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第二十六話 水の上を歩く奇跡

帰り支度を始めた大勢の信者達は、そのどやどやした雰囲気の中でイエスがどこかに消えたのに気づかないまま雨が本格的に降ってくるのを恐れ、元来た道を急いで戻って行った。

幸い、彼らのほとんどは山のふもとに住む漁師や農民達だったので、それほど帰路に難儀はないのだが、中にはクファノウムの中心街に住む者もいて、彼らの場合は少々、問題があった。



この当時、イエス達が住んでいたクファノウムというところは、ガリレー海岸の北西に位置し、ダマスカスからエジプトまでの地中海交易ルートである“ ヴィア・マリス ”(海への道)の中継点として栄える人口約1万人ほどの中堅都市だった。


ガリレー湖を舟で10kmほど南に下れば大都市ティベリウスに行くことができ、さらに、東に流れるヨルダン川を北上すれば地中海沿岸地域にも広く荷物が運べる主要輸送経路の一地点だった。

また、こうした水上交通の至便さだけでなく、シリアやフェニキアといった北方ローマ帝国の各都市にも通ずる幹線道路にも接続しており、そのためクファノウムは、主にローマ兵や交易商人を相手に地元でとれた農産物や魚貝類を売るなどしてその経済が成り立っている、開かれた自由貿易都市でもあった。

しかし、外国人の行き来は激しくてもそのほとんどは通り過ぎるだけが目的で、北に丘陵のような小さな山々が連なり、そのふもと辺りからガリレー海(湖)岸沿いに向かって街が大きく拡がっているだけで、クファノウムはどこかしらこじんまりとした田舎臭さがあった。


そのため、エルサレムやティベリウスのような大都会の殺伐さつばつさがない代わりに、椅子付の籠(現代で言うタクシー)や馬車(現代だとバスのようなもの)、定期的な渡し舟(定期船)といった市内交通が大都会ほど頻繁に行き交っているわけではなかった。

(ちなみに、公共交通は古代ギリシャや中国などで既に行われていて、中でも海や川の渡し舟はBC4~5世紀頃から行われていたと見られている。

現在、日本のお葬式でよく見かける三途さんずの川の渡し賃を死者に捧げる習慣は、元々はギリシャ神話に出てくるカロンという冥界の船頭の話から来ている。

死者の口にコインを入れてカロンに船賃を渡さないと、いつまでも冥界に行けず、この世をさ迷うという伝説は、こうした市内交通の一般的普及から生まれたものと思われる)


しかも、イエスと信者達が互いに出会えた場所は、クファノウムの中心街から4~5kmほど西に離れた、“ タブガ ”(ギリシャ語では“ ヘプタベゴン ”と呼ぶ。アラビア語で「7つの泉」を意味する言葉をもじっている。その名の通り、現在でも水と魚が豊富な場所である)というところで、そこからさらにイエスは山へと登っていたため、こんな日も暮れた頃にクファノウムの中心街に戻らなければならない者達は、まず徒歩で山を下りた後、タブガの港からわざわざ自分達で舟を漕いでクファノウムまで戻らなければならなかった。


もちろん、イエスや弟子達も皆、クファノウムに住んでいたので、家に帰るには同じく舟を利用するしかなかったのである。




ところで、そのイエス達の家はと言うと、クファノウムの中心街にあった。


クファノウムは、漁船や輸送船などが常駐している港に面して幅の広い大通りが一本、東西に伸びており、そこから北の山々に向かっていくつもの通りや路地が交差していて、そうした通りや路地沿いに四角い箱のような住居が所狭しと建てられていた。


この頃の住居は、家や塀で囲った区画内に数世帯が長屋を構成し、区画内に住む者は皆、一つのゲート(門)を通って出入りするようになっていた。

イエスが住んでいたのも、クファノウムの大通りからさほど遠くないそんな住居の一つだった。


イエスの一番弟子となったペトロとアンデレ兄弟は、故郷であるベサイダに近いということもあってクファノウムをよく知っていたため、イエスに従ってクファノウムに引っ越して来て以来、イエスの家族と同じむね(=区画内)で暮らしていた。

だから、ペトロが弟子達のリーダーを勤めるようになっただけでなく、イエスの日程スケジュール管理から宗派の活動内容、その他の事務全般を彼ら兄弟が引き受けることとなり、言うなれば、ペトロとアンデレ兄弟はイエスの私設秘書のような役割を果たしていた。



しかし、その私設秘書であるはずのペトロとアンデレが、今は教祖であるイエスの姿をすっかり見失っていた。



信者達が帰ってから、そろそろ弟子達も引き揚げようとなったところで、フィリポがイエスのいなくなったことに気づき、弟子達全員が手分けしてそこらじゅうを探し始めた。


しかし、結局、イエスは見つからず、夜の闇が落ちて雨も激しくなってきそうなので、彼らはとりあえず山を下りることにした。

山に残してきたイエスのことはさすがに心配だったが、彼はしょっちゅう「一人にして欲しい」と頼むので、いつもの事だろうと仕方なしに帰ることにしたのだった。




なぜ、ああまで自分達に打ち解けてくれないのだろう、とペトロはもちろん、他の弟子達もイエスのことをよそよそしく感じていた。

特に、ヨハネの元弟子だった者は皆、イエスとヨハネのあまりの違いに戸惑いを隠せなかった。


激しい喜怒哀楽ぶりとお節介なまでに人の世話を焼くヨハネに慣れていたせいもあって、ヨハネの元弟子達には、イエスの独立独歩マイペースな姿勢があまりにも冷淡なように思えたのだった。


それに、イエスの説法は時々、彼らには訳が分からなかった。



今日だって、そうだ。と、ペトロは思った。


ヨハネ先生の弔辞ちょうじを述べていたかと思えば、突然、塩だの、神の愛だのと言い出すし・・・。

しかも、皆の食事を買って来いとか、せっかく供物としてもらった食料を皆に配ってしまうなんて。

それでなくても、私達の活動収入はあまりかんばしくないのに・・・。

だったら、気前のいい人なのかと思ったら、そうでもない。

弟子達の給金には無頓着な上、大しておごってくれるわけでもない。


それにしても腹が減ったなぁ。あれだけじゃ、全然、足りないよ。

家に食い物が残ってたらいいんだが・・・。



ペトロは、そんなことを考えながら、疲れた身体を引きずるようにして弟子達と一緒に山を下りていった。

タブガの港までたどり着くと、雨はいっそう強くなってきて、強い風がなぐりつけるように吹いていた。

ガリレー湖は天候が変わりやすいせいか、突然、嵐に襲われることも多く、漁の舟が時々、波にのまれてしまうことがあった。

もちろん、元漁師だったペトロやアンデレは、そんなガリレーの海を知り尽くしていたため、この天気の変わり様が尋常ではないことにさっきから気づいていた。



「とりあえず、早く舟に乗れっ! 今なら何とかクファノウムまでたどり着ける」


ペトロは弟子達にそう指示して、舟を停泊させている浅瀬まで急いで行こうとした。


だが、ガリレー湖岸は、玄武岩げんぶがんを始めとした火山岩がごろごろと横たわっていて、海岸沿いから浅瀬に行くにはなかなか歩きにくいところだった。


元々、ガリレー湖は、3500万年前、アフリカプレートとアラビアプレートの岩盤のずれによって生じた“ グレート・リフト・バレー(大地溝帯) ”と呼ばれる巨大渓谷の一部であり、溶岩マグマが急激に冷えて出来た火山岩がこの辺りでは数多く産出されていた。

ちなみに、グレート・リフト・バレーとは、アフリカ大陸のモザンビークから世界で最も海抜が低いとされる死海(マイナス400m)を通り、シリアの北方までの南北約5000kmを結ぶ渓谷けいこくのような地形のことであり、この地溝帯付近では人類の化石が多数、発掘されたため、“ 人類誕生の地 ”とも言われている。




ペトロ達が慌てて湖岸から浅瀬へと渡り出した時には、辺りはもうすっかり夜の闇に包まれていた。

分厚い真っ黒な雲が月の光をさえぎり、足元さえおぼつかないまま彼らは恐る恐る水底に横たわる石で転ばないようできるだけ急いで渡っていった。

そうして、ようやく舟までたどり着いた頃には、さらに天候は悪化していて、彼らの体を今にも吹き飛ばさんばかりの強い風が吹き荒れていた。



まずいな、とペトロは思った。

このまま舟でクファノウムまで戻れるだろうか?



しかし、たった1パラサン(注釈1)(約5.6km)先ぐらいなら、何とかたどりつけるだろう。

ここでじっとしていてもらちがあかない。



とりあえず必死に舟を漕げば何とかなる。

何せ、これだけの人数の男達がそろっていて、できないことはないさ。


迷いはしたものの、ペトロはそう判断した。

さっきまで遠くに聞こえていた雷の音が、今では自分達の耳をつんざくほど近くで鳴っている。

そのうち、目の端にピカッと光るものまで見えた。




「よし、皆、急ぐんだっ!」

それでもペトロは舟を漕ぐことを決めた。


まるで自分達の強さを誇示してどこまでも嵐にはむかってやろうとするかのように、ペトロは大声で弟子達をせかした。



そんな激しい嵐に逆らって何とか舟を押し出したものの、彼らが舟に乗り込むと嵐はいっそう強さを増し、かいを持つ皆の手が重みと寒さでジンジンとしてきた。

嵐は容赦なく、彼らをたたきつけるかのように吹き荒れ、水が荒々しく波立っていた。


彼らは櫂をさす度に力がどんどんなくなっていくような気がしたが、それでも汗をにじませながら必死に舟を漕いでいた。

そのうち、額から流れる汗が顔を叩く雨に混じって目の中に入り、彼らは目の前にいる仲間の背中すらまともに見えなくなっていた。

そんな有様で舟を漕いでいたため、周囲がよく見えないペトロは舟を漕いだ数でクファノウムの港までの距離を測っていた。


そして、そろそろクファノウムの港まで近づいてきたと思った瞬間、ペトロは突然、ボオっとした火の玉のようなものが宙をさ迷っているのが目に入った。




「ひぃっっっ!」

ペトロは思わず、声を上げた。


その声に驚き、目の前で櫂を漕いでいたアンデレとフィリポがペトロの見ている方向を振り返った。



怪しい火の玉がチラチラと燃えながらこちらに向かって近づいてくる。



「ひゃぁああああああっ! ゆっ、幽霊がこっちに向かってやってくるっ!」

フィリポはそう叫ぶと、全員が驚いて振り返った。


確かに火の玉と共に真っ黒い人影が立っているのが皆の目に映った。

そして、その人影はゆっくり、ゆっくり火の玉と一緒にこちらに近づいてきているようだった。



「まっ、魔物だっ! 私達を水底に引きずり込もうとする魔物が現れたっ!!」

今度はアンデレが叫ぶと、大の男達は皆、怯えきってあわてて舟から下りようとした。


そこでピタッと、火の玉と一緒に立っていた人影が彼らの前で止まった。





「怖がることはない。わたしだ」




その途端、皆の目に松明に照らされたイエスの白い姿が浮かび上がった。

ペトロはそれに気づき、ようやくその人影がイエスだと分かった。



しかし、人影がイエスと分かって安堵あんどしたのもつかの間、今度は彼が目の前に現れたことにもっと驚いた。





なぜ、この人は海のど真ん中で立っている?





ペトロはポカンと口を開け、信じられないと言わんばかりに目を見開いてイエスを見つめていた。

それでも、嵐と格闘して疲れきっていたせいか、深く考えるより早くクファノウムの港に着きたい一心で、彼らはイエスを舟に乗せ、再び櫂を漕ぎ出した。


すると、さっきまで激しかった嵐が急に止んで今度は追い風になり、楽に櫂がこげるようになったかと思ったら、いつの間にやらクファノウムの港にたどり着いていた。

皆、イエスが沖のど真ん中で立っていた不思議な出来事にはまったく触れず、ひたすら早く帰って眠りたいとばかりに家路を急いだ。



ペトロも仰天していたものの、疲れてそれについて尋ねる気さえ起きなかったので、港からイエスと一緒に家に戻ってくると、すぐさま寝床に身を投げ出し、朝までぐっすりと寝入ってしまった。




翌朝、昨日の嵐など微塵にも感じないくらい空はすっかり晴れ上がっていた。


ペトロはまだ寝床でうつらうつらしていた。

朝方の浅い眠りの中で、彼は夢を見ていた。




嵐の中を必死に舟を漕いでいる自分の前にイエスがどんどんこちらへと滑るようにして波の上を歩いてくる。



自分をさげすむような無表情のイエスの顔が段々、覆いかぶさんばかりに大きく迫ってきたところで、ペトロは驚いてハッと目が覚めた。





あれは・・・、あれは一体、何だったんだろう?


ペトロは寝床の上で頭を抱えた。


確かに、彼は海の上を歩いてやって来た。

でないと、どうやって私達の舟にまでたどり着けるんだ?

既に大分、舟を漕いでいた。

あそこから私達の舟にまでやって来るとなると、かなり沖まで出てこないと無理だ。

だったら、どうやって・・・・?


そこで、はたと思いつき、ペトロは寝床から飛び降り、急いで服を着替えてクファノウムの港にまで走って行った。


そこにはペトロ達の舟があった。

そこから沖を見渡しても、どこにも舟は漂っていなかった。


第一、舟を借りたのなら、持ち主に返さないといけない。

だが、彼は私達の舟にまでやってくると、ためらいもせずに乗り込んできた。



借りた舟を海のど真ん中で勝手にほったらかして別の舟に乗り換えるわけはないしな。


ならば、タブガまで行く時に初めに借りた舟で私達の舟にまで漕いできたわけではない。

まして、たった一人で数人の男達が漕いでいた舟にまで追いつけるわけがない。

あの嵐の中を一人でなんて・・・。



じゃあ、どうやってあそこまで来れたんだろう・・・?


ますます分からなくなった。




まさか、そんな馬鹿な。

そんなことがあるわけない。

海の上を歩くなんて・・・。


そんな奇跡みたいなこと、起こりっこない。


でも、だったら、どうしてあの人は私達のところまで来れたんだろう?


ペトロは何度も何度もあの場面を思い返してみたものの、どうしてもその謎が解けなかった。






(注釈1)

パラサン(=Parasang)・・・当時の距離単位の一つ。日本の古い距離単位である“ 一里いちり ”のようなもの。ペルシャなどの中東で古くから使われていた。

ちなみに、海里のような海の距離を測る時は、ギリシャ語のスタディア(=Stadia)が一般的だった。そのため、新約聖書の記述にはスタディアが用いられている。


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