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第三十話 12人の弟子

その時、12人の弟子達にはそれぞれ事情があった。


ヨハネを失ったナサニエルとフィリポは、もうどこへも行くところはなかった。

特にナサニエルは、ヨハネが最後に言った言葉をまだ忘れられずにいた。


― お前達のラビはわたしよりもずっと、ずっと苦しむことになるだろう。

あの方は、お前達には計り知れない試練というものを背負って生まれてきている。


確かにヨハネ先生の言った通りだった。


今、目の前で多くの人がイエスに背を向けて去っていくのを見て、ナサニエルはヨハネの目に狂いはなかったと改めて確信した。



この人との出会いは運命だ。


それは、初めてイエスに会った時からずっと感じていたことだった。

だからこそ、イエスと共に歩む道を自ら選んだ。

なのに、ここでイエスの元を去ったら、それは自分で自分の運命から逃げることになる。

そう思うと、勝気なナサニエルはイエスの顔を真剣な眼差しで見つめ、コクンと首を縦に振ってその決心を伝えた。



フィリポも、親友のナサニエルがうなずくのを見て、慌てて同じように首を縦に強く振った。



ヤコブ・ゼベダイとその弟ヨハネは、どちらかと言えば、マザコンだった。


彼らの母親であるサロメがイエスに執心したのをきっかけに入信したのだが、むろん母親の承諾がなければ、自分達の判断では抜けるとも、抜けないとも決めかねていた。


それに、抜けたところでまた職もなくぶらぶらするだけの生活に戻ったら、それこそ母親が怒りだすだろうと彼らは思った。

だから、イエスに聞かれて、彼らもまた首を縦に振った。



トマスは、12人の弟子達の中でも一番、割り切った考えの持ち主だった。


元々、トマスもヨハネの弟子だったが、どちらかと言うと戒律主義に近い他の弟子達と以前から相容れない気持ちを抱いていた。

それに何より、独立独歩のイエスとは性格的にかなり馬が合うようだった。

突拍子とっぴょうしもないイエスの話にもそれなりについて行っているようで、イエスと一緒にいることは彼にはとても心地良かった。


うるさく戒律、戒律と言われることもないし、説法だって悪くない。

まぁ、多少、熱心すぎる嫌いはあるが、うちの先生は皆が思うほど悪い男じゃないしな。


そう言って、あまのじゃくなトマスはしばらく前からイエスについて不満を口にし出したヨハネの元弟子達とは考えを別にしていた。


だから今、彼らが出て行ったのを見てもたいして動揺していなかった。

イエスに残るかどうかを聞かれた時も当然、にっこりと笑って見せた。




ヤコブ・アルファイとその息子タダイは、イエスの亡き父ヨセフの実兄だったアルファイの息子で、タダイはその孫にあたる。

つまり、イエスにとっては従兄いとこと、いとこ違いだった。


ヤコブも、以前はヨセフ一家や彼の父と共に大工を生業にしていた。

しかし、身体を患ったヤコブはそれまでの大工の仕事を失い、入信と言うより、イエスがそのまま彼を引き受ける形で宗派に属していた。


もはや職につけないヤコブにとって、イエスの元を去るのは死活問題だった。


息子タダイはまだまだ育ち盛りの思春期の子供だったし、家には妻と年端もいかない幼子と赤ん坊がいた。

だから、他の弟子達が去ったとしても、彼はイエスの傍を離れるわけにはいかなかった。




元は徴税役人だったマタイは、イエスの元を去って再び徴税役人の職に戻りたくはなかった。


顔がいかつい割には押しの弱いマタイは、交易の関税を徴税するために設けられた仮小屋に腰掛けながら、それまではくさるだけの毎日だった。

自分の前を通る商人達から税を徴収しようにも、海千山千の口の達者な商人達にまんまと言いくるめられ、結局、税を取り損ねるか、反ローマ主義の粗暴な若者達からからかわれ、いたずらされたり、時には金まで盗まれて散々な目にあっていた。


だから、自分には、この仕事はまるっきり向いてない。

といつもマタイはため息をつくばかりだった。


だが、そうは言っても、これ以外にする仕事など今は何も無いしな。

まぁ、どこへ行ってもこんな世の中じゃ、変わり映えはしないさ。

働かせてもらっているだけ、有り難いってもんだ。


徴税役人だった頃のマタイは、そう言って自分を慰めるしかなかった。

彼の人の良さは天下一品で、それだけが彼の取り得と言えば、そう言えた。

だから、悪いことはしない代わりにそれほど出世もできなかった。


そんな彼の前にイエスは突然、現れたのだった。


彼が相変わらず商人達から馬鹿にされ、ため息をついて仮小屋の席に戻った時、イエスがニッと彼に笑いかけてきた。

「わたしと一緒に働きませんか?」

なぜ、イエスに自分の思いが伝わったかは分からなかった。

身も知らないイエスについていくのは無謀だったかもしれない。

でも、マタイにはそれこそ神から与えられた絶好の機会のように思えた。

だから、誘われた時もためらわずについて行ったが、皆が去った今もイエスから離れる気にはならなかった。


それに、イエスを自分の家に招いた時、徴税の仕事を忌み嫌うファリサイ派の連中にイエスが何て言ってくれたかをよく覚えていた。

「人に道を説く男が、税の取り立て屋のような人々を苦しめ、悪を行なうローマの手先と一緒に歩いているなんて!」とファリサイ派の連中はイエス達を見て、不当に怒鳴ってきた。

すると、イエスはきっとした目でその連中をにらみ、

「誰が一体、本当の悪を行なっているのか、外見だけで私達に分かるはずないでしょう。見た目が健康そうな人に医者は要らないんです、特に本物の医者は。

見た目よりその心の奥底が苦しんでいる人ほど、本当の医者が必要です。

神はおっしゃいました、

『わたしは情けというものが欲しいんだ、生贄よりも』(ホセア6章6節)と。

だから、わたしは見た目は善を振りまき、生け贄を神に捧げて満足している健康そうな人を自分のところへ呼ぼうとは思っていません。

むしろ、自分の罪や間違いをかえりみながら心から悩み、苦しんでいる人達とつきあいたいと思っています」


正直、イエスが何を言いたかったのかその意味は分からなかった。

だが、自分の職業のせいでそれまで何も言い返すこともできなかったマタイにとって、イエスがしっかりと彼をかばってくれたことが何よりも嬉しかった。


だから、マタイはイエスから決して離れようとは思わなかった。




シモンは、熱心党という政党に所属する政治活動家で、実はローマ軍から狙われているお尋ね者だった。


“ 熱心党 “とは、“ 神のために熱狂する ”というスローガンの下、ユダヤ社会におけるローマ人をはじめとする外国人排斥とローマの徴税制度の廃止を目指す政治および宗教グループの一つで、時には武力に訴えてでもその目的を行使しようとする狂信的なカルト集団でもあった。


イエスが生まれた頃ぐらいにローマ皇帝アウグストゥスに反対してナザレから約7kmほど離れたサフォリスという街で大きな暴動事件があった。

サフォリスは、富裕層の多くが住むガリレー地方の古都で、ここにローマ軍の軍事基地が駐留していて、これを武装集団が襲ったのである。


この時のリーダーであったユダ・ガリレーという男が、その仲間と共にその後も絶え間ない武力闘争を続け、その結果生まれたグループの一つが熱心党だった。

この熱心党の他にもシカリ(「短剣男」の意)という別のグループは、熱心党の思想からさらに暴力的に崩れていき、彼らは、そのふところに短剣を忍ばせながらエルサレム神殿への参拝客を装ってローマ兵や富裕層を狙い、彼らを刺し殺すと、今度は大声で泣き喚いて犯した罪を懺悔ざんげすることで逃れようとする卑劣なテロリストグループだった。


イエスが洗礼活動を始めた頃には、既にこういったテロ活動によって10万人以上もの犠牲者が出ていて、ユダヤ総督のピラトのみならず、ガリレーのヘロデにしても、これらの狂信グループにはいつも頭を悩ませていた。



そんな過激なグループに属していたシモンが、どうしてイエスの元に入信したかというと、イエスのところがお尋ね者の彼にはちょうどいい隠れみのになるからだった。


それまでは教義や反ローマといった意見で一致するファリサイ派の連中や、その他のグループの友達にかくまってもらっていたのだが、そこだとかえってローマ兵に目をつけられやすくなる。

だから、シモンにすれば、奇跡騒ぎで注目の集まるイエスの元にいた方が、上手く敵の目を自分からそらすことができただけでなく、イエスの宗教活動でガリレーやユダの地方を自由に回れることは裏の政治活動においても都合が良かった。




そのシモンより少し前にイエスに入信したユダ・イスカリオテも、実はかつてシモンと同じ熱心党の仲間だった。


とはいえ、ユダはそれほど党の活動に熱中していたわけではない。


人から頼まれると嫌と言えない内気な性格で、病気の妻を抱えていた時に作った借金を肩代わりしてくれた友人がたまたま党に所属していて、その知り合いに頼まれるままユダは熱心党に入党したのだった。

だが、さほど政治的思想もなければ、暴力的な嗜好しこうもないユダにとって、年々、過激になっていく党の活動は次第に苦痛になり、少し前に娘の病気を理由に党を脱退したのだった。


娘の病気も嘘ではなかった。


イエスに入信したのも、実は娘エスターのためだった。

ユダの妻も身体が弱かったが、エスターも妻と同じように身体が弱く、病気がちだった。

そんな時、ユダは人づてでイエスの話を耳にした。


ユダが人から聞いた話というのは、こうだった。



それは、イエスがたまたまカナで結婚した妹を再び訪問した時のことだった。

妹の婚家に泊まっていたイエスのところへ、わざわざクファノウムからある貴族が訪ねてきた。

イエスが奇跡を起こせる男だというちまたの噂を聞きつけて、病気で死にかけている息子を助けてもらおうと、クファノウム中をあちこち探し回り、クファノウムにいないと分かるとわらをもすがる気持ちでカナにまでイエスに頼みに来たのだった。


だが、その貴族に会ったイエスはすぐに顔をしかめた。

「あなたにしてもそうだが、人と言うのはすぐに病気や死を忌み嫌い、それを治癒してくれる力が奇跡だと思っている。

だから、あなた方はそういった奇跡のしるしや不思議な体験をしないと、何かを絶対に信じられないんでしょうね」

そう言って、イエスはため息をついた。


貴族の方は、イエスの言葉など聞いてはいなかった。

ただ、我が息子の病気を治せるのはもはやこの男しかいない、と信じて疑わなかった。


「先生、お願いです。

すぐにわたしと一緒に来て下さい。

息子が死ぬ前に、どうか診てやってください。

お願いです」

貴族の男は必死だった。


イエスはその男の顔を見つめながら、もう一度、深いため息をついた。

「帰っておあげなさい。

あなたの息子さんが死にかけているのなら、あなたがそばにいてあげないと。

あなたが帰ってあげれば、“ 安心して ”息子さんは生きられるでしょうから」

イエスにはこれだけしか言えなかった。



来るべきところが間違っている、とイエスは思った。

頼るべき相手も間違っている、とも思った。


そもそも、人は必ず死ぬ。

それが若いとか、年寄りに関係なく、一人一人、あらかじめ神に大体の時を定められて生まれてくる。

中には、殺されたり、傷つけられたりしてその予定を縮めてしまうこともあるだろうが、どちらにしろ、死ぬのは皆、同じだ。

それがそれぞれもって生まれた使命ということもできる。



寿命は、親と言えど、子と言えど、おかさざるべき領域である。



ただ、我が子を、我が親をできるだけ長く愛し、一緒に過ごしたいという“ 真心 ”は神に通じることはある。

だが、それはその人自身の真心が神に働きかけ、力を尽くして起こす奇跡であって、医者はその情熱に力添えはできても、医者や医術が奇跡を起こしているわけではない。

ましてや、霊媒師や僧侶などといった身も知らないいい加減な他人にわざわざ我が子や我が親、もしくは自分にとって大切な人の命を託そうなどと考える方がどうかしている。



そんなことをしている間にその大切な人と過ごす“ 時 ”を逃してしまう。


人はお互い、神から与えられた限られた時間の中で共に楽しく過ごすために生きている。

なのに、中にはその幸せを自ら放棄しようとする人がいる。



それを愚かと呼ばずしてなんと言うのだろう・・・?


イエスのそんな気持ちにはまったく気づかず、貴族はイエスの言った言葉を勝手に解釈して真に受け、イエスが何らかの奇跡を起こしたものと勘違いして急いでクファノウムへと帰って行ったのだが、その途中、彼に知らせが入って彼の息子はどうやら助かったようだった。

「何っ? 意識が戻った、とな?」

貴族はクファノウムからやってきた使いの者から知らせを聞いて喜びで声をはずませた。

「はい。昨日の7時頃ですか、急に熱が下がり始めまして。

坊ちゃまは確かにお加減がよろしくなったようでして」

早く知らせを伝えようと、使いの者は早朝からずっと走ってきたためその疲労の色は隠せなかったが、それでも主人のうれしそうな様子にほっとしたように顔を和ませた。


「昨日の7時とな?・・・おおっ、それはわたしがあの男のところにいたのと同じ時間だっ!

何と、不思議な。あの男は確かにわたしにこう、言った。

『息子さんは生きられるでしょう』と。

すると、どうだ?本当に助かったではないか!

おお、やはりあの男が奇跡を起こしたのだ。

イエスはやはり、奇跡を起こせる男なのだ」

貴族の男はそう言って涙にくれて喜んだ。

それを見て、使いの者もそれを信じた。



そうしてその話はクファノウムからユダヤ中を駆け巡り、ユダの耳にも聞こえてきたのだった。


単なる偶然だった。


いや、神の思惑で、運命的にそういう風に解釈されて噂されるよう最初から定まっていたのかもしれないが、人々はそれがイエスの起こした奇跡のすべてだと信じた。


そして、その一人がユダ・イスカリオテでもあった。


だから、今、イエス自身がユダの求める“ 奇跡 ”を徹底的に否定しても、ユダにはそれがどうしても信じられなかった。




そんなはずはない。


この人には病気やデーモンを追い払う力があるはずだ。

この人はきっと、自分の持って生まれた力を謙遜しているに違いない。

そのうち、きっとわたしの娘も治してくれるはずだ。

ユダの心には、人々が噂する奇跡にすがる気持ちがまだ残っていた。


だから、彼もまた、イエスの元に残ることにした。


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