第六十四話 生と死
この、イエスをサンヘドリンに引き渡す汚れ役の第二の羊が一体、誰になるのか、それを真っ先に知ったのは、実は意外にもその羊を選ぶはずのペトロではなく、こんな集会が弟子達の間で開かれていることすら知らなかったイエスの方だった。
別に彼が千里眼や予知能力を使った訳でも何でもない。
たまたまイエスと一緒にいたラザルスが、前々から気になっていた事をイエスの前で口にしたからだった。
その日、留守を預かる妹マリアからラザルスの元に使いの者がやってきた。
それは手筈通りの使者だった。
実は、イエス達は、自分達の居場所やベサニーに戻ってくる時期をサンヘドリンにつきとめられないよう、手筈を先に決めておいた。
その手筈というのは、ペサハ(過ぎ越しの祭り)が始まるぎりぎりまで彼らはエプライム村に滞在し、マーサとマリア姉妹がベサニー村の安全を伝える使いをエプライム村に送ってから、その後、それぞれが分散してベサニー村に戻るというものだった。
そして、その安全を伝える使いがようやく到着したので、ラザルスは少しホッと胸をなでおろし、早速、帰還の第一陣として、弟子のフィリポとトマスを一足先にベサニー村へと送り出した。
その後、イエスと、残った弟子のナサニエル、そしてラザルスの3人は夕食を済ませると、居間でくつろぎながら、ラザルスはマリアから伝えられた別の報告を彼らの前で切り出した。
「サンヘドリンから人が来た?」
まず、ラザルスの話に驚いて、第一声を発したのはナサニエルだった。
「ええ。いろんな客が次々とベサニーにやって来ているそうなんですが、その中で偶然、マリアが案内した客がサンヘドリンから来たというファリサイ派の戒律の教師でして・・・。
どうもその客が変だとマリアは思ったそうです」
ラザルスは囁くように二人にそう告げた。
「変?」イエスが怪訝そうな顔をした。
「はい。
もし、サンヘドリンから来たというのが本当なら、いつもは大勢でやってくるはずですが、その日に限ってどうも一人でやってきて、なぜかペトロさんとしばらく話し込んでからそのまま帰って行ったそうなんです。
そして、その後がもっと変だったそうで、急に、ペトロさんが先生のお弟子さん達を全員、部屋に集めて何やら会合をされていたらしく、詳しい話までは聞けなかったようなんですが、マリアが夕食を知らせにお弟子さん達が集まっている部屋まで行った時、中からすすり泣きのような声が漏れ聞えてきた、と」
ラザルスがそこまで話すと、イエスはどうやらピンと来たらしく、きゅっと唇を噛みしめた。
「すすり泣きって、何かあったんでしょうか?」
ナサニエルは合点がいかず、思わずイエスにそう尋ねた。
「ナサニエル、どうやら本当に“その時”が来たのかもしれません。
あなたにもあなた自身の道を選ぶ時が来たと言っていいでしょう。
あなたはわたしを信じて、神に命を投げ出せますか?
それとも、やはりこの世の人達の方を取りますか?」
神に命を投げ出せるか?、と聞かれ、ナサニエルは戸惑いを隠せなかった。
別に戸惑ったからと言って、ナサニエルにイエスへの忠誠心がない訳ではなかった。
ただ、そのイエスの究極の質問に即答してはいけない気がした。
正直、心の奥底にある自分の本音をじっくりと探っていったならば、やはりどこかで助かりたい、死にたくないという保身の思いがない訳ではなかった。
ナサニエルという男は、そういう嘘が誰にもつけない男だった。
見栄や去勢を張って、
「いつだって、わたしはあなたや神の為に死んで見せます」などと気取ったことが言えるような、そういう見え透いた嘘がつけるような男ではなかった。
だから、イエスの質問にも嘘がつけず、ナサニエルは何となくためらったのだった。
誰だって死にたくなんかないと、ナサニエルはその時、強くそう思った。
たとえ、自分には既に親もなく、妻も子もない独身で、しかも将来を誓いあった恋人すらいなかったが、それでもそう簡単に自分の生命をあきらめることはしたくなかった。
それは、ナサニエル自身、今が一番、人生で楽しく、幸せだったからだった。
確かにヨハネと共に活動していた時も楽しかったが、ナサニエルは今の方が、もっと充実している気がした。
それは恐らく、ヨハネの弟子だった頃の自分があまりにも未熟に思えたからだった。
自分自身や自分を取り巻く状況を少しも深く考えることなく、楽しいまま時が過ぎ、そして、いつの間にやらヨハネを失うことになって初めて、自分が一体、ヨハネと共に何を目指して頑張っていたのか改めて考えさせられるようになった。
ヨハネの死によって、ナサニエルは人生の目的というものを考えるようになった。
確かに、ヨハネを失った心の痛手はナサニエルにとって大きかった。
父とも、兄とも慕っていた彼を失った時は、神を呪ったことすらあった。
家族のいない天涯孤独のナサニエルにしてみれば、ヨハネは家族ともいえる人だった。
だが、その彼を失ってみてナサニエルはようやく自分の悲しみと、世の中の悲しみをもっと深く感じるようになっていった。
この世の中の不条理を変えたい。
ヨハネ先生が愛したこの国をほんの少しでも良くしていきたい。
そう目的ができると、ナサニエルにはすべての出来事が愛おしく思えた。
それは、小さな種が芽を吹いて、風雨にさらされ、日に照りつけられながら、少しずつ少しずつ天に向かって真直ぐ伸びていくように、ナサニエルはイエスと共にヨハネの意思をつないでいくことに希望を見出していた。
そうして、人々がイエスの説法に触れるうち、気付いて悟り、変わっていく姿を見て、もしかしたら、この人ならきっと世の中の不条理を正していってくれるかもしれないと思うようになった。
そうなると、ナサニエルはイエスの元にいるのがとてもうれしかったし、たとえ辛い事があっても、それはそれで生きる上で大切な糧であり、自分の志を叶えるための修行とも思えた。
だから、どうしても今は死ぬわけにはいかなかった。
自分の志を果たすまでは死んでも死にきれないと思っていた。
そんな思いから、ナサニエルはさっきのイエスの問いに即答できず、
「主はどうにかわたしを助けてくれませんかね?」と、つい、本音を漏らしてしまった。
だが、その滑稽なまでに切なく情けないナサニエルの言葉に、イエスとラザルスは思わずプッと吹き出してしまった。
そうして、さっきまでの重苦しい空気が一変して、3人は和やかな笑いに包まれたのだった。
「ナサニエル、その気持ちさえあれば、あなたは大丈夫でしょう。
あなたが神を信頼し、誠意をもって全力を尽くせば、神はあなたを決して見棄てません。
神に希望をお持ちなさい。
人に期待し、人に頼るより、神に希望を持つことです。
たとえ人があなたを裏切ったとしても、神は決してあなたを裏切りません。
ナサニエル、この言葉は絶対に忘れないでください。」
イエスはそう言って真顔になった。
そのイエスの真剣な眼差しを受け止めながら、ナサニエルも深く頷いた。
そして、イエスは少しためらってから、話を続けた。
「そして・・・もし・・・、もし万一、わたしの身に何が起きたとしても、たとえ今後、わたしが自分の身を危険にさらしたとしても、それは決してわたしが神に絶望したわけではありません。
ナサニエル、わたしがあなたや他の人に望むことはただ一つ。
“生き抜きなさい。”
死んでしまってはいけません。
命を無駄にしてはいけません。
神から与えられる“生”はあなただけの宝です。
その宝を粗末にしてはいけません。
神から与えられた生に感謝し、喜び、それを精一杯、生き抜いてこそ、あなたは真の信仰者です。
そして、自分の生命を守るのと同じように、あなたの家族や友人、周囲の人々の生命を慈しみ、限りあるあなたの生命を思う存分、役立たせるよう力を尽くす。
これこそ、神が人に生命を与えた時の願いであり、“お互いを愛し合う”ということではないでしょうか?
人はいつか死んで消滅しますが、その生命はそれだけのために神から与えられたものではありません。
あなたが死ぬまで一体、何をし、どう生きていくのか神はずっと見守っておられるのです。
神は誰も見棄てたりも、見逃したりもしない。
神はあなたを含めすべての人、一人一人を見つめ続け、それぞれの生きる道に光をもたらしてくれるのです。
それを信じなさい。
神はこの地上(地球上)の全てに“存在”します。
神はこの天上(宇宙)からずっと変らず人を見つめ続け、その生を支えてくれているのです。
それは、この天地(宇宙と地球)が出来て以来ずっと、どの時代が来ようと、どのような人々や国々がこの地上を治めようと、決して変らず、天(宇宙)から私達、一人一人を眺めてくださってるのです。
それをあなたの“心で”信じなさい。
それこそ、あなたの希望です、ナサニエル。
私達の神は、“全知全能”です。
あらゆる私達、人間の知能や想像をはるかに越えた、『神』と言う名の、ただ一つの大いなる存在。
その大いなる存在を信じず、一体、誰を信じられましょう?
だから、ナサニエル、たとえこの身に何か起きたとしても、どうか神を信じていてほしい」
イエスはそう言って切ない、悲しい目をナサニエルに向けた。
何かを切実に訴えようとして上手く伝えられない、そんなもどかしさもあるようだった。
だが、この時、ナサニエルにはそのイエスの言っている意味がまったく分からなかった。
命を大切にしろ、と言いたいのはわかる。
だが、その後、この人がわたしに伝えようとしたことは、それ以上にもっと深く、大切なことなんじゃないだろうか?
もしかしたら、この人の教えとは、これまでのユダヤ教のそれとはまったく違うものなんじゃないだろうか?
これまでユダヤ教各派で教えられてきたことは、戒律や教義の解釈の違いだった。
だが、この人が言っていることは、もしかしたら、ユダヤ教各派で教えられてきた“神”の定義すら違うのかもしれない。
ユダヤ教だけではない。
これまでにも世界中で様々な神やそれについての教えがいろいろと言い伝えられてきたが、もしかしたら、この人の話している“神”とは、異教徒達が言う神でも、またユダヤ人達が信じている神でもない気がする。
地上(地球上)の全てに存在する神?
天上(宇宙)から見守ってくれている神?
“全知全能の神”とは・・・一体?
ナサニエルからすれば、イエスの話はあまりにも壮大すぎた。
ごく当たり前に太陽が昇り、ごく当たり前に空気があって、海が凪ぎ、風が吹き、雨が降り、地平線と空がある。
毎夜、月と星を眺め、この地上にありとあらゆる種類の生物が存在することに何の疑問も持たず日々、生活している。
人はこれらすべての自然なくして生きていられないくせに、いつの間にかその自然が当たり前になっている。
誰もそれについて疑問すら持たない。
なぜ、それらが最初から存在するのか?ということに。
そして、もしこれらのうち一つでも欠けてしまったら、一体、人間はどうなるのか?ということも。
だが、そんな壮大な話についていける人はそうそう、いない。
まして、まだ、宇宙も、地球の概念も語り始められたばかりのこの時代に。
だから、ナサニエルにとってイエスの話は、何か異次元の話をされているようでとても怖かった。
自分ではどうにも測りかねない、考えている世界がまるっきり違う、そんな未知なる話をするイエスが、ナサニエルにはとても遠い人のように思えてきて、怖くなった。
そこで、彼は慌ててその話題を変えることにした。
「わかりました、ラビ(先生)。
わたしは命を粗末にするようなことを決して致しませんが、それでも、さっきラビ(先生)がおっしゃたことがどうしても腑に落ちません。
ラビ(先生)は神に身を投げ出しますか、それとも世間の人達を取りますか?とわたしにお聞きなりました。
ですが、ラビ(先生)が今、わたしに死ぬなとおっしゃったことはその質問と矛盾しませんか?
それに、先生の身に何が起きたとしても、とは一体、どういうことでしょう?
これから何が起きるというのです?」
「ナサニエル、あなたが疑問に思うのは当然です。
わたしは以前、あなた達にはっきり言いましたよね?
わたしはいつか必ずエルサレムに行って、殺されるかもしれないと。
それはわたしの身が今後、危険にさらされることはどうにも避けられないということです。
それがわたしの運命でもあり、使命でもある。
ですが、わたしは御父(神)を信じています。
わたしは決してむざむざ殺されることはないと。
なぜなら、わたしの、いえ、私達という人間を産んだ御父は“全知全能の神”です。
わたしはその御父について人々に伝える為にこの世に来ました。
“神”という御名を、神がどのような方であり、神とは何であるかを、わたしはこの世の人々に教えるためにこの世に遣わされてきたのです。
そして、その御父(神)こそ、あなた方の希望であり、救いであると、それもこの地上(地球)にいるあなた方に伝えるよう、わたしは神から命を受けたのです。
ナサニエル、恐らく、今はこの話が理解できなくても、あなたにもきっとそれが分かる日が来るでしょう。
わたしが“わたしだけに与えられた使命”をちゃんと果たしたら、あなたにもきっとこの話が理解できるようになります。
だから、わたしを信じてください、ナサニエル。
そして、“神”を信じてください。」
そう言われたナサニエルはますます訳が分からなくなった。
殺されに行くけど、殺されない?
一体、どういうことなんだ?
どうにも合点がいかず、ナサニエルは頭をひねって考え込んでしまった。
すると、ラザルスが恐る恐る二人の話に割って入った。
「ラビ(先生)、もしかして・・・、あの噂をご存知なんですか?」
「それは、ペトロの事ですか?」
イエスは即座に、ラザルスの疑問に答えた。
「おそらく、あなたがおっしゃているあの“噂”とは、ペトロが世間に触れ回っていることだと思いますが、実は、以前、エルサレムから戒律の教師達がクファノウムのわたしの家まで訪ねてきたことがあるのです。
その時、戒律の教師達がわたしに言った言葉と、彼らが帰った後のペトロの様子がおかしかったのが気になって、周囲にそれとなく確かめてみたんです。
そしたら、まぁ、ペトロがわたしについてとんでもない事を吹聴しまわっていると知りました。
それがもう、あなたの耳にまで届いているとすれば、きっとサンヘドリンもこのままわたしを放っておいたりはしないでしょう。
それで、ラザルス、あなたはわたしについて一体、どんな話を聞きました?」
それを聞いたラザルスは、少し戸惑った。
まさか、イエスがこれから話そうと思っている噂の核心部分まですでに知っているとは思わなかったからだった。