第三十七話 襲来(2)
そうして、老人が泣きながら一人、ポツンと立っていると、そこへ見知らぬ男が背後から近づいてきた。
男はサンヘドリンに雇われたスパイだった。
既にイエスの名は、各地での評判から要注意人物としてサンヘドリンでは挙げられていた。
そのため、イエスがエルサレムに来て以来、サンヘドリンのスパイ達は常にイエスの動向を伺っていたのである。
当然、イエスがヴェスチェスダの池で老人と話している時も、スパイは彼を見張っていた。
だが、その時、突然、それまでヴェスチェスダで居ついていた老人が立ちあがり、池から去っていたのをスパイは不思議に思い、早速、老人にその訳を尋ねようとやって来たのだった。
「おい、お前、昨日、あの男に何と言われて池から立ち去ったのだ?」
男は、感慨深げにイエスの背を見送っていた老人に強い口調でたたみかけた。
「ただ、一言・・・・、あの方はただ、一言、敷物を持ってさっさと家に帰れとおっしゃったのだ・・・」
老人は、そばにやって来た男のことなど気にも留めず、ぼそっとイエスとの出会いを素直に答えた。
だが、その言葉を耳にした途端、スパイの男は鋭く目を光らせた。
「えっ? 今、何と言った?
“ 敷物を持って ”家に帰れ、だと?
持てとお前に言ったのか?
お前、昨日がどんな日か分かっていてそれを言っているのか?」
そう言われた老人は、そこでハッと我に返り、そばにいる男が一体、どういう筋の男なのかに気づいて慌てふためいた。
「いや、その、わしはそうしろと、ただ、あの人にそうしろと言われて、つい・・・」
「お前、サバス(安息日)の日に戒律で禁じられている行為をしたらどうなるか分かっているだろうな?」
「わしは・・・その、ずっとあそこにいたので、曜日の感覚がなくなってて、いや、その、・・・戒律を破るつもりではなかったんです。
ええ、決してっ! ただ、あの人にそう言われて、・・・・そ、そ、そ、そうしろと脅されただけで。
ええ、そうですっ、わしゃ、脅かされただけですっ!」
老人は震えながら、そう嘘をついてしまった。
実は、老人がこれほどまでにスパイを怖がって嘘をついたのには、この時代のユダヤにおける、ある深い事情があったからだった。
スパイの男が口にしたサバス(安息日。ヘブライ語ではシャバッート)とは、その名の通り、休日であり、神が6日間、天地を創造し、7日目に休息したと言い伝えられていたことから、人間も週の7日目を労働から身を休める日と定めて始まったものである。
つまり、現代において土・日曜日が休日となったのもこれが発祥である。
ただし、昔と今では時間や暦の数え方が異なるため、この頃、ユダヤにおけるサバスとは、現代の金曜日の宵闇から土曜日の夜までのことを言った。
(ちなみに、現代において日曜日が休日になったのは、キリスト教がイエスの復活の日を記念して始めたものである)
そして、この金曜日の夕方あたりから土曜日の夜までユダヤ教では犯してはならないとされる戒律がなんと39条もあった。
たとえば、ランプに火をともしたり、荷物を持って動いたり、あるいは料理を作ったりすることは、“ 労働 ”であると考えられて禁じられていたのである。
だから、時には急病人を前にして医者が診察を拒否するということも戒律を遵守する上で、平然と行われていた。
それもこれも戒律主義だったファリサイ派が、ユダヤにおける支配力と影響力を維持するために律法書を拡大解釈してそのような戒律(法律)をいくつも作ってしまったのだが、ラビ(ユダヤ教の教師)達に神への信仰心を表すためだと教えられたユダヤの人々は素直に従わざるを得なかった。
そのため、本来は心と体をゆっくり休める日でしかなかったサバス(安息)の日が、それとは逆になぜか指一本すら動かしてはならぬ“ 緊張の日 ”になっていた。
ちなみに、初期キリスト教においてもユダヤ教の戒律思想は浸透していて、“ サバス・ブレーキング ”なる戒律が存在し、現代においてもアメリカのノースダコタ州法ではサッカー観戦のために日曜礼拝をサボったりすると1ドル以上10ドル以下の罰金刑になったり、アメリカやカナダの“ Blue Law ”と呼ばれる法律は、日曜日にアルコール販売をすることなどが禁じられている。
このように、現代においても未だその影響を残すサバスの日の戒律は、この当時は大変厳しく、これを破ったりすると投獄や死刑といった厳罰にも処せられたのである。
こうした理由から、戒律を振りかざすファリサイ派のスパイにとがめられた老人は、自分の身を守るために、つい嘘をついてしまった。
「そうか。お前はあいつに脅かされたと言うんだな?」
スパイの男が老人に念押しすると、老人は強く首を縦に振った。
それを確認すると、男はしたり顔で早速、サンヘドリンのある建物へと走って行き、幹部にそのことを報告した。
結局、これがきっかけとなり、イエスがその他にもサバスの日に悪魔払いをしたとか、奇跡を行ったという根も葉もない噂も相まって、ファリサイ派のメンバーから戒律違反の動きがあるとの嫌疑をかけられ、とうとう目をつけられてしまったのだった。
もちろん、イエスの方はそんなことがエルサレムで起こっていようとはつゆ知らず、エルサレムでの出来事など気にもしていなかったが、それでもいずれ何らかの形でファリサイ派やサドカイ派の連中が自分のところにやってきて、洗礼者ヨハネが逮捕された時と同じように自分も逮捕されるだろうという危機感は常に抱いていた。
だから、それが自分にとって“ 来るべき時 ”だとイエスは心の底でずっと思っていた。
だが、イエス以外はまだ、そんな危機意識はまったくなかった。
洗礼者ヨハネとは違い、イエスがこれまで政治的な発言をしたことはまるでなかったし、エルサレムから遠く離れたクファノウムや周辺のガリレー地方で活動している限り、弱小宗派である自分達がまさかファリサイ派やサドカイ派から目をつけられているとも思えなかったからである。
ところが、それまでの調査報告に加えて、イエスの家に悪戯しに来た連中の告げ口もあってか、とうとうエルサレムから戒律の教師達がイエスのところにやって来た。
応対に出たペトロは、エルサレムからわざわざ教師達がやって来たことに驚き、そこでようやく自分達のような弱小宗派も目をつけられるようになったのかと危機感を抱きだした。
だから、ペトロはことさら腰を低くして愛想良く戒律の教師達を出迎え、彼らの機嫌を損ねないよう丁重にイエスの家へと案内した。
むろん、ペトロから招かれざる客の訪問について聞いたイエスは、顔を固くし、警戒しながら客人達の待つ部屋へとやって来た。
だが、予想に反して彼らはなぜかイエスににこやかな笑顔を向けてきた。
イエスは彼らが自分達を糾弾しに来たのだと思って身構えていただけに、彼らのその様子に何だか拍子抜けした。
「ラビ、私共はあなたのお噂をかねてより随分と聞いておりました。
先日、私共に属している者達の何人かがあなたにご迷惑をかけたとか?
それで早速、お詫びに伺ったわけでして」
彼らの中から一人の代表者らしき教師がそう言ってイエスに挨拶してきた。
イエスとペトロは唖然としてお互い顔を見合わせた。
一体、どうなっているんだ?
「お許しいただけますなら、そうですね、一度、ゆっくりあなたとお話させていただきたいとエルサレムの方でも考えているのです。
あなたの評判はいろいろと伺っています。
何でも、あなたはデーモンを追い払えるとか? それにパンを増やして貧しい庶民達の為にわざわざ配ったというではありませんか。
そのような素晴らしい奇跡の徴を私共もぜひとも拝ませてもらいたいものです」
教師の代表者はそう言って、イエスの顔を見て再びにっこりした。
イエスはその目が冷たく光っていることに気づき、彼の来た意図が読めてきてさっきと同じように顔を固くした。
「あなた方が一体、何をお望みなのかは知らないが、わたしに奇跡の徴を求めても無駄だ。
そんなものはありはしない。
また、神の奇跡はあっても、あなた方のような下世話でねじ曲がった考えに取りつかれている人達に与えられるものではない。
預言者ヨナのように何度も苦難を味わい尽くし、神への理解を深めた人にこそ与えられるものだ。
ヨナは三日三晩、真っ暗な大魚の腹の中で過ごし、死と隣り合わせにありながら、それでもなお、神を信じる心を失わなかった。
この世に救いの言葉をもたらすメシアもまた、三日三晩、暗い土の中で過ごし、死を味わうことになるだろう。
それほど命懸けで神の言葉を伝えたヨナだからこそ、ニネベの人々はその声に耳を傾け、最後は深く悔み、自分達を省みた。
そして、今、私達が生きるこの世代もまた、その時のニネベの人々と同じように神の裁きを受ける日が来るだろう。
その時は、南の女王が立ち上がり、あなた方やこの世代の人々に対して神の裁きを伝えるだろう。
彼女は地球の果てからやって来て、ソロモン王が神から得た智慧を聞いた。
そして、そのソロモンよりも偉大な者が今、ここにいるこのわたしだ。
人の悪意は一度、追い出されると、どこか宿る場所を探してさまよう。
そして、一度は追い出されたのに、また、元いた場所に戻って来て、そこがきれいになっていたり、幸せになっていると、妬んでさらにひどい悪意をもたらし、強引に入り込む。
そして、最初の頃よりもっとひどい状態にしてしまう。
それこそ、この世代の人々のなれの果てだ。
あなた方が今、わたしに求めているものは悪意そのものだ。
あなた方が世俗で求める欲のために、わたしがもたらす神の言葉と奇跡を利用しようとしているだけだ」
唐突にイエスはそう言って、きっぱりと彼らを拒絶した。
むろん、彼らはイエスが何を話しているのかさっぱり分からなかった。
それは彼らにはまったく理解のできない未来の話だった。
だが、最後の方で彼らはようやく自分達が拒絶されたと気づいたようだった。
「私共の謝罪と親愛の情が受けられないとあなたはそう、おっしゃるんですね?」
プライドを傷つけられた教師の一人がそう、イエスに食ってかかった。
「本当にそう思って来られただろうか?
あなた方はそんな気持ちでわたしを訪ねて来たのではなく、単にわたしの奇跡の徴を拝みに来られたのではないのですか?
政に利用するために。
だから、わたしははっきり真実を申し上げたまでだ。
あなた方が求めているような奇跡の徴などこの世にはないし、わたしは与えられないと」
イエスは再び彼らをはねつけた。
「だったら・・・、だったら、あなたは詐欺師ということではありませんか。
そうでしょう? 表向きは、あなたはデーモン(悪魔)を祓えます、病人を治して見せますと弟子達に言わせているじゃないですかっ!」
さっきの教師が怒りで震えながら、立ち上がってイエスに反論した。
「デーモン(悪魔)はデーモンでも、わたしが言うデーモンは、あなた方のように自分達の欲望を満たすために人々の生活を圧迫し、人々の心を、そして神の権威を傷つけるような人達のことを言っている。
また、病人は病人でも、わたしが言う病人とは、心を病んだ人々のことであり、神がその人に最初に与えた心に戻れるよう、癒しているだけだ。
あなた方が求めている奇跡は単なる見世物に過ぎない。
人々の関心を引き、自分達の権威を高めるためだけに必要なだけだ。
だが、わたしがしている事の目的はそんな世俗のことではない。
わたしは神の存在を人々に告げるために、この世にやって来た。
それがわたしの使命であり、この仕事の目的だ」
イエスはその教師を冷たく見据えたまま、これまたきっぱりと言い返した。
「なっ、なっ、なんという、傲慢な。
よし、お前が今、吐いた暴言の数々は、必ずやサンヘドリンに報告させてもらうからな。
首を洗って待ってろ、お前の化けの皮などすぐに剥がしてやるっ!」
彼らはデーモン呼ばわりされていっそう逆上し、代表者らしき教師がそう捨て台詞を吐くと、他の者達も席を蹴ってイエスの家から出て行った。
こうして、イエスとエルサレムの権威者達の闘争の序幕が切って落とされたのだった。