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第五十八話 密談

一方、イエスが滞在するべサニー村では、今まさにラザルスが生き返った奇跡でてんやわんやの大騒ぎになっていた。


村の住人達はもちろん、弔問客達から話を聞いた人々が我も我もイエスを一目見ようと、ラザルスの屋敷に押しかけてきた。

さすがに予想はしていたものの、あまりの騒ぎに恐れをなし、イエスの弟子達は今後の展開について不安がりだした。


この騒ぎを聞きつけたサンヘドリンが事の真偽を確かめようと本格的な捜査に乗り出すのではないか?


そう身の危険を感じ始めた彼らは話し合い、このままイエスがべサニーに留まるよりもひとまずどこかに身を潜めてもらおうということで話がついた。


もう1〜2ヶ月もすればペサハ(過ぎ越しの祭り)が始まる。

そうなれば、国内外から多くの参拝客達が清めの儀式に参列しようとエルサレムにやって来る。

当時、ペサハのためにエルサレムに集まる人の数は30万人以上と言われ、その人込みにイエスを紛れこませれば、逆に安全だろうと彼らは考えた。


べサニーのような狭くて人の少ない場所にいるよりも、ペサハで賑わうエルサレムに行き、大勢の人が集まる公共の場所にいれば、かえってこれほど評判を取ったイエスをサンヘドリンが不当に逮捕することも、ファリサイ派が表立って乱暴を働くこともできないだろうと彼らは群衆を逆手に取ったのだった。

そうしてペサハの間はエルサレムで過ごして、参拝客達が帰る頃合を見計らい、これまた帰途につく旅人達と共にクファノウムに戻ってはどうかということで話は落ち着いた。



早速、弟子のナサニエル、トマス、フィリポの3人が名乗り出て、彼らはイエスと共に身を隠すことにし、他の弟子達はスパイ達の目を眩ますためにべサニー村に残ることとなった。そして、死者から復活したラザルスもまた、騒動を避けるだけでなく、死者復活劇の裏を知ろうと狙う僧侶達からも逃れるため、イエス達に同行してべサニー村から離れることにした。

幸い、ラザルスの亡き父シモンは元々、大地主だったので、エルサレム周辺はもとより、地方にも家や土地をいろいろとラザルスに遺してくれていた。

おかげで、エルサレムから北に30kmほど離れた砂漠に近いエプライム(現在、テイベと呼ばれ、中東では有名なビールの産地でもある)という村にもラザルスは土地と家を持っており、これまでほとんどその管理を人任せにしていたこともあって、ラザルスのものだと知る人も少ないことからイエス達はしばらくそこで身を隠すことにした。


そんなこともあって、イエスが煙のごとく人々の前から姿を消すと、いっそう人々の興味と関心をそそることになり、彼らはますますメシア(救世主)の到来かと噂するようになった。


すると、イエスがいなくなったことを知ったサンヘドリンのメンバー達はかなり焦りだした。

思った以上にイエスの評判が高まり、たとえエルサレムにイエスをおびき寄せたとしてもそうそう簡単に逮捕できるのかと疑念を持つ者も出てくるようになった。

しかも、ファリサイ派は相変わらずスパイ達を四方に散らばらせ、イエスの居場所を探ろうと必死に探索を続けていたが、そうしたスパイ達の中からもイエスに心酔する者もいて、特に、イエスの死者復活の場面を目撃したスパイなどはすっかりその奇跡を信じ込み、自慢気にその話をいろいろな場所で吹聴して歩く始末だった。


そうなると、ますますファリサイ派の上層部はイエスを野放しにはできないと危機感を募らせていった。



ローマ法に操られる傀儡かいらい政権において、庶民を代表する政党と自負してきたファリサイ派が、その庶民から愛想を尽かされてはサドカイ派よりも真っ先に政権から引きひきずりおろされることは目に見えていた。

だから、あの緊急会議が開かれて以降、連日のようにファリサイ派の幹部達が大僧正カイアファの屋敷を訪れ、そこにアンナスの腹心の僧侶達も加わって、庶民からの反発を招くことなくイエスを逮捕する筋書きを練り続けていた。



ちなみに、カイアファの屋敷というのは、ピラトが住むヘロデ大王宮殿と同じ並びにあり、エルサレムの街の最も西南に位置していた。


その当時、エルサレムの街は、特色を持ったそれぞれの地区に分かれていた。

まず、街の東側、丘の上にエルサレム神殿が大きくそびえ立つダビデ地区、その神殿の左側に位置し、街の北側一杯に様々な商店や市場が賑わう商業地区、そして街の南東、神殿の右側の丘から地盤がずっと落ち込んだように低くなっているところに小さな家々が建ち並ぶ下町地区、そして街の西側、その下町地区を前にしてそこから数段、高いところにピラトが住む宮殿やヘロデのハスモン宮殿、大きな屋敷の数々や劇場などの娯楽施設も建てられた、富裕層の住む上屋敷地区と、これら4つの地区に大きく分かれていた。


そして、この富裕層が住む上屋敷地区の最も南にイスラエルの英雄ダビデ王の墓が建てられており、カイアファの屋敷はその墓の前に建られていた。

見るからに豪奢の極みを尽くしたギリシャ風の広大な屋敷には、カイアファの義父アンナスも同居していたため、アンナスを交えた会合も開きやすく、時としてサンヘドリンの審議などもその屋敷では執り行われていた。



通常、サンヘドリンの審議や裁判は、現代で言う最高裁判所のような、ナジ(議長)を含めた71人の全メンバーがエルサレムの神殿本部にて集まって行う“大サンヘドリン”と、現代の地方裁判所と似た、地方の各都市において数人から最大23人のメンバーによって行われる“小サンヘドリン”に分かれていた。


まず、裁判の流れとしては、最低でも2人の告発者がまず容疑を申し立て、訴えられた容疑者は、弁護士の代わりに自分の弁護をしてくれる別の証人を一人立てる。

そして、それをアブ・ベイド・ディン(副議長。「裁きの父」の意)か、それと同等の権限を持つメンバーの誰かが、裁判官として取り仕切ることになっていた。


つまり、エルサレムで起きる宗教関連の事件や戒律破りなどは、義父のアンナスが取り仕切る形の小サンヘドリンで一度、審議し、そこから小サンヘドリンでの判決を確定するよう、大僧正のカイアファがナジを務める大サンヘドリンに上告する仕組みとなっていたのである。


そのため、ローマ法に司法権を握られてからというものの、71人全員が神殿本部に集まって裁きらしい裁きをする必要もなくなっていたので、メンバー達は、ナジ(議長)のカイアファと、アブ・ベイド・ディン(副議長)のアンナス、両者に会えて審議や裁判がスムーズに執り行える彼らの屋敷に集う方が便利だった。


また、サンヘドリンの本部だとお互いに会える日時も限られていた。


と言うのも、神殿本部でメンバーがつどえるのは日中だけと決められていたし、その他、サバス(安息日)や祭りの期間、祭りの前夜なども、裁判や審議を開くことは戒律上、許されていなかった。

そのため、都合のいい時間にメンバーが集まれるとなると、やはりカイアファの屋敷が最適だったのである。



こうして、今日もまた、カイアファやアンナス、そして彼らの腹心の僧侶長や僧侶達、さらにファリサイ派の幹部、数人が集まって、いかにして庶民の反発を招くことなくイエスを起訴に持ち込もうかと頭を悩ませていた。


「で、イエスの居所はまだ、わかりませんか?」

僧侶長が最初にそう聞くと、ファリサイ派の長老幹部は眉間にしわを寄せて首を振っただけだった。

ファリサイ派のスパイは、イエスが弟子達とベサニー村を離れたことはつかめていたが、どこに身を隠したのかその場所まではまだ、突き止められないでいた。

「はい。神殿の警護を預かるニコデマスにも調べるようにと伝えていますが、どうも彼はイエスの逮捕には消極的なようでして・・・」

「ほう、それはどういうことです?」僧侶長が詰め寄った。

「何せ、融通のきかない生真面目な男ですから、イエスの逮捕そのものが違法だと言い出しまして。

容疑もはっきり固まっていない、まして告訴する証人すら誰もいないのになぜ、逮捕しなくてはならないのか?と・・・」

長老幹部の男は、もじもじしながらそう話した。


「ほぉ?それは、それは。

なかなかしっかりしたお方のようだ。

確か・・・、ニコデマスはあなた方と同じファリサイ派ではなかったですか?

さすがは戒律に厳しい御党のお仲間だけはある。

しかし、ファリサイ派の方々にはお気の毒なことですなぁ。

イエスのみならず、お身内からもいろいろ異論が出るようで。

さぞかし、御党の先々についてご不安なことでしょう」

僧侶長がそんな嫌味を言うと、サドカイ派の僧侶達もクスクスと笑った。

それにファリサイ派の長老幹部は顔を真っ赤にしてうつむいた。


「だが、確かに一理ある。

イエスを起訴するにもとりあえず、告訴する者がいなければ何も始まらない」

そんなサドカイ派の僧侶達の意地悪をなだめるようにして、大僧正のカイアファがファリサイ派の長老幹部の肩を少しもってやった。

「ですが、今のところ、イエスを告訴する者が見当たりません。

それどころか、今回の死者復活騒ぎでさらにイエスに肩入れする者も増えてきているようでして・・・。

エルサレム内外においても、イエスを見かけたらすぐ通報するように呼びかけてはおりますが、以前と比べましたら、人々の歯切れは悪く、イエスを告訴しようという者を見つけることすら難しくなってきています」

カイアファに味方してもらい、少しは気を取り直したのかファリサイ派の長老幹部はそう付け加えた。


「予想はしていたが、やはりイエスの人気はうなぎ昇りのようだな。

だが、かえって好都合ではないか。奴がそれを鼻にかけ、のこのことこのエルサレムに出てくるようなら、それこそ飛んで火に入る夏の虫」

そこで大僧正の義父であるアンナスがサドカイ派とファリサイ派、両派の議論を面白がるかのように横やりを入れた。


「と言いますと?」

僧侶長はアンナスの意図が読めず、そっと尋ねた。


「人というのはもろいものだ。

誰の心にも光と闇がある。

神が照らされる光をある者が一身に浴びれば、その者に立ちふさがれて、逆に日陰の身になる者もいる。

そうなれば、陰に追いやられた方はどう思う?


イエスという男の人気が高まるということは、それだけ人の嫉妬も高まるということだ。


だから、天狗になった大嘘つきの男の鼻を明かすには、まず好きなだけその名前を広め、思う存分、この世の光を浴びさせることだ。

そうして有頂天になったところで皆の前でそいつの大嘘を暴いてやる。

そうなれば、イエスに反感や嫉妬を持つ者は大いに盛り上がることだろう。

それに、教義のイロハも分からん無知で単細胞、しかも多勢に弱い群衆のことだ。

今のところ、噂に押されてメシア(救い主)、メシア(救い主)とあの男を持ち上げたところで、どうせ奴のメッキが剥がれたらすぐにソッポを向いてこっちに味方してくることだろう。

世論とはそういうものだ。

だから、よいではないか、あの男が死者を復活させたとホラを吹いているのなら、好きなだけ吹かせてやれ。

そして、本当にあの男が死んで蘇ってくるかどうか、それこそ見物みものではないか?」

そう言うと、アンナスはくっくっとその口を歪ませて笑った。


それを聞いて僧侶長も少し合点がいったのか、アンナスと互いに笑みを交わした。

「なるほど、それは確かにいい見世物になりますな。

ですが、アンナス様のおっしゃる通り、その前に“あの者によって陰に追いやられた者”を探さないといけません」


その僧侶長の言葉に、ファリサイ派の幹部の一人が口を挟んできた。

「それならば、わたしに考えがあります。

何も民衆の前であの男を逮捕する必要はないのではないかと思うんです。

これまでにも散々、奴の戒律破りの現場を押さえ、民衆にあの男を告訴させようといろいろけしかけてきましたが、残念ながらどれもうまくいった試しはありませんでした。

そして、今では奴の味方が増えることでそれがもっと難しくなってきています。

だったら、裏の手を考えてはどうでしょうか?」

ここで発言したファリサイ派の幹部は、実はかつてイエスを取り込もうと戒律の教師達を代表してクファノウムにまでわざわざイエスを訪ねてきた男だった。


「裏の手とは?」

ここでサドカイ派に無策をなじられていたファリサイ派の長老幹部は、汚名返上とばかりにその仲間の言葉に勢いづいた。


「例えば、家の礎を引っ張り出すのは大変ですが、家の屋台骨を一本か二本、外して

家そのものを壊してしまえば簡単に礎は取り除けます」

「・・・ほぉ。では、その礎の上に乗っかっている家を中から潰してしまおうと言うことか?」

アンナスはその言葉に満足そうにうなずいた。


「はい。アンナス様のおっしゃる“イエスによって陰に追いやられた者”というのは、案外、身近にいるものです。

それが家の屋台骨を支えている者ならなおのこと、脚光を浴びているイエスを見れば己のこれまでの支えに光が当たらず、少なからず嫉妬にもだえているのではないでしょうか?」


そう言って戒律の教師が意味ありげに笑みを送ると、アンナスもニヤッとした。

「それは、イエスの弟子達のことか?」


「はい。実はわたくし、以前、ファリサイ派を代表してあの男の家まで訪ねていったことがございます。

その際、弟子の一人に会いましたが、どうやらその者、礼儀正しく、こちらに好意的な印象を受けました。

魚心に水心と申します通り、一度、その者に打診してみる価値はあると思います」

戒律の教師はそう言い終わると、その場にいた全員が感心したようにうなずいた。


そして、打開案が出されたところで、大僧正のカイアファが会を締めくくるようにして話し始めた。

「そちらの提案で事を進めるにしても、あの男を捕まえて始末するのは祭りが始まってからでは遅い。

祭りの間に事が起きてしまうと、街のならず者を焚き付けるやもしれん。そうなっては、騒ぎが大きくなって、ローマが強行手段に出てくることにつながる。

ピラトの駐留軍を加勢しようとシリアから兵が出されてはまずいのだ。

とにかく、くれぐれも事を大きくせず、上手く民衆を扇動せねば」

カイアファの言葉に、アンナスは再度、大きくうなずいた。



カイアファも、アンナスも、この前の暴動のような大事になることだけは何としてでも避けたかった。

今度こそピラトを本気で怒らせたら、追い出すよりも先に向こうが何をしてくるか分からない。

それにローマがピラトの肩を持つことになれば、こちらの目算は大きく外れてしまう。

内政干渉どころか、本気でイスラエルの支配に乗り出されてはそれこそ自分達は用なしとなる。

ファリサイ派が庶民の動向に不安を抱くように、サドカイ派もまたローマの動向にこうした恐怖を抱いていた。


「よいな? 絶対に事を大きくせず、イエスとピラト、我々の狙いはこの二人だけ。

何一つ、抜かりなく事を進めねばならん。わかったな?」

カイアファが念押しすると、それに応じるようにファリサイ派の最高幹部で律法学者のガマリエルが口を開いた。

「それは重々、心得ておりますからご安心くださいませ、大僧正様。

何としてでも祭りまでに決着をつけたいと、私共も考えております。

何せ、生贄の羊は必ずニサン月(第一の月)の14日までには屠殺とさつしておかねばならない、というのが神の掟でございますから」


この、ガマリエルの言ったニサン月の14日(現代暦では、大体、4月14日ぐらい)というのは、まさしくペサハ(過ぎ越し祭り)が始まる前日のことだった。



ペサハ(過ぎ越し祭り)は、この頃のユダヤ社会においては現代でいう正月にあたる。

(ちなみに、現代におけるユダヤの正月はロシュ・ハシャナ(「年の頭」の意)と呼ばれるものだが、この当時は正月として祝われておらず、ペサハが正月行事となっていた)


そのため、ユダヤにおけるすべての人がその正月準備に大わらわになるのだが、中でも羊の血を家のドアに塗りつけ、厄災をはらう(注1)儀式は、この祭りには欠かせないものだった。

何より、それがこの祭りのハイライト(見せ場)でもある。


だから、ユダヤの人々はニサン月(4月頃)の10日までに自分達が屠殺する羊を選び分け、必ずペサハの日の前日までにその羊を屠殺してその血を自分の家の扉に塗ることになっていた。


そうした事情から、戒律を司るファリサイ派の代表幹部のガマリエルは、

「生贄の羊は必ずニサン月(第一の月)の14日までには屠殺とさつしておかねばならない、というのが神の掟でございますから」

と、カイアファに言ったのである。


つまり、この時、イエスは実質、“ファリサイ派とサドカイ派の厄災をはらう為の生贄の羊”として彼らに選ばれたのだった。


(注1)・・・ 第13話「迷い」参照


これまでのお話の中で、ペサハ(過ぎ越しの祭り)をユダヤ教の正月に当たる、とご説明していますが、「あれっ?」と思われた方もいらっしゃるかと思います。

ちなみに、現代におけるユダヤの正月の行事はロシュ・ハシャナ(年の頭)と呼ばれるものですが、これは現代の太陽暦を使用して決められたものであり、古代では恐らく”教暦”と呼ばれる、月の動きでこよみを定める太陰太陽暦を主に使用していたので、現代とは違って、ペサハが1月に当たります。

しかし、古代のユダヤ文化におけるこよみの扱い方は、まだまだ謎が多く、暦の計算方法もその年毎によって違ったとも言われています。

現代の暦が使われるようになったのも、11世紀頃と言われていますので、この点の違いを何卒、ご了承ください。

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