第四十六話 盲人(1)
そんな苦難の多いエルサレムでの伝道活動も、スコット(仮庵の祭)の期間が終盤に差しかかり、そろそろ活動資金も底をついてきて彼らの活動拠点であるクファノウムに戻る日も押し迫って来たある日、イエスは相変わらず遅くまで説法活動に励んでいた。
その日、イエスは、古参弟子の一人であり、金庫係のユダ・イスカリオテと二人で活動していた。
その帰りがけのことだった。
滞在先に向かっていた二人がその子供に出会ったのは、ほんの“ 偶然 ”だった。
その少年は、通りの角を曲がったほんの少し先で道端に座り、物乞いをしていた。
「だんなさん、どうか、お恵みを。
わたしは生まれつき目が見えないんです・・・」
その子は少しおびえた目をして、イエスにそう呼びかけた。
エルサレムの信者達によると、物乞いの数は最近、とみに増えてきているようで、その子もそんな物乞い達の一人に過ぎなかった。
だから、イエスもそれほど気にとめて彼を見たわけではなかった。
もはや、ユダヤの国の貧しさは日常茶飯事のこととなりつつあった。
だが、その少年の頬や首の辺りにどうやら人の手で殴られたらしい跡が垣間見え、イエスは妙にその少年が気になり始めた。
そのため、金庫係のユダに頼んで、ほんの少し小銭を恵んでやることにした。
「少しだが、小銭をわけてあげよう」イエスがそう言うと、
「おありがとうございます、だんなさん」
少年は物乞いらしいお決まりの礼を言い、目が見えないせいか持っていたお椀をイエス達が立っているのとは別の方向に差しだした。
そのため、イエスにお金を渡すよう指示されたユダが少年の差しだす椀を自分で引き寄せ、そこに財布から取り出した小銭をいくらか入れてやった。
その、ほんの一瞬の出来事だった。
ユダが入れた小銭を少年は目で追っていた。
確かに微妙な目の動きではあったが、イエスはそれを見逃さなかった。
またか、とイエスは思った。
既に物乞いだけでなく、売春や盗人、詐欺など街中のいたるところで犯罪は行われていた。
既にローマの税金のみならず、寺の税金まで重く課せられるようになったユダヤの庶民の暮らしはますます苦しくなってきており、子供から大人まで嘘をついて憐みを乞うだけでなく、切羽詰まって強盗殺人などの大きな犯罪にまで手を染めるようになってきていた。
そうして、子供も大人も、何が正しくて、何が間違っているのかすら考えなくなり、ただ、その日、その日の暮らしを凌ぐことしか目に入らなくなっていた。
恐らく、この少年もそんな良心(=神)を失いかけた人々の一人に違いなかった。
ここにも一人、その魂を売って生活している人がいる。
イエスは急に悔しさがこみあげてきた。
なぜ、わたし達、庶民はこれほどまでに悲惨な生活を強いられるのか?
まだ、あどけない少年なのに、既に夢も希望も失い、毎日のパンだけを求めて生きている。
いや、これは生きているんじゃない。
死んでいるのと同じだ。
各地を転々としてきたイエスは似たような光景を何度も目にしてきただけに、いっそう犯罪に手を染めなければこのユダヤの地では暮らせなくなってきている少年の姿がやるせなかった。
そうまでして追いつめられている少年の姿がいっそう切なく、苦しかった。
そうして、イエスが何も言わず、じっとたたずんでいると、横にいたユダが突然、こんなことを尋ねてきた。
「先生、子供の目が生まれつき見えないって言うのは、親が罪深いということでしょうか?
それともこの子自身、前世から罪を背負って生まれてきてるのでしょうか?
また、貧しい家に生まれてくる子供は皆、何らかの罪があるというのでしょうか?」
ユダはつぶやくようにしてイエスにそう質問した。
その時、ユダはイエスとは別に、少年の障害を通して自分の娘のことを考えていた。
生まれつき身体が弱く、家が貧しいゆえに医者にも満足にかからせてもらえない、我が娘、エスター。
ユダは娘のことを思うと不憫でならなかった。
自分が父親じゃなかったらエスターは病気にならなかったかもしれない。
いや、たとえ病気になったとしても自分がもっと金持ちだったら、医者にもかからせてやれただろう。
それに、かつて自分が熱心党に所属していた時のことを思うと、神様はわたしが犯した罪のことをまだ許してくださっていないのかもしれない・・・。
ユダはそんな風に自分をいつも責めていた。
その上、エスターの調子が最近、また、おかしくなってきていた。
この前までは少し元気を取り戻していたのだが、先月あたりからにわかに高熱を出すようになり、ユダがイエス達とエルサレムに出かけるほんの少し前までずっと寝込んでいたのだった。
それでもエルサレムに出発する頃には少し回復したのか、ユダが出かける時も笑顔で送り出してくれていた。
これもまた、ユダにはある気がかりを呼び起こしていた。
治ったかと思ったら、また寝込む。
元気になれそうだなと期待すると、また裏切られる。
イエスに弟子入りしてから、なぜかユダはずっと勘違いしていた。
いつかイエスがエスターの病気を簡単に治してくれるものと信じ込んでいたのである。
しかし、その奇跡はいつまでたっても起きることはなかった。
弟子達の間でもそういった奇跡を信じる連中と、そうした話を全くしない連中に分かれていた。
ユダは割と無口で打ち解けられない性格だったので、そのどちらの仲間にも入れず、ただ自分の仕事を淡々とこなすだけで誰ともそれについて話し合うことはなかった。
そして、最近ではユダもイエスの奇跡について何となく疑念を抱くようになっていた。
仮にあの人に奇跡を起こせないとすれば、わたしは何を今まで一生懸命にやってきたんだろう?
あの人を信じさえすれば、きっとあの人がわたしの人生を変えてくれる。
きっとエスターを治し、わたしの暮らしもよくしてくれるに違いない。
そう信じて、今日まであの人についてきた。
だが、それはわたしの単なる“ 勘違い ”だったんだろうか?
あの時、あの人が起こした奇跡は本当なんだろうか?
じゃあ、わたしは一体、これからどうしたらいいんだ?
病気の娘を抱え、儲かりもしない教団活動に精を出し、ただひたすらこんな惨めったらしい貧乏暮しを延々と続けろとでも言うのだろうか?
ユダは既にイエスとの活動に対してもやる気を失っていた。
確かに、ユダの経済的苦境はかなり深刻だった。
エスターが病気になれば、嫌でも薬代や医者代などの治療費はかさむ。
しかも、イエスの教団から出る活動資金(=賃金)は金庫係の自分が計算している事もあって、公平に割り当てられたものとは分かっているものの、商人だった頃より格段に少ない。
エスターが元気になれば商人に戻って親子二人、ささやかな暮しができただろうが、娘が元気にならない以上、教団を辞めるわけにもいかず、出費はかさむ一方だった。
そうして、悩み始めた頃からまもなくして、ユダはちょっとずつ教団の帳簿をひそかに誤魔化すようになっていった。
最初は、もう借金できるところがなくなってどうにもならなくなり、ほんの少し借りるだけのつもりだった。
ほんの少しの間だけ、借金の取り立てから解放されたい・・・。
そんな気持ちからだった。
医者のツケと税金さえ払ったら、皆よりも倍、働いて活動収入を上げ、こっそり店先の手伝いなどの副業をして、借りた分を返せばいい。
ユダはそう考えていた。
だが、どこも不況の風が吹き荒れており、いくらクファノウムやガリレー地方が他の土地と比べて多少、豊かだったとしても、ほんの少々、長時間労働したぐらいで
そう簡単に稼げなくなってきていた。
むろん、店先のちょっとした手伝いなども、もはやなくなっていた。
そして、ユダが自分で気づいた時には、既に手をつけてしまった額が相当な額にまで膨れ上がっていた。
だが、口下手で誰とも打ち解けられず、人づきあいの苦手なユダは、自分の悩みを打ち明けられる相手が教団の中には誰もいなかった。
しかも、金庫管理においては抜群の腕を振るっていたユダは、その優秀さゆえに、イエスだけでなくその他の弟子達からもまったく疑われることはなかったのである。
それが皮肉なことにユダの横領発覚を遅らせていた。
とはいえ、大した規模もない組織の金が盗まれている以上、いつかは誰かが気づくだろうし、ユダの横領が発覚するのは時間の問題だった。
だが、金銭の細かい部分にまで気を配ることのないイエスは、宗派の経営に関与することがあまりなく、そう言う点でペトロを始めとする弟子達にとって、イエスは名目上の宗祖でしかなかったのである。
だから、ユダの経済状態がまさかそこまで追い詰められていようとはまったく思いもよらないイエスは、ユダの質問の裏に隠された苦悩に気づくことなく、そのまま質問に答えたのだった。
「はっきり言っておこう。
それについては子が罪深いのでも、親が罪深いのでもない。
身体が汚れているからと言って、魂が汚れるだろうか?
逆に魂が汚れていたって、誰がそれを目にできよう?
だから、人の姿形で正義がわかるわけではなく、“ 心の目 ”で初めて人の正義が見えるのだ。
なのに、神によりその身体に使命を課せられた者を罪であり、悪であり、不幸だと見る人は、肉体の目よりその“ 心の目 ”が曇っていて何も見えてはいないのだ。
― 見てはいるが、見えてはいない。
聞いてはいるが、聞こえもしなければ理解もできない。
(イザヤ6章9−10節)
肉の目を開くよりも“ 心の目 ”を開いていた方が、その人は幸いだ。
神に逆らって魂を汚し、両腕があるよりも、両腕がなくても心から神を愛し、その魂を磨く人の方が幸いだ。
なぜなら、御父がどれほどの困難においてもその人を正しい道に導いてくださる。愛と平和に満ちた道をきちんと教えてくださるのだ。
そして、それがその人の人生を輝かせる。
その心こそ、その人の人生に未来と希望の火を灯すのだ。
だから、この子にもその“ 心の目 ”を開かせてやらなくてはならない」
そう言うと、イエスは足元の土をいくらかつかみ取り、そこに自分の唾を吐きかけて小さい泥饅頭を二つ作った。
そして、盲人の振りをしている少年の目に突然、それを塗りつけた。
少年は驚いて、すぐさま自分の目を覆った。
「行きなさい。
こんなことをしてても、あなたの人生は真っ暗だ。
肉の目は開いていたとしても正しい道が見えず、明るい未来も開けない。
さぁ、他人の唾が練りこまれた泥を押し付けられてあなたが心から嫌だと思うなら、自分で歩いて近くの泉まで行き、それを洗い落として来なさい。
そうして、あなた自身、勇気が出せず、見て見ぬ振りしてきた真実を見つめられる“ 心の目 ”を開けるといい」
そう言われて、少年は泥で汚れた顔を袖で拭いながら、そそくさと走り去っていった。
「先生、一体・・・?」
ユダはてっきり彼が盲人だと思っていたので、急に走り逃げていく少年を不思議な思いで見つめていた。
「あの子は、盲人なんかじゃない。
きっとああやって盲人の振りをしろと親から言われてここに座っていたんだろう。
かわいそうな子だ。
“ あの子に罪はないのに、罪を行うよう大人達が教える。”
自分達の欲を捨て切れず、子供にまで罪を押し付ける。
神(良心)に背くよう大人達が率先して子供達を導くのだ。
そうやって子供達の心の目を曇らせる。
その未来を、希望を奪い取る。
神(善、良心)なんかいない、いらないとまで教える
そして、その考えを今度は正しいとして何世代にも渡って伝え続ける。
それこそこの世における一番の罪だと思わないか?」
イエスのその言葉を聞いて、ユダはなんだか自分がイエスに責められている気がした。
自分が犯した罪をエスターに押し付けているとまで言われた気がした。
何も知らないくせにっ!!
ユダはイエスの言葉を聞いて、とっさにそう思った。
この人は何もわかっちゃいない、世の中のことも、教団のことも、
わたしのことも・・・。
誰も罪なんて犯したくはない、あの少年の親にしたって、わたしにしたって。
そうせざるを得なかったんだ。
だって、こんな世の中だから、どんだけ働いたってちっとも稼げない。
どんだけまじめにしてたってちっとも報われない。
こんなどうにもならない世の中だから、あの少年の親は子供を使ってでも稼がなきゃならなかったんだろうし、わたしだってそうだ。
この人が・・・、この人が奇跡を起こしてエスターの病気を治してくれていたら、わたしは借金を重ねずに済んだ。
教団の金にだって手をつけずに済んだんだ。
いや、もっと言えば、この人が奇跡を起こせるなんて嘘を言わなければ、わたしは商人を辞めずにいられたかもしれない。
そうしたら、たとえエスターが病気になってもまだ、今よりは生活も楽だったかもしれない・・・。
嘘つきっ、嘘つきっ、嘘つきっ!!
全部、この嘘つきがわたしの人生を狂わせたんだっ!
やっぱり奇跡なんて最初から起こせなかったんだっ!
わたしはだまされてたんだ、この男に。
そうだ、そうに違いない・・・。
ユダはもう、すっかり混乱していた。
偶然にもイエスの奇跡の真実に気づいたことで、ユダはそれまで自分が目をそらし続けてきた現実と向き合わざるを得なくなっていた。
エスターの病気、そして自分の横領。
どちらもこれまでユダが今日まで見て見ぬ振りしてきた現実だった。
だが、イエスに奇跡が起こせない以上、もはやユダにはどうすることもできなくっていた。
どうしよう?
どうしたらいい?
考えようとすればするほど何も考えられなくなり、ユダはもう、すべてを投げ出したくなった。
どうにもならなくなった現実を自分では背負いきれなくなったユダは、なぜか突然、それらすべての問題をイエスのせいにしたくなった。
” 世間のことなど何も知らず、愛だ、希望だと説教するこの能天気な嘘つき男 ”に自分の苦悩のすべてを知らせたくなった。
こうして、ユダ・イスカリオテの心はイエスから遠く離れていった。
教団ができた時から長らくイエスと共に歩んできたはずだったイエスとユダは、お互い心の内を話せぬまま、分かり合うことなく、結局、二人とも別々の道を歩き去ることとなった。