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第三十八話 裏切り

教師達が出て行った後、シンと静まりかえった部屋にイエスとペトロはお互い沈黙したまましばらく座っていた。


「なっ、なぜ、あんなこと、おっしゃったんですか?」

ペトロは少し声を震わせて、イエスを責めるように言った。


普段は大人しそうな人なのに、何かが起こると突然、この人は感情を爆発させることがある。

まるで眠りから覚めた(リヴァイアサン)(注釈1)がその頭を持ち上げて口から火を噴き出すかのように、この人の言葉は激しい。


分からない。

何をこの人は怒っているのか?

何をそんなに怒る必要があるのか?


彼らは謝罪に来たと言った。

では、それを黙って受け入ればいいではないか。



ペトロは信じられないと言わんばかりにイエスを見つめていた。

そのペトロの目を見て、イエスは少しため息をつき、口を開いた。


「わたしは本当のことを言ったまでだ。

ヨハネが生きていたら、わたしと同じことを言っただろう。

彼らがヨハネを死に追いやったのはお前も覚えているはずだ。

彼らが本気でわたし達を認めるはずはない。

彼らはただ、わたしを利用して自分達がやっていることを正当化したいだけだ。

あるいは、自分達が人々から非難や中傷を浴びないよう、わたしをしばらく泳がせて時間を稼ぎ、誰もが油断した時にひそかにわたしをつぶしてしまおうとしているんだろう。

いずれにしろ、彼らに取り入るつもりはない」

イエスは、戒律の教師達の意図をペトロに説明した。


それを聞いて、ペトロはますますイエスが信じられなくなった。


この人は、なんて馬鹿なんだ。

たとえ、相手がそういう意図であっても、本音を言ってどうする?

少しでもこちらに有利になるよう相手とうまく渡り合ってこそ生き残れるというのに。

なにをわざわざ自分から大物に挑む必要があるんだ?


これじゃ、自分から殺してくれと言っているのと同じだ。

ヨハネ先生と同じじゃないか。

せっかくここまで築き上げてきた宗派をこの人は一瞬でつぶそうと言うのか?

いや、絶対に、絶対にそれだけは阻止しなければ・・・。



「し、しかし、もしかしてそういう意図じゃなかったかもしれません。

先生の誤解だったとしたら?」

ペトロはあきらめきれずにそう言った。


だが、イエスはゆっくりと首を横に振った。

「いや、それは決してない。

今日、来た彼らの様子からすると、わたしはそろそろ時が来たと思っている。

だから、それが来る前に皆にはっきり言っておきたいことがある。

ペトロ、今すぐ、皆をここに呼んで来てくれないか?

それと、お前に一つ、聞いておきたいことがある。

お前達は最近、わたし達の説法についてどういう宣伝をしているんだ?」

イエスはさっきの戒律の教師達が口にした奇跡がかなり誇張した話にすり替わっていることに気づき、ペトロにそう質問した。


ペトロはイエスにそう聞かれて一瞬、冷やっとした。


「べっ、別に前と変わりません。

先生が最初に教えてくださった通りに私達は言っているだけです」

ペトロは少し口ごもった。


実は、ペトロは最近、悪魔祓いを依頼する人々から特別な料金を受けるようになっていた。

それはむろん、イエスには内緒だったが、既に組織としてこれまでの寄付金とは違う形でイエスの宗派は金を集めていた。

そして、このことはペトロの指示の下、金庫を預かるユダ・イスカリオテはもちろん、誰の派閥にも属そうとしないナサニエルとフィリポ以外は弟子達全員が知っていることだった。

だが、世俗のやり方には特にうとそうなイエスがまさか気づいたとは思えず、ペトロは思わず嘘をついてイエスの出方を伺った。


「そうか、分かった。

じゃあ、悪いが古参の皆を早く呼んで来てくれないか?」

イエスはそれ以上、ペトロに何も聞かなかった。

それでホッとしたペトロは、逃げるようにイエスの家から外へと飛び出していった。


イエスはそのペトロの後ろ姿を氷のような冷たい目で見つめていた。


それからすぐにイエスの家には12弟子達が集まった。

イエスは彼らをゆっくりと見回すと、重々しく話し始めた。

「既に皆には知れ渡っているだろうが、今日、ファリサイ派の教師達がエルサレムからわたしに会いにわざわざやって来た。

これはいつかは起こることだと分かっていたから、あなた達には話しておこうと思う。

この先、わたしは必ずエルサレムに行かなければならない。

そして、その時、わたしはこの国の権力を司る戒律の教師達や長老、エルサレム大神殿の僧侶達に散々、手ひどい仕打ちを受けて命を奪われるかもしれない。


だが、わたしは必ずや生きて帰ってくる。

わたしは生きて帰ってくるためにエルサレムに行くのだ。


わたしはそのためにこの世に生を受けて生まれてきた。

だから、この事を皆にも承知しておいてもらいたい。


神は決してわたしを死なせたりしない。


律法書にこう書いてある。

― わたしは決して死なない、必ず生きる。

  そして、わたしは主がわたしを生かすためになさったことを

  この世のすべての人々に告げる。

  主は確かにわたしを厳しくしつけるために苦難を課したが、

  それでも決してわたしを死に追いやったりはしなかった。


  さあ、わたしの前の正義の門よ、開け。

  わたしは主に感謝の意をささげながら、その門をくぐってみせる。

  これこそ主の門である、

  正義(神)を信じる人はここを通ることが許されるのだ。

                  (詩編118章17~20節)


この言葉を信じる人こそ、まさしく神を信じる人である」


そこまでイエスが話した時、ペトロが突然、イエスの話をさえぎった。

「駄目ですっ、先生! 行っちゃいけません。

そんなこと、先生の身に起きっこありません」


何を言っているんだ?

と、ペトロはさっきからイエスの話を信じられない思いで聞いていた。

それでなくてもファリサイ派の教師達がエルサレムから来たことで、弟子達の間で不安と動揺が広まっている。

それをどうにか鎮めてこの宗派が生き残れる道を模索しなければならない時に、どうして余計、不安を煽るようなことをこの人は言うんだ?


そういう思いから、ペトロはイエスの言葉を打ち消さんばかりに急いで割って入った。


「下がれっ、悪魔サタン!」

だが、イエスはそのペトロをさらに強い調子で一喝した。

「お前はわたしのつまづきのペトロだ。お前の頭にあるのは神のことではない。

世俗のことだけだ!」

そう言って、イエスが厳しい目を向けると、ペトロはすごすごと後ろに下がった。


そこで、イエスは再び弟子達を見回し、彼らに向かって強い口調のまま話を続けた。

「わたしの後に続こうという人は、自分の欲を抑え、重い十字架を担ぐように困難と屈辱に耐えれる人だ。

自分の命を賭けてでも神を信じ切れる人だ。


本当に自分の命を救える人は、自分の命を賭けてでも“ 一生懸命に ”生きようと努力する。

そして、たとえ命を失いそうになったとしても、わたしの言葉を信じられる人は必ずその命を救うことができる。


わたしと同じ事をする人がこれから後、この世に現れるだろう。

その人は、神の栄光と天の使者とは何者かを伝えると同時に、ここにいるお前達にそれぞれの行いに応じた神の裁きを伝える。

だから、真実を言っておこう。

お前達の何人かはその人が現れるまでこの世の人々から忘れ去られることは決してないだろう」


ペトロはそのイエスの話にすっかり呆れていた。


この人は一体、何を言っている?

分からない。

この人は一体、何をしたいと言うんだ?


まともじゃない。

わたし達とはまるで違う。

一生懸命だけで生き残れるんだったら、ヨハネ先生は死ななかった。

現実問題としてこの人は何も考えられない。

このままこの人が宗派の皆を巻き込むようなことでもなったら、それこそ命取りにもなりかねない。


ペトロはこの時を境に、心の中でイエスを見限った。

もはやペトロの心にはイエスの言葉はもちろん、イエスと言う“ 人 ”を信じる気持ちは微塵もなくなっていた。



そして、それはイエスも同じだった。

イエスは既に気づいていた、ペトロが自分に嘘を言ったことを。



さっきペトロに宗派の活動方法について聞いた時、ペトロが一瞬、言い淀んだことをイエスは見逃さなかった。


洞察力。

それは幼い頃から感受性の強かったイエスの得意技だった。


人のちょっとした仕草、言葉、目線、そういったものを常に伺い、親や兄弟から訳も分からないまま攻撃される自分を守ろうと、イエスが長年、身につけてきたことだった。


だから、ペトロが自分に何かを隠して嘘をついていることぐらい、イエスは難なく見破っていた。


特に、自分への嘘や敵意ほどイエスは悲しいまでに鋭く見抜くことができた。

それも幼い頃からずっと、そうした嘘や敵意にイエスが囲まれて育ってきたせいかもしれなかった。


だが、それほどまでに手ひどく人に裏切られて育ってきたイエスだったが、なぜか彼の心がこれまで曲がったり、すさんだことは一度もなかった。


それもひとえに、悪くすれば荒みそうになる彼の心を律法書の“ 言葉 ”が支えていたからだった。



(注釈1)

リヴァイアサン→ヘブライ語で海中に住む竜のこと。古くはBC3000年ほど前の中近東にて、サメやクジラ、イルカやワニから着想を得て語り継がれてきた想像上の生き物で、“ 悪魔もしくは地獄の使い ”としてバビロニアやギリシャ神話にも度々、登場します。

旧約聖書にも登場し、主に蛇のような鱗を持ち、口から火を噴く、または嘘や悪口、暴言を吐いて人を威圧し、恐怖に陥れる怪物として描かれています。


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