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第五十六話 反感

言うまでもなく、ラザルスが死者から復活した話はその日のうちにエルサレムに届いていた。


弔問客達の口から村人達の口へと語られていき、さらにその話のネタを仕入れた商人達の口へと渡って、瞬く間にエルサレムに住む人々の話題となっていった。

むろん、サンヘドリン本部にもその話はイエスをつけていたスパイ達からすぐに伝えられた。


さすがに、今度の奇跡騒ぎだけはサンヘドリンの力でもってしても、どうにもイエスの名が拡散されることを止めることはできなかった。

そして、話を聞いた人々はやはり死者を復活させたイエスを本物のメシア(救い主)だ、と確信し始めていた。

彼こそ、まさしくこのイスラエルをローマ帝国から救ってくれる神の使いかもしれないと期待しだしたのだった。



そうなると、サンヘドリンも、僧侶達も、別の脅威を懸念しだした。


このままでは、民衆はイエスをメシア(救い主)と掲げていろいろと厄介なことを起こしかねない。

それでなくても、熱心党やシカリ(短剣によるテロリスト集団)の勢力が拡大してきて、エルサレムのあちこちで暴れまくり、政権を握る私達ファリサイ派やサドカイ派の者達を武力で持っておびやかそうとしている。

ローマ人はもとより、同じユダヤ民族にすら彼らは容赦なく攻撃してくる。



万が一、イエスがそういった奴らと手を組むことになれば、イスラエル国内そのものが崩壊しかねない。



危機感を抱いた彼らは、ちょうどサンヘドリン本部に集まっていたメンバーだけで早速、緊急会議を開くことにした。


サンヘドリン本部は、エルサレム神殿を四方に囲んだ塀の北西に位置する“アントニアとりで”の一角にあった。(ちなみに、現代において“嘆きの壁”と呼ばれる場所は、神殿を囲んでいたこの四方の塀のうち、残った西側の部分を指す)

アントニア砦とは、ヘロデ大王が、その名が示す通り、彼の友人であったマーク・アントニー(エジプト女王クレオパトラの愛人として有名なローマ軍人)の名にちなんで建造した、4本 やぐらで囲んだ要塞のことで、今では主にローマ軍がエルサレムの拠点として使用している場所でもあった。

この砦の地下には神殿の南側にある外国人参拝客用のアーケードと、エルサレム市街の一番西側にあるヘロデ大王宮殿とを結ぶ秘密の地下道が設けられており、ローマ軍はこの地下道を利用してエルサレム神殿と市街の警護を行なっていたのである。


そして、この4本 やぐらのうち、市街に向けて建つ2本をローマ軍が占拠し、残りの2本は神殿の北側の塀に隣接していたことから、これらの櫓については僧侶やサンヘドリンの使用が認められていた。

だが、もともと、これらのやぐらには神殿の祭儀に使用するローブや衣装、宝物などが収納されており、それらの貴重品をローマ軍が後方の櫓から警護するという名目になっていたが、実際はこれら国宝すらもローマ軍の所有物にされているようなものだった。

だから、サンヘドリンは、これらの宝物をローマ軍から守るためにも神殿に近いやぐらの一部屋にその本部を置き、日中、自分達メンバーや僧侶達がいつでもそこに集えるようにしていたのだった。


その日、イエス対策の緊急会議に集まっていた出席者は、ナジ(=議長。ヘブライ語で「王子」の意)を務める大僧正カイアファと、その義父で前大僧正のアンナス、エルサレム神殿の僧侶達とその他の十人程度のメンバー達だった。


通常、裁判を行なう場合、サンヘドリンのメンバー達は被告を取り囲むように半円形に座って審議を行なうのだが、その日も、イエスの死者復活の奇跡について興奮して話すスパイを取り囲むようにして席につき、その報告に彼らは黙って耳を傾けていた。

「それで、お前はその死者が生き返ったのをその目で確かめたのか?」

スパイが話し終えると、すぐにメンバーの一人が詰問した。

「はい。確かにこの目で見ました。

あのイエスが墓に向かって声を掛けましたら、白い包帯に巻かれた死者がゆっくりと外に出て参りました。

その場にいた者達に聞いたところ、死者は埋葬されてからすでに4日も経っていたとのことですが、それでも、なぜかその身体は全く腐ってもおりませんでした。

それに、悪魔は日の光を恐れると言いますが、それさえもなく堂々と外に出て参りました」スパイは、その時の衝撃を今でも隠せない様子で、声を震わせながら勢い込んでメンバーや僧侶達に話した。

その報告に誰もが驚いてざわめきだした。

そして、報告を終えたスパイがその場を立ち去ると、審議は一斉に紛糾し始めた。



「そんな馬鹿な。あの男にそんなことができるものかっ!」

一人の僧侶がわめくと、それに続けて次々と、メンバーや僧侶達が各々の意見を言い出した。

「しかし、確かに死人が生き返ったと言うではないか。

もしこれが本当だったら、それこそ街中、大騒ぎだ」

「あの男を預言者として認めろとでも言うのか?

それはあまりにも危険だ。あの男は我々の戒律はもちろん、教義すらも軽視している。

それに、モーゼ様についてもこのエルサレム神殿の境内で誹謗中傷を行なったとも聞いた。

そんな不敬な男、わたしは絶対に認めんぞっ!」

「そうだ!わたしも絶対、イエスを認めるつもりなど毛頭ないっ!

そんなことにでもなったら、この伝統あるエルサレム神殿を穢し、ひいては神をも冒涜するようなものだっ!

そのようなこと絶対、許されるものか!」


サンヘドリンのメンバーである戒律の教師がそこまで言った時、ファリサイ派で別のメンバーの一人がこう切り出した。

「わたしも皆さんのおっしゃる通りだと思います。

しかし、このままあの男を放っておくこともできますまい。

イエスを取り込もうとする連中は、これからいくらでも出てきます」

「確かに。エルサレムだけでなく、各地で暴動を起こしている過激派の連中があの男を使って民衆を煽りでもしたら、それだけで偉い騒ぎになる。

そうなれば、ローマ軍の思う壺だ」


そのメンバーの言葉に、じっと聞いていた戒律の教師がそれに口をはさんだ。

「あの男、もしかしてそれが狙いなんじゃないでしょうか?」

「暴動を煽るということか?」

戒律の教師はさらに続けていった。

「確かに、イエスって男の手法は相当、手が込んでいるとわたしも思いますが、所詮、あの男も巷によくいる偽預言者や似非えせメシアと同じ、詐欺師に違いありません。

これまでと同様、群衆をその気にさせて暴動に導くのが目的でしょう。

ですが、今までの偽預言者や似非メシアならローマ軍に矛先を向けるでしょうが、イエスの場合は・・・。」

「なんと恐ろしい。あの男は私達を滅ぼそうというのか?」

その場にいた全員が震撼した。


そして、戒律の教師はさらに続けた。

「皆さんだってお気づきでしょう、最近の熱心党の派手な動きを?

熱心党だけじゃない。シカリやエッセネ派といった少数派の連中も、隙あらば我々を引きずり下ろそうと虎視眈々、狙っています。

しかも、連中は手段を選びません。

教義一つまともに覚えられない頭の悪い連中が、神聖なるこの神殿と神に選ばれし我々、サンヘドリンに対し、身の程知らずにも歯向かって来ようとしているのです。

これを何とか阻止しない限り、このエルサレムが、このイスラエルの国そのものの秩序が崩壊するというものです」

そのメンバーがそう力説すると、誰もが難しい顔をして頭を抱え込み、ため息をついた。


「しかし、一体、どうすればいいのだ?

もうじき、ペサハ(過ぎ越しの祭り)もやってくる。

そうなれば、イエスは必ずエルサレムに来るだろう。しかも、今度ばかりは庶民がそれを強く望むはずだ」

「でしたら、その庶民の熱狂的な支持をうまく利用すればいいのではないでしょうか?

大きな期待と言うのは、得てして大きな裏切りに変わる。

庶民の期待に応えて奴をおびき寄せ、そして、その庶民の前で奴の嘘を暴いてみせる。

その機に乗じて熱心党や過激派の連中もうまくこちら側に抱き込むのです。

連中にしてみれば、庶民の支持を失った奴に用はない。簡単に我々に寝返るはずです。

そうすれば、エルサレムの治安はもちろん、ユダヤ人の結束も固まる。

この時期、同じユダヤ人同士の争いは極力、避けるべきです」

だが、それを聞いて人々は怪訝そうに互いの顔を見合わせた。


「しかし、奴の嘘をどう暴けばいいというのだ?」


その時、ナジ(議長)をしていた大僧正のカイアファが突然、うめきだした。

「・・・うぅぅうう、うう。羊の血を・・・。

羊の血を我らの扉に塗らねばならぬ・・・、ううっ、・・・神の怒りが下される前に・・・。

このイスラエルを救うために、神の怒りによって我が国にもたらされる災いの前に・・・。

あの男を生贄にし、その血を我らの扉に塗らねば、我らにも災いが降りかかってくるのだ・・・。早く・・・、早くあの男を生贄に・・・!

あの男を神に捧げよっ!うぅぅう・・・」

苦しそうに身体を折って、低く唸るような声で不気味にそう告げたカイアファは、そのまま白目をむいて上を見上げ痙攣しだした。



「カイアファ様のお告げだっ!天よりもたらされた大僧正様の預言だっ!」

僧侶がおびえながらそう叫ぶと、カイアファの様子を茫然として見ていた人々も次々とそれに同調した。

「イエスを生贄に!イエスを生贄にしろとのお告げだっ!」

「そうだ!あのイエスを生贄にし、その血を我らの扉に塗れば、神はローマに災いをもたらしてくださる。

神が我らを救ってくださるには、あのイエスを羊として捧げよ、とカイアファ様はおっしゃっているのだ!」

「大僧正様のお告げの通り、イエスをあの穢れた異教徒に差し出しましょう!


あの異教徒が見事、イエスの息の根を止め、“本人が生き返ってこなければ”、まさしくイエスは死者復活の奇跡など起こせない似非えせメシアだと庶民に知らしめることになる。


むろん、期待を裏切られた庶民は大いに失望し、怒ることでしょう。

そこで、そのやりどころのない怒りをうまくローマに向けさせれば、あの異教徒も一緒にエルサレムから追い出せるのです。

ローマの手先さえ追い出せば、過激派の連中も猫のようにおとなしくなりましょう。

何せ、戦う相手がいなくなるのですから」

「おおっ、その通りだ。イエスだけでなく、あの異教徒もいなくなれば、一石二鳥。

まさに名案だっ!」

ようやく合点がいったのか、誰もがイエスの処刑に関して口々に同意した。

そして、彼らは大僧正カイアファのお告げのすごさに改めて感じ入ったようだった。


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