第三十五話 争い
「よう、よう、悪魔祓いができるって評判のイエスさんよ。
本当はおたく、ベルゼブブ(ハエの姿をした悪魔の王子。語源はユダヤの敵国が信仰していた主神の名を皮肉って作られたあだ名である)の使いなんじゃないの?
家にひきこもって悪魔を呼び寄せる儀式をしてから、皆の前で呼び寄せた悪魔を追っ払ってみせてるだけじゃないの?
それで金儲けしているんだから、飛んだ食わせもんだねぇ、偽預言者のイエスさんよ」
今日もまた、イエス達が住む居住区の門の前で心ないからかいや悪口、罵倒をする連中がやって来ていた。
たいていはやっかみやおもしろ半分で来る連中がほとんどだったが、中にはファリサイ派やサドカイ派のラビ(教師)達に金で雇われたチンピラまがいの者もいて、門をしつこく叩いたり、蹴ったり、あるいは汚物を家の中へ投げ入れてくるなど、結構、怖い目にあうことも度々だった。
それでも、ついこの前まではそれほど大きな被害ではなかったのだが、ここ最近、イエスの噂が高まるにつれ、徐々にいたずらの度合いも増してきていた。
また、イエスが悪魔払いに高額な料金を吹っ掛けるとか、イエスの機嫌を損ねてしまった病人がひどい目にあって追い返されたらしいといったデマなどもまことしやかに飛び交うようになっていた。
イエスの耳にもそういうデマがちらほら入ってくるようになっていたが、人の口に戸は立てられない以上、放っておくしかなかった。
しかし、そうして放っておけばおくほど、次第にイエスの身に危険が迫っているようだった。
だから、今日もそういったデマに踊らされたならず者達が、イエスの家に向かって罵倒しながら石を投げ入れてきた。
ちょうどその時、弟子のナサニエルがイエスの家を偶然、訪れていた。
イエスと話を終えて帰ろうとしていた矢先、家の外からそんな罵声が聞こえてきて、ナサニエルはイエスに驚いた表情を見せた。
「先生、何ですか、あれ?」
「最近、いつもああなんだ。朝っぱらからやってくるとは、よっぽど暇な人達なんだろう。
放っておけばいい」
イエスがため息をついてそう言うと、ナサニエルはすぐに怒った顔をした。
「何を言っているんです、先生。
侮辱されて黙っているなんて、おかしいじゃないですか。
わたしは我慢できません!」
そう言って、ナサニエルはイエスの制止を聞かず、そのまま外へと飛び出して行った。
「もういっぺん、言ってみろ!
うちの先生を馬鹿にすると、俺が承知しないぞっ!」
ナサニエルは威勢良くそう叫ぶと、門を勢いよく開けてならず者達と向き合った。
門の外で石を投げていた男達はナサニエルの登場に顔を輝かし、嬉々として喧嘩をしようと身構えた。
そこへ、慌ててナサニエルの後を追ってきたイエスが割って入った。
「やめるんだ、ナサニエル。
こんなことをしたって意味はない。彼らを放っておくんだ」
「でも、先生、あんなこと言われて悔しくないんですか?
こっちは別に悪いことなんて何もしちゃいないのに」
ナサニエルは、悔しさから唇を震わせてもどかしそうにそう言った。
「へん。臆病風、吹かしてやがらぁ。
きっと本当のこと、言われて反論もできねぇんだぜ。
おい、本当のこと、言えよ、イエスさんよ。
お前が悪魔払いできるのは、お前がわざと悪魔を呼び寄せて商売道具にしているからなんだろう?
だから、あんなに簡単に追っ払えるんだろう?」
「そうだ、そうだ、絶対に何か裏があるにきまってらぁ!」
ならず者達は仲間が罵声を張り上げる度にやんやとはやし立てておもしろがった。
「それに、こいつを見ろよ。なよなよして気持ち悪ぃ。
きっと穢れたギリシャやローマ人のように男といちゃつくオカマ野郎なんだぜ」
「ああ、そうだ! そうだ!
こいつ、絶対にオカマ野郎だ! ギリシャ人のオカマ宗教を信仰する変態野郎なんだ!」
「そうか、だからかぁ、こういう男の弟子を家に招き入れて朝からよろしいことしているんじゃないんですか?
イエス先生? アハハハ!」
そう言って、ならず者達はイエス達をこけおろした。
結局、いじめの標的は誰だっていい。
その理由も実はあるようでない。
たとえ、イエスが善人だろうと、悪人だろうと、美男、醜男だったとしても、あるいは愚者や知識人であっても、金持ちであっても、逆に貧乏人であっても、いじめる側はその理由はどうだっていい。
ただ、彼らは誰かを標的にして自分の心のうっ憤を晴らしたいだけだ。
いじめる側はただ、“ 誰かを攻撃するためだけに ”それなりに聞こえのいい理由をこじつけ、そして攻撃する。
そうして、自分の心の中の弱さや苦しさを誤魔化そうとする。
本当は自分と向き合い、その弱さを克服すれば楽になれるのに、克服するまでの苦しさやつらさに耐えられず、その場で誰かに心のゴミをぶつけてその場をしのごうとする。
そして、それが心の癖になってくると、なぜか人をいじめたり、責め立てることが何だか正当に思えてきて自分でも正しい事をしているものと勘違いするようになり、段々、その度合いをエスカレートさせていってしまう。
神から与えられた“ 人の心(良心) ”を失うとはそういうことかもしれないとイエスはならず者達を見ていてそう思った。
だから、今更、彼らに道理を説いたところで彼らは“ 聞く耳を持たないだろう ”とイエスにはよく分かっていたが、それでも、もしかしたら彼らの心にも多少、人の心(良心)が残っているかもしれないと思い直し、イエスはとりあえずその場を収めるためにもそれに訴えてみることにした。
「どうやらわたしが悪魔を呼び寄せているとの誤解があるようですが、わたしが本当に悪魔の手先なら、別に追い払う必要はないでしょう?
そのまま呼び寄せてどんどん悪い仲間を増やしていく方がよっぽど悪魔の力も増すし、効率よくこの世界を支配できるんじゃないでしょうか?
あなた方に知恵というものがあるのなら、よく考えてみてください。
わたしがサタン(ヘブライ語の「悪魔」。本来の意味は「人を責めさいなむ者」)なら自分で自分の仲間をいじめて追い出すものでしょうか?
それに、仲間というのは、わたしが好きで、わたしと一緒にいて、わたしと同じようなことをしたがる人を言うのではありませんか?
でも、逆に仲間ではない人ほど、わたしとは一緒にいたがらず、わたしとは逆のことをしたがるものです。
さて、わたしの家にしょっちゅうやってきて、わたしに石を投げたり、罵声を浴びせるあなた方はどっちです?
わたしの仲間でしょうか?
それとも今からわたしの仲間になりたいんでしょうか?」
イエスがそう言うと、彼らは急におどおどして互いに顔を見合わせ、それ以上、何も言わずそそくさと帰って行った。
ああして大人しく帰っていたところからして、どうやら多少は自分達の行為を恥ずかしく思う人の心は残っていたらしい。
イエスは少し安堵した。
だが、すぐさま自分のそばにいるナサニエルに気づくと、イエスは途端に顔を固くした。
「ナサニエル、これだけは忠告しておきます。
これからは決して人の挑発に乗ってはいけません。
わたしは以前、あなた方に説明したはずです。
この仕事をするようになったら必ず、人から嫌われたり、喧嘩を売られたり、誹謗中傷を受けるようになると。
それは一種の誘惑です。
あなたの心や信仰心を試す神の試練です。
サタン(人を責めさいなむ者)は争い事を好みます。
人を不幸や争い事に巻き込んで自分の心にある苦しみや悩みなどの負担を相手に押し付け、その責任を転嫁するのです。
だから、あなたが自分を見失い、彼らと同じように争い事を率先して引き受けたり、人を憎んだり、恨んだりするようになれば、サタン(悪魔)はそれを喜びます。
そして、神はあなたのそんな心をじっと見ているのです。
律法書で預言者エレミアがこう言いました。
― だが、おお、全知全能の主よ、正しく裁くお方よ、
そして心と頭脳を試すお方よ。
あなたはいつも彼らの口にいて、彼らの心からは程遠い。
だが、あなたはわたしをご存知でしょう、ああ、主よ。
あなたはわたしを見て、わたしがあなたのことをどう思っているかを
いつも試しておられるのでしょう。
(エレミア11章20節及び12章2−3節)
神を信じる人は人を憎まなくても生きられることを知っています。
神を信じられる人は、自分が神に守られていると信じているので、相手から不幸や争い事を吹っ掛けられてもその挑発には乗りません。
自分でそれをうまくしのいだり、乗り越えられる知恵や工夫を神から授けられることを知っているからです。
だから、ナサニエル、自分の口に気をつけなさい。
あなたの心がサタンの誘惑に負けて自ら不幸や争い事に陥り、人を責めさいなんだり、恨んだりするようになれば、人の心を失います。
そして、その心は次第に傲慢になってその悪意が人から神へと向くようになるのです。
人への悪口だけでなく、神に向かって悪口を言うようになるのです。
人を恨むだけでなく、神をも恨むようになるのです。
よく覚えておくといい、ナサニエル。
人に向かって悪口を言っても、それは多少、許されるかもしれない。
だが、人が人の心を失い、傲慢になって全知全能の神に向かって悪口を言うことは決して許されない。
その肉と魂、両方が滅ぼされてしまうのだ。
古今東西、未来永劫、この掟は決して変わらない。
だから、あなたにはこれをきちんと警告しておく。
口には気をつけなさい。
言葉というものは、とても怖いものだ。
言葉が人を生かし、言葉が人を殺す。
その口からは、あなたがその心にそれまで描いていたもの、長年、その心に培ってきたものがそのまま飛び出てくる。
だから、それが悪意であれば、必ずその悪意の言葉が飛び出てくる。
恨みであれば、憎しみや殺意が、不倫であれば嘘が、盗みであれば嫉妬が、すべて自分の心の中で培ってきたものが必ずその口から飛び出てくる。
それがその人の肉と魂を滅ぼすのだ」
イエスのその言葉にナサニエルは空恐ろしさを感じた。
まるで自分の心を何もかも見透かされているような、そんな恐ろしさだった。
だから、おびえたようにナサニエルはイエスから目をそむけた。
それを見て、イエスはちょっと声を和らげた。
「悪く思わないでほしい、ナサニエル。
あなたの心に悪意があると言っているわけではないんだ。
ただ、誰だってそうした誘惑に負けてしまいそうになることはある。
だから、それに気をつけておいてほしいだけだ。
わたしはあなたに幸せになってほしい。
それに、あなたがわたしの為に彼らに文句を言ってくれようとしてくれた優しさにはとても感謝している」
イエスがそう念押しすると、ナサニエルは少し照れたように笑った。
「分かっています、先生。
ただ、何だか先生には嘘がつけないなと考えていたんです。
確かに、さっき挑発された時、自分でも気づかないほど腹が立っていました。
先生が止めてくださらなかったら、きっとわたしはあの男の頬をぶん殴っていたと思います。
そうなれば、もっと厄介なことに巻き込まれていたでしょう。
そして、自分が挑発に乗ってしまったためにそうなったのに、それを忘れてどうしてこんな目に会わなきゃならないんだと、人を恨み、世の理不尽さを恨むようになっていたかもしれません。
それこそ、さっき先生がおっしゃっていた、いつしか天をも恨むようになることだと今、気がつきました。
だから、わたしも喧嘩を止めてくださった先生には感謝しています」
ナサニエルはそう言うと、恥ずかしそうに頭を垂れた。
「ハハハ、ぶん殴ると言えば、わたしも一つ、思い出したことがある。
実は正直に告白すると、わたしも以前、カッとなって我を忘れ、飛んでもない事をしてしまったことがある。
エルサレム神殿で行商の出店を壊してしまったんだ。
だが、あれほど後味の悪いものはなかったよ。
しばらく気が咎めて食事が喉を通らなかったぐらいだ」
イエスが自分の失敗談を話すと、ナサニエルは目を丸くして驚いたようだった。
「先生が、出店を?」
「ああ、そりゃあもう派手にね。
その後、サンヘドリンから人が来て、危うく厄介な事になりそうになったんだが、偶然、サンヘドリンの人がいい人だったおかげで事なきを得た。
そうでなかったら、わたしはあなた達と今、こうしていられたかどうか。
だから、あれ以来、自分の短気さをいましめているんだが、これがなかなか難しいものだ」
そう言ってイエスは茶目っぽく片目をつぶって見せた。
それを見て、ナサニエルも声を上げて笑った。
だが、イエスは自分の言った言葉を噛みしめるかのように、すぐにその表情を固くした。
「おそらく、これからはもっと自分の短気さを抑えるのが難しくなるだろう。
それだけサタン(人を責めさいなむ者)の誘惑がひどくなる。
だから、そろそろそれを覚悟して身を慎んでおかないと、な」
そうつぶやいて遠くを見つめるイエスは、既にその時が近づいているのをすっかり予見しているかのようだった。
そして、その予見は確かにこの後、次々と命中していったのだった。