第四十八話 預言
その言葉を聞いて、少年の目は重く沈んだ。何となくわかっていたこととはいえ、改めて両親の気持ちを聞いて、少年が動揺したのは間違いなかった。決して自分達の罪を認めない、絶対に自分達は悪くないと思いたい。頑固なまでに自分達の醜い姿を見ようとしない・・・。真実の光を恐れ、あいまいな闇へと逃れようとする。何事もなかったかのように、それまでと変わらない日常を続けようとする。その両親の姿に少年は落胆した。生まれ変わって一からやり直そうと汗水たらして働く自分と、これまでと変わらず他人や息子に金品を集って楽に生きようとする両親。やりきれない思いと変われない、変わろうとしない両親への憐みが一気に彼の中に押し寄せていた。だが、両親に見捨てられて悲しみに暮れる少年の気持ちをよそに、ファリサイ派の厳しい追及が再び少年に向けられた。「おい、本当はどっちなんだ?お前は生まれつき目が見えなかったのか?それとも最初から目が見えていたのか?」そう責められても、少年はもう、ひるまなかった。「わたしは生まれつき肉の目はちゃんと開いていましたが、“ 心の目 ”はずっと閉じられたままでした。そして、その“ 心の目 ”を開けてくださったのが、ここにいらっしゃるナザレのイエス様です。だから、わたしはこの方こそ確かに神が天から遣わして下さった“ メシア(救い主) ”だと信じます。」「だ、黙れ、黙れっ!! 何をこしゃくなっ!さっきから、肉の目だとか、心の目だとか、一体、お前は何を言っている?開いていたのか、閉じていたのか、どっちだと聞いてるんだっ!それをさっきからつべこべと言い訳しよってっ!結局、お前はこのインチキ預言者の弟子になったからこいつをかばってそんな戯言をほざくんだろう。この嘘つきめっ!」「あなた方にはわからなくても、わたしには分かる。そして、“ 神に誓って ”わたしは嘘をついていない。」少年はひるむことなく、ファリサイ派の男達をそう言って皮肉った。「なにっ? お前に何が分かる? このインチキ預言者の弟子めっ!だったら、こいつがどうやってお前の目を開けて見せたのか言ってみろっ!」「何度も同じことを言わせないでください。さっきから申し上げた通りです。あなた方は何も聞いてないんですか? それとも何も聞こえないんじゃないでしょうか? 『聞いてはいても、決して分からない。 見てはいるけど、決して気づかない。』(イザヤ6章9節)この律法書の言葉の意味がわたしにもようやく分かりました。まさしくあなた方のことだったんですねっ!」それを聞いて、ファリサイ派の男達はカッとなった。「こっ、この小生意気なガキめっ!偉大なる預言者モーゼ様の律法書を愚弄するとはっ!何たる罰あたりめっ!
お前など、死をも値する大罪人だっ!」
「そうだ、そうだ!」
と、全員がののしりだし、そのうちの一人がいきり立って少年の髪の毛を乱暴に引っ張り、彼の身体を引きずりまわした。
それを見て、慌ててイエスは男の肩をつかみ、急いで男を引き離した。
「あなた方は、子供に何をするんだっ!
それでも大人かっ!! 子供に乱暴するなんて!
あなた方は自分達がやっていることが分からないのか?」
イエスはとうとう堪忍袋の緒が切れて、思わずファリサイ派の男達に向かって怒声を上げた。
そうイエスに叱責されて多少、罰が悪かったのか、少年に乱暴を働いた男は不遜な顔をして乱れた服を正し、顔を赤らめてイエス達に向き直った。
「ふんっ!
どうせ、お前達は悪魔の使い、悪魔の弟子だ。
そいつが今まで盲人だってことは、そのガキが生まれつき罪が深いってことだろう。
だったら、そいつの目が治ったところで、それは悪魔の業と言うものだ。
悪魔が悪魔の目を開けてやったからと言って、それは奇跡でも何でもない。
その悪魔を叩きのめして、どこが悪い?
悪魔がモーゼの弟子である私達を非難する方がよっぽど罪深いというものだ!」
乱暴を働いたその男は、悔し紛れにそう言った。
イエスは彼らに構わず、少年の頭を優しくなでた。
「あなたはわたしの話を信じますか?」
イエスが少年を見つめると、彼はコクンと頷いた。
「わたしは、あなたに起こったことのように、この世の罪について神がはっきりさせるためにこの世に送られたと思っています。
だから、今まで律法書を読んで分からなかった人がその言葉の意味を見えるようになり、逆に分かっていると言っていた人の方が見えなくなります」
イエスのその言葉に、ファリサイ派の一人は嘲笑った。
「はっはっは。お前に何が分かる? この嘘つき野郎。
わたし達に律法書が分からないとでも言うのか?」
「なら、あなた方は分かるのか? その本の“ 意味(=心) ”を?
あなた方がここで分からないと言ったなら、その罪は残らなかっただろう。
だが、あなた方は分かるとわたしに言った。
だったら、あなた方の罪はこの後、永遠に人々の記憶に残っていくだろう。
なぜなら、わたしはこの本の意味を明らかにするためにこの世に遣わされた者だからだ。
だから、ここではっきりと真実を言っておこう。
例えば、真正面の“ ゲート ”を通らず、別の場所からよじ登って羊達のいる原っぱに入ってくる者は、泥棒か強盗だ。
ちゃんと真正面から入ってくる者こそ羊達を導く羊飼いだ。
それと同じように、律法書の正しい意味を知る者は、神の力によって自然とその言葉の封印が解かれて、その話を素直に聞く。
それゆえ、律法書に書かれた神の使い、一人一人の心(意味)が分かる。
それが分かった者だからこそ、その一人一人が一体、どういう意味でその言葉を告げたのかを正直に伝えることができる。
その者は、誰よりも先にそれを告げ、その者の話を理解できた者は次に誰かが律法書の話をしても決してそれを信じなくなるだろう。」
イエスがそこまで話をすると、ファリサイ派達は一様に怪訝な顔をした。
それに構わず、イエスは続けた。
「わたしは律法書の“ ゲート ”だ。
だから、わたしの前に律法書についてさも分かったように語った者はみんな、泥棒や強盗だ。
わたしの話を素直に聞いてこの律法書を知れば、必ずや人は救われる。
人は確かに神によって生かされているということがよくわかるだろう。
だが、わたしの前に律法書を語った者は、ただそこに書かれた言葉を盗み取り、それによって財を得て人々を闇へと、死へと導いている。
だから、わたしはこの世に生まれてきた。
わたしが正しい神の言葉を伝えることで人々は希望の生命を得ることができ、そして、存分にその生を楽しむことができる。
わたしは、彼らを導く羊飼いでもある。
いい羊飼いは自分についてきてくれる羊達の為に自分の命をも懸ける。
だが、勝手に律法書の言葉を借りて羊飼いの振りをしていた者は、違う。
“ その者は狼が来ると、途端に羊を見棄てて逃げるだけだ。”
それから、狼が来て群れを襲い、群れをバラバラにするだろう。
“ 逃げる者、その者こそ律法書の言葉を使って人々を導く振りをしながら、何ら彼らのことを考えない者だ。”
もう一度、言おう。
わたしはいい羊飼いだ。
わたしはどの者がわたしの羊かよく分かっている。
そして、わたしの羊もわたしの話がよく分かっている。
それは天におわす御父がわたしを知っているのと同じことだ。
わたしもまた、天の御父がどんなお方かよく分かっている。
わたしはわたしの羊の為に自分の命を懸けよう。
だからこそ、天の御父はわたしを愛する。
わたしだけが自分の考えで自分の命を懸けることもできれば、その命を戻すこともできる。
誰もわたしの命を奪うことはできない。
“ わたしだけがその命を懸けて、その命を元に戻すことができる。”
それこそ、わたしが天の御父から受けた使命である。」
そのイエスの言葉に、誰もが驚愕した。
この男は今、なんて言った?
律法書が分かるだと?
数千年間、人から人へと語り継がれ、その中で神に選ばれし者だけがそれを解読し、神の恩恵を授けられると言う。
その律法書を自分は解読できたと言ってるのか?
― 律法書の言葉は最後の時まで封印されている。
その時が来たら、この本に書かれたすべての人の名が知らされるだろう。
この地上の塵となり、永遠の眠りについていた幾人もの人々が
目覚めることだろう。
ある者は永遠の命を得ることとなり、
別の者は永遠の侮蔑と非難にさらされるだろう。
それまで律法書の言葉は閉じられ、封印されている。
多くの者があっちやこっちを読んではその知識を増やすだろう。
悪意ある者は誰一人としてこの律法書は分からない。
だが、賢明なる者は理解するだろう。
(ダニエル12章2~4節、9~10節)
「馬鹿な。そんなことができるわけがないっ!
こんなどこの馬の骨とも分からない、学歴もなければ、金や身分もない、卑しい男に、偉大なるモーゼ様の書いた律法書の何が分かると言うのだ?」
どよめいたファリサイ派の男達の一人は、思わず声に出してそう反論した。
だが、ファリサイ派の男達の中にも少なからず動揺する者もいた。
「しかし、悪魔だったら、律法書の解読はもちろん、盲人の目を開けるなんてことはできっこないしな・・・。」
「それに、こいつ、今、変なことを言ったぞ。
“ わたしだけがその命を懸けて、その命を元に戻すことができる。”
ってどういう意味なんだ?」
そんなことをこそこそと話しているのが聞こえたのか、イエスに反対するファリサイ派達は慌ててイエスに傾きかけた仲間の声を遮った。
「見ろ、早速、悪魔の霊がうごめきだしたぞっ!
だから、こいつは神にでもなったかのような不遜な物言いをし、わたし達の心を惑わそうとしているんだ。
お前達、気をつけろっ!」
「そうだ、これ以上、こいつの話を聞いていたら、こっちまで頭がおかしくなって悪魔に乗り移られるぞ。
さぁ、もう、引き上げるぞ!」
別の男がその声に同調して、仲間達を促した。
こうして、盲人だった少年の話は再び、人から人へと伝えられ、またエルサレム中に彼が起こした奇跡の一つとして数えられるほどとなった。
だが、この話が広まれば広まるほど、ファリサイ派はもとより、イエスを取りこんで人心をつかもうと狙う他の政治勢力を恐れて政権主流のサドカイ派なども暗躍するようになり、イエスの身辺はますます緊迫していった。
そのため、弟子達の身の安全も考え、イエスはスコット(仮庵の祭り)が終るとすぐにエルサレムを離れ、急いでクファノウムへと帰っていった。
そして、クファノウムに戻ってしばらくして、ついにあの時、イエスが『わたしだけがその命を懸けて、その命を元に戻すことができる。』と言った通り、ある知らせがイエスの元に届けられた。
それが後に、イエスの復活を裏付けるある事件の始まりを告げるものだった。