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第五十三話 再会

「一つ、聞いてみたかったのだが、どうしてお前は奴らと争うのだ?」

わたしは執務室で男の目の前に座ると、まっさきにそう尋ねた。


男は、初めてここに来た時と何も変らない様子でそこにいた。

物静かで気弱そうに見えて、しかし、とてつもなく挑戦的な目でこちらを見つめてくる。


元々、反抗的な人間なんだろうか?

どうもよく分からん。

人と争いたがる人間には到底、見えないが、それでも半端ないほど敵が多すぎる。

しかも、命の危険を感じるぐらい。

それでいて、命の危険があるにも関わらず、この男はちっともそれに動じる様子もない。

変な男だ。

怖れや分別を知らない年齢でもないだろうに・・・。


「彼らはわたしと争っているのではなく、わたしを通して自分達が本当に争っている“お方”を知らないだけだ。

わたしは彼らにその“お方”には決して逆らってはいけないと警告したまでだ。

だが、彼らはそれを信じない」

男はそう言って重い口を開いた。


「そのお方、というのは誰だ?」

この男が本当にお尋ね者をかくまい、ローマ軍への武装蜂起の手助けをしていたのなら、その“お方”というのが首謀者ということになる。


しかし、どう見てもこの男がそういう血生臭い争いや策謀に関わるような輩には見えん。


剣一つまともに握ったことのないひ弱そうな身体をしているし、それにあの坊主達よりずっと落ち着いた澄んだ目をしている。

血生臭い人殺しに関われるような人間なら、もう少しどす黒さが目に現れるはずなんだが。

そう思いながら、わたしはさらに身を乗り出して男の返答を待った。


すると、男は真顔で答えた。

「御父だ、“わたしたちの”」


わたしはやや、拍子抜けして乗り出していた身を再び椅子に沈めた。

「ふーん、父親か。で、その父親とは今、どこにいる?」

そう尋ねると、男はすっと上を指差した。


死んだのか?

死んだ父親の名誉か復讐の為にでも争っているとでも言うのだろうか?

わたしには男の言わんとする意味がよく分からなかった。


この男と話していると何だかこっちまでおかしくなってくる。

訳の分からない話が多い上に、まるで自分が子供にでもなったみたいになんとなく落ちつかなくなってきて、イライラしてくる。

いくらでも叩き潰せそうな弱さや隙ばかりが目立つのに、なぜか何の武器もこの男には通用しないような、そんなとてつもない“大きな存在”らしきものが感じられて気味悪くて、心もとない。


それでもこの男から話を聞きださないことには真実には行き着かない。

もはや面倒くさくて、気が滅入るばかりだが何とか気持ちを奮い立たせてまた、男に問うてみた。


「どうも動機がはっきりしないが、お前は何やら自分の父親のあだでも討とうとして連中と争っているのか?」


わたしはもはや面倒くささを隠しもせず、男の方に顔も向けず、自分の爪を眺めながらそう言った。

男は少し沈黙した後、わたしの問いに素直に答えてきた。


「わたしだって彼らと争いたくて話しているわけじゃない。

争う必要がないことを伝えに来たまでだ。

そして、何よりわたしはわたしの意思でここにいるわけでもない。

わたし自身、果たさなければならない使命を果たそうとしているだけだ」


男の声はもはや疲れきっていた。

もう、こんな争いから抜け出したがっているようにも聞こえた。


「お前の果たさねばならない使命とは何だ?」

「真実を伝えることだ。この天と地における“ 真実 ”を伝える為にわたしはこの世に使わされてきた」


はぁ? 何を言ってるんだ?

何が真実だ、そんな話を聞いているんじゃない。

こっちはお前があいつと争っている原因と動機が知りたいだけだ。


なぜ、自分はユダヤの王とまで名乗ったのか?

何を目的に坊主どもと争うのか?

そして、何よりなぜ、あれほどまでに奴らがお前を憎悪し、殺したがるのか?

それが知りたくてこっちは何時間と我慢し、話につきあってやってるのに、何が真実だっ!

何が御父だっ

いい加減にしろっ!


わたしはほとほとこの男と話すのに飽き飽きしてきて、再び、男を訴えたユダヤ人達のところへ戻ろうと席を立ちかけたが、あの坊主どもの底意地の悪そうな目つきと延々と続く愚痴や悪口を聞くのにもうんざりしてきて、また、どっかりと椅子に腰かけた。


その時だった。

名案が頭に浮かんだ。


そうだ!


何もユダヤ人だけがこいつの事を知っているとは限らない。

ローマに敵対し、裏で武装していると言うのが本当なら、その敵であるローマの耳にだってその情報は届くはずだ。


なら、直接、ローマに聞けばいい。



そう思いつくと、わたしはすぐに召使を呼んだ。

「おい、クファノウムのカシウスに今すぐここに来るように言ってくれ」

わたしがカシウスの名を告げると、目の前で黙ってうつむいていた男が少しピクッと反応したようだった。


おや、おや。

どうやらカシウスのことを知っているかもしれんな。

わたしはフンと鼻を鳴らした。



とすると、この男、やっぱり何か後ろめたいことがあるんだろうか?

まぁ、いずれにせよ、ようやくこのいざこざの糸口が見えてきたらしい。


我ながら冴えていたな、カシウスを思い出すとは。

わたしは少し満足気に笑みを漏らした。



情報源というのは、何も決まりきったところから聞く必要は無い。

視点を変えればいろんな観点から物事は見えてくる。

だから、情報もそれに沿って聞けばいい。


この男や坊主共といったユダヤ人からの視点だけでなく、わたしやカシウスのような“ローマ人の視点”というものも大切だ。




一体、この男は何者なのか?


何の目的で、何の話をしたから、ユダヤの坊主達と争っているのか?


なぜ、この男を処刑せねばならないのか?






この真実を探るには、正しい情報源に行きつかねばならない。

その点、あのクファノウムのカシウスという男は実直で信頼のおける男だ。

だから、あいつに聞けば、正確で信頼できる情報をわたしにくれるだろう。


そこでわたしは少し解決の糸口が見えたことにホッとし、肘掛椅子にゆったりと座りなおし、頬杖をついてカシウスを待つことにした。


だが、この時、どうしてエルサレムから約130km以上も北東に離れたクファノウムに駐在しているはずの百人隊長、ガイウス・カシウスがピラトの屋敷にいるのかというと、それは偶然でもなんでもなかった。



ガイウスは、普段、ガリレー地方のテトラーク(属州知事)であるユダヤ人のヘロデ・アンティパスの統治を支援(監視)し、その土地の警護を預かる外国支援部隊の隊長だったが、祭りの時期になるとユダヤに駐在するローマ軍の大半がエルサレム市街の特別警護の任も受けていた。


なぜなら、この時期はユダヤ人のほとんどがエルサレムに巡礼にやって来る。


さらに、観光を兼ねた外国人客も増えることから、この時ばかりはイスラエル各地に散らばるローマ軍を結集してエルサレム警護に務めなければならなかった。



しかも、ここ最近、祭りでの暴動は年々、拡大してきていた。


何より暴動の規模以上に、その犯罪内容が常軌を逸していた。

窃盗や暴行などはまだ可愛い方で、殺人や強姦といった凶悪犯罪も頻繁に発生した。

中でも、強姦に関する被害はひどく、男も女も関係なく犯し、特に外国人になると被害者を輪姦して殺害した揚句、遺体をバラバラにして街のど真ん中に無造作に捨ててあることもざらだった。


まさに地獄絵図とはよく言ったもので、そんな凶悪犯罪を取り締まる為にも各地のローマ軍はもとより、ピラトも普段、居住しているカエサリアからわざわざ遠く離れたエルサレムまで足を伸ばし、結集させたイスラエル中のローマ軍をその時期だけはエルサレムに投入してその指揮をとらねばならなかった。




ちなみに、ピラトはローマから総督として派遣されていても、実は彼自身の権限で差配できるローマ軍の数はかなり限られていた。


ユダヤ総督として派遣された当初も、与えられた兵士の数は3000人弱であり、そのうち実質、戦闘要員として使えるのはわずか1800人足らずだった。

これは、ピラト自身がローマの階級制度においてエクイテス(重装騎兵クラス)出身であり、軍事的にはエリートであっても権力階級においては下位に位置していたためである。


それに、派遣されたユダヤと言う地域もローマからすれば北方に拡がる広大な国シリアと比べれば、さして重要視されておらず、ユダヤ総督になるよりもシリア総督の方が政治的な地位ははるかに高かった。

だから、シリア総督が5000人以上の兵士を抱えるのに対し、ピラトが自由に動かせる兵士の数はあまりにも少なかったのである。

それでいて中東地域で最も治安の悪いユダヤを統治するということは、ピラトの実力や手腕に関わらず、誰にとってもかなり難しく厳しい仕事だった。


だが、そんな不遇な状況でありながらピラトはかなりうまくやっている方だった。

当初はユダヤという国や国民性に無知だったピラトも、日を追うごとに勉強と研鑽を重ね、多少、強引で容赦ないところはあっても、彼本来の鋭い統治能力をうまく発揮し、何とか平穏に治めていた。



そんなピラトだったからこそ、この時、イエスの事をクファノウムに駐在するガイウスに尋ねようと思ったのは、何もガイウスがイエスの居住するガリレー地方を管轄しているからという理由だけではなかった。

ユダヤ人のヘロデが知っていた情報を自分の部下であるガイウスもちゃんとつかんでいたかどうか、ユダヤ総督としてピラトは自分の統治状況を常に探っておかなければならなかったからだった。



ヘロデが言うように、イエスがもし、ローマ軍から手配されていた人物を故意にかくまっていたとしたら、ガイウスはそれを見逃していたことになる。


まして、あのサンヘドリンが躍起になってはりつけにしようとするほど敵意を抱く男を、ガイウスが全く知らないはずはないだろうとピラトは考えた。

そこで、ガイウスがイエスという男をそのような人物と見極めていて、その捜査途中にあるのなら、初めに訴えてきた内容がどうであれ、ローマ法をもってイエスを裁けるようになる。



しかし、ピラトの心にはどうも釈然としない何かがわだかまっていた。


どう考えても、あのヘロデがわざわざ自分に有利となる情報をもってくるとは、ピラトにはどうにもヘロデが信用ならなかった。


ローマの為と言いながら、何の利にもならない情報をあのヘロデが自分にくれるものだろうか?

確かに、ヘロデも表向きはイスラエル国内の武装勢力を取り締まらなければならない立場にある。

しかし、ヘロデがそうそう率先してそれを行なえないことはピラトにも見て取れた。

それはイスラエル国内、つまりユダヤ人達の間でのヘロデ自身の人気も大事だからだった。それでなくても、彼の父親のヘロデ大王が強硬派だった為、ユダヤ人達からは内心では相当、ヘロデ一家は嫌われていた。

ヘロデの兄のアルケラウスがいい例だった。

結局、アルケラウスは国内から未開の地であるガリアに放り出されて王位もままならなかった。だが、ヘロデは絶対、次のユダヤ王位を狙っている。

だから、わたしを追い出すことは喜んでするにしても、わたしに手柄をもたらすようなそんなローマへの忠誠心など、あのヘロデには更々ないはずだ。


それを今、あえて示そうとしている。


ユダヤ人達が信奉するサンヘドリンの連中が憎んでも止まないあの男をこの時とばかりに自ら裁けばいいものを、なぜかこちらに振ってきた。

しかも、わざわざローマへの反逆罪という、それなりの罪状までつけて。


どう考えてもわたしにその仕事を振る必要はない。


ユダヤ人達はあの男の処刑を何より望んでいる。

しかも、ヘロデの情報が正しいなら、あの男をすっぱり処刑して見せて、後でローマに向かって自分はきちんと武装勢力を抑えていると売りこむことだってできる。


そんな一石二鳥の機会をあのヘロデがみすみす逃すだろうか?


おかしい。

どう考えたって、妙だ。

ピラトには解せないことがありすぎた。

ピラトはガイウスが来るまでの間、ずっとその疑問を解こうとヘロデの思惑をあれこれと推し量っていた。


一方、そうやって考え込んでいるピラトの前に立つイエスもまた、さっきからずっと物思いに浸っていた。


先ほど、ヘロデという男に出会ったことにも驚いたが、何よりここでガイウスに会うことになろうとはイエスには思いも寄らないことだった。

あのクファノウムで初めて会った時以来、イエスがガイウスに出会う機会は全くなかった。


それでなくてもお互い全く接点のない別々の世界で生きている人間だったし、あの時、出会ったことでさえなんだか不思議な巡り合わせだ、とイエスは感じていた。

そして今、再びガイウスに会うことになろうとはイエスはどこかしら彼との運命めいたものを感じていた。


人と人の出会いはすべて偶然ではない。

すべては神の恩恵だ。

わたしの人生において実に様々な人達が駆け抜けていった。


そして、いいことも、悪いことも、多くの事をこのわたしに教えて行ってくれた。


敵であれ、味方であれ、わたしの人生においては宝物だ。

わたしはこの世に生まれてきて、様々な事をこの目で、この耳で習ってきた。

それもすべて御父がわたしの為に授けてくれた大切な宝物だ。

わたしだけの大切な心の宝物なのだ。


イエスはガイウスの、あの澄んだ青い目を思い出していた。

そして、“人の愛”を求めて止まなかった、あの頃の自分も思い出していた。

ここまでの道のりは本当に長かった。

わたしの一生はこの為だけに与えられたのかもしれない。

だから、最後まで心を込めて行なわねば。


最後までこの心に“神の愛”を信じて。


わたしの命を賭けてそれを示すことが、神がわたしに与えた使命。

だから、最後まであきらめずにやり遂げなければ・・・。




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