第五十九話 思案
その頃、べサニー村に残った弟子達は、近づいてくるペサハ(過ぎ越し祭り)の準備と、噂を聞きつけてイエスを見ようと続々と押しかけて来る野次馬達の対応に追われていた。
ただし、野次馬とは言っても、時には報酬のいい説教活動の依頼があったり、名の知れた政治グループからスポンサー(後ろ盾)の申し出もあったりして、そうそう無げには扱えなかった。
このように、死者復活の噂が広まって以来、周囲の激変を見てみると、今回の奇跡騒ぎは、確実に“イエスという名”を人々の脳裏に刻み込んだようだった。
そんな状況の中、ペトロは生来の抜かりのなさに加え、これまでの様々な人との折衝を通じて自信がついたのか、次第に田舎臭さも抜けてきて、今ではいっぱしの宗派のリーダーとしてどこかしら威厳のある態度を見せるようになっていた。
そのため、若い弟子達もそうしたペトロの態度を快く思い、彼にかなり厚い信頼を寄せるようにもなっていた。
機が熟してきたな、とペトロはぐっとその実感を噛み締めた。
イエスがエプライム村に行ってからというものの、次々と舞い込んでくる好機と思える誘いに、ペトロはこれまで抱いてきた自分の“夢”が着々と実現していっているような気がした。
このまま事が順調に進めば、そっくりそのまま弟子も、信者も、自分の手に入ってくるかもしれない。
何せ、今はあの人もいないことだし・・・。
かと言って、決して油断はできない。
人というのは何か決定的なきっかけがない限り、“変る”、なんてことはない。
一度落ち着いてしまったら、どんな場所だろうと、どんなひどい人や状況だったとしても、人はそこから抜けようとはしないものだ。
まして、“人の縁”というのはそう簡単に切れるものではない。
ペトロは、自分がイエスから離れることを考えていてそのことに気付いたのだが、自分がそうなのだから、他の弟子や信者達の気持ちをイエスから切り離すことなど到底、難しかった。
確かに、ペトロはイエスから何度となく離れようとしながら、なんとなくとどまっていた。
それは、イエスの奇跡という“名前や看板”(=ブランド、商標名)があったからというのも理由の一つだが、それ以外でも何かモヤモヤしたものを抱えていたからだった。
それが愛着心だと言ってしまえば聞こえはいいが、要するに、人は一旦、誰かや何かになじんでしまうと、なかなかそれが捨て難いものなのである。
だから、たいていの人はそのなじんだ人やものから離れられず、だらだらとその状態を続けていく“惰性”に流されていくものなのだが、ペトロはそうではなかった。
彼の場合、他の弟子や信者達よりもはるかに上昇志向が強かったのと、なにより人並みはずれて処世術に長けていた。
そのため、彼は常に周囲に気を配りながら絶えず自分の好機を伺っており、自分にとって何が今、必要なのか、どこが一番、安心して身を任すことができるのかを見逃すまいと、自分の保身に余念がなかった。
つまり、彼は自分の目標を見失うことなく、成功するためならいかなる手段をも辞さないという非常に冷酷非情な男だったのである。
そして、そんな時流を読む術に一度も失敗したことがないペトロが、今後の宗派の未来を真剣に考えた時、これ以上、イエスが宗祖として自分達を引っ張っていくのは無理だと思った。
何より、イエスという人間が頼りないことこの上なかったからである。
最近では、あの人を見ているだけでこの胸がムカムカしてくることだってある。
ペトロはイエスの顔を思い浮かべ、口を歪めた。
のほほんと、どんな状況になっても他人事のようにどこ吹く風で、真剣さも見当たらない。
私達が必死になって駈けずり回り、説教をする場所を探してきても、あの人はただ、行って説教をし、信者達から供物をもらって帰ってくるだけだった。
活動収入や弟子達の生活に気を配ることもなければ、それどころか、あれほど「危険な説法はしないでくれ」とこっちが頼んでも全く聞く耳を持とうともしない。
一体、何を考えているのか、何を話しているのかもさっぱり分からない時だってある。
それでも、何となくあの人の持つ雰囲気に周りは飲み込まれていってしまう。
どこが違うと言うんだ?
あの人と、わたしと?
何の違いもないじゃないか、わたしと、あの人とでは。
むしろ、取り得らしい、取り得だって全くないようにも思えるし、人から好感をもたれることも少ない。
何より、敵が多すぎる。
だが、ペトロは内心ではそういった優越感をイエスに抱いていても、それでもイエスと比べて自分には“何か”が足りないような気がした。
この宗派を受け継ぐにしても、どうしてもイエスの方が自分よりも“何か”において際立っているように思えた。
それが何であるのか、ペトロには分からなかった。
最初の頃は、イエスのような“説法”、つまり“福音”(ゴスペル。「よい知らせ」の意)がうまくないからだと思っていた。
だが、今では「イエス先生より分かりやすい」とまで言われるようになってきた。
それ以外にも、人付き合いの良さや好感の持てるペトロの立ち居振舞いに、人から褒められこそすれ、悪口を言われたことなど今まで一度もなかった。
だから、これといって自分に不満を感じるところなどどこにもないように思えたが、それでもペトロの気は収まらなかった。
それほど、弟子や信者達のイエスへの思いはなかなか断ち難いものがあった。
確かに“何か”がペトロを含めて、彼らの心をイエスへと引っ張っていた。
それが何であるのかが、ペトロには分からなかった。
それが“奇跡”というものなのかもしれないな、とペトロは苦々しく思っていた。
ないものが実際にはあるように思える、それが“奇跡の徴”というものだ。
あの人には何かをもたらす不思議な能力があるように思える。
それを信じて彼らはあの人についてくる。
自分から率先してそれを吹聴してきたことが、今更ながらペトロの肩に重くのしかかっていた。
そして、それがいつの間にか勝手に一人歩きを始め、噂が噂を呼び、今では彼らの宗派にはなくてはならないものとなってしまった。
今度のラザルスの件にしても、あの人が死者を復活させるなんてことは絶対にあり得ない。
そのことは、傍であの人をずっと見てきたわたしには嫌というほど分かっている。
それに、あの人にそんな力が本当にあるのなら、ヨハネ先生だって復活させて見せただろう。
そう考えると、ペトロはフンと鼻で笑った。
あのラザルスという男が裏で仕組んだことに違いない。
あの男は、見たところどうやら皮膚病のようだったし、恐らくそれを覆い隠そうとしてあの人の奇跡の噂を利用したのだろう。
事のいきさつをよく知らない連中があれを見れば、誰だって本当に死者が復活したんだ、と信じ込んでしまう。
それにしても不思議なのは、あの人の行くところ行くところ、必ずそういう“偶然”が上手い具合に重なって起きてしまう。
まぁ、それこそ“奇跡”だと言えるのかもしれないが・・・。
だから、“奇跡”を外してはこの宗派を語ることなど許されない。
奇跡があるからこそ、この宗派の人々はあの人についていこうとするのだ。
だったら、その奇跡があの人には全く起こせないと分かったら、弟子も、信者達もあの人から離れていくんだろうか?
いや、それはできない。
そんなことが今、分かったら、あの人どころか弟子の私達まで世間から袋叩きの目に会ってしまう。
じゃあ、一体、どうすればいいだろう?
どうすれば、あの人だけを上手く切り離し、私達だけでこの宗派を何とか存続させていけるんだろう・・・?
奇跡の徴を消さずに、あの人だけを消す?
そんなこと、果たしてできるんだろうか?
ペトロは、そうしてその考えに囚われ始めた。
イエスをどうにかして自分達の組織から排斥し、彼の奇跡だけは何とかそのまま残せないものか、と。
そんなことを考え込んでいるところへ、兄のアンデレがペトロのもとへ客を一人、案内してきた。
それは、サンヘドリンから遣わされてきたニコデマスだった。
「やぁ、しばらくだったね、ペトロ。わたしを覚えているかな?」
ニコデマスは、以前、エルサレムで説法会が開かれた際、イエスと一緒にペトロ達にも一度、会ったことがあった。
「ああ・・・、これは、これは、お久しぶりです。
ようこそお出でくださいました。
せっかく足を運んで頂いて恐縮なんですが、先生は今、お出かけでして。
ですから、代わりにわたしがご用件を聞くことになっております。さぁ、どうぞこちらへ」
ペトロは、そう言って愛想良くニコデマスを出迎えた。
しかし、最近、とみに忙しかったペトロにとって、一度か二度、会ったぐらいの信者の顔などほとんど覚えていなかった。
それに、それほどニコデマスが特に印象深い人物でもなかった。
そのペトロの雰囲気からして何となくよそよそしいことに気づいたニコデマスは、少々、気まずさを感じ、ゴホンと咳払いをすると、アンデレに勧められた席にとりあえず腰掛けることにした。
そして、意を決したかのように少し顔を引き締め、重い口調で話し始めた。
「実は、今日、わたしがやって来たのは、個人的というより、サンヘドリンの一員として話しておかなければならない事情でやってきたのだ」
ニコデマスが重々しくそう告げると、途端にペトロの表情は一変した。
恐れと恭順。
この二つが入り混じった、何とも情けない表情でペトロはニコデマスの様子を伺った。
しかし、ニコデマスはペトロの表情には頓着せず、さっきと同じ重い口調のまま静かに話を続けた。
「ご承知のことと思うが、あなた方のラビ(先生)は今、サンヘドリンからいろいろな嫌疑をかけられている。
戒律破りと境内での扇動行為、その他もろもろの奇跡の徴についてサンヘドリンのメンバー達は直接、審議をかけたい、と言っている。
だが、今のところ、証人が誰もいない。
つまり、あなた方のラビを訴える者が誰もいないのだ。
だから、サンヘドリンで警護を預かる身のわたしとしては、いかに他のメンバー達が嫌疑について取り上げて審議にかけたがったとしても、正式な訴状もなく、法的な根拠もなしにあなた方のラビを検挙するつもりは毛頭ない。
ただ、お互い何らかの不要な争いや騒乱は避けておきたい。
だから、あなた方のラビにはこれを伝えておいて欲しい。
それは、今回だけはペサハであっても決してエルサレムには来ないでほしいと。
これは彼への最後の警告だ。
そして、彼がエルサレムにさえ来なければ、何も問題は起きないはずだ」
ペトロは、それを聞いて驚いた。
まさか、あのサンヘドリンのメンバーの一人がイエスを助けようとするかのように、わざわざ警告しに来るとはとても信じられなかった。
一体、この人は本当にサンヘドリンのメンバーなんだろうか?
だって、サンヘドリンの方からあの人に向かって「エルサレムに来るな」なんて言い出すはずないじゃないか!
これまでは散々、あの人を逮捕しようといろいろとけし掛けてきたのに・・・。
でも、サンヘドリンのメンバーだなんて嘘をつくのもおかしいしな。
だったら、どうしてこの人はこんなことを言いにわざわざここまで来たんだろう?
まさか、サンヘドリンのメンバーの一人に我々の宗派の信者がいるなんて・・・、そんなはずないだろう?
ペトロは、ニコデマスの意図がどうしても腑に落ちず、つい、まじまじと彼の端正な顔立ちを眺めた。
しかし、そこからは知性と裕福さが漂っているだけで、それ以外にどこにも怪しいところなどなさそうだった。
そのため、ペトロはますますニコデマスの真意が見えずに当惑した。
わざわざこんな話をしに来るのは何か裏があるに違いない。
とりあえず、この話は適当に流しておくか。
結局、ペトロは、そのニコデマスの律儀そうな口調の裏に秘められた彼のイエスへの深い友愛の情に気づかず、その場だけはそれなりの対応をしておこうと、にこやかな笑顔をその顔に浮かべた。
「分かりました。先生にはきちんとお伝えしておきます。
わざわざ警告に来てくださって、本当に感謝いたします」
その愛想の良い爽やかなペトロの応対にニコデマスは、自分の思いが伝わったものと勘違いし、重く苦しい雰囲気を消し去って再び気さくな笑みをペトロに返してきた。
そして、用件だけを済ませると、彼は長居もせずにさっさと帰って行った。
その後、ニコデマスが帰ってしまうと、ペトロは早速、彼を案内したアンデレにニコデマスについて尋ねた。
「兄さん、さっきの人に覚えはあるのかい?」
「ああ、確か、エルサレムで説法会があった時に来てた人なんじゃないかな。
イエス先生が偉く親しそうに話していたし、身なりのよさそうな人だったので、ちょっと気になって近くにいた人に聞いたんだ。
そしたら、何でもあの人は偉く名の通ったファリサイ派の律法学者さんだそうで、サンヘドリンのメンバーにも選ばれている人って聞いたよ。
まさか、うちの信者にファリサイ派の人がいるわけないだろうから、その話は嘘なんじゃないかって思ったけどね」
アンデレは、うろ覚えの記憶をどうにか手繰り寄せ、ペトロにそう答えた。
「ふーん、そうか。
ファリサイ派の人だったんだ。
だったら、もう少しちゃんとおもてなししておけばよかったな」
ペトロは、さっきまで自分のそっけない態度を少し後悔した。
まさかとは思ったが、やっぱり、本当にサンヘドリンのメンバーだったんだ!
なら、もう少し、愛想よくして取り入っておけばよかったかな?
もし、あの人がこっそりうちの宗派の信者だとしたら、今後、ファリサイ派やサンヘドリンに口をきいてもらっておけば、もしかしたらうちの宗派もこれ以上、目をつけられる心配もなくなるかもしれない・・・。
いや、待てよ。
やっぱり、それはないな。
だって、さっきもサンヘドリンがイエス先生を審議にかけたいとかって、話していたし・・・。
それに、今更、ファリサイ派がイエス先生を認めるなんて絶対あり得ないだろうしな。
だとすると、あの人は単にイエス先生に危険を知らせに来ただけなのかな・・・。
ペトロがそうやっていろいろと考えを巡らせていると、再び、扉の向こうで人のやって来る気配がした。