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第三十六話 襲来(1)


その数日後のことだった。


ファリサイ派のラビ(教師)達が突然、イエスの家を訪ねてきた。

どうやらエルサレムからわざわざやって来たようで、今度はペトロがその招かれざる客人達は出迎えることとなった。



ファリサイ派とはこの当時、ユダヤを二分する一大政治勢力の一つである。


ヘロデ大王がエルサレム神殿を再建したことから“ 第二神殿時代 ”と呼ばれるこの時代、ユダヤにおける教育・政治・宗教を掌握していたのは、僧侶職を預かるサドカイ派と、トーラ(モーゼ5書)を中心とした律法を司るファリサイ派だった。


サドカイ派、ファリサイ派、エッセネ派、熱心党。

こうしたユダヤ教の様々な宗派の起こりは、元々、ギリシャ系のセレウコス朝シリアによってユダヤが支配されるようになった時代に、ユダヤ社会が次第にギリシャ文化に感化されることに危機感を抱いた“ ハシディーム ”(「敬虔派」の意)と呼ばれる政治グループから始まったものだった。


その後、ユダヤ系のハスモン朝がセレウコス朝シリアを倒し、一旦はユダヤ教の宗派も王家を頂点として統一したかのように見えたが、ハスモン朝が王家存続のために打算的な政略結婚を繰り返すようになると、その血統や政権の正統性に疑問を抱いた学者や律法書を書写する人々から宗派分裂が起こり、それがファリサイ派(分離派)となったのである。


そして、ここからさらにユダヤ教における革命を目指してエッセネ派や熱心党などの右派グループがファリサイ派から分離して結成されるようにもなった。


実は、イエスが生まれるずっと以前から、こうしたいろいろな宗派がユダヤ教の中で常に勢力争いを行っており、それがユダヤに混乱を生じさせる最大の原因でもあった。




その中でも、ファリサイ派は、元は学者グループということもあり、トーラ(モーゼ5書)を中心とする律法書を厳粛に受け止め、これを微に入り細に入り延々と討論し、自分達の評議で決めたことを国の法律として次々と条文化していった。

そのため、子孫相続で僧職や貴族の地位を担うサドカイ派とは違い、司法にこだわることでユダヤとサンヘドリン(長老会)を常に掌握していたのだった。


ところが、ローマ帝国の支配下に置かれるようになると、ローマ法がユダヤでも施行されるようになり、ファリサイ派は自分達が定めてきた法律の適用範囲が狭められたため、実質的な権限を失いつつあった。

加えて、ヘロデやローマ帝国による度重なる都市開発と彼らユダヤ人自身の私利私欲による腐り果てた税金制度のツケが一気にユダヤ庶民を襲い、次第に経済格差が大きくなってくると、そのストレスからかファリサイ派を始めとする既存の政党への不満が続出するようになり、極右思想に基づいた熱心党やシカリ(短剣によってゲリラ活動を行なう武装テロリスト集団)といった狂信的カルト集団がファリサイ派に匹敵して台頭してきていた。


しかも、庶民から絶大な人気のあった洗礼者ヨハネを処刑してしまうという残忍な事件があり、それにファリサイ派が一枚、噛んでいることは何となくわかっている庶民はますますファリサイ派に冷たい目を向けるようになってきていた。


そのため、ファリサイ派は自分達の勢力が弱まることを恐れてサンヘドリン(長老会)の警護機関などを強化し、自分達への反対勢力の動きに特に注意を払うようになっていたのである。




そうした世相もあって、今回、ファリサイ派はイエスの家にやって来たようだった。


イエスが目をつけられるようになったのも、むろん、それまでの奇跡についての噂もあったが、実は以前、彼自身が起こしたある事件も起因していた。

それは、彼がエルサレム神殿で出店を壊したことではなく、もっと些細な出来事だった。




その事件が起きたのは、井戸でサマリア女性と出会う出来事のわずか数日前のことだった。


元々、イエスとその弟子達はユダの地方に洗礼活動に出かけていた。

彼らの予定としては、ガリレーからユダ地方をそれぞれ巡り、行く先々で洗礼活動を終えたら、エルサレムで行なわれるお祭りを見学してから帰るというものだった。

エルサレムでの楽しみはむろん、お祭りを見ることだったが、何より絢爛豪華けんらんごうかなエルサレム神殿を参拝することだった。

建て前では、エルサレム神殿を参拝することはユダヤに生まれ育ったユダヤ教徒なら誰しも当たり前のことだったが、庶民にとって通行税などの旅費の負担は重く、実際のところ、ここへの参拝は生まれて初めてという弟子達も少なくなかった。



だから、彼らはエルサレムに着くと早速、エルサレム神殿へと出かけて行った。



エルサレム神殿は、今も昔も、国内のユダヤ人だけでなく、外国に移住し、そこで生まれ育ったユダヤ系外国人達にとっても大切な聖地であり、ペサハ(過ぎ越し祭)などの大きな行事の時だけでなく、常に大勢の参拝客で賑わっていた。

イエスとその弟子達は、そんな大勢の参拝客達に交じっておのぼりさんよろしく豪華な建物を一通り、見学してまわり、そろそろ帰ろうとしていた矢先、ある一人の弟子が突然、

「ベスチェスダの池を見てみたい」と言い出した。



“ベスチェスダの池”というのは、ヘブライ語で“ 恵みの家の池 ”を意味し、エルサレム神殿から北に向かってちょうど門の外に出たところぐらいにある、5本の支柱に囲まれた赤い湧き水の出る鉱泉こうせんのことだった。


別名、“ 冷たい温泉 ”とも呼ばれる鉱泉は、元々、人の身体に良い成分がたくさん含まれている場所なのだが、たまたまその池には伝説があり、天使がやってきて池の水をかき回す瞬間、誰よりも早くその池の水に浸かった者はどんな病気でもたちどころに治ってしまう、というものだった。


だから、そんな伝説を耳にしていたその弟子は、「ぜひ、その池を見てみたい」と行きたがった。

他の弟子達も物見遊山ものみゆさんの話の種にと面白がり、結局、皆でそこへ行くことにした。



エルサレム神殿はどこもかしこも人で一杯だったが、ベスチェスダの池もそれに負けず劣らず人であふれかえっていた。


しかし、そこはさっきまでの美しく着飾った華やかな観光客の群れとは違い、うめきながら苦しんでいる病人や障害者達がありのごとく地面をうごめき、何日もお風呂に入っていない薄汚れた恰好のまま地面に横たわっているといった悲惨な有様だった。

彼らの体から放たれる強烈な異臭と病気によるうみにたかるハエなどもいて、その衛生状態は最悪であり、イエス達はあまりの不潔さに鼻をつまんで顔を背けずにはいられなかった。


ちょうどその時、イエスの衣服チュニックの裾を引っ張る者がいて、イエスは思わず自分の足元を振り返った。

そこには地面に敷いた敷物に横たわったままの一人の老人がいた。



「お願いです。どうか、お恵みを」

老人は哀れなしわがれ声でイエスにそう呼びかけた。



「どうか、お恵みを、だんなさん。

わしゃ、38年もここでこうしておる憐れな老人です。何卒、お恵みを」

老人はそう言ってまた、イエスのチュニックを引っ張った。

その握力の強さにイエスは否応なくひざまづく羽目になった。


老人は、イエスが自分の前にひざまづいたのを見て、日に焼けた皺だらけの顔をくしゃくしゃにさせてニッと笑った。

「だんなさん、どうかお願いします。この老人にお情けを。

足が悪くてどうにも動けません。お腹がすいて死にそうなんです。

どうかお恵みを」


そう言われて、イエスは黙って自分が持っていたパンを一切れ、差し出した。

それを見て、興味をもった弟子の一人がその老人に話しかけた。

「ねぇ、おじいさん。足が悪いんだったら、あそこの池に入って治せばいいんじゃないんですか?」

「ええ、わしだって入りたいですよ。

でも、今まで一度も入らせてもらったことはないんです」

そう言って、老人はイエスにもらったパンを頬張った。

「へぇ、なぜなんです?


だって、そのためにここにいるんでしょう?

こんな近くにいながら、一度も入れないなんておかしいじゃないですか?

あそこに入るのってそんなに難しいんですか?」


弟子が不思議がって尋ねると、老人はいかにも田舎者らしい弟子を小馬鹿にしたような意地悪い目をした。

「ご存じないのかもしれませんがね。

そんなに簡単じゃあないんです、ここに入るのは。

そりゃあもう、難しいの、何のって。病気を治そうと思ったら、あそこへは誰より早く、真っ先に入らにゃいかんのですが、わしゃ、この通り病気しているだけでなく、足が悪いのでうまく歩けません。

だから、あそこまで必死になって行ってもわしよりも誰かが先に入ってしもうて、結局、ここで38年もずっとその機会を伺っておるのです」

老人はそう答えると、ふてくされたようにまた、敷物の上に目を閉じて横たわった。



イエスはそこではたと気付いた。

― あそこまで必死になって行っても・・・。


あそこまで行こうと思えば、彼は歩いて行けるのだ。

イエスは老人の言葉から彼が決して歩けないわけではないと気づいた。

そして、横たわっている老人の姿をじっと見つめた。


38年もただ、ここで起きるわけでもない奇跡を待ち、風呂にも入らず異臭を放ちながら物乞いだけで生活しているこの男を。


十分な栄養も取っていないせいでやせ細り、ものぐさそうに動かさない足腰はさらに弱まっていき、どんどん老化してもはやこのまま朽ち果てるだけの姿となったこの男を・・・。




彼は一体、ここで何を待っている?



イエスはひざまづいていたところから立ち上がり、辺りをもう一度、見渡した。


老人と同じく、大勢の人々が助けを求めてうめき声を上げている。

苦しみ、もがき、あえいで、彼らはひたすら自分達の身体の痛みと心の嘆きをそこいら中に吐き出しているかのようだった。



彼らは一体、この地獄の叫びをどこに訴えようとしているのだ?

神にか?


彼らは何を信じている?

この池に何があるというのだ?

こんな池など、この地上には星の数ほどある。

神は池どころか、大きな海までこの地上に創ってくださっている。



なのに、なぜこんなちっぽけな池を信じる?




天使が来て池の水をかきまわしたら病気が治る?





ばかばかしい。



だったら、医者も薬もいらないじゃないか。

なぜ、神は薬草や医療の知恵を人に与えたのだ?



人が病気や障害になるから、それを克服しようと人は考え、神はそれに知恵を与えて私達は生きている間、快適にその人生を送れるようになる。

だが、それを克服するまでの“ 時間 ”というのは、特に病気や障害を負った者にとっては天を呪いたくなるほど辛い。


心配や不安が募り、このまま一生、治らないんじゃないか? 

幸せなんて来ないんじゃないか?と焦る気持ちが抑えられなくなる。



だからこそ、人は互いに“ 慰め合い ”、それを克服する時期を待つんじゃないのか?

僧侶は、そうした人の苦しみや悲しみを慰めることを主な生業なりわいにしているんじゃないのか?



なのに、あなた方はこんなちっぽけな池で作られたいい加減な伝説で人の心を慰めようというのか?


イエスは後ろを振り返り、日に照り輝き、真っ白にそびえ立つ豪奢なエルサレム神殿を見上げた。



あなた方は一体、彼らに何を教えたのだ。

あなた方は彼らになんということをしてしまったんだ!


イエスは悔しそうにそっと唇を噛んだ。

そして、おもむろに老人の方を振り返り、厳しい目をして彼に言った。

「あなたは病気を良くしたいんですか?それとも、あそこに入るのが目的なんですか?」すると、老人はイエスの怒ったような態度に驚いて、

「わしゃ、病気を良くしたいとずっと思っとります。だから、ここにおるんです」

と、うつむいてもぞもぞと言った。

どうやらイエスに自身のふがいなさをとがめられているような気がしたのか、老人は消え入りそうな様子でいた。


「だったら、すぐに立って、その敷物を持ってさっさと歩いて家に帰りなさい。

それで、あなたはちゃんと治ります」

イエスは再びはっきりと強い口調で老人に言った。



何っ!

老人は、イエスにそう言われて何だか無性に腹が立ってきた。

わたしの苦しみを知りもしないくせに、馬鹿にするなっ!!



そう思って、老人はイエスに挑もうとすぐさまがばっと飛び起きた。



その瞬間、彼は思いがけない自分の姿にはっとした。


立っている。

確かに自分はちゃんと立っている。


立てない、とずっと思っていた。

歩けない、ともずっと思い込んでいた。

だが、自分にはまだ力は残っていたのだ。


この男をぶん殴ってやろうと思うくらい、わたしにはまだその力が十分、ある。


なのに、それを使おうとはしなかった。

あの池に入りさえすれば、すぐにしゃんとして動けるようになる。

そしたら、すぐにこんな生活から抜け出してやるさ、と思っていた。



そうだ、あの池に入れないから、自分は“ 運が悪いから ”動けないのだ、と38年間、自分にいつもそうやって言い聞かせてきた。


38年・・・一体、38年も自分はここで何をしていたのだろう・・・?




イエスに食ってかかろうとしたさっきまでの勢いから打って変って、老人はしばらく呆然としていた。

自分の周囲には依然、うめき声をあげ、病気や障害に苦しんでいる人達が大勢いた。

だが、そのうめき声がなぜか遠くに感じられた。



まるで時が止まったかのように、老人はイエスと共に黙って向き合っていた。





自分はここで一体、何をしているんだろう?


老人はもう一度、そう思った。

そして、彼は静かに敷物をたたみ始め、それをどうにか抱えて、その後はイエスの方を振り返りもせず、黙ってその場を立ち去って行った。

その後ろ姿はよろよろとした頼りないものだったが、それでも一歩一歩、彼は新たな歩みを始めようとしていた。

それを見て、イエスは少し安堵した。





その翌日、イエス達が再び神殿近くを歩いていると、あの老人と再び出くわした。

老人は杖こそついているものの、以前とは違い、清潔な恰好をして普通に立っていた。

イエスと目が合うと、老人は恥ずかしそうに慌ててその顔を伏せた。

そして、イエスが何も言わずに去っていく後ろ姿を見て、老人はそっと天を見上げた。


「神よ、あの人こそ、まさしく神の子です。

わたしの人生を変える奇跡を起こしてくださった・・・」


そうつぶやくと、老人は見上げた空がうっすらぼやけてくるのに気づき、思わず目頭を押さえた。




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