第四十一話 家族
そうして、どんどんと外部からの圧力が高まっていた最中、さらに厄介なことにイエスの敵は外部だけにとどまらなかった。
実は、彼の兄弟達もイエスの人気を快く思っていなかった。
ペトロの宣伝によって、「神の子」とか「メシア(救世主)の到来」といったイエスについての噂を聞く度に、彼の弟の一人であるヤコブは苦笑した。
あの兄さんが、神の子だって?
冗談じゃないよ、全く。俺達にいつもいじられていた兄さんが、そんなわけないだろ。
ほんと、世間ってやつはおかしな話ほど信じたがるもんだな。
へん。大工の仕事一つまともに出来なかった兄さんが、神の預言者だなんてあきれて物も言えないね。
そうやって陰でせせら笑うヤコブは、イエスと年が近いせいもあって、特にイエスのことを兄と言うよりライバル視していた。
正直なところ、ヤコブはイエスが妬ましくて仕方なかった。
あれほど出来が悪くて、長男でありながら父のヨセフにも母マリアにもさほど期待をされてこなかったイエスが、何だか訳のわからないうちに一気に名を上げた。
それがヤコブにはうらやましかったのである。
まるで突然、天からお金が降って来て一番、みそっかすだった男がその金をうまくつかみ、いつのまやら大金持ちになったところを見たような、そんな気分だった。
面白くない、それはヤコブだけでなく、他の兄弟達も同じだった。
彼らにとってイエスは、幼い頃から兄であって、兄ではなかった。
それは父であるヨセフが生まれた時からイエスを邪険にしていたこともあって、彼の兄弟達も自然と兄の存在を“ 異質 ”と見て育っていた。
だから、その異質な存在であるイエスを自分達の家族から除くことが、父ヨセフと母マリアを喜ばせることだと彼ら兄弟達は無意識に勘違いしていた。
しかも、その勘違いが家族という狭い枠の中で正当化されていたため、それがおかしいとか、間違っているという感覚すら彼らにはわいてこなかった。
だから、まるで整然と並べられた石の中で一つだけ妙な形の石を見つけ、それを何とか取り除こうとするかの心理にも似て、彼らは執拗にイエスをいじめていた。
ところが、そんなイエスが突如として世間から注目を浴びるようになった。
それが彼らには衝撃だった。
訳が分からず当惑し、彼らは当初、イエスのやっていることでむしろ自分達まで厄介事に巻き込まれないだろうかとそればかりを心配していた。
別に敬虔とはいえないまでも世間並みにユダヤ教を信奉してきた平凡なイエスの家族にとって、世間を騒がすような宗教活動を行うことはとんでもない奇行としか思えなかったからである。
とは言え、イエスの名が世に知られ出し、信者の数が増えて弟子達が宗派を形にしてくると、イエスの家族も次第にそこからもたらされる利益について考えるようになった。
そうしたある日、母マリアとイエスの弟達は、イエスが説法をしている場所に突然、やって来た。
彼らの意図は明らかだった。
彼らが宗祖であるイエスの家族であると公表し、それによって自分達もイエスと同じように世間からちやほやされたいと思ったようだった。
ちょうどその時、イエスは説法をしている最中だった。
だが、自分達をアピールしたい彼らはイエスの説法などどうでもよかった。
到着するやいなや、イエスの話を熱心に聞き入っていた人達に話しかけ、母親が来ているのだから今すぐイエスを呼んできてほしいと横柄に依頼した。
そのやり取りで後方の聴衆がざわめきだし、遠くで説教していたイエスも彼らが来ていることに気がついた。
母マリアの強引な性格は、昔からイエスも心得ていた。
一度決めたら、誰がなんと言おうと押し通す。
カナでの妹の結婚式でもそうだったが、一度、イエスにすべての責任を押し付けたら、それを断ることは決して許さない。
そんな母の性格をイエスは正直、辟易していた。
しかも、イエスの聴衆に対する彼らの礼を欠いた態度にも腹が立った。
そして、イエスは険しい表情でマリア達を見据え、再び聴衆に話しかけた。
「一体、誰がわたしの母と弟達だと言うのでしょう?
わたしはただ、血がつながっているだけでお互いを思いやることのない人達を家族とは呼びません。
わたしの家族はここにいます。神の御言葉を聞いて、その心にとどめ、その御言葉に従って行動する人達こそ、わたしの母であり、家族であり、兄弟姉妹です」
それを聞いて、マリア達は驚いた。
まさか、イエスが自分達に歯向かってくるとは思ってもみなかったからだった。
さらに、公衆の面前で恥をかかされたと思い、彼らは顔を真っ赤にして出て行った。
いい気になっている。
と、弟ヤコブはイエスのことを苦々しく思った。
イエス兄さんは自分が有名になったから、きっと調子に乗っているに違いない。
馬鹿な奴だ、兄さんは。
今はちやほやされたって、そのうち世間は飽きてすぐに落ち目になるにきまってる。
その前に偉いさん達に目をつけられて、インチキ預言者とか言われて捕まるかもしれない。
俺達に恥をかかせた罰でも受けりゃいいんだ。
さっさとエルサレムへでもどこでも行って、そのえらそうな態度を叩きのめしてもらってくればいい。
そう思ったヤコブは他の兄弟達と相談し、イエスをわざとけしかけてエルサレムに行かせようとした。
「兄さん、そろそろ、ユダ地方へ行ったらどうだい?
もうすぐスコット(仮庵の祭)が始まるだろ? そこで兄さんが、あの有名な奇跡の業を見せりゃ、兄さんの信者になりそうな人達はもっと増えるんじゃないか?」
「時機がまだ、来ていない。
お前達が何かを求めて行動するのはいつだっていいだろう。
世間はお前達を決して嫌ったりはしないさ。
でも、わたしは嫌われる。
なぜなら、わたしはお前達と違って、世間に好かれようとして説法をしているわけじゃないからだ。
むしろ、世間がどれだけ間違っているかを暴くために説法している。
だから、彼らはわたしを嫌う。
そして、わたしは神から自然と教えられた時節に応じて彼らに律法書を説いているだけだ」
それを聞いて、ヤコブはふんと鼻を鳴らした。
「でも、兄さん、それは兄さんの言い訳じゃないのか?
本当は世間に出て話す勇気がないから、そうやってこそこそ隠れてこんな田舎で活動しているんじゃないのか?
兄さんが実際に世間が間違っていることを証明できるって言うんなら、それこそエルサレムで大勢の人達の前で話せるはずだろ?
それこそ兄さんが言ってた、『神様の御言葉に従って行動する』ってことなんじゃないのか?」
ヤコブのその言葉はイエスの痛いところを突いていた。
イエス自身、活動している中で迷いがなかったわけではない。
常に自分のやっていることに絶対的な自信を持てる人など、いない。
自分のやり方はこれでいいんだろうか?
もっといい方法が別にあるんじゃないかという迷いはイエスの中に常にあった。
そこをヤコブに突かれた気がして、イエスは動揺した。
結局、イエスはヤコブ達にけしかけられる形でスコット(仮庵の祭り)が始まると、エルサレムへと出かけて行った。
ペサハ(過ぎ越し祭)やペンテコステ(刈り入れ祭)と並ぶ、ユダヤ教の3大祭りの一つであるスコット(仮庵の祭り)は、モーゼとヘブライ人(古代ユダヤ人)達がエジプトから逃れて砂漠を放浪していた際、仮小屋での生活を余儀なくされたことから、そのご先祖達の苦難を偲ぼうと始まったものである。
古来より、ユダヤ人達はこのスコット(仮庵の祭り)において7日間、仮小屋住まいをしてエルサレム神殿への巡礼を行ない、毎日、焼いた供物を神殿に捧げる儀式を執り行なうのが主な祭りの内容だった。
そして、こうした三大祭りの時は、ユダヤ国内はもちろん、国外からもエルサレム神殿への巡礼者が続々とやってきて普段よりエルサレムがにぎわうだけでなく、それに応じて様々な儀式や行事も目白押しだった。
たとえば、エルサレム市街の一番、南側に位置するシロアムの泉の水を毎日、黄金の器でもって汲み、それをエルサレム神殿に運ぶという儀式があったり、それに伴って華やかな花冠や衣装を身につけた美しい踊り子達が路上で踊るというパレードなどもあった。
さらに、エルサレムにある各シナゴーグでは、各地からやって来たラビ(戒律の教師)達が、それぞれの話術を活かして律法書を面白おかしく聞かせる説法コンテストのようなものも開かれていた。
そのため、人々はそうした様々な説法を聞くことを楽しみにしていたのである。
イエスも弟達にけしかけられてエルサレムに来たとは言え、そうした説法コンテストに参加するのは悪い気はしなかった。
だが、弟達に言ったように自分を売るために説法しているわけではない以上、表立って説法するわけにはいかない。
だから、イエスはこっそり人目を忍んで活動することにした。
しかし、今では四六時中、スパイが張り付いているイエスの周辺ではこっそり説法するのもままならなくなっていた。
そこで、イエスは弟子達とパレードの見物に出かけ、その人混みにまぎれてスパイ達を巻くことにした。
見物客達で賑わう道路でイエスはまず、できるだけスパイに自分が見えるような位置に立ち、しばらく彼らが油断する隙を狙っていた。
そして、パレードが始まると、どんどんと人混みをかき分けて前の方へと移動していった。
もちろん、イエスの姿を追おうとスパイ達も慌てて人混みの中へと割って入って来た。
それを見て、イエスはニヤッとして、示し合わせていた通り、自分と背恰好が似たような弟子の一人と入れ替わり、そっとかがんで人混みの中に身を潜めた。
すると、案の定、スパイ達はその弟子をイエスだと思い込み、しばらく彼を追いかけていたが、途中、振り返った弟子の顔を見てイエスの姿を見失ったことに気がついた。
「おい、お前、この辺で30代ぐらいのこういう男を見かけなかったか?」
慌てたスパイはそばにいた見物客を乱暴につかみ、サンヘドリンから手渡されていたイエスの似顔絵をその客に見せた。
「知りませんよ、見ませんでしたけど」
見物客は首を横に振った。
「おい、お前はどうだ? 今、こんな男がまぎれ込んでこなかったか?」
「さぁ。パレードに夢中で、あんまり人の顔なんて見てませんからね。
どっかその辺にでもいるんじゃないですか?」
「よし、もし、この顔を見かけたり、イエスって名前を聞いたらすぐに俺達、警備役人に連絡しろ。いいな?」
そう言ってスパイ達はパレードの場所から離れ、イエスを探しにどこかへ走り去った。
「おい、さっきの男、イエスって言ってなかったか?」
スパイにさっき問い詰められた見物客の男は怪訝な顔して隣の男にそう聞いた。
「ああ、確かにそう聞いた。イエスって最近、評判の奇跡を起こす男じゃないか?
もしかして、エルサレムで何かするのかな?」
「そうだったら、面白そうだな。何でもメシアの到来とまで言われているそうだぜ」
「ばかばかしい、メシアだなんて。お前達はそうやってすぐにだまされるんだ」
彼らの話を聞いていた男がその話に割って入った。
「でも、ガリレー地方じゃ、かなりの噂になっているらしいぜ。
エルサレムでもイエスの名前を知らない人はいないって言われてるらしくて、それに説法もなかなかいいって聞いてる」
「ああ、俺もその噂、聞いたよ。
メシアかどうかは分かんないけど、悪い男でもなさそうだしな」
「そうかな? さっき警備役人がそのイエスって男を探していたところをみると、なんか裏がありそうだ」
「かもな。ま、あんまり係わり合いにはならない方が無難ってことか」
そうして、人々がイエスの噂をし出すと、それは瞬く間にエルサレム中に広まって行った。
そうとは知らないイエスは、スパイ達の目から逃れてこっそり説法を行うことにした。
数人の人達が行き交う神殿の境内の隅で、イエスは静かに話し始めた。
「わたしは皆さんに律法書の真実を告げに参りました。
ぜひ、皆さんにこれを知っていただきたいのです。
それは、わたしたちの神はこの地上(=地球上)でただお一方だけです。
そして、そのお方は常にこの天上からわたし達を眺めておられるだけでなく、わたし達、一人一人の心にもおわします。
なぜなら、わたし達の心というものをお創りになったのはこの神だからです。
神は心です、精神です。
神は善です、正義です、愛そのものです。
だから、わたしの言うことをどうか心にとめておいてください。
預言者モーゼもこう言いました。
― 今日、わたしが指示するものはお前達にとって難しいものでも
手に届かないものでもない。
それは天上にあるわけではなく、
誰かが無理して空まで昇って何かを取ってくれば、
人々が皆、信じるようになるわけではない。
逆に、深い海の底にまでもぐって取ってくるから
人々は皆、素直に従うわけでもない。
そう、神の御言葉はとても近くにある。
それはお前達の口の中。
お前達の心の中にこそ、神の御言葉があるのだ。
だから、お前達は自分の良心に従えばいいだけだ。
ほら、わたしは今日、お前達に生と豊かさを、死と破滅を示した。
だから、わたしはお前達にこう指示する。
お前達が豊かに幸せに生きたければ、その心におわす、お前の主である神
(良心)を愛せ。
神(良心)に示される道を真直ぐに歩け。
そして、神(良心)の言う指示を守れ。
お前の心に宿った誓いを、神(良心)の掟を守るのだ。
そうすれば、必ずお前達は自分の人生を豊かに幸せに生きることができ、
子孫を増やし、こうやって神から与えられた地上で安住できるだろう。
神はそうやってお前達を祝福してくれる。
だが、お前達が少しでも神(良心)から背き、神(良心)に従わなかったら、
お前達は不幸になるだけだ。
人の悪意や誘惑の言葉に負け、少しでも神(良心)を疑い、
人が勝手に想像して造り出した神仏を拝み出したら、
お前達は必ず滅びる。
さぁ、今日、わたしは天と地を証人として、お前達に生と死、
祝福と呪いを示した。
だから、生命の源である神を選べ。
そうすればお前達は幸せに生き、
その子孫も繁栄していくだろう。
そのためにもわたし達の主である、お前達、一人一人の心に宿る神を愛せ。
その心に響く神の声に従うといい。
その声にしがみつくといい。
なぜなら、主はお前達の生命そのものなのだから。
(申命記30章11−20節)」
イエスがそこまで話し終えた時、群集は驚いてため息をついた。
「一体・・・、あなたはどうやってそんな解釈ができるようになったんです?
シナゴーグ(寺の集会所)で説法されていないところを見ると、あなたはどうやら律法書を正式に学んだ方ではないでしょう?
なのに、どうやってそんなことが分かるようになったんですか?」
群衆の一人は唸るようにそう言って尋ねた。