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第六十話 打診

「あの・・・、サンヘドリンの方がいらっしゃっているんですけど」

ドア越しにラザルスの妹マリアの声が、恐る恐る部屋にいるペトロとアンデレにそう呼びかけた。



イエスがラザルスと共にエプライム村に行ってからは、マーサとマリア姉妹が兄の留守を預かる一方、ベサニー村に残った他の弟子達の世話をしていた。

おかげで、弟子達はラザルスの屋敷で快適に過ごしていたのだが、見知らぬ男達が大勢、家に押しかけてきたことは、少なからずマリアとマーサ姉妹を戸惑わせていた。


特にマリアは、当初からなぜかペトロのことをいけ好かなく思っているようで、彼女はペトロには素っ気無かった。

だから、普段、彼女はできる限りペトロと顔を合わせないよう、客が来ても誰か別の者を呼んだりしてその者に案内させ、伝言も第三者を通してペトロに伝えるだけだった。

だが、今日に限ってなぜかその彼女が珍しくペトロのいる部屋まで自分で客を案内してきた。


忘れ物か?


ペトロは、あのマリアが自分のところに客を案内してきたのにも驚いたが、何より先ほど帰っていったばかりのニコデマスがまた、戻ってきたのかと思い、急いで扉を開けに行った。


だが、そこにいたのは先ほどの背の高い年配の男ではなく、少し痩せ気味の初老の男だった。

マリアはその客の案内が済むと、相変わらずペトロとは目も合わさずさっさとその場を立ち去った。

そんなマリアの態度にペトロはちょっとムッとしたが、そんなことよりも先に自分の目の前に立つ男が大いに気になった。



ペトロはその客に何となく見覚えがあった。


以前、ファリサイ派から派遣され、クファノウムにあるイエスの家を訪ねてきた何人かの戒律の教師達の代表を務めていた男だった。

あの時、イエスにデーモン(悪魔)呼ばわりされて席を蹴って出て行った彼らのことを、ペトロはずっと後ろめたい思いで覚えていた。


本音を言えば、ペトロはあの時、イエスに心底、嫌気がさしていた。

ペトロにとって、というより、生まれた時からユダヤ教徒として教育を受けてきたユダヤ人にとって、戒律の“教師”というものは絶対的な存在だった。

親や兄弟、世間の常識として、戒律の教師に逆らうことなどもってのほかだったし、誰であろうとその権威と格式に傷をつけるということは、ユダヤの歴史や文化、ひいてはイスラエルの国そのものを侮辱するものとしか考えられなかった。


だからこそ、あの時のイエスの無礼な言動には恥ずかしさを覚え、内心では自分が彼ら教師達に向かって暴言を吐いたわけでもないのに、少なからず罪悪感さえ持っていた。

そうして、あの時、怒りで顔を真っ赤にして出て行った代表の教師の顔をペトロはうっすらと覚えていたのである。


だが、そんな妙な罪悪感から客の前でもじもじしてかしこまっているペトロを見て、当の教師の方は彼を睨みつけるどころか、逆ににこやかな笑みを彼に向けてきた。


「どうやらわたしのこと、覚えてらっしゃるようですね?

いやあ、あの時は、あなたにご挨拶もせず帰ってしまって、大変、失礼しました。」

教師が穏やかにそう言うと、ペトロはゴクンと生唾を飲み込んだ。

「あ、あのっ、申し訳ございませんが、先生は今、お出かけなんですが・・・。」

突然の教師の訪問にペトロはどうしていいか分からず、これまでの堂に入った宗派のリーダーとしての彼の威厳は消えていた。


そんなペトロの様子を見て、教師は彼の緊張を解きほぐそうとするかのように再び優しそうな笑みを彼に向けてきた。

「いやいや、今日、伺ったのはあなた方のラビ(師)に会いに来たのではありません。

申し訳ないですが、ここでお話しするのも何なので、中に入らせていただいてもよろしいですかな?」

そう言われて、ペトロは慌てて彼を中に招き入れた。


部屋にいたアンデレも、客を案内してきたマリアがサンヘドリンから戒律の教師が来たと告げたのを聞いてそれに驚きながら、穏便に事を済ませようと丁重に客に椅子を勧め、もてなそうとした。

すると、そんなアンデレにも戒律の教師がにこやかにうなずくのを見て、ペトロはふと、冷静になった。


何しに来たんだろう? 


そう疑念を抱いたペトロは、自分一人で話を聞くよりもなんとなくアンデレも一緒にいてもらった方がいいと思った。

後々、弟子達にいろいろ聞かれてもアンデレが事情を話すだろうし、また、イエスの敵であるファリサイ派の教師と二人っきりで話すことは、他の弟子達から裏切り行為を疑われることにもなりかねない。

そうなってはこれまで他の弟子達との間で築いてきた信頼関係にヒビを入れることになる。


そう考えたペトロは、兄のアンデレも同席させることにした。

「わたしの兄のアンデレです。兄も一緒にここでお話を伺ってもよろしいでしょうか?」

ペトロがそう聞くと、教師は微笑を絶やさずに快く承諾した。


「さて、早速ですが、わたしが本日、参りましたのは他でもありません。

これまで申し上げてきた通り、私共、サンヘドリン一同の方針を申し上げるだけでなく、あなた方の今後のお考えについてお聞きしようと思い、参りました。

先日、あなた方のラビ(師)にはすでにご忠告申し上げておきましたが、あなた方にはまだ、サンヘドリンの意向をお伝えしていなかったように思います。

ですから、まずは、これだけははっきりと申しあげておきましょう。

私共、ファリサイ派はもとより、サンヘドリンではあなた方のラビを絶対に認めていません。

今後も、間違いなくあの方を認めるつもりはないでしょう。

あの方がどれほどの奇跡の徴や神の啓示をお持ちかは知りませんが、それももうすぐ真実が明らかになるはずです。


それと同時に、あなた方、お弟子さん達にもそれなりの嫌疑がかけられる可能性は十分にあるのだということを念頭に置いておいていただきたい。


言っておきますが、これは単なる脅しではありません。

私共、サンヘドリンは、遵守すべき正統なる戒律を国家の歴史と共に長く預かってきた身として、偽りで人々の心に混乱を招いたり、出任せの説法でもって民衆を間違った方向に導こうとする偽預言者を黙って見過ごす訳には参りません。

それでは私達、ユダヤ教徒全員の、信仰における秩序と統合性と言うものが乱れます。

このことは、あなた方のラビには再三ご忠告申しあげましたが、あの方はこれまでのところ全くお聞き入れ下さいませんでした。

ですから、民衆がどのようにあの方を熱狂的に支持しようとも、あの方が今後も教義上、問題のある教えを続けるつもりならば、それはもう私共への反抗というよりも、まさしく私達の主を冒涜する行為とみなされ、私共もしかるべき措置を取らねばなりません。


これはあの方に限らず、皆さん“お一人お一人”も同様です。


もし、皆さんがあの方と同じように、主より授かった正統なエルサレム神殿の権威を無視し、これまた主が定められた戒律を破ることにも大いに賛同しておられるなら、当然、神への反逆者とみなされ、私共もあなた方“お一人お一人”を審議にかけなければなりません。

ですが、先日、お伺いした際にあなた方のラビにはお話しさせていただきましたが、これまでのところ、あなた方、お弟子さん達にはこのことをお伝えしていませんでした。

ですので、私共、サンヘドリンではどのような措置をとるにしろ、公平な裁きが行えるよう、まずは皆さんのご意向を伺い、皆さんが身の潔白や正当性を神の御前で証明する機会が与えられるよう参った次第です。


“神に栄光を捧げるにあたり”(ユダヤ教における裁判での宣誓の決まり文句)、本当のところ、あなた方ご自身としては私共の教義や戒律に対し、どのようにお考えなのでしょう?

そして、それらに批判的なあなた方のラビご自身の教えについて、あなた方は一体、どうお考えなのでしょうか?」



こんな事を真っ向から尋ねてこられるとはペトロ達は思ってもみなかった。

教師にそう問い詰められて、ペトロもアンデレもお互いの顔を見合わせるしかなかった。



本当のところ、自分達それぞれを取り巻く事情を改善しようと必死になって考えていたとしても、イエスの教えなどこれまで真剣に考えたことは一度たりともなかった。

それについては、ただ何となくイエスの雰囲気に流されてきただけだった。


あの穏やかでいて凛とした目と、はっきりとした口調で語るあのイエスの力強い説法の雰囲気に何となくのまれ、とりあえずイエスの話す一言一句を自分達の口でなぞるようにして唱えてきただけだった。


だから、イエスの教えがユダヤ教にとって異端だとか、そうじゃないとかを考えるよりも、そもそも今だイエスが何を考え、何を自分達に教えようとしているのか、それ自体がよく分かっていなかった。


それで誰かから、

「イエスの教えの何に賛同し、それを信じているのか?」

と、まともに尋ねられたら、ペトロやアンデレだけでなく、どの弟子達であってもその答えにかなり行き詰まるように思えた。


何せ、弟子も信者も、ほとんどの者が信じていることといえば、当然、イエスの教えなどより奇跡の業だったし、後の者は、単に戒律がないところが気楽で新しいと言っていたり、あるいは、イエスの宗派の賛同者の数を見て周りの皆が信じてるから信じると言ったり、それ以外にも、ペトロと同じく、教えの中身うんぬんよりも巷での説法活動そのものが人々に何らかの影響力を与える、と強く信じる者もいた。


こうして、弟子や信者それぞれにイエスを師事するそれなりの理由は確かにあるのだが、それらをじっくり振り返ってみても、これといって別にイエスの教えそのものに心から賛同し、イエス自身を信じてついてきているとはどうしても思えなかった。



だから、正直言ってペトロとしては、一体、イエスの〝何を”信じていいのか分からず、これ以上、イエスその人を師と仰ぐことに限界を感じていたのだった。

それでも、ファリサイ派の教師にこう問われて弟子として何も答えない訳にはいかない。

だから、とりあえず、ペトロは当り障りのない答えを自分の頭の中で必死になって探してみた。

「私達としては、イエス先生であっても、皆様の宗派であっても、どちらでも主に仕えていることには変わりはない、主の教えに違いはないと信じて参りました。

ですから、元からサンヘドリンやエルサレム神殿の方々と“敵対する”という気持ちは毛頭ありません。

このことに関しては、以前、わたしの方からイエス先生には同じことを申しあげております。

しかし、先生は信仰にとても熱心なところがありまして、その熱心さが昂じた余り皆様方と論争する立場になったのだろう、と私達は受け取っております。

それに私達、弟子としましては、自分達に与えられた活動をこれまで真摯になって取り組むことで主やユダヤの方々にご奉仕してきたつもりです。

・・・ただ、それでも、あなたが今、ご指摘される通り、・・・もし・・・もし、イエス先生が私達に間違った道を教え導こうとされておられるなら、私達はいつでも自分達を省みて、主の道に戻るつもりでおります」

その場しのぎの急ごしらえの答えだったが、ペトロはどうにか落ち着いた態度でそう答えた。

そのペトロの言葉に、戒律の教師は目尻を下げ、物分りの良さそうな様子でうんうんと頷いた。

だが、その目は少しも笑ってなどいなかった。


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