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第二十三話 報い

ハスモン宮殿の中庭に連れて来られたイエスは、僧侶やサンヘドリンのメンバー達の前に引き出され、そこで裁判長であるヘロデが現れるのをしばらく待つことになった。


ここでヘロデに会うとは、イエスはまったく思ってもみなかった。



役者が皆、わたしの前に出揃でそろったということか。


イエスはそんな自嘲めいた皮肉を思いついて、少し笑みを口元に浮かべた。



「何がおかしい?」

僧侶長の一人がイエスの笑みに気づいて、鋭くとがめてきた。

「・・・」

イエスはそこで現実に引き戻され、スッと顔を硬くして口元を引き締めた。

「ふん、この頑固な不敬者めっ!

お前がそうやって笑ってられるのも今のうちだけだ。

そのうち、お前は嫌と言うほど自分の罪を悔やむだろう。

神をあなどる者は、死んでもなお、その罪を責められる。

お前は死後もその罪でもって子々孫々に至るまで永遠に責められるのだ。

だが、今のお前には自分が犯した罪はわかるまい。

それほどお前の根性は腐りきっているのだ。

だから、これからお前が犯した罪をじっくりと思い知らせてやる。

必ずその分厚いつらの皮を、はがしてやるからなっ!」

僧侶長はそう言って憎々しげにイエスをにらみつけたが、イエスの方は目を伏せたまま何も言わなかった。




その時、足早に護衛兵を引き連れたヘロデがイエスの前に姿を現した。

それに気づいたイエスは、ヘロデよりも先に鋭い視線を彼に浴びせた。



これがヨハネを殺した男なのか・・・。

きらびやかな衣装を身にまとい、人を食ったようなずうずうしい笑顔を浮かべて、ヘロデは滑るような歩みでイエスの前に立つと、まずイエスの顔をジロジロ見つめ、それからどっかりと裁判席に腰掛けた。

そのヘロデの動き一つ一つが、イエスには我慢ならないほど気持ち悪かった。



お前があのヨハネを殺した男か・・・。


お前のような軽率で短慮な男に、どうしてあのヨハネの価値が分かるだろう?

お前が気まぐれに首をはねた男は、イスラエル人(神の召使い達)の中でもとびきりのすばらしいイスラエル人だったのだ。

この小さな国に自分の骨身を惜しんで愛の光を与えてくれた真のイスラエル人だったのだ。


だが、そんなヨハネのすばらしさにお前達は気づかない・・・。


それほどお前の心は血と欲でまみれ、その悪意に染まりきった薄汚い心でもってあの優しく賢いヨハネを、彼の美しい澄んだ泉のような心を粉々にした。


何と、愚かな。


何と、鈍感な。


自分はさも清く美しいと言わんばかりに人前に出てくるが、お前は神が本当に知らないとでも思っているのか?

自分の本当の姿にお前自身が気づいていないようだが、その汚れきった心を神が本当に知らないとでも思っているのだろうか?


何と、愚かな。


何と、傲慢な。


なのに、お前がこの国のリーダーとしての地位を持つがゆえに、その地位に目がくらんだ人々がお前の本性に気づかず、そのためにまた、多くの人の血が流れ、犠牲になる。

それがわたしには本当に口惜しい・・・。



イエスはそうしてヘロデに対して憤怒ふんぬの炎を心にたぎらせていたが、ヘロデの方はまったくイエスの怒りに気づいていなかった。


それどころか、目の前の男はイエスに会えたことがさもうれしいとばかりに目を輝かせ、むしろかたわらにいる僧侶やサンヘドリンのメンバー達の方を厳しい目つきで眺めた。

どうやら、あらかたのいきさつは前もって聞いてはいたようだが、これから死刑判決をしようというおごそかな雰囲気は彼の様子からしてまるでなさそうだった。

だから、裁判席に座ったヘロデは笑みまで浮かべて、イエスに向かって優しく話し掛けてきた。



「さて、お前が“ あの ”ナザレのイエスか?」

ヘロデは、目をなごませてイエスの顔を伺っていた。

その態度はどこかうずうずしていて、イエスに質問したくてたまらないといった様子だった。

「・・・」

イエスはそのヘロデの様子をいぶかしく思いながら口をつぐんでいた。

第一、この男に話しかけられることすらイエスには我慢ならないぐらいだった。



この男に話しかけられることすら、死んでも嫌だっ!

イエスはそう思っていた。


そんなこととは気づかないヘロデは、再びイエスに尋ねてきた。

「そうか、そうか、お前がかの有名なナザレのイエスなのか。

わたしはお前のことを随分と聞いておるぞ。

何でも死者をよみがえらせたり、悪魔や病気を追い払ったり、時には盲人の目が見えるようにまでしてやったとか?

それ以外にもいろいろと話は聞き及んでおる。

そうか、お前があのイエスか。

わたしもぜひ、お前に会ってその奇跡のわざというものを見せてもらおうと思っておった。

のう、イエス?

早速だが、お前の業をここでわたしに見せてはくれまいか?

その後、今日の審議に入るとしよう」

ヘロデは突然、そんなのん気なことを言い出した。


その言葉に僧侶とサンヘドリンのメンバー達は面食らい、あわててヘロデに食って掛かった。

「何をおっしゃっるのです、 ヘロデ王っ!

この男は、とんでもない嘘つきです!! ペテン師なのです。

そんなこと、できるわけないじゃありませんか!

そんなペテンばかりを並べ立て、この男は自分が神の子だと言いふらしていたのです。

ですから、私共はこやつを訴えたのです。

どうか賢慮な判決を下していただき、

この男のペテンをぜひとも暴いてください。

それこそ神への奉仕というもの」

「わかった、わかった。

お前たちの言い分はよく存じておる。

だからこそ、先に証拠を見せてみよ、とわたしはこのイエスに言っているのだ。

この男が本物の預言者であり、神の子ならば、その奇跡の業をすぐにやってのけるではないか。

それがこの男の身の潔白を証明する証拠だろう?

さぁ、ナザレのイエス、お前の無実を証明するいい機会だ。

今すぐ、この場でお前の奇跡のしるしを見せてみよっ!!」




その言葉を聞いて、イエスはあまりの馬鹿馬鹿しさに黙って目を伏せた。



「どうした? お前の得意技だろう?

お前の名はその奇跡の業によってこの国中にとどろいておる。

何でも、噂によるとお前はティベリウスに参ったと聞いたが、なぜ、その時、わたしの城に寄らなかったのだ?

わたしの宮殿に来ておれば、お前もこんな目にも会わずにすんだだろうに」

ヘロデはそう言って、イエスの機嫌を取ってきた。


それを聞いてイエスはますます反吐へどが出そうな気分だった。



だが、ヘロデがここまで初対面のイエスを、しかも罪人として引き立てられてきた男の機嫌を取りたがるのは、ある切羽詰った事情があった。


実は、洗礼者ヨハネを処刑して以来、ヘロデはツキが落ちたように何事も上手くいかなくなっていた。



当初の予想通り、ヘロデの不倫を怒ったアレタス4世は、まずアラブとの国境地域にあったガバリスという土地にいろいろ軍事的挑発をしかけてくるようになり、ヘロデはそこでついに軍を起こしてアラブと戦うこととなった。

ところが、短慮のヘロデと違って老獪ろうかいなアレタス4世は、挑発はしたものの実際にはまったくヘロデと戦おうとせず、むしろヘロデ側の貴族将校に金をばら撒いて彼を裏切るよううまく説得した。

そのため、日頃からヘロデの我がままぶりに辟易していた臣下達は、金を受け取ると、すぐさまヘロデの義母弟であるフィリップの下へと逃げ込んだのだった。


そうなると、わざわざやいばを交わさずともヘロデ軍はなし崩し状態となり、あっけなく彼の砦は陥落してしまったのである。



もちろん、家臣の裏切りを知ったヘロデが地団駄を踏んで悔しがったのは言うまでもない。


あれほど豪勢な料理を並べて宴会の席であれこれもてなしてやった貴族達が、まさかあんなにあっさり自分を裏切って、気弱で腰抜けのフィリップのところへなど逃亡するとは夢にも思っていなかったからだった。

だが、義弟のフィリップは、異母兄ヘロデとは違い、確かに指揮を預かれるほど剛毅なところはまるでなかったが、それはそれとして彼の事なかれ主義なところがかえって宮殿内の和を保っているようで多くの家臣には居心地がよかったのと、頼りない王であるがゆえ家臣達がそれぞれまじめに働いていたこともあって、比較的、フィリップの領土は豊かで安定もしていた。

それに、外国人や外国文化が好きなフィリップは、地元のユダヤ貴族よりギリシャやローマ仕込みの家臣を重用していたため、ヘロデを裏切ってフィリップの下に駆け込んだ貴族達にしてみれば、同じユダヤ人達からさほど嫌味を言われて責められることもなければ、罪悪感を感じることもない、いい転職先となったのである。


だが、ヘロデにしてみればどうにも合点がいかない。



自分ほど王にふさわしい人間はいないと自信満々に生きてきた彼にとって、思い通りに事が運ぶものと計算していただけに、その挫折はかなりこたえた。

それでも、どうにかプライドを呼び起こして何とか巻き返しを図ろうと、ローマ皇帝ティベリウスのところに直接、出向いていった。

むろん、ティベリウスはヘロデが負けてくれた方が元々、都合がよかったので、彼を大いに歓迎した。

しかも、ティベリウスはヘロデの訴えに同調してアレタスの狡猾なやり口に憤慨し、早速、シリア総督ヴィテリウスに手紙を送って、「アレタスの首に鎖を巻きつけて引っ張ってきてもかまわん。どうせならあいつを殺してその場で首を切り、その首をローマまで送って来い」とまで書いてアラブ攻撃を命じてくれたのだった。

ヘロデはそのティベリウスの言葉に感激し、ひとまず安心してユダヤに帰ろうとしていたのだが、その直後、彼の耳に別の悲しい知らせが届いた。



義理の娘であるサロメが突然、死んでしまったのだった。



サロメもまた、ヘロデと同じく、ヨハネが処刑されてからは不遇の人生を歩んでいた。


宴会の席上でサロメを見かけたヘロデの甥アグリッパは、実はローマで既に結婚しており、5人もの子供のいる男だったが、都会(ローマ宮廷)仕込みの手練手管でサロメを誘惑し、まんまと彼女のしとねを勝ち取った。

まだ世間知らずで恋愛経験のないサロメは、アグリッパの美男ぶりと床上手にすっかり恋焦がれ、彼が妻と離婚して自分をローマに連れて行ってくれるものと思い込み、舞い上がってしまったのだった。

しかし、アグリッパの方はというと、彼女との恋愛沙汰は単なる退屈しのぎに過ぎなかったが、借金から夜逃げしてきた以上、資金繰りが出来ないのでは監獄行きとなるローマに戻るわけにはいかなかった。

そのため、しばらくの間、おとなしくガリレー地域の市場監査の役に納まったのだが、その仕事もすぐに飽きていろいろ問題を起こし、ヘロデからも煙たがれるようになってしまった。

そして、サロメにも飽きてきた彼は、彼女をさっさと捨ててギリシャへと旅立ってしまったのだった。


残されたサロメは、それからすっかり意気消沈して、食事も喉を通らないほど失意の日々を過ごすようになった。

娘のあまりの変わりように心配したヘロディアスは、ヘロデに相談を持ちかけ、彼女を別の男に嫁がせることにした。

しかし、彼女の嫁ぎ先として決まったのは、残酷にも彼女を捨てたアグリッパの実の弟だったアリストブロスのところだった。

たまたま適当な結婚相手がいなかったせいもあったが、アグリッパの弟アリストブロスはローマで僧職に就いていて評判も良く、裕福でもあったので、ヘロデ夫妻はサロメにはちょうどいいだろうとサロメを嫁に出すことにしたのだった。

こうして、まるで兄のお下がりのように弟に嫁がねばならなくなったサロメは、昔ならばその強い気性とプライドから断固拒絶しただろうが、今ではすっかり気力を失い、返事らしい返事もできない有様ありさまで、両親に言われるまま素直にローマへと嫁いでいった。


ところが、そんなローマでの暮らしもサロメはなじむことができなかった。

夫アリストブロスは、アグリッパとは似ても似つかぬ几帳面で厳格な男で、サロメの容貌の美しさに最初から不信を抱き、ちょっとしたことでも不倫の徴候としてサロメを責め立て、時には暴力まで振るってきた。

だから、滅多な事では外出させてもらえず、日々、鬱々(うつうつ)とした屋敷内に閉じ込められ、サロメはますます気鬱きうつを患うようになった。


そして、ヘロデがアラブとの決戦に敗れてローマに来た日、義理の父親に会うということで外出が許されたサロメは、焦って近道しようと凍った湖の上を渡っていたところ誤って足を滑らせて転んでしまい、氷が割れて体ごと冷たい湖の中にすっぽり落ちてしまった。

しかも、運の悪いことに、転んだ時の衝撃で割れた氷の鋭い歯がちょうど彼女の首筋に当たってすっぱり切り取ってしまい、胴体だけが水底に沈んで行ってしまったのだった。

こうして、氷の上には彼女の首の部分だけが残され、遺体はそれだけになってしまったのである。



この訃報ふほうはもちろん、すぐにローマにいたヘロデに知らされ、さらにあまりの悲惨な死にざまにローマではかなりの噂で持ちきりとなった。

そして、その噂をローマから持ち帰った商人から一気にユダヤの庶民にまで広まってしまったのだった。


「きっと神がヨハネの死を哀れんで、罰をお与えになったのよ」と、人々は口さがなく噂した。そんな噂の中で、義理の娘とはいえ、ヘロディアス同様、ヘロデもまたサロメを可愛がっていただけにその死の衝撃はかなり深く、辛いものだった。


しかし、その後も不幸はもっと続いた。


義母弟フィリップがこれまた突然、病死してしまったのである。

ヘロディアスに去られた後のフィリップには子供がおらず、当然、その領土は自分の物になるだろうと踏んでいたヘロデは、ティベリウスにそれとなくその意向を匂わせ、その領土をねだった。


だが、当初からイスラエル“ 王国 ”になど眼中にないティベリウスがそれに応える訳はなかった。

フィリップの領土はすぐさまシリアに統合され、ヘロデは結局、ガリレーのテトラーク(属州知事)のままだった。

これですっかり自信を打ちひしがれたヘロデは、人々が好き勝手に噂するヨハネの呪いや神の天罰といった下世話な憶測にその精神を次第にさいなまれるようになり、自分の未来をどうにか良くしてもらおうと占いや霊媒れいばいなどにりだすようになった。


そんな時、イエスの奇跡話を聞きつけたヘロデは、死んだはずのヨハネが生き返ってきたのかもしれないと勝手に思い込み、何とかイエスに自身の呪縛じゅばくを解いてもらおうと彼に会うのを楽しみにしていたのである。



だから、イエスが思いがけず自分のところに来たとあって、ヘロデは喜び勇んでイエスの前に慌てて出てきたのだった。




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