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第二十五話 山上の奇跡(2)

「わたしが今、お話ししたことは、とても大切なことです。

ヨハネ先生は、“ 人として ”その心に宿した愛の火を燃やし、その愛の光を多くの人々に届けてくれる美しいランプでした。

だから、私達は目に見えて明るい彼の光をでて、喜びました。

でも、わたしが今、お話した愛は、そういった人の愛とは比べ物にならない、もっと根本的で、もっと大切なものです。

この天(宇宙)と地(地球)の主であり、私達、万物の御父である“ 神 ”は、その深い愛と情けでもって世界中の人々に神の存在を知らしめ、愛と希望を、そして“ 真実の光 ”を届けるよう命じて、“ イエス(「神が救う人」の意) ”という名を持つこのわたしを、この一つの生命をこの地上に送ってくれました。

だから、わたしはヨハネ先生のような人の愛とは違う、偉大な神の愛について皆さんにお話しようと思います」


すると、さっきまでの穏やかな空気が一変し、どんよりとした雲が立ち込め、そのうちゴロゴロと大きな雷の音が遠くで鳴っているのが聞こえてきた。

涼やかな風が急に強くなってきて、人々は少し寒さに身を震わせながら、それでもイエスの話に熱心に耳を傾けていた。

イエスは、雷の音を気にせず、そのまま話を続けた。


「ですが、ヨハネ先生は、生前、神が人に与えた教えをそのまま体現されておられた、すばらしい方でした。

だから、私達は皆、彼を慕ったのです。

私達、人は、たとえるならこの地上(地球)における塩のようなものです。

だから、なくてはならないものであり、味わい深い存在でもある。


でも、その塩が塩らしくなくなったら、一体、どうして塩だと呼べるでしょう?

愛や情け、人らしい理性や道理を持たず、悪意しか持たなくなったら、その人は嫌われるか、憎まれるか、あるいは捨てられ、踏み潰されるだけです。

結局、その人は愛や幸せ、希望を得ることなく、ひたすら争いや憎悪、苦しみといった地獄の闇の中で生きるしかなくなるのです。

だから、愛の光を忘れないでください。


神が私達の心に与えた、愛を、善を、真実を、理性を失わないでください。

それが“ 人 ”と呼ばれる生き物です。


そうして一人一人が、ヨハネ先生のように周りを明るく照らす光になれば、この世はまさしく天国になります。

皆さん、一人一人が神からその心に与えられた愛の光を放てば、必ずやお互いを認め合い、助け合えるはずです。

そして、誰もがその放たれた愛の光を見て、それぞれの良さを知り、それぞれをこの地上に送ってくれた神に心から感謝できるのです。

だから、ヨハネ先生はその神の教えをちゃんと実践されておられた立派な方でした。

私達は皆、ヨハネという一つの命と出会い、彼の光によって幸せになりました。

これすべて、神からの恩恵でなくてなんでしょう?」



イエスがそこまで話し終えた時、そろそろ夕闇が近づいてきてどうやら雨が降りそうになってきた。

弟子達はそれに気づき、寒さに耐えながらじっと耳を傾けている信者達よりも先にそわそわし始めた。

そこで、弟子のリーダーだったペトロはイエスの隣にいたフィリポに目配せした。

すると、フィリポはおずおずとイエスにこう切り出した。


「イエス先生、そろそろ引き上げませんか?

空もあんな風ですし、それにここは人里離れた場所ですので、食べ物を今から買いに行くのにも時間がかかります。彼らもそろそろ食事時ですから」

フィリポにそう言われて、イエスは初めて弟子達の様子に気がついた。

彼らはどうやらイエスの話よりも信者達の機嫌の方を心配しているようだった。

そこで、イエスは少し顔を硬くした。


「彼らの食事を私達で用意してあげるには、どこで買えばいいんです?」


イエスがそうフィリポに尋ねると、フィリポは目を大きく見開いて信じられないとばかりにイエスを凝視した。

「先生、そんなの無理ですっ!

私達が8ヶ月間、毎日、働いたって、私達の活動収入だと彼らのパン一切れにもなりませんっ。買えるわけないじゃありませんか!」

すると、横からペトロの兄アンデレが、

「ああ、そうだ。

子供が小魚2匹と大麦パンを5斤を持ってきてくれて、私達にどうぞと言ってくれましたけど。

でも、これだけじゃあねえ。

この人数でこれだけを配ったところで、皆、食べた気にもならないですし・・・。

だから、これは“ 私達だけ ”で頂くとして、とりあえずここを早く引き払って皆を家に帰してあげた方がいいんじゃないですか?」

とイエスとフィリポの話に口をはさんだ。

イエスはしばらく二人の顔をじっと見つめていた。

だが、すぐに信者の方を向き直った。


「皆さん、今、ここにとても働き者で心優しい少年が来ています。

彼は自分と両親が一生懸命、働いて稼いできた魚とパンを私達に食べてくれ、とわざわざ持ってきてくれました。

さぁ、皆さん、これからこれを皆さんにお配りしますので、どうか存分に召し上がってください」

イエスは原っぱで座っていた信者達にそう語りかけ、バスケットを持って立っていた少年に優しく微笑みかけながら礼を言った。


そして、天を見上げてこう言った。


「神よ、わたしはあなたを心からたたえます。

あなたはこの地上を作り、私達に自然の恵みを与えてくださった。

そのおかげで、私達は、麦を刈ってパンを作ったり、海で魚を捕ることができるようになりました。

その自然の恵みに感謝します。

また、麦からパンが作れるようになったり、網を使えば魚が簡単に獲れるというすばらしい知恵と技術を人に与えてくれたことにも感謝します。

そして、何よりも自分達で懸命に働いて得た食料を、自分と家族のみならず、周囲の人々にも惜しみなく与えようとしてくれる、そんな愛の心を持った少年をこの地上に送ってくださったことに、その少年に私達が出会わせてもらえたことに心から感謝します。

ありがとうございます。

ああ、神よ、私達の生を支えるために様々な生命いのちが織り交ざるこの食べ物を与えてくださって本当に、本当にありがとうございます」


そう言い終わると、イエスはバスケットの中からパンを一斤、取り出し、傍にいた信者の一人に回した。

そこで、イエスからパンを受け取った信者は、戸惑い気味にそれをしばらく見つめた後、ほんの欠片かけらだけをちぎり取り、すぐに自分の横にいた信者にパンの大部分を手渡した。

すると、それを渡された信者も一欠けらだけちぎり取って、また残ったパンを別の信者へと渡していった。

そうして、原っぱにいた人々は皆、イエスや弟子達から配られたパンを手にしてはほんの少し口に入れるだけで、その残りの大半を他の人へと回して行った。

もちろん、魚もパンと同様、一口だけ食べ終わると、すぐさま次の人へと渡して行った。


だが、誰もそれについて何ら不満を言うことはなかった。

むしろ、何とも言えない、心地よい満足感が胸いっぱいに広がり、これまでに味わったことのない美味おいしさが口の中にも広がっていくようだった。




「ああ、美味おいしい」

年老いた女信者が感慨深げにそう言うと、皆がそれに同調してうなずき合い、お互いそれを見て笑い合った。


なごやかで、幸せな時間が過ぎて行った。


さっきまでの寒さや空腹感など微塵にも感じなかった。

だから、原っぱにいた人の数からしてどうにも足りないはずのたった5斤のパンと小魚2匹が、皆に配り終わった後もなお、いくらか余るぐらいだった。



それを見て、一人の女信者がつぶやいた。

「あの方は、やっぱり生まれ変わりよ。

ヨハネ先生も預言者様の生まれ変わりだったけど、イエス先生もきっと偉大なる預言者エリシャ様の生まれ変わりなんだわ。

だって、ほら、預言者エリシャ様の話にあったじゃない?

エリシャ様が大麦パン20斤を持ってきた男に、

『彼らはそれを食べ、そしてそれは余るだろう』(2列王4章42節)って主の御言葉を伝えたって話よ。

だから、ほら、律法書のあのお話通り、イエス先生もそれをして見せたわ」

「確かに、その通りだ。

これは奇跡かもしれない。これだけの人を、あの少ない食べものだけでもてなすなんて。

お互い少ない食べ物を皆で分かち合えた。

それがこれほど美味しくて、楽しいものだと思わなかった。

しかも、誰も食事にケチをつけられない。

何せ、神様からのお恵みなんだから」

「本当に。あれだけしか食べていないのに、何だかお腹も胸も一杯になって。

それに、こんな普通の大麦パンがこれほど美味しいものだったなんて、わたし、知らなかったわ!」と女信者がそう大げさに言うと、皆、ぷっと吹き出してお互い、また笑い出した。

「いずれにしろ、こんな奇跡を見せてもらったのだから、ヨハネ先生がいなくなった今、これからはぜひ、イエス先生に従おうじゃないか、なぁ、皆!」

「そうだな、あの方がこれからは私達の救い主様になってくださるだろう。

何せ、私達を助けてくださっていたヨハネ先生はもう、いらっしゃらないのだから・・・」

そう一人がこぼすと、皆、再びしんみりとした。



それを聞いて、イエスはさっきまでの暖かい気持ちがスッと消えた。


そういうことか・・・。

イエスは少し合点がいった。



彼らが最初にここに来たのも、何もイエス自身を認めていたからではない。

ただ、自分達を救ってくれそうな別の誰かを求めてきたからだ。


ヨハネがいなくなった今、彼らが頼れる人はもう、この世にはいない。

彼らを目に見える形で救ってくれそうな救世主メシアまたはキリストはいなくなった。


だから、また別の“ 誰か頼れそうな人や物 ”を求めていたに過ぎない。

ついでに、わたしが噂通り、奇跡を起こせる人物かどうかも見定めに来たのだろう。



「ここに来て、本当によかったわ。こんな奇跡を見られるなんて。」

そうまた、信者の一人がつぶやくのを耳にして、イエスはいっそう寂しくなった。



彼らは、わたしの奇跡の徴を待っていたのだ。

なぜ、それほどまでに奇跡を欲しがるのだろう?

あなた達、一人一人が生きていること自体、既に奇跡ではないか!

それぞれが、それぞれの生を生きて、神がそれぞれに合わせて毎日、様々な人やものを与えてくれている。

それで十分、奇跡ではないか。

後は、お互い助け合えばいいだけだ。

救世主を待つ必要なんてない。


お互いがお互いの愛を出し合えば、それがお互いの救いになる。


なぜ、それにあなた達は気づかない。

なぜ、あなた達は自分達、それぞれに満足しない?

ああ、わたしには分からない。

どうすれば、あなた達に心から信じてもらえるんだろう?





一体、どうしたら、“ 神がいること ”に気づいてもらえるんだろう・・・?





そう思うと、イエスは急に一人きりになりたくなった。

その時、弟子達の予想通り、雨がぽつぽつと降り出して、そろそろ皆、引き上げざるをえなくなった。

イエスは、彼らが帰り支度を始めると、再び誰にも何も告げず、そっとその場を離れてまた一人、山の奥へと歩いて行った。


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