第六十三話 集会
夕飯前だったこともあり、部屋には都合よくべサニーに居残った弟子達、全員が集まってきた。
この時、イエスの12直弟子のうち、フィリポ、ナサニエル、トマスの3人は、イエスと一緒にラザルスの別宅があるエプライム村に行って留守だった。
だが、残りの直弟子9人は、とりあえず全員がペトロの前に顔をそろえた。
そして、他の弟子達も部屋に集まってきたのだが、いつもとは異なるペトロのただならぬ様子に彼らはかなり戸惑っているようだった。
いつもなら愛想良く話し掛けてくるペトロが、なぜかこの時は一言も彼らに声をかけようとしなかったからだった。
ペトロは、ひたすら窓辺に立ってじっと外を眺めたまま何か考え事をしているようだった。
そして、アンデレがペトロに弟子達全員が揃ったことを告げると、ようやくペトロは窓辺から離れて弟子達に向き直り、低い声でゆっくりと話し始めた。
「では、皆、そろったところで、これから大事な話をしようと思う。
気を引き締めて聞いてくれ。
その後、話が終わったらゆっくりと皆の意見を聞かせてほしい。
では、まず、先にこのことを皆に伝えておこう。
実は今日、サンヘドリンの一員としてファリサイ派の教師の方がここにやって来た。
イエス先生ではなく、私達、弟子に会いにいらっしゃったのだ」
その言葉に、一瞬にして弟子達の間にざわめきが起きた。
ペトロはそれには構わず、さらに話を続けた。
「皆もよくわかっている通り、これまでイエス先生が奇跡の業を起こす度に、ファリサイ派の連中が、私達の宗派にいろいろな嫌がらせを仕掛けてきた。
イエス先生にあらぬ嫌疑をかけて無理やり逮捕しようとする動きもあった。
だが、私達はイエス先生の下、一致団結してそういった妨害に屈することなく、今日までこの宗派を守り続けてきた。
とは言え、今回の復活騒ぎについては、これまでとは全く違う。
皆もよくわかっていると思うが、今回の騒ぎはもっとひどいことになるだろう。
そこで、この騒ぎが暴動にまで発展することを恐れ、サンヘドリンも今度こそ本気でイエス先生の検挙に乗り出そうとしている。
そして、それを告げにサンヘドリンの方がわざわざここに来たというわけだ。
だが、話はそれだけじゃあ、ない。
実は、今回はイエス先生だけでなく、私達、弟子もサンヘドリンの裁判にかけられるということが分かった」
それを聞いて弟子達は一斉に騒ぎ出した。
ペトロは、すぐさま彼らの騒ぎ声を制するように再び強い調子で話し始めた。
「静粛にっ!静粛にっ! まだ、話の続きを聞いてくれっ!
もちろん、皆が驚くのは当然だ。
イエス先生にも罪はないが、私達にも罪などあろうはずがない。
私達は主に懺悔することは山ほどあるだろうが、サンヘドリンに裁かれるような罪を犯した覚えは一つもない。
だが、サンヘドリンも、エルサレム神殿も、イエス先生の奇跡の徴を見ない限り、イエス先生を絶対に認められないと言ってきている。
そして、私達、弟子も、イエス先生と共に国家を故意に動乱させた疑いがある、とも言っていた。
これはひどい誤解だ。
私達はイエス先生の教えこそ、神の道を歩くものと信じて従ってきただけだ。
私達は何も疑わず、真摯に主に従って歩いてきたつもりだ。
なのに、私達は疑われている。
だから、わたしはサンヘドリンから来た教師の男に言ってやった。
イエス先生の奇跡の徴に嘘偽りはない。
だから、調べられるものなら調べてみろ、と。
だが、その一方で、わたしは皆の命を預かっていることにも気がついた。
たとえ今後、イエス先生の奇跡が世間の人達の前で証明されるにしても、私達まで捕まってしまったら元も子もない。
そうなったら、イエス先生は私達を救おうと無理をなさるに違いない。
だったら、それは私達、全員の命を危険にさらすだけでなく、イエス先生の命をも無駄に危険にさらすことになる。
わたしはそれに気がついた。
だから、わたしは宗派のリーダーとして、今回、サンヘドリンから来た教師がイエス先生の引渡しを求めてきた時、一旦はそれを承諾した」
そこで弟子達はもっと驚愕してどよめいた。
「静粛にっ!まだ、もう少しだけ聞いてくれっ!
皆が驚くのは当然だ。
一度でもそんなことを承諾したわたしのことを、皆は裏切り者だと罵るだろう。
構わない、存分に罵ってくれ!
だが、わたしはどうしても嫌だとは言えなかった。
『イエス先生を引き渡すか、それとも私達、弟子も一緒に引き渡すか、どちらかをすぐに選べ』と迫られて、わたしにはその場でどうしてもその答えを選べなかった。
それに、ここですぐに向こうの要求を突っぱねてしまったら、それこそイエス先生が留守の間に私達の方が先にサンヘドリンに引っ張られるかもしれない。
そう考えたら、すぐにどちらかを決めるのは、わたしにはどうしてもできなかったんだ。
だから、とっさにそう答えてしまった・・・。
だが、本当のところ、わたしだけならもうすでにその答えは決まっている。
これは、皆の中にも覚えている者もいるだろうが、以前、イエス先生は、
『いつか自分はエルサレムで逮捕されて殺されるかもしれない』
と、ご自分の運命を預言しておられた。
その預言を信じるなら、イエス先生はこの先、ご自分がどうなるのかを既に覚悟しておられるんだろう。
だったら、一番弟子であるわたしはイエス先生に従うしかない。
だが、わたしは弟子と言うだけでなく、この宗派のリーダーと言う役目も担っている。
わたしの選択一つで皆の命までかかっているとすれば話は全く別だ。
それに、これまでずっと皆と行動を共にしてきたわたしには、それぞれいろんな事情を抱えていることぐらいよく分かっているつもりだ。
わたしにだって妻や義母がいる。
だから、親や兄弟、妻や子供、恋人のいる者の気持ちが全く分からない訳じゃない。
そういった大切な家族や友人を悲しませてまで、あえてこれからもこの宗派に従ってくれ、とは、わたしはもう、頼めない。
これから先、むごい結果になりそうなのが分かっていながら皆にその犠牲になってくれ、とはとてもわたしには頼めない。
だから、つい、先生をペサハまでには引き渡す、と言ってしまった・・・」
ペトロはそこまで話すと、ついっと頬を伝った涙を腕で拭った。
それを見て、弟子達はシーンと静まり返った。
そして、ペトロは再び話を続けた。
「すまない、取り乱してしまって・・・。
皆にしてみれば、一瞬でもそんな言葉を口にしたわたしを軽蔑するだろう。
だが、どうかわたしの気持ちを汲んでほしい。
今ならまだ間に合う。
わたしはもう、皆を引きとめたりはしない。
事情がある者は今のうちに故郷に帰って、別の仕事を探すといい。
その支度金も出来る限り、こちらから出そう。
これ以上、皆に残ってくれとはわたしは言わない。
それは余りにも過酷過ぎる・・・」
ペトロは、再び、声に詰まった。
そんなペトロを見て、何人かの弟子達も自然と泣き始めた。
「何を言ってるんだ、ペトロ。
俺達はずっと仲間じゃないか。
水臭いこと言うなよ、俺だって、お前の立場ならそう答えただろう。
何で俺らがお前のことを裏切り者なんて罵るものかっ!」
直弟子のマタイは泣きながら、ペトロにそう応えた。
「その通りですっ! 私達は一心同体です。
ここでくじける者など誰もいませんっ!」
別の弟子の一人が続けてそう言った。
「いや、落ち着いてくれ。
冷静になって判断してほしい。
この場では誰にもまだ、はっきりと決めて欲しくない。
ちゃんと時間をかけて、よく考えてから、後でわたしに一人一人の気持ちを打ち明けてくれればいい。
念を押しておくが、わたしは誰も責めるつもりはない。
イエス先生だって同じお気持ちだろう。
イエス先生も、わたしも、無意味な“犠牲者”を増やしたくないんだ。
皆に言っておくが、人が“大義”のために命を投げ出す、と言うのは簡単だ。
だが、それが本当に正しいことなのかどうか、よく考えてほしい。
無駄に自分の命を投げ出すのだけはどうか止めてくれ。
そんなことをすれば、後悔するのは本人だけじゃない。
遺された家族も同じように後悔することになるんだ。
“殉教”はもちろん、素晴らしいことだ。
まさに主への忠節を表すものだ。
しかし、人それぞれ寿命があるように、殉教においても、主はその人にふさわしい時と場所を用意されておられる。
だからこそ、イエス先生は私達と違って、ずっとその時を待っておられた。
そのためにしっかりと心の準備もしてこられたのだろう。
だから、私達もイエス先生を見習ってしっかりと心の準備を行い、自分にふさわしい殉教の時を待つべきなんじゃないだろうか?」
ペトロがそう言い終わると、その場にいた弟子達は全員、心酔したように聞き入っていた。
それはそれは見事なものだった。
誰もが感服するぐらい、ペトロの話は感動的なものだった。
教師とペトロのやりとりを一部始終、傍で聞いていたアンデレですら、ペトロの話に聞き惚れて泣いたほどだった。
だが、まさかペトロは、
「それまでの夢や野望をあきらめて、この宗派を解散し、イエスと共に殉教しよう」
といった、捨て鉢な気持ちからこんな話をした訳ではなかった。
ペトロが何よりも恐れたのは、イエスを引き渡す際に自ら手を汚すことだった。
正直、心の底ではいくらイエスが嫌いでも、自分からイエスを処刑台に送る手助けなどペトロは絶対にしたくはなかった。
それだけはどうしても彼のプライドが許せなかったのである。
だから、弟子達の前で宗派解散の話をちらつかせて早期退職を促し、その中から自分の意が通ずる最適な相手を見つけて、まさにイエスを見限ったそいつにだけ手を汚してもらおうと考えついたのだった。
そこで、退職に伴うキャリアカウンセリング(職業相談)といった体を装い、弟子達一人一人を自分の前に呼び出して、ペトロは新たな犠牲者を募ろうとしていた。
それはイエスの次に、自分の野望の為に犠牲となってくれそうな第二の羊とも呼べるものだった。