てるだろうとも思った。


その内実を最もよく知る人物。

それは、彼ら宗派の経理や金庫を一切、預かるユダであることに他ならなかった。


(注1)邪法・・・人を惑わし、世間に害を与えるような教え。邪道。また、魔法。(goo辞書より引用)

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