第四十話 敵意
そんな内部分裂が起こりかけている一方、外からの重圧も既に見過ごせないところにまで差し迫っていた。
今回、イエスを突然、尋ねてきたファリサイ派の教師達には、やはりイエスが思った通り、ある種の目論見があった。
彼らにとってイエスは、洗礼者ヨハネと同様、単に目障りなハエでしかなったが、それでも洗礼者ヨハネの処刑以来、庶民から思わぬ反発を受け、彼らも不用意にイエスを追い払うわけにもいかなくなった。
たとえ弱小宗派や偽預言者といえど、一度、庶民からの注目を浴びた以上、それを邪険に追い払ったら、それこそ自分達の勢力をそぐきっかけにもなりかねない。
それほどヨハネの一件が身にしみたとあって、ファリサイ派はイエスを自分達の仲間に取り込んでしまおうと、まずは考えたようだった。
そのために、エルサレムからかなり名の知れた教師達を集め、イエスの家に送り込んだ。
彼らの権威を見せつけることでイエスを圧倒し、うまくなびかせようとしていたようだった。
ところが、これをイエスは簡単に袖にした。
そうなると、ファリサイ派としては何としてでもイエスを叩き潰すしかない。
それも正攻法で行ってはヨハネの失敗を繰り返しかねないと思ったのか、からめ手からイエス達を狙うようになった。
そこで、ファリサイ派が仕掛けてきたのは彼らの得意中の得意である、戒律破りの嫌疑からだった。
イエスの宗派がいかに戒律を破っているか、いかにイエス自身が常識外れの狂った人間であるかを暴きだし、それを庶民に吹聴してイエスとその宗派を徹底的に排除しようと動き出したのだった。
こうして、イエスの周辺には四六時中、ファリサイ派のスパイ達がうろつくようになった。
そして、あるサバスの日の午後、最初の攻撃が仕掛けられた。
その日、イエスはある若い弟子達から家のことで悩みを打ち明けられていた。
仕事にあぶれていた彼らをイエスが宗派に誘ったまでは良かったが、宗派で支払われる賃金が少なく、これでは食べていけないといった内容だった。
最近は物価が高騰してきたせいか、イエス達も食べ物を買うのに苦慮していた。
そこで、イエスは彼らを自分達でささやかに耕しているとうもろこし畑へと連れて行った。
少なからず空いた時間で畑を耕したり、家畜を飼ったりとイエス達もそうやって食いつないでいた。
むろん、腹をすかせいた弟子達は、ちょうど収穫時期でたわわに実っていたとうもろこしを見てすっかり喜んだ。
一人がその中の一本をもいで食べ始めると、他の者もそれにならった。
すると、イエス達を見張っていたスパイの男がすかさずそれを見とがめた。
「おいっ! お前、今日はサバスの日だぞ。何をやっているんだっ!
畑で実をもぐのは労働だぞっ!!」
そう言って、責める男の目に弟子達のやせてやつれた姿など目に入っていないようだった。
少なからず、スパイの男もファリサイ派の政治を知らないはずはなかった。
もっと言えば、イエスのことやイエスの宗派のことを調べ上げている以上、彼ら若い弟子達がどういった経緯でイエスの宗派に属するようになったか知っているはずだろうし、彼らの窮状が今のユダヤの国情を如実に表しているのは誰の目にも明らかだった。
なのに、このスパイの男はそれを見て見ぬ振りし、つまらない戒律を持ち出してイエス達のような社会的立場の弱い者に向かって権威を振りかざす。
何が違法行為なのか?
何が人としてやってはいけないことなのか?
食べ物から着るもの、生活のありとあらゆる分野にまで事細かく戒律(法律)を張り巡らせて人々を支配するようになったファリサイ派の人々は、その権威を笠に着て何がこのユダヤ社会の秩序を守る上で必要な戒律(法律)なのか?という、その本来の目的を見失っていた。
もはや、戒律(法律)という名の権威でもって、人々を自分達の思い通りに操ったり、自分達の気に入らない人間を糾弾する恰好のいい手段にしているにすぎなかった。
人として守るべきことを守っていない人間ほど、いかにも正義の振りをして弱い者の失敗を責め立て自分の思い通りにしようとする。
これこそ偽善と呼ばずしてなんと呼ぶのだろう?
イエスはぐっとこぶしを握りしめ、スパイの男の正面に立った。
「あなたは律法書に書かれたダビデ王の話を読んだことありませんか?
かつてダビデ王は腹をすかせていた部下を神の家に連れて行き、そこに供えられていた供物のパンを部下に与えました。
自分達の畑で採ったとうもろこしを食べたわたし達が違法なら、神への供物を食べたダビデ王とその部下達はもっと違法ではありませんか?
あなたは律法書に書かれた意味をご存じないのでしょう。
ご存じであれば、神がおっしゃった『わたしは情けが欲しい、供物よりも』(ホセア6章6節)の意味もお分かりになったはずです。
もっと言うなら、サバス(安息日)は戒律の為にあるんじゃない。
人がそれまで一生懸命、働けたことを神に感謝し、その身を休めるためにあるんです。
つまり、サバス(休日)は人の為にあるんであって、人を裁くためにあるわけじゃないっ!」
イエスが強い口調でそうたしなめると、スパイの男はびっくりして目を見開き、それ以上、何も反論できず、すごすごと帰って行った。
むろん、そのイエスの抗弁は早速、スパイの男からファリサイ派の幹部達の耳に入り、ファリサイ派はそれまでよりもっとイエスを危険だと感じるようになった。
そのため、前回と同様、エルサレムからかなり上位の教師達が再びイエスの家に派遣されてきた。
イエスがスパイの男に律法書を説いたことで、それにぬかりなく対抗できるようにそれなりの学識を持つ者を選んで送って来たようだった。
「単刀直入に申しあげましょう。
あなたは律法書を、ユダヤ教を人々に説きながら戒律を軽視していらっしゃると聞き及びました。
聞きましたところ、あなたはお弟子さん達に禊の儀式について指導なさっておられないとか?
穢れた身体で神の御言葉を正しく伝えられるでしょうか?
あなたは我が国の、そして我々の先祖がこれまで伝えてきたユダヤ教を冒とくしているのですっ!」
さすがに今回、送られてきた教師達の表情は硬かった。
前回はまだ、イエスを軽く見ていたこともあってそれほどイエスを警戒してはいないようだったが、これまでの経緯を知って今回はかなり厳しい姿勢でのぞんできた。
「では、わたしもはっきり言いましょう。
食事前の手を洗う、洗わないごときがどうして神の御言葉と関係があるのでしょう?
なぜ、あなた方の文化と伝統の為に神の御言葉に逆らわなければいけないんです?」
「なっ、わたしどもがいつ、神の御言葉に逆らったというのです?
しかも、手を洗わないごときとはどういう言い草です!」
「たとえば、あなた方の戒律にはこういうのがある。
まず、神はこうおっしゃった、『自分の父と母を敬え』(出エジプト記20章12節)と。
そして、わたし達の先祖であるモーゼとその仲間はその神の御言葉に戒律(法律)をくっつけて、
『誰であろうと自分の父と母を呪う者は死刑に処する』(レビ記20章9節)(注釈1)と定め、人々を統制した。
ところが、あなた方の代になると、その戒律はこう変わる。
『神にコルバン(さい銭)を払えば、それが父や母への敬いとなる』と、ね。
だから、人々はコルバン(さい銭)さえ払っておけば何をやっても許されると、自分を大切に思ってくれている両親を平気でののしる者すら出てくるようになった。
そうして、あなた方はご先祖の文化と伝統の為に神の御言葉に逆らうようになったのだ。
それがあなた方の信じる戒律(法律)の真実だ。
これこそ、預言者イザヤが言った通りではないか。
― 人々はその唇でもって神であるわたしをたたえる。
だが、彼らの心はわたしから程遠い。
彼らはわたしの言ったことを理解もせず、ただ闇雲に敬い、
彼らはわたしからの教えではなく、
人から指示された規則や慣習のみを伝える
(イザヤ29章13節)
もっと言うなら、あなた方がさっきから気にしておられる“ 穢れ ”だが、人の口に“ 入るもの ”が人の心を穢すのではない。
人の口から“ 出る ”ものこそ、その人の心を穢すのだ。
口から入るものはたいてい、身体を通って老廃物として外に出される。
だが、口から出てくるのは人の考えだったり、その人自身が心の中で培っていた本音だ。
殺人、不倫、悪口、暴力、偽証、謀略、これらの思いはすべてその人の口から出てくる。
これこそ、食事前に手を洗わないことよりもずっと穢れたものではないのか?」
そうイエスに切り返された教師達はもはやぐうの音も出ず、結局、前回と同様、黙って引き返せざるをえなかった。
だが、ここまで虚仮(注釈2)にしてしまったら、敵が増えるのは当然のことだった。
こうなってくると、ファリサイ派の問題だけに留まらず、ユダヤ教の存在自体が否定されたとして、サドカイ派も含むサンヘドリンを中心とした教師や長老、僧侶のほとんどがイエスを徹底的に敵視するようになった。
そのため、ますますイエスの周囲は不穏な空気に包まれるようになった。
そうして、戒律破りの次に彼らが狙いをつけたのは、イエスが起こすという“ 奇跡 ”の真偽だった。
つまり、ヨハネの時と同じように、「自分が神の預言者である」、「奇跡を起こせる」といった詐称行為の有無について調べ出したのだが、これに関してはイエスよりもペトロの方に問題があった。
これまで宗派の宣伝の為にとせっせと口コミで広げたイエスの奇跡話は、ペトロの予想以上に大きな効力を発揮していた。
確かに、イエスの名がこれほどまでに庶民の間で広まったのもペトロの宣伝手腕にあったことは否めない。
だが、それが今、かえってイエスとその宗派の首を絞めかねなかった。
そして、この奇跡の真偽をめぐる一連の騒動が、この後、イエスと弟子達の運命を、さらに後世における世界各地の争いの原因になることを、この時はまだ、誰も知る由はなかった。
(注釈1)
レビ記→ユダヤの部族の一つであるレビ族が書いた旧約聖書の一編。
ユダヤ人の祖先であるモーゼとヘブライ人達がエジプトから亡命後、イスラエル国を樹立し、その国家整備においてレビ族の者に司祭と政治を任せるようになった。そのレビ族の者が神の名を借りて戒律を定め、人々を統制しだしたことからユダヤ教の戒律の歴史は始まる。
(注釈2)
虚仮→ 仏教用語で真実でないこと、見せかけだけで中身がともなわないこと。
一般的には馬鹿にするという意味ですが、ここでは実態を暴くという意味で使用しています。