第四十四話 サンヘドリンの二人
サンヘドリン(長老会)とは、この当時、イスラエル国内における最高裁判所、兼、国会(=国民議会、政府機関)のような機能を果たすものだった。
その名も、ヘレニズム(ギリシャ)文化の影響を受けてギリシャ語の「サイネドリオン(「共に座する」の意)からもじったもので、その名の通り、71人のエリート集団がサンヘドリンにてユダヤ教の宗教律法から政治的判断までを議論し、採決することとなっていた。
サンヘドリンは一見、エルサレム神殿内にあることから神殿を司る高僧家系のサドカイ派が多数を占めるように思えるかもしれないが、実のところ、戒律のエキスパートである律法学者達が属するファリサイ派の方が多く、彼らがサンヘドリンにおける採決の大部分を左右していた。
これは、良家出身者が大勢を占めるサドカイ派よりも、戒律の教師や律法学者、寺院の長老幹部などの一般の有識者達が多数、属するファリサイ派の方が、どちらかと言えば、ユダヤ国民の意見を強く反映するものとして、サンヘドリンに民主的な国民議会としての役目を果たさせるためだった。
グループの構成としては、“ ナジ ”(ヘブライ語で「王子」の意)と呼ばれる議長1人と、“ アブ・ベイト・ディン ”(「裁きの家の父」の意)と呼ばれる副議長1人、そして国内の多数の候補者達から選び抜かれた69人のメンバーで成り立っており、このサンヘドリンのメンバーとして選ばれるには、それぞれトーラ(モーゼ5書)の博識に抜きん出ていて、際立った容姿と人間性を持ち、金銭を追い求めず、真実と和を大切にし、そして何より神への敬虔な畏怖の念を抱く国内でも評判の高い人物というのが条件になっていた。
しかし、容姿や身体に障害がある人は最初から宗教的な偏見により除外されており、トーラ(律法書)の学識や金銭を追い求めないといった条件からしても、ユダヤでもかなり裕福で教養の高い家庭環境に育った者以外、メンバーに選ばれることはかなり難しかった。
とは言え、処理する業務や訴訟内容によってはこのメンバー達で足りない場合、メンバーの合意によらず一般の学者達を外からサンヘドリンに呼び込むこともあり、常にこの71人だけが国家の行く末を独裁的に握ろうとしてサンヘドリンが作られた訳ではなかった。
それゆえ、ニコデマスのように、ローマに負けないぐらい民主的な国家を築こうと強い意欲を持つインテリ(知識階級)層としては、庶民の一人であるイエスへの態度はもちろん、最近のサンヘドリンが行う独裁的かつ高慢な採決が気に入らなかったのである。
しかし、こうした理想をニコデマスが描くのもサンヘドリンが外の閉鎖的な一般社会とは違って、かなり恵まれた環境にあるからであり、そうした自由な雰囲気が満ち溢れていたせいでもあった。
と言うのも、サンヘドリンのメンバー達は裁判官として裁きを行う上で外来文化やその他の知識を必要とする場合があり、一般のユダヤ社会では許されないような情報を得ることが特権的に許されていた。
そのため、本来なら禁止されている様々な宗教や外国語、数学、科学、宗教芸術、果てはオカルトや迷信に至るまでのありとあらゆる情報を閲覧、研究するよう推奨されていたのである。
しかし、そうした外の社会とは違う恵まれた環境のサンヘドリンも、最近ではめっきりその力を失っていた。
それは、ヘロデ大王時代からローマ帝国がユダヤの内政に干渉してくるようになり、彼らの独立意識を失わせる形でローマ法が権限を振るうようになったからだった。
この法的権限を巡って、ファリサイ派を中心にユダヤ人達はヘロデ大王に大規模なデモを起こして大きな抵抗を試みたのだが、これに結局、失敗して多数の血を流す結果に終わっていた。
しかも、このデモの失敗から死刑を始めとする法的権限の大半を失ってしまったのである。
こうなると、サンヘドリンは実権を失って急速に内政嗜好となり、恨みから極端なまでにローマを毛嫌いする一方、逆にその経済力に媚びるようなマテリアリズム(物質主義)や、この世の幸福をあきらめ、何事も悲観的に考えるペシミズム(厭世主義)などがはびこるようになっていた。
しかも、人々を指導する立場がこうした歪んだ心理状態になると、それに合わせた精神教育が宗教を通じて行われるようになり、この陰鬱な思想が徐々に全イスラエル国内にまん延するようになっていった。
これに加えて、経済的な格差やそれに伴うトラブルが増えると、ますます一般庶民のストレスが倍増することとなり、こうした事が重なって今ではユダヤ人同士で殺しあう凶暴な極右思想までも生じさせていた。
しかし、サンヘドリンとしては、国内の治安を考えると台頭してくる熱心党やシカリ(懐剣によるテロリストグループ)といった極右的な党派を押さえ込まねばと思いつつも、ローマ帝国への強い反発心からそれと妥協を図りたい思いも一方では抱いていた。
それゆえ、平和に民主的政策を進めてきたはずのサンヘドリンも、極右嗜好に陥りつつある国民感情を反映する形で似たようなファシズム(独裁)的政策を行なうようになっていったのだった。
しかし、それでは当初、目指していたサンヘドリンの民主的な理念(設立目的)を放棄することとなってしまい、不公平で理不尽な採決や判断を招きやすくなるだけでなく、極端に間違った方向へと国家を引っ張っていかねない危険をもはらんでいた。
この時、この国のそんな危機を感じていたのは何もニコデマスだけではなかった。
同じくメンバーとして名を連ねるヨセフ・アリマシアも、今のサンヘドリンの体たらくを嘆かわしく思っていた一人だった。
ヨセフ・アリマシアは、ニコデマスのような律法学者出身ではなく、地中海交易を大々的に展開する、いわゆる財界人だった。
その商いは、錫や鉄といった貴金属類から宗教では欠かせない線香の原料となる香木に至るまで幅広く、その莫大な財力と高い経営手腕に定評があり、イスラエル国内では知らぬ者がいないほどの有名人でもあった。
しかも、交易商人であるがゆえ、海外にも顔が広く、外国事情に明るいヨセフは、まさに申し分ない好人物としてサンヘドリンのメンバーに選出されていた。
そんなヨセフが、学者肌のニコデマスとどうして同じ危機感を抱くようになったのかと言うと、外からユダヤを眺められる財界人として違う目線で国の将来を考えた時、それはとてつもなく暗いことは否めなかったからである。
ローマとユダヤでは国の規模も価値観の多様さも違う。
まして、人口が多くて考え方に幅や柔軟性のあるローマと比べたら、伝統や権威に固執し、一方向的な考えに囚われがちのユダヤでは国の危機に対する対応力に大きな差が出る。
このままでは偏った考えに凝り固まって間違った方向へと国全体を導きかねない・・・。
もっと明るく幅広い視野で物事を見据えないと、ますますローマに弱いところを突かれるだけだ。
そう考えるヨセフは、ユダヤ人としての強い誇りと純粋に国の繁栄を願う愛国心に満ち、切実にこの国の将来を心配していた。
しかし、その一方で、財界人としての駆引きや計算高さもあって、簡単に心の内を他人に打ち明けたりしない怜悧さも秘めていた。
だから、ヨセフ自身、ガチガチの律法学者に見えたニコデマスとそれほど気が合うとは思ってもみなかったし、ましてこの二人が今のサンヘドリンに対して否定的な考えを持つことはもちろん、私的に仲がいいことなど誰も知るはずもなかった。
それほどこの二人は、同じサンヘドリンのメンバーである以外、お互い接点がないように思えた。
しかし、そんな二人が急接近するようになったのも、実はイエスがからんでいた。
サンヘドリン以外で滅多に交流することもなかった二人は、ある場所で偶然、顔を見合わせたからだった。